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新たな「美」を求めて

 永禄一二年(西暦一五六九年)文月(旧暦七月)、般若野の合戦から一月近くが経った頃、能登畠山氏を攻めている上杉軍も、決着を迎えつつあった。七尾城を無視する形で奥能登の輪島、珠洲方面を攻めた上杉軍を止めるべく、畠山七人衆は七尾城から出陣した。たとえ勝てなくとも、後背を突いて一定の成果を出せば、その後降った時に厚遇される。少なくとも従来の大名同士の合戦とは、そういうものであった。


「愚かな…… 奴らは新田のこれまでを知らぬのか? 戦働きなど、新田においては殆ど認められぬ。信義に悖る行為こそ、新田においては最大の悪。主君を追い出し、内部闘争に明け暮れる者たちなど、陸奥守が最も嫌うというのに……」


 斎藤朝信はそう呟いて首を振った。本来であれば皆殺しにされても仕方がないのだ。亡き主君である上杉謙信であっても、畠山七人衆を赦しはしないだろう。後継である顕景(※上杉景勝)の初陣だから、皆殺しだけは避けようと草上し、辛うじて許しを得たのだ。今、降れば死ぬことはない。そう警告したのに、七人衆は降るどころか城から打って出てきた。


「爺、上杉の威を示すぞ。七人衆を皆殺しにする。我ら上杉の意志としてやるのだ」


 上杉家の若き当主である上杉顕景は、まだ幼さの残る顔に決意を浮かべてそう告げた。


「若…… いえ、実城様。それは……」


「新田は赦そうとした。上杉がやり過ぎたのだ。終わった後は、七尾の公家衆たちにそう触れよ」


 新田又二郎は、本当ならば七人衆など全員殺してしまいたいと思っている。だが畠山領内には、都を逃れた公家衆たちも多くいる。残虐な行為は今後に悪影響が及ぶ。ならばその悪名を、上杉が被る。上杉が生かされているのは、上杉が名門であることと、新田又二郎個人の情によるところが大きい。ここでそれ位のことをしなければ、新田の天下で上杉が残ることは難しいだろう。


「……御立派になられましたな。ならば某も修羅となりましょうぞ」


 軍神上杉謙信が最も信頼した名将の顔が、益荒男の貌へと変わった。





 旧暦文月は、現在の暦では八月下旬から九月上旬になる。暦の上では晩夏であるが、たとえ北陸であっても日中は暑いことが多い。又二郎は輪島素麺(りんとうそうめん)を啜りながら、上杉軍の報告を聞いていた。


「……謙信公亡くとも、上杉はやはり強いな」


 七尾城から出陣した畠山七人衆は、上杉軍の背を突いたかに思われたが、田鶴浜にて上杉軍の包囲を受け、殆ど全滅に近いほどに討ち取られたという。七人衆筆頭の遊佐続光をはじめ、内応していたはずの長続連にいたるまで、七人衆全員が討死している。


「本来であれば、降した上で隠居させるというお話でしたが、兵の勢い凄まじく、止められなかったとのことです。下野守より詫状を受け取っておりまするが……」


「詫びなど不要だ。顕景殿の働き、比類なし。大いに満足していると伝えよ」


 無論、又二郎も上杉の意図を読んでいる。手柄の競い合いという形であれば、組織内における権力闘争も、決して負の側面ばかりではない。だが戦国時代においては、大名と家臣の関係は、雇用関係というよりは業務委託に近い。極端な話、自分の家が栄えるならば、契約先など倒産しても構わない。それが国人領主というものである。


「やはり国人領主などという存在は、根絶せねばならんな。他国と争うにあたり、内患になりかねぬ。俺は国家主義者ではないが、己が利のために国や社会を貶めるような恥知らずなど、決して認めぬ」


 刻んだ茗荷を薬味にしながら素麺を啜る。江戸時代以前まで、日本最大の素麺生産地は能登半島の輪島であった。その後、漆器産業が盛んになるにつれて、素麺生産は廃れてしまう。戦国時代、都では輪島(りんとう)素麺として、皇室や公家でも食されていたのだ。


「越中の鱒寿司、能登の素麺、加賀の治部煮…… 今後は御当地料理開発にも力を入れねばな」


 能登の決着が付けば、いよいよ織田との一時不戦の盟を結ぶことになる。加賀の一向門徒は、一旦は放置する。加賀から見て、東は倶利伽羅峠、北は羽咋あたりを境とし、守りを固める。能登の開発が進めば、倶利伽羅峠、羽咋郡、そして船を使って三国湊からも侵攻が可能であろう。そのためにも、能登は完全に制圧しなければならない。


「よし。では我らも、上杉の後詰に入るか」


 素麺を食べ終わった又二郎は、そう言って立ち上がった。





 能登が決着したのは、それから一〇日後のことであった。七尾城に入った又二郎が最初に着手したのが、畠山文化と呼ばれた歌人、連歌師、絵師の保護であった。能登畠山家の最盛期を築いた畠山義総(よしふさ)の遺産である。保護した文化人の中には、公卿衆も含まれているが、又二郎が最も会いたかったのは、三〇過ぎの若き絵師であった。


「御尊顔、拝しまする。長谷川信春でございます。手慰みで仏画などを描き、口に糊しているしがない絵師である私ごときでございますが、陸奥守様のお役に立てればと、参上いたしました」


 ガチガチに緊張している男を又二郎は両腕を広げて出迎えた。


「よくぞ来てくれた。俺が、新田又二郎である。本延寺の日蓮聖人像を観たぞ。若き気鋭の絵師が描いたと聞き、ぜひ俺の肖像を描いて欲しいと思ったのだ」


 長谷川信春、後の長谷川等伯である。史実では、元亀年間に上洛するが、その後の十数年間は殆ど判明していない。狩野派で学んだという記録があるが、短期間で辞めてしまっている。堺で千宗易の知己を得て、中国絵画に触れ、独自の画風を確立していったと思われる。


「新田の御用商人である金崎屋は、明や南蛮とも繋がりがある。どうだ? 新田の庇護を得て、狩野派とは全く異なる新たな美を生み出さないか?」


「ま、誠に恐れ多く、有り難いお誘いではありますが、何故、私めなどを……」


「狩野の色に染まっておらぬからよ。幕府御用絵師である狩野一派は、血族関係を主軸に絵師集団を形成している。都では右を向いても左を向いても、絵といえば狩野らしい。俺に言わせれば、連中は御用絵師という立場を利用した利権集団だ。俺が都に入ったら、完膚なきまでに破壊してやる。美とは、誰かに独占できるものではない。人の数だけ、美があるのだ。俺は、金は出すが口は出さぬ。お前が描きたいものを、描きたい時に、描きたいように描けばよい。それでこそ、新たな美が生まれるだろう」


 ヨーロッパではルネッサンス期に、多くの名画が生まれた。パトロンが資金を出し、芸術家たちを保護したことで、ルネッサンス文化が形成された。一方、日本では室町中期から幕末まで、実に四〇〇年間に渡って、中央画壇は狩野派が独占した。これほど長期間、一つの血族が一国の画壇を独占した例など、他にはない。


「上洛したいのであれば、遠慮せずに上洛するがよい。だがその前に、日ノ本の東を見てはどうだ? たとえば津軽浪岡の城下町など、都以上に栄えているぞ?」


 当面の支度金として銭三〇〇貫を渡された長谷川信春は、半ば夢心地な気分で、養家へと戻った。





 永禄一二年長月(旧暦九月)、又二郎は越後春日山城へと戻った。一ヶ月かけて、越中と能登についての仕置きを行い、ある程度の目途が付いたため、今年最後の大仕事を片付けるべく戻ってきたのだ。


「幕府からは、大樹(※征夷大将軍のこと)の名代として、細川兵部大輔殿(※細川藤孝)が同席されます。織田殿は、少数の兵を率いて来られると聞いておりまするが、従属してまだ日が浅い信濃を通るからには、ある程度の兵は連れて行かねばなりますまい。五〇〇〇程度は必要かと……」


 新田の外政を担う浪岡具運(ともかず)の他に、今回は沼田祐光を同行させることにした。祐光の妹である麝香は、細川藤孝の正室である。南条広継は加賀方面に置き、八柏道為は万一のために、春日山城で待機させている。


「で、なんで月斎爺がここにいるんだ?」


「先の戦での傷(第二二八話『三毳山の戦い』参照)も癒えたでのぉ。まぁ、暇つぶしじゃ」



 日ノ本の歴史を左右する東西和平の場を「暇つぶし」で参加するなど、この妖怪老人くらいだろう。だが又二郎としては有り難かった。相手は、戦国時代でも最大の知名度を持つ「織田信長」である。いかに精神的に成熟していようとも、緊張せざるを得ない。田村月斎が加われば、少しは重みになる。


「越後からは、謙信公と同じ道を進みます。川中島を通り、松代城で一晩を過ごします。その後、諏訪湖を通り、高遠城にて武田殿、諏訪殿と合流する予定です」


「お待ちを」


 黙っていた沼田祐光が、浪岡具運の話を遮る形で、口を開いた。最近はめっきりと、口数が少なくなっている。新田の謀臣としては南条広継や八柏道為が有名だが、最も謀臣らしいのは沼田祐光かもしれないと思った。


「沼田殿、何か気になる点でも?」


「兵は二万を用意すべきかと……」


「それは…… 多すぎまする。織田はせいぜい二〇〇〇程度。それでは……」


 新田が疑われる。そう続けようとした具運を又二郎が止めた。沼田祐光とて、そんなことは百も承知なのだ。その上で二万と言っている。その理由は何か。


「武田は信用できぬか? どこまで進む?」


「高遠までは二万で、その先は五〇〇〇で宜しいかと」


「難しいところだな」


 もし武田信玄が健在ならば、又二郎は祐光の意見を受け入れただろう。いや、その前に武田信玄がいる信濃に入るなど、殺してくれと言っているようなものである。絶対に入らなかっただろう。

 だが武田義信は違う。父親を追い出した人間と、父親から認められた人間の違いからか、信玄と比べて気質が陽性であり、信義を重んじる人間であった。義信個人は信用に足る男、というのが又二郎の人物評価であった。そうした人間に対して、あらぬ疑念を持っているという姿勢を見せたらどうなるか。非常に不愉快な気持ちになるだろう。そして、主君がそうなれば家臣たちにも波及する。


「二万を連れて行くにしても、口実が必要だ。武田が信用できぬなどとは言えぬしな……」


 そこまで呟いて、又二郎はふと気づいた。暇つぶし(・・・・)で同行するとかほざいている軍師が、目の前にいるではないか。


「なるほど。ようやく得心がいったわ。それにしても、回りくどいぞ。さっさと言え」


「それが、謀臣の務めでございますれば……」


 沼田祐光は無表情のまま、軽く頭を下げた。


《後書きという名の「お願い」》

※ブックマークやご評価、レビューをいただけると、モチベーションに繋がります。


※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] このタイミングでの能登、輪島のエピソードは何かの因果でしょう 素麺の話勉強になります
[一言] 新年の更新、待ってました!!!
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