若狭狂乱(中編)
多くの場合、たとえ傍目から見たら錯乱した行動であったとしても、本人自身は正当な理由があると確信しているものである。他者から見れば非常識の極みである今回の一連の騒動も、六角義治自身の中では理由があった。
「我が六角家は、幕府管領代の家柄。幕府の敵が通り過ぎるのを黙ってみているわけにはいかぬ!」
無論、これは表向きの大義名分である。六角義治の中には焦りがあった。代々受け継いだ南近江を失い、若狭へと転封された。父親に仕えた五人の家老からも見放された。そして父でさえも、神宮寺に籠ってしまっている。そんなに当主として権勢を奮いたいのなら、独りで勝手にやれということである。
ならば独りでやってみせる。新田にも織田にも、そして幕府に対しても、六角此処に在りと示してみせる。新田嫌いという感情から発した行動ではあるが、そうした気負いもあったのは事実である。
六角義治の予想では、新田は軍を起こすのではなく、人を送ってくると思っていた。幕府、織田、新田の三人の使者を並べて、あくまでも幕敵を捕らえただけと言い張り、その大義名分をもって交渉する。着地点までは考えていない。この三者を並べるだけでも、六角の威信を示せる。そう考えていたのである。
六角家に残った五人の家老の内、一人でも若狭まで付いてくる者がいたら、あるいはこのような馬鹿げたことなど起こさなかったかもしれない。自分自身で招いたことではあるが、六角義治の不幸は、誰にも相談できなかったという点であった。
「今ならば間に合う。すぐにでも解放し、新田に詫びなされ。麿も関白として取りなす故……」
織田家が動くまでもなく、将軍足利義昭の依頼を受け、関白である二条晴良は若狭へと赴いていた。新田家に側室として入った市乃方は、二条家の養女として嫁いでいる。つまり新田又二郎は、二条晴良にとって義理の息子であった。あくまでも形式上の関係ではあっても、新婚間もない今ならば、新田も無視はできない。若狭は、都の「裏庭」である。ここに一〇万の軍が出現すれば都は混乱し、織田家の西進も止まらざるを得ない。それはつまり、太平の世が遠退くことを意味する。
「宇多源治佐々木氏の嫡流である大六角家が、なぜ北端の田舎猿に詫びねばならぬ! 詫びるべきは田舎猿の方であろうが! 本来であれば儂の前に膝を付いて、市姫を娶る許しを請わねばならぬ立場なのに、詫状一つ寄越さぬ! 六角を舐めるのも大概にせい!」
発想の出発地点が違うのだ。六角義治は、姓の家格と血筋こそが正義であり、それを力で踏み躙る者は許せないのだ。そのため、新田に対しても、織田に対しても同様の怒りを持っていた。
二条晴良は黙って聞きながら、暗澹たる心境になった。そして、息子を愚者に育ててしまった六角承禎と、織田家の都合だけで、若狭を危険地帯にした織田家に対して、文句の一つも言いたくなった。
(家老衆が見捨てたのも解る。だが、都を危機にさらすわけにはいかぬ。せめて、これ以上の暴発だけは止めねばならぬ。新田の家臣たちの待遇を改めさせ、いつでも引き渡せるように説得せねば……)
現代では何かと悪く書かれる二条晴良だが、それは歴史創作物の主人公として信長、秀吉、家康が多いからであって、近衛前久を善人に描き、彼と地位を争った二条晴良を悪人に描いたほうが、登場人物の個性が立つからに過ぎない。
実際の二条晴良は五摂家の一角として、朝廷と都を守るために室町幕府には正当性と力が必要だと考えていた。彼なりの憂国の志から、足利義昭に力を貸し、永禄の変において三好と手を組んでいた近衛前久と、対立したのである。
たとえ当主の大動員令だとしても、広大な新田領から兵を集めるのであれば、それなりに時間を要する。一〇万に迫る大軍を動かすとなれば、月単位の時間が必要であった。
「現在、輜重隊を含めた当家の最大動員兵力は、一五万です。当然ながら、これを全軍、充てるわけにはいきません。北陸道の補給のための輜重隊を二万、騎馬、鉄砲、足軽などの実戦部隊が八万、計一〇万をもって一気に加賀を飲み込みます」
「武器、弾薬、飼葉、兵糧の備蓄は十分です。一年でも戦えます。ですが一〇万を越中国に集め、そこで陣割を行うとなると、あと半月は必要です」
永禄一三年(西暦一五七〇年)弥生(旧暦三月)、春日山城には、新田領内から続々と兵が集結していた。すべて新田の常備兵ではあるが、普段は北条や武田との国境の警備や各街道や集落の見回りのため、領内に割り振られている。必要最少の人数だけが残り、他はすべて動員する予定であった。
「朝倉からは、領民に手を出さないことを条件に、北陸道通過の許諾を得ました。しかしながら、加賀を攻め落とした時点で、六角から和睦の使者が来るやも知れませぬ。一度、そこで止まるというのは如何でしょうか?」
「無用だ。下手に止まれば、かえって兵糧の無駄になる。無条件の全面降伏以外、認めぬ」
浪岡具運の弟で、兄を補佐している浪岡顕範の進言を、又二郎は一刀両断した。無論、これは顕範も承知していた。だが形式だけでも整えておく必要がある。圧倒的な兵力で攻めるのだ。見る者によっては、一方的な暴力に感じるだろう。
「止まる必要はないが、使者が来たら会うことだけはしよう」
それで十分だろうと思っていたところに、織田家から使者が来た。出陣まであと数日というところであった。
「こりゃぁ、駄目かも知れんがやぁ~」
春日山城下に着いた羽柴藤吉郎秀吉、羽柴小一郎秀長の兄弟は、信じられないほどの大軍が一斉に練兵している光景を見て、新田がどれほどに本気なのかを感じ取った。何が何でも、六角を潰すつもりなのである。
「羽柴殿、昨年以来か。母御はお元気か?」
「うへへぇ~ その節は、おっ母が無礼を働きまして。誠に申し訳ありませぬ!」
春日山城内も、ピリピリとしていた。当主である又二郎は平服であったが、評定間に通される間、武将らしき男たちが甲冑姿で通り過ぎて行った。もう殆ど、戦支度が終わっているのである。
この緊張感で当主を説得するためには、まずは剽げるしかない。一瞬でそう判断し、秀吉はあえて「おっ母」という言葉を選んだ。他の大名なら無礼と言われるだろうが、宇曽利の怪物相手ならば気にしないだろうという見通しもあった。
「いや、母御殿との会話で、俺自身、親孝行をしていないことに気づいた。あの後すぐに、母を越後まで呼んだ。そうしたらいきなり説教を受けたわ。どれほど大身になろうと、母には勝てぬな」
案の定、又二郎は苦笑しながらそう返した。だが空気は緩まない。又二郎以外に、重臣として浪岡顕範、南条広継、八柏道為、蠣崎政広の四名が、緊張感を発していたからである。
「で、織田殿はどうされる? 此度の件、一番悪いのは無論、六角の阿呆なのだが、織田殿にまったく責が無いわけではない。若狭などではなく北伊勢あたりに国替えとしていても、岐阜から都までの道は確保できたはずだ。義兄を責めたくはないが、俺も新田家の当主として、やられっ放しでいるわけにはいかぬ。まして蠣崎弾正は我が義父にして、蝦夷地を担う宿老だ。俺の手で六角を誅さねば、気が済まぬ」
「御怒り、誠に御尤もでございます。我が殿が陸奥守様のお立場であれば、同じ決断をされるでしょう。しかしながら、現在、二条関白殿下が若狭に入り、六角義治を説得しております。既に御重臣の方々は屋敷へと移され、客人に近い待遇となっております。状況は好転しつつあり、今暫しのお時間を頂けぬでしょうか」
「仮に、六角が我が家臣たちを解放したとしよう。朝廷への年賀も返したとしよう。で、どうケジメをつける?」
「将軍義昭様直々の御出陣により、幕府と織田の手によって、六角を誅しまする。六角家は取り潰しとし、その上で若狭の地を無条件で、新田様に差し上げまする。それで如何でしょうか」
「ほう…… それは織田殿も承知の上か?」
承知している筈がない。征夷大将軍が自ら出陣するなど、この短期間で根回しができようはずが無いからだ。十中八九、ハッタリであろう。むしろそれを見抜かれた時の、羽柴秀吉の反応を見たかった。日本史上最高の人誑しは、どう返すだろうか。
「……承諾はいただいておりませぬ」
顔を伏せながら、呻くような声で秀吉は返した。此処が正念場である。新田は誠意を重んじる。嘘をついて騙すより、正直に告げて誠意と覚悟を示したほうが良い。秀吉はそう判断した。
「されど、陸奥守様が一〇万を率いて若狭を攻められれば、どれだけの血が流れるでしょうか。どれだけの人が、路頭に迷うでしょうか。畿内一帯は大混乱に陥り、それで苦しむのは民でございます! この羽柴秀吉、一命を賭して、我が殿と幕府を説得致します!」
羽柴秀吉が正直に話していること。そして一命を賭してという言葉に嘘偽りがないことは、又二郎以下全員が感じ取った。もし説得できなかったら、本気で腹を斬るつもりでいるのだ。
「……益荒男が口にする覚悟の一言は、如何なる財貨にも勝る。羽柴殿の誠意、確かに受け取った。一月だ。これより一月で、加賀を攻め落とす。それまでに我が家臣たちを無事に解放させよ。それが成されれば、それ以上は進まぬ」
秀吉は、あっという表情を浮かべて、畳に額を擦り付けた。