大陸への野心
越後春日山城に戻った又二郎を待っていたのは、佐渡島から訪ねてきたルイス・フロイスであった。佐渡島は元々住んでいた民衆と、新田領内で罪人となった者などの流刑者が住んでいる。そしてフロイスは、流刑地を中心にキリスト教の布教に邁進していた。流刑者は、ただの犯罪者だけではない。土地を失い、それでも新田に従いたくない。あるいは従うフリをしていた。主君を裏切った不義理者なども含まれる。
新田の流刑地管理、港湾管理は徹底していた。新田式を叩き込まれた一〇代から二〇代の文官たちが、四年任期で赴任している。ここで四年学び、そして他の土地で八年学び、三〇前後で昇進して人を使うようになる。二カ所で計八年間、人の管理を経験した後はさらに昇進し、管理を管理する立場になる。すなわち幹部職だ。そこから先は、本人の働き次第である。
こうした等級制度により、佐渡の若き文官たちは将来の出世を目指し、相当な意気込みで四年間を過ごすようになっていた。流刑地ならば荒事もある。そのため文官仕事の傍ら、最低限の武芸も学ぶ。そして中には、キリスト教に入信する者すらいた。又二郎は家中法度において、信教の自由を明文化している。仕事と分けている限り、十字架の前で跪こうと自由なのだ。
「久しいな、フロイス殿。佐渡での暮らしはどうだ?」
「オ陰様デ、信徒モ増エマシテ、ゴゼマス。本日ハ、殿様ト御約束シタコトデ、罷リ越シマシタ」
多少、日本語も上手くなっているなと思いながら、又二郎は身を乗り出した。ルイス・フロイスを通じてイエズス会に幾つかの依頼をしていた。その可否の返答である。
「ガレオン船、キャラック船ヲ作レル船大工ハ、ゴアニテ用意スルコトガデキマシタ。マカオヲ発チ、ジパングニ向カッテイルソウデス。殿様ガ探シテオラレタ植物デスガ、ポモドロ(トマト)、パタート(ジャガイモ)、マイース(トウモロコシ)ノ種ハ手ニ入リマシタ。船大工ト同ジ船デ、ジパングニ来ルソウデス」
「よしよし。これで料理の幅が広がるな」
フロイスは無言であったが、内心では疑問を抱いていた。自分自身も見たことが無いが、これら植物の中には食べられないものがあると聞いている。マイースは美味らしいが、自分は食べたことが無い。当然、目の前の青年も食べたことがないはずだ。それなのにどうして、料理に使えると確信しているのだろうか。
「で、他には?」
「ガラス職人ヤ画家、音楽家ナドハ手配ガツキソウデス。デスガ、ダ・ビンチガ描イタトイウ夫人画ニツキマシテハ、交渉ノメドガ立ッテイマセン。フランク王国ハ戦争中デゴゼマスノデ……」
(あぁ、そうか。ユグノー戦争か。プロテスタントとカトリックの戦争だったか)
「戦争中であれば仕方がない。他の絵画や書籍などを先に集めてくれ。それと学者だ。数学者、天文学者、建築家、そして錬金術を研究する者などで、ジパングに興味がある者がいれば連れてきて欲しい。数は幾らいても良い。フランク王国は戦争中だそうだな。戦火を逃れるために日ノ本に来る者などいないかな?」
「ワカリマセン。申シ訳ゴゼマス」
まだ焦る必要はない。ガレオン船の造船経験は、日本の造船技術を飛躍的に上げるだろう。今後は陸だけではなく海でも戦が行われるはずだ。その時に大きな強みになるに違いない。
「できる範囲でよい。引き続き、技術者招聘に力を貸して欲しい。南蛮では疎まれていても、日ノ本では厚遇される。そう宣伝してくれ」
フロイスは表面上では同意したが、内心では新田を警戒し始めていた。佐渡島では驚くほどの金が産出されている。その一方で、硝石などの輸入は行われず、むしろ絹織物などの生産を強め、輸出拡大を図ろうとしているほどだ。実際、新田領内で焼かれた磁器は、明国産にも劣らないものとして、南蛮商人には人気になりつつある。このままいけば、ヨーロッパの富すらも、吸い上げてしまうのではないか。イスパニアに対して警戒を促すべきか、フロイスは迷った。
(止めておきましょう。既に新田の領内には、読み書きと会話ができる者が一定数います。万一にも書状臨検などが行われ、流出してしまったら、それこそ私たちは皆殺しにされてしまいます……)
フロイスが抱く内心の懸念を見透かしているのか、又二郎は薄笑いを浮かべていた。
「お待たせしました。母上……」
「又二郎殿、元気そうでなによりです」
フロイスとの対面が終わった後、又二郎は奥へと入った。待っていたのは実母であった。春という名だが、いまでは実父である八戸行政の戒名から「光寿院」と呼ばれている。死んだ父親に良い院号をと、又二郎が金を積んだので、徳がありそうな戒名になった。もっとも、又二郎自身は父親の戒名はおろか、顔すら覚えていない。
「御母上様、吉松を呼んでまいりましょうか?」
正室の桜をはじめ、女たち全員が揃っている。又二郎独りという座りの悪さに、桜が気を利かせようとした。だが母親は首を振り、又二郎に向けて眉間を険しくした。
「又二郎殿、日ノ本最大の大名となった貴方を叱れるのは、私だけでしょう。亡き御義父上様は、自分亡き後は、私が諫言役をと御遺言を遺されました。ですので今から、又二郎殿を叱ります」
「はて? 叱られるようなことはした憶えはありませんが?」
「市殿のことです。なんですか、この待遇は。織田家から嫁がれて来たのに、桜殿と深雪殿に引き合わせただけで、あとは放っておくなど。市殿がどれほど寂しい想いをされていたか……」
「光寿院様、私は……」
「そのように畏まらず、気軽に母と呼んでくださいな。貴女も私の、大事な娘なのですよ?」
優しく言われたのが響いたのか、市乃方が涙を浮かべてしまった。それを見た母親、そして嫁たちまでもが又二郎にジトという視線を向ける。又二郎は焦った。
(いやいや! 針の筵に座らせた憶えはないぞ。ちゃんと皆に紹介し、平等な扱いをしていたはずだが……)
「平等に扱っている…… などと思っているのでしょう? それが間違いです。織田殿の実妹である市殿が、家中からどのように見られるか、少し考えれば解るでしょうに。多少の贔屓をするぐらいが丁度よいのです。又二郎殿が庇わずに、誰が市殿を庇えるのです」
「いや、母上…… これは俺の手落ちであった。だが家中や屋敷内の者たちには、側室として丁重に扱えと言い聞かせたのだが……」
「女子を甘く見てはいけませんよ? 口では礼儀正しくとも、心中で何を思っているのか。身振りの端々から読み取るのが女子です。又二郎殿は幼き頃から、主君として表に立ち続けていました。それ故、家族というものに不慣れではないかと心配だったのです。市殿、又二郎殿に家族の温かさを教えなかったのは、私なのです。どうか許してください」
「そんな…… 御止めください。光寿、いえ御母様」
なんだ、この昭和のメロドラマのような展開は? 家族の温かさだと? 戦国の世なのだ。そんなものは日ノ本の何処にもない。父子兄弟の間であっても、食うか食われるか、生きるか死ぬかの争いをしている。それが戦国ではないか。家庭に幸福を求めるような奴が、天下人になれるか。俺に家族の温かさなど求めるな!
「西との和睦で、一先ずは戦も落ち着きそうだ。これからは領内開発に力を入れる。時間も取れるだろう。俺もできるだけ、奥に足を運ぶようにしよう」
肚の内をそのまま口にするほど、又二郎は愚かではない。申し訳ない、殊勝な表情を浮かべながら「家族団欒のフリ程度はしてやろう。暇なときに」と、心中では真逆のことを考えていた。
なんとか女たちを宥めて、自室に入る。記憶を頼りに作成した東アジアの地図を眺める。中心に日本海が描かれ、北東はカムチャッカ半島まで、西は朝鮮半島から黄海、そして明まで描いてある。南は明の寧波、台湾島、フィリピンのルソン島まで書かれている。
「天下統一後と考えていたが、西進が止まった以上、今から海外に目を向ける必要がある。日本海側の発展のためには、大陸側にも生産拠点を設けて、日本海を内海化しなければならない。ヌルハチの祖父であるワンカオとは、既に繋がりを持っている(第二一五話)。ワンカオの挙兵まであと五年。史実では失敗したが、新田が支援をすれば成功しないまでも、惨敗もしないだろう。見返りとして、興凱湖(※ハンカ湖)以東の沿岸域すべてを貰う」
三津七湊の一つに数えられる輪島湊は、日本海側でも有数の良港である。港湾都市として開発し、そして大陸との交易路を結ぶ。又二郎は扇子でパシンと位置を示した。明代において奴児干都司と呼ばれた場所、後のウラジオストクである。