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国と宗教

 越中国における一向一揆は鎮圧された。次の目標は加賀国である。倶利伽羅峠を越えて河北郡に入り、一気に尾山御坊(※現在の金沢城)を目指すかと思われたが、新田又二郎は越中一向一揆鎮圧後に止まった。その理由は上杉軍を中心とした能登攻めが完了していないこと。そして、越中国の内政強化のためである。

 通常であれば、田名部吉右衛門政嘉を筆頭とした新田家の行政官たちが、新たに広げた領地に入り、街道整備や戸籍調査などを開始する。又二郎の判断は必要としない。新領地における内政は、三ヶ年計画で完全にマニュアル化されている。これにより、新田は後方の憂いなく、ひたすら西進することができた。


 だが越中国は違う。宗教という変数が占める割合が大きいため、統治の始め方に気を付ける必要がある。国人衆による武家支配を受けていたならば、極端に言えば「統治されること」に慣れているため、新田家の支配を比較的受け入れやすい。しかし「百姓の持ちたる国」の民はどうであろうか。武家支配の他に、寺社支配を受けていた。日々の習慣の中に「宗教」が色濃く残っているのだ。これをどのように治めるかで、又二郎は吉右衛門を始めとする行政担当の家老たちと話し合っていた。


「統治を受ける民衆は、新たな支配者とこれまでの支配者を比較するものです。これまでは年貢や賦役、施餓鬼などによって、旧統治者との違いを実感させ、治め易くするところから始めていました。ですが、越中国においては、これだけでは不足かと存じます」


「心の問題、ということでございますな?」


「然り。僧侶が民たちの中に入り、教えを説く。民たちはそれを聞くことによって、ある種の安定感を得ていたのです。自分は仏に受け入れられている。生きていて良いのだ…… 無論、それで腹が満たされるわけではありませんが、こうした心の安定というものは、決して馬鹿にはできません」


 現代の日本人は、宗教というものをあまり意識せずに生きている。だが宗教が人類史に与えた影響は、途方もなく大きい。極論すれば宗教とは、リモデリング(※自己複製、生殖活動のこと)以外の生き方を人に与えるものである。自分は、その生涯において何に価値を置き、どのように生きていくのかを決定するのが宗教なのだ。

 宗教の教義は、法に代わり得るものであり、国家の統治者の立場からみれば、宗教とどのように関わり、どのように規制するか、非常に難しい判断を求められる。


「食べることに困らず、冬の寒さに震えることもなく、盗まれることも殺されることもない安心、安全な世を実現する。それが俺の目指す日ノ本だ。だがそこに生きる民は、それだけでは満たされぬ。三無とは、人が幸福に暮らすための最低限の条件に過ぎん。その先にある『もっと』という欲にこそ、次の文化を生み出す力がある。これまでは宗教が、その欲を管理し、方向づけてきた。だがこれからは違う。法と教育を整え、民一人ひとりに判断力を持たせる。宗教は、そのための補完要素となる。そうならねばならぬ」


 又二郎の方針に、家老たちが一礼する。現時点では、寺社が教育機関となり、読み書きと算術を教えている。この教育機能を寺社から統治機構へと移し、中央政府によって教育を整える。日ノ本の民はどうあって欲しいのか、何を大切にし、どのように生きて欲しいのか。国家としての指針を出さねばならない。


(こう考えると明治維新政府は、本当に賢人たちの集まりだったのだな。明治天皇による教育勅語が、近代日本における日本人像の指針となった。朝廷および公家衆には、この教育と文化の面で活躍してもらうか。タダ飯を食わすよりずっとマシであろう)


「当面は治安維持のため、軍によっての見回りを行います。また絵解きを使い、これからの統治について広める予定です。一方で、やはり勝興寺を始めとする真宗側との調整が必要となります。僧兵の武装解除および寺領没収は当然ですが、僧侶たちがこれまで同様、民の中で説法ができるよう、援助しては如何でしょうか」


「難しいところだな。俺としては、浄土真宗の教義に一抹の不安がある」


 浄土真宗とキリスト教は非常によく似ている。阿弥陀如来をキリストに置き換えたら、殆どキリスト教の教義になってしまうのだ。浄土真宗は阿弥陀如来の「一神教」であり、真宗で言う悪人は、キリスト教で言う「罪人」と同じ定義である。他力本願の考え方は、キリスト教における「主の祈り」とそっくり同じである。死後観についても「極楽浄土」と「神の国」という点で似ている。

 こうした考え方は、極端に走りやすい。中世日本の歴史上、宗教蜂起は一向一揆と、江戸時代の島原の乱しかない。教義が法よりも上になりやすいのだ。


「政事を語らないこと。これを絶対の条件とすべきでしょう。宗教によって世を変えようと扇動した者は、死罪とする。これくらい厳しい法にしても良いかと存じます。その上で、真宗以外の寺社にも呼びかけ、寺社を移してもらいましょう。複数の比較対象があれば、真宗一色になることを防げるかと存じます」


「……そうだな。当面はそれしかないか」


 教義を規制することはできない。又二郎の考え方に反するという以前に、規制すれば間違いなく、一揆が再発するからである。刀狩りを行い、治安の改善と農産業の促進を急ぐ。その一方で天台、真言、臨済、曹洞、法華などの宗教教団にも働きかける。


「いずれ天下を獲ったら、宗教を管理する専門の部署を作る必要があるな」


 共産主義国家が無神論と唯物論を掲げた理由が良くわかる。なんて面倒なんだと思いながらも、それでも共産主義を否定する又二郎としては、逃げられない問題だと肚を括るのであった。





 鉄砲の音が響き、的が砕ける。おぉっ、という感嘆の声が響くと思いきや、静かな騒めきが起きただけであった。その声には、呆れと畏怖が込められていた。


「通常の二倍の射程でありながら、ほぼ真っ直ぐに弾が飛ぶ。これが新田の鉄砲か」


 岐阜城において、織田信長は甲賀衆を通じて手に入れた新田の「新式銃」を試していた。従来の鉄砲とは違い、脇に抱えるのではなく台株(※銃床)の部分を肩に当てることで構え続けることができ、狙いも定まりやすくなっている。また筒の内部は螺旋型に筋が入っており、弾丸の形状も球形ではなく、先端が丸みを帯びて尖った円柱となっている。


「越中砺波での戦において、一向門徒に扮した忍びの者を紛れさせ、一丁だけ手に入れることができました。門徒たちは三〇〇〇丁の鉄砲を相手にも退かずに、突貫したとのことです。混乱に乗じて手に入れましたが、製造はすべて最果ての宇曽利で行われているようで、まったくの不明でございます」


「良い。たとえ一丁でも手に入れてしまえば、秘密ではなくなる。これで新田鉄砲への対策が立てられる。光秀、困難の中、ようやった」


「有り難き御言葉」


 信長に向けて慇懃に一礼しながら、明智十兵衛光秀は次の戦について思い浮かべていた。新田は加賀に入らず、越中国の支配強化を進めている。能登も年内には決着するだろう。新田が加賀を攻めるとすれば来年になるが、石山本願寺は敦賀から加賀まで船を出し、援助を行っている。本願寺は加賀一向門徒を破門しているが、新田は宗派など関係なく、すべての寺領を取り上げている。もし新田が畿内を席巻すれば、重要な湊に面した石山本願寺の存在を許すはずがない。その恐怖から、加賀を支援して少しでも新田の西進を食い止めようとしていた。


「一気呵成に加賀を攻めると思っていたが、新田陸奥守は相当に、内政を重視しているようだ。民を慰撫するために戦そのものを止めてしまうとはな。これまでの武士とは違うな。半兵衛、新田は来年、動くと思うか?」


「手前であれば、敢えて加賀を獲らぬ、という戦を致します」


 信長はそれだけで察した。石山本願寺を疲弊させるため、加賀で消耗戦を仕掛けるというのだ。押し込まれた加賀を石山本願寺が支援し、押し返す。そしてまた押し込まれる。また支援する。石山本願寺とて無限に富があるわけではない。東日本を征した新田に富裕で勝てるはずもなく、本願寺は徐々に疲弊していくだろう。


「新田が目指す世は、儂が目指す世とは違う。だが共通している点もある。寺社の扱いよ。坊主など、寺の中で経を唱えておればそれで良いのだ。坊主が民を治め、あまつさえ戦を起こすなど、儂は認めぬ。だが、今はまだ早いな……」


 何が早いのか。両兵衛と称させる謀臣、十兵衛光秀と半兵衛重治以外に、信長の戦略を見通している者は殆どいなかった。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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