得たもの、失ったもの
永禄一二年(西暦一五六九年)、京において石山本願寺から、正式に和睦仲介の話が出たが、新田はそれを完全に拒否した。石山本願寺の責任で半年以内に西越中から加賀までのすべての一向門徒たちを引き上げさせること。そして日ノ本中のすべての浄土真宗系寺社に「王法為本」の徹底と、僧兵の解散、国人への寺領引き渡しを条件とした。無論、受け入れられるはずも無く、本願寺は加賀を諦めざるを得なかった。
新田の姿勢は一貫していた。朝廷に対しては、これまで通り季節ごとに献上品を贈るが、市姫が養女として入る二条家を含め、公家衆の統率は朝廷の役目であり、新田は一切、関与しない。そして幕府に対しては完全に無視の姿勢を決め込んだ。織田の力を借りなければ、京から三好を追い払えなかったような男が、どうして武家の棟梁なのかとまで言い放った。将軍足利義昭は、これを聞いて怒りに震えた。
一方、織田に対しては硬軟織り交ぜた対応をした。一〇の条件のうち、津料と関料の免除については、現在の織田家勢力圏のみとし、それ以外は簡単に取り下げた。又二郎としては、敦賀から畿内までの道と、尾張津島湊、摂津堺湊が使えれば十分だったのである。
また岩村城の明け渡しも取り下げた。岩村城など元々欲しいとも思っていなかった。織田に負担を掛けさせる条件を入れることそのものが、目的だったのである。織田としても飲めない条件であった。
そして最後に残ったのが、盟約が撤廃される条件についてである。
「越前朝倉家、三河徳川家は当家とは誼こそあれど、夫々が大名であり、当家が統制するものではない。もし朝倉家、徳川家が貴家を攻めた場合は、夫々をお攻めになれば宜しかろう。それをもって盟の撤廃とはならぬはず……」
「両家とも、貴家の主導の下、日ノ本の東西和平を認めたはず。当然、貴家には主導した責任がある。当家と接する朝倉、徳川両家に対しては、貴家が責任を持って統制をしていただきたい」
話し合いの結果、新田家のほうが譲歩した。朝倉、徳川のいずれに対しても、織田としては責任を持たない。もしこの両家が新田と戦となった場合は、織田は静観するとした。その上で、新田家側の代表である浪岡弾正大弼具運は、市姫の輿入れにあたって、ぜひ当主同士の会談の場を持たれてはと提案した。
「市姫様は、岐阜岩村城から諏訪を通り、北信濃を経て春日山に入られます。武田からは、街道の整備および警備は責任を持って受けるとの返事を得ておりますれば、会談の場は、岩村城としては如何でしょうか?」
雪も溶け始めた如月(旧暦二月)の末に、春日山城まで戻ってきた浪岡具運の報告に、又二郎は満足した。一〇の条件が最初から飲まれるとは思っていなかった。肝心なことは、あの条件は幾つもの勢力に影響を与えていたという点だ。その中で残ったのは「通貨発行の自由」「外交、交易の自由」「幕府の統制から離れること」の三つである。これを織田側に与する勢力から見ると、どう見えるだろうか。
堺衆をはじめとした商人たちは、自分たちの銭が、新田では使えないことを理解するだろう。これまでのような殿様商売はできない。何しろ今使っている銭が認められないからだ。必然的に、新田家および新田の御用商人が、商売を主導するようになる。
幕府から見たらどうか。通貨発行権や諸外国との外交は、幕府の専権事項である。その専権事項が「織田の交渉」によって、新田家にも渡されてしまった。織田は幕府をどう考えているのかと疑念を持つだろう。
そして最後に、岩村城と盟約撤廃の条件である。織田は自領である岩村城を守ったのに、朝倉と徳川については新田と戦になっても静観するとした。特に同盟関係にある徳川にとっては、衝撃は大きいだろう。ならば新田に付こうと考えるのではないか。
「お見事です、具運殿。ほぼ此方の理想通りになりました。それに、会談の場が岩村城というのも良いですな。側室とはいえ、市姫は織田殿の妹君です。岩村城で迎えることによって、此方が下手に出ているという姿勢を見せられまする。一〇箇条に悪意無しと、せいぜい低姿勢で迎えに行きましょう」
「噂話を流すのは、半年後からが宜しいでしょう。歩き巫女や金崎屋殿にも協力をいただき、少しずつ畿内に流すのです。織田は、我が身可愛さで盟友を切り捨て、幕府をないがしろにしていると……」
南条広継、八柏道為がクククッと笑う。だが、普段はそれに釣られて悪い顔になる又二郎が、今回は釣られなかった。考える表情を浮かべるだけであった。南条広継はそれを察し、表情を改めた。
「殿、なにか御懸念が?」
「織田にも、切れ者の謀臣がいるはずだ。明智十兵衛光秀、竹中半兵衛重治…… この二人が、此方の意図に気付かないなんてことが、あるだろうか? 弾正大弼は、京でこの二名に会ったか?」
「竹中殿とは対面しませんでしたが、明智殿とは幾度か…… 歳こそ違えど、越中殿(※南条広継)に近いものを感じました。物腰柔らかく、涼やかな話し方をしますが、肚の中で様々な謀が渦巻いているような……」
「これはしたり。某はそのような腹黒な男ではありませんぞ」
南条広継はそう反論したが、その場にいる全員がそれを無視した。腕を組んだ又二郎は、小さく呟いた。
「織田は気付いている。だがそれでも、飲まざるを得なかった。此処から逆転する手としては…… 俺なら銭をばら撒くな。取りあえず朝倉と徳川に、新田と相対する上での見舞金として一〇万貫程度は贈る」
織田も必死なのだ。そしてそういう必死な敵こそ、恐ろしい存在なのである。今は此方が有利だが、決して油断はできない。家臣たちにも一度、引き締めが必要だと思った。
明智十兵衛光秀と竹中半兵衛重治。織田家中から「両兵衛」と呼ばれる二人の謀臣が、向かい合って今回の結果について、総括を行っていた。盟は成立したとは言え、主導権は新田に握られた状態であった。最低限の目標は達したが、必ずしも満足のいく結果ではなかった。
「してやられましたな……」
「左様。本来ならば、岩村城を明け渡したいところですが、その場合は遠山家そのものが離れかねませんでした。万一にも、苗木、金山の城まで新田に付けば、東美濃を失います。新田は其処まで見越して、あの条件を入れたのでしょう」
織田信長が美濃を征した時点で、美濃には幾つかの有力国人が存在していた。その中でも土岐家と遠山家は、幾つもの分家を持ち大きな力を持っていた。土岐家は、信長の正室として帰蝶がいるため、織田家中でも一定の影響力を持っている。
一方の遠山家は、武田への備えとして東美濃に留め置かれた。信長の叔母である「おつやの方」が岩村城主となっているため、放置されているわけではないが、活躍の場が限定されていたのは確かである。もし岩村城を新田に差し出し、おつやの方を岐阜城に呼び戻すような措置を取っていたら、遠山家は織田家に対して、大きな不満を持つことになっただろう。
「徳川と朝倉にも気を払わねばなりません。かといって、あからさまに兵を動かすわけにもいきません。新田と隣接する両家には、金子による援助が良いでしょう」
「あとは幕府と朝廷ですな。大樹に対しては、新御所の造成の他に、殿中御掟の取り下げなどをせねばなりますまい。朝廷には内裏の再建と寄進をすれば、大丈夫でしょう」
新田の領土は確かに広大である。北陸では加賀。信越では南信濃、そして東海では駿河。そこから東は、すべて新田領なのだ。だが日ノ本全体を考えると、半分を領したとは言えない。四割強といったところであろう。織田が畿内を征したことにより、何とか此処で止めることができたのだ。
「新田との盟をもって、西国諸国に幕府の名で惣無事令を出します。国人は互いに争いを止め、すべて幕府の下に従えと命じましょう。無論、聞き分けない国人も多いでしょうが、此方はそれを口実に討伐が可能です。ですが、最初に手を付けるべきは……」
「六角……」
二人の謀臣は互いに頷き合った。