表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

259/284

東西和平

 永禄一二年(西暦一五六九年)が始まった。織田信長は岐阜城において、年初の評定を開いた。家老の柴田権六郎勝家、丹羽五郎左衛門長秀、武将の明智十兵衛光秀などが並ぶ。信長は開口一番に、対新田の外交政策の成果を確認した。


「新田の西進は、なんとか加賀までで食い止めることができそうだ。だがこれは永遠ではない。新田は、戦を仕掛けられぬ限りは、自分から攻めることはせぬと言っているが、逆を言えば、仕掛けられた場合は直ちに不戦の盟を破棄するということだ。織田からは仕掛けぬとしても、新田と隣接する越前朝倉、三河徳川は大きな重圧が掛けられる。光秀、新田からの条件を言え」


「御意。まず新田は、大納言の地位も副将軍の地位も一切不要とのことでございます。その代わり、一〇の条件を出してきました。これが中々に……」


1.蝦夷地をはじめとする新田が広げた土地はすべて、新田領とすること

2.日ノ本すべての港湾利用において、新田および新田が認めた商人からは、津料を取らぬこと

3.日ノ本すべての街道利用において、新田および新田が認めた商人からは、関料を取らぬこと

4.新田が認めた銭以外は、新田領内での使用を禁じることを認めること

5.明、朝鮮、南蛮諸国との外交、交易の自由を認めること

6.帝のみが、新田の上に位置し、室町幕府の統制は受けぬこと

7.市姫が生んだ子は「新田の子」とするが、嫡子にはしないこと

8.徳川との国境は大井川、朝倉との国境は九頭竜川とすること

9.織田は引出物として、岩村城を新田に明け渡すこと。なお城の管理は武田が行うものとすること

10.新田領以西の諸勢力が、新田に対して戦を仕掛けた場合、直ちに本盟約は撤廃されるものとすること


「なんじゃぁっ、それはぁっ!」


 柴田権六郎勝家は、顔を赤黒くして思わず怒鳴った。余りにも一方的な条件である。しかも幕府の統制は受けぬとすることは「東日本の独立」を事実上、意味することになる。その上で、港湾や街道の利用勝手を認めろと言うのだ。これを認めれば、日ノ本の西は、東の従属国になることを意味した。


「主上が上に位置するとは言っていますが、これは……」


 普段は温厚な丹羽五郎左衛門長秀でさえ、険しい顔を浮かべていた。柴田勝家は理不尽とは思いつつも、この話の最初の入り口に、怒りの矛先を向けざるを得なかった。


「猿ッ! 貴様、いつもの口八丁はどうした! このような条件をもって、お市様を新田に渡すとほざくか!」


「これはしたりっ! この猿めは、最大限に時を稼ぐと申したはず。新田はあえて、期限を切りませんでした。つまり此方から仕掛けぬ限り、永遠に新田は西に進めないのです。それにこの条件が厳しいことくらい、新田とて承知しているでしょう。ここからどれだけ新田を退かせるかが、折衝の肝でございましょう」


「羽柴殿の仰る通りです。新田が出してきた無理難題を、生真面目に考える必要はありませぬ。それにこれでは、幕府はおろか二条殿下をはじめとする公家衆の方々の面子は、丸潰れでございます。港湾や街道の利用についても、西国諸国が認めるとは思えませぬ。当然、新田も承知していることでしょう」


 明智光秀が涼やかに回答し、柴田勝家も盛大に息を吐いて頷いた。そして主君に顔を向ける。怒りのあまり、出過ぎた真似をしてしまったのだ。叱責を受けても仕方がないと思った。


「権六の怒りは、我が怒りと同じよ。この話を聞いたとき、いっそ新田に攻め込んでやろうかとさえ思ったわ」


 だが信長は怒りを見せず、むしろ苦笑した。新田という巨大な敵を前に、当主である自分が一時の怒りに我を忘れるような姿を見せれば、家臣たちは頼りなしと思うだろう。ここは冷静に、一〇の条件から新田の意図を読み取るべきだ。


「半兵衛、存念を言え」


 明智十兵衛光秀と並ぶ織田家の謀臣、竹中半兵衛重治は、懐から一〇の条件が書かれた紙を取り出し、フムと思索した。そして数瞬で、信長の問いに対する解を出す。


「新田は日ノ本の東西で分断し、西を徹底的に干上がらせるつもりなのでしょう」


 そう答えた半兵衛は、信長から重臣たちへと顔を移した。だがその瞳は、遠くを見据えているようであった。


「日ノ本の東を征した新田は、その領土の広さや一〇万を超える軍、それを維持するだけの内政の力と豊かさに注目されがちですが、新田の真の恐ろしさは、統治の仕方そのものにあります。新田は武士や国人が土地を領することを認めず、すべて新田家の手で土地を開発しています。そこから生まれた膨大な物産は、銭によって取引がされています。その銭は畿内に出回っている鐚銭ではなく、新田家で鋳造された良銭です。家臣たちも皆、禄は銭で払われています」


「それがどうした。なぜそれが恐ろしいのだ」


 長い説明を嫌う信長が、結論を催促する。信長自身は、その優れた経済感覚から新田が目指す世の姿が朧げに見えていた。しかし、その世が何を意味するのかまでは、直感的な不安を持つだけであった。


「日ノ本が東西で落ち着けば、民は田畑に戻ります。結果、米の生産量が増加します。領内においても多くの米が採れるようになるでしょう。民にとっては、それは嬉しいことでしょうが、米を租税としている武士にとっては、それは決して喜ばしいことではありません。なぜか。日ノ本のあらゆるところで米が採れるようになれば、米が余るようになるからです。つまり米の価値が下がります。米一俵で着物一反の価値があったのに、いずれ米三俵が必要になるでしょう。つまり、武士が貧しくなります。新田が干上がらせようとしているのは民ではなく、我ら武士なのです」


 家臣たちが顔を見合わせる。大半が理解できない表情を浮かべていた。羽柴藤吉郎秀吉は腕を組んでしきりに首を傾げた。信長は、竹中半兵衛の話をほぼ完全に理解できたが、それをこの場で共有するのは拙いと考えた。家臣たちに要らぬ不安を与えかねない。機転の利く者に、話を変えさせたかった。


「猿よ。半兵衛の話、理解できたか?」


「正直、よく解りませぬ。ただ、米が安くなれば、百姓たちは飢えませぬなぁ。子供たちも喜びましょう。それに、着物一反で米三俵が買えるのなら、今度は着物を作る者が増えましょう。結局はそうやって、米の値も落ち着くのではありますまいか?」


 実際はそうではない。なぜなら、武士が着物を作るわけではないからだ。年貢として米が納められる以上、米の値が下がれば武士は貧しくなる。年貢という制度そのものを見直す必要がある。それは必然的に、新田が行っているような「土地ではなく禄」という統治法を採用することになる。そして、今の織田家でそれを実践することは不可能であった。織田家自体が大きくなりすぎたからだ。

 秀吉自身はそこまで理解していた。だが主君がなぜ自分に話を振ったのかも、瞬時に察した。小賢しい解説など不要であり、今は場の空気を変えるべきなのだ。


「良い着物(べべ)が安くなれば、女房の機嫌も取れまする。御屋形様も都で、遊びやすくなりますな!」


「たわけっ! 左様なことを考えるのはお前だけだ。この助平猿がっ」


 信長は破顔しながら秀吉を一喝した。場の空気が緩んだところで、話題を転じた。


「いずれにせよ、これで東は当面、安泰であろう。我らは西の統一を急ぐ。これは大樹(※将軍)の意向でもある。日ノ本の安寧のために、皆大いに励め!」


(数年もすれば、家臣たちの多くが気づく。それまでに、西を征さねばならぬ。まず今年は丹波、播磨、紀伊、淡路だ。来年は中国と四国を降し、そして一年で九州を獲る。二年の準備を経て、五年後に新田に決戦を挑む!)


 織田の強みは、室町幕府の御旗を掲げていることである。大義名分があるのだ。それでも逆らう大名はいるだろうが、国人衆への調略は容易くなる。裏切りではない。劣勢に追い詰め、こう呼びかければよい。武士の棟梁である征夷大将軍に味方せよ。


「時は、新田にも味方する。急がねば……」


 この時点で、信長の焦りを感じていたのは、重臣たちの中でもごく僅かであった。


《後書きという名の「お願い」》

※ブックマークやご評価、レビューをいただけると、モチベーションに繋がります。


※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] ド助平猿の「ド」は抜いたほうが良い気がします。「ド」がこの時代に無いというよりは、信長像がちょっと軽過ぎる印象を受けて私は個人的に嫌です。
[一言] 東国の武器商人、大繫盛?
[一言] 最初の条件は全部蹴飛ばしてやるのがブリカス式交渉術 実際、新田も言うほど楽そうには見えないけどね、全部直轄にしてるから開発の手が回ってないとこ出て来てるし 貧富の格差が拡がり都市部に人口集中…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ