六角の落日
信濃を抜けて越後へと出る。市姫改め「市乃方」は、初めて見る「日本海側」の空に、僅かな不安を抱いた。清洲城から眺める尾張乃海は、抜けるような青空と共に碧く輝いていたのに、この空と海はなんだろうか。海は黒く、空は灰色である。曇り空だからだろうか。それでも、全体的に暗いと感じてしまう。
(私は、上手くやっていけるのでしょうか……)
そんな市乃方にとって唯一の楽しみは、食事であった。これは間違いなく、織田家よりも新田家の方が、遥かに上回っている。最初は自分たちだけが贅沢をしていると思い、眉を顰めていたが、足軽に至るまですべて同じ食事をしていると聞き、目が点になった。
今も「鴨肉の朴葉味噌焼」という料理が出されている。朴葉の上に鴨肉、葱、しめじ、味醂を混ぜた味噌を乗せて包み、それを炭火で焼いた料理だという。鴨から出る甘い脂を葱としめじが吸い、味噌の塩味が味を引き立てる。米が進む料理であった。
「今日の汁物は、鹿と猪の骨から取った出汁で作ったほうとうだ。信玄公を好物だったそうだが、俺がそれを改良した。甲斐、信濃にはまだまだ名産品があるはずだ。まずは信州では梨の栽培だな。梨は記紀にも登場する果物だが、大々的な栽培は行われていない。この信州を梨の一大産地にするぞ」
そう言いながら、大名自らが大鍋を混ぜて、器によそう。自分の兄は常識にとらわれない「うつけ」だが、自分の夫となった男は、兄を越える「大うつけ」かもしれない。
(でも、本当に美味しいです。こうやって皆で鍋を囲む食事というのも、良いものですね)
ザラリとした質感の今焼の茶碗に盛られた「ほうとう鍋」を食べながら、市乃方は新たな暮らしに胸を躍らせていた。
新田と武田の合同練兵は、武田家臣団に大きな衝撃を与えた。五人一組で集団を作り、一〇〇人で一つの部隊として「集」の戦い方を徹底する。武田家においても練兵は行われているが、国人の集合体である武田家では、調練は各国人任せとなっている。数千人が一糸乱れずに動く様は、壮観であり美しくもあった。
「どうやってこのような……」
「新田家の常備兵は、集団で駆け、集団で体を動かします。それを毎日行っています。このやり方は児童の教育にも取り入れられ、各寺社では毎日半刻、身体を育むための時間を設けています」
「強いはずだ……」
兵一人ひとりの体力が違うのだ。それが力を合わせて集団となり、一糸乱れずに突っ込む。個の武力など関係ない。どんなに武に秀でようとも、一〇人を同時に相手にすることなど不可能だ。四方向から同時に槍を突かれれば、それで終わりである。
「新田家でも、ここまで育てるのに二〇年を掛けました。武田家ですぐにできるわけではありません。ただ、常備兵を募り、国人衆の持つ兵は領内の治安維持に使うなど、これまでとは違う仕組みにすることで、基礎を作ることはできるはずです。新田式の農畜法を取り入れれば、田畑の実りも良くなるはず。まずは食べていけるだけの基礎を固め、その上で兵を養われては如何でしょう」
沼田祐光が饒舌に説明する。普段は寡黙な謀臣だが、必要があれば幾らでも饒舌になれるのだ。新田家として、もっとも警戒すべきは「武田の離反」と捉えている祐光は、ここで徹底的に、新田の恐ろしさを見せつけようと考えていた。
「武田も良い動きをする。特に勝頼殿の動きは目覚ましいのう」
話題を変えるように、老軍師の田村月斎が調練の光景を指した。諏訪四郎勝頼が、自ら槍を振いながら兵を突撃させている。その光景に、義信が苦笑した。
「某も昔はああして、自ら槍を持って前に立ったことがあります。戦は勝ったのですが、亡き父に怒鳴られました。将たるもの、前に立つものではないと」
「時と場合によるのぉ。普段はそうじゃが、自ら前に立たねばならぬ時もある。上杉殿も武田殿も、最後は自ら陣頭に立たれていた。それは見事な、益荒男であったのぉ……」
武田太郎義信は、その言葉を聞いて瞑目した。亡き父も、その好敵手であった上杉謙信も、今の自分ではその足下にも及ばない、偉大な男たちであった。その背中は巨大で、嫡男としての重圧に潰れそうになったことも幾度もある。父に及ばなくとも、せめて武田信玄の子として、恥ずかしくない自分でありたい。
「四郎のアレは、勇猛ではありますが、ただの猪武者の動きです。後で諭しておきます」
(若き者たちも育ってきておる。儂はあとどれくらい、こうやって立つことができるかのぉ……)
せめて天下統一までは生きたい。調練風景を見ながら、老いた軍師はそう願わずにはいられなかった。
武田太郎義信と諏訪四郎勝頼は、北信濃の深志城まで新田軍を見送った。新田又二郎率いる二万の軍は、そのまま川中島を抜けて越後へと向かう。街道整備は継続しているが、この一ヶ月で大軍が陣張りできる場所などは確認した。南信濃で変事があれば、すぐにでも万の軍を動かすことができるだろう。
「越後では間もなく、雪が降る。今年は此処までだな」
空を眺めながら、馬上で呟く。馬を並べていた沼田祐光が、両手で「六」を示した。又二郎はそれだけで、言いたいことを理解した。織田はもう六角攻めを始めている。その動きに注視しろと言いたいのだ。
「南信濃までは(九十九衆の)網が掛かっている。そのうち分かる……」
「御意」
理想としては、六角家を滅ぼして欲しいところだが、織田信長もその程度は読んでいる。敢えて生かして、若狭に国替えさせ、新田の牽制に当てる。目先の損得やその場の感情だけで動く単細胞なら、まだ御しやすいだろう。だがそこに、管領代という家柄と、朝廷や室町幕府内の人脈が加わったらどうか。現時点で、新田家は都を押さえていない。下手に六角を突くと藪蛇となりかねない。
「まぁ、その時はその時で、腹を括るか」
加賀はいわゆる「紛争地帯」になる。その気になれば一気に攻め落とせるが、その後は戦が無くなる。敢えて獲らずに、兵たちの練兵に使う。石山本願寺をはじめ、和睦した越前朝倉家も加賀を支援するはずだ。加賀に目を向けさせている間に、毛利と大友に手を伸ばす。織田は東が落ち着いたと考えているだろうが、火種はまだある。旧態依然とした三河衆は果たして、新田の経済圧力に耐えられるだろうか。
「帰ったら、忙しくなるな」
独り言だと察したのか、沼田祐光は黙ったままであった。
「おのれ織田めぇっ! あろうことか、若狭に国替えしろだと? 斯くなる上は戦だ! 六角の恐ろしさを思い知らせてやる!」
観音寺城内に六角義治の怒号が響いた。岩村城で新田との盟を結んだ織田信長は、その足で一気に南近江に攻め込んだ。一万八〇〇〇の軍で観音寺城を完全に包囲したのである。無論、朝廷も幕府も承知のことである。軍足利義昭は、織田の伸長を警戒しつつも、東西和平に反対していた六角に対しては、それ以上に苛立っていた。
『東を征した大新田家でさえ、朝廷と幕府の威光を重んじたのじゃ。六角風情が何をほざく』
今のところ、織田信長は朝廷と幕府を立てる姿勢を見せている。今回の東西和平も、形式的には朝廷と幕府が仲介し、織田と新田を結び付けたことになっている。新田又二郎は、副将軍などの役職はすべて辞したが、幕府に対して礼の品々を贈っている。将軍として大きな仕事を成し遂げた足利義昭は、残された西日本を治めるためにも、幕府に逆らう六角は見過ごせなかった。
「本来であれば滅ぼされて当然じゃが、管領代としての家柄と、身共(※征夷大将軍の一人称)へのこれまでの働きに免じて、国替えとしたのじゃ。構わぬ。信長に、二つ引きの旗を与えよ。これは幕府の意向だと示すのじゃ」
室町幕府からの正式な通達となれば、六角の国人衆としても、義治を見捨てる大義名分を得ることになる。六角承禎が健在である以上、付いていく者たちもそれなりにいるだろうが、家を保つことが精一杯であろう。
結局、六角義治は降伏し、若狭への国替えを受け入れた。若狭武田家は、当主の武田治部少輔信豊と、嫡男の義統との間で家督問題の争いが起き、その義統も二年前に死去した。若狭は現在、無統治状態と言って良い。兵を進めるだけで、簡単に落とせるだろう。
「それもこれも…… すべては新田のせいだ。新田がいるためだ」
新田又二郎からすれば言い掛かりも甚だしいことだが、六角右衛門督義治は、自分より二歳年下でありながら、日ノ本中に知れ渡っている男に対し、粘りつくような嫉妬と憎悪を募らせていた。