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目出度き話

 九十九衆に警告されるまでもなく、又二郎および一族の周囲には、厳重な警戒が施されている。ここまで大きくなった新田家の最大の弱点が、主君である新田又二郎自身であるからだ。

朝廷が持つ闇の力については、その存在すら定かではないが、甲賀や伊賀、あるいは他の忍びたちにも、新田又二郎暗殺の依頼が届いていて不思議ではない。春日山城をはじめ、又二郎が滞在する主要な施設には、九十九衆によって設計された「忍び殺し」と呼ばれる仕掛けが施されている。


(だがそれでも完全ではない。人間である以上、必ず隙が生まれる。次の出陣で、あるいは死ぬかもな)


 その時はその時で、仕方がないと又二郎は思っていた。既に一度死んでいるのだ。田舎の建設会社の社長が、ここまでやれただけでも拍手ものではないか。死ぬときは死ぬさ、と開き直ると、途端に女が欲しくなる。子孫を残そうとするオスの本能なのかもしれない。


「申し上げます。織田家の羽柴藤吉郎秀吉様より、先触れが来ております」


「羽柴? 木下ではなくてか? それで、用件は?」


 聞くと友誼を交わすための使者だという。ならば会わないわけにもいかない。数日後に、羽柴藤吉郎秀吉が春日山城に登城した。先日とは違い、綺麗に整えた身なりをしていた。


「先日来か。木下から羽柴へと姓を改めたのだな? それにしても羽柴とは、どのような意味なのか?」


「主君の許しを得て、織田家家老の柴田権六郎殿、丹羽五郎左衛門殿から、一字ずつ頂戴しました」


「そうか。出世頭というのも、何かと気苦労するのだな。だが、悪くない響きだと思うぞ。それで、用向きは何か? 友誼を交わすためと聞いていたが、飯でも喰っていくか?」


 織田家の出世頭としては、明智十兵衛光秀と木下藤吉郎秀吉の名が知られている。だが光秀は、土岐氏支流の明智家の出であり、弘治年間の頃から都で開かれる連歌の席にも出席していた教養人であるが、秀吉は尾張中村の百姓出身であり、浪人ですらなかった。それが畿内を席巻する織田家の侍大将となっているのだ。血筋や家柄を重視する者からすれば、面白くない存在であった。

 嫉妬や讒言を避けるために、柴田と丹羽から一字ずつ貰ったのである。現代の会社組織でさえ、嫉妬による足の引っ張り合いがあるのだ。中世戦国時代であればなおさらであった。


「ありがとうございます。飯は後で頂きまする。実は目出度きお話を持ってまいりました」


「ほぉ…… 聞こうか」


 又二郎は少し前屈みになった。織田は京を征し、朝廷と幕府を握っている。新田家も、朝廷には気を使い、四季ごとに献上の品々を送っていたが、より近い織田のほうに擦り寄るのも当然であろう。そうした中央からの話かと思っていたが、藤吉郎は意外な話を切り出した。


「この度、陸奥守様には御次男、御三男が御生まれになられたと聞きました。そこで、織田家より御祝いの品々をお届けに上がった次第です。東日本を治められる大新田家が、御子に恵まれるということは、日ノ本の安寧にも繋がりますからな。是非是非、御笑納くださいませ」


 猿顔を破顔させた藤吉郎が、目録を差し出す。だが又二郎としては、負の感情こそ抱かないが、大して嬉しくもなかった。おそらく茶器や刀剣の名物なども入っているのだろうが、又二郎の感覚からすれば、たとえ大名物の茶入「九十九髪茄子」であろうとも、ただの茶器の価値でしかない。


「それは忝い。新田又二郎は喜んでいたと、織田殿に宜しくお伝えくだされ」


 心中を顔に出すような愚はしない。又二郎は笑顔でそう返した。無論、藤吉郎も又二郎の心中は察していた。この目録はあくまでも「呼び水」に過ぎない。次が本命である。


「実はもう一つ、目出度き話がありまする。聞くところによると、陸奥守様は御家中より二人の御正室を取られ、此度はそれぞれに、御子が生まれたとのこと。御子が生まれたばかりの奥方様は、宇都宮城に御留まりになられているとか。そこで如何でしょう。側室として、我が主君の妹である市姫様を迎えられては?」


「織田殿の妹を側室に? 本気か?」


 織田信長にとって、一族である妹は大きな切札である。織田家がこれから西進するにあたり、毛利や大友などの有力大名と繋がりを持つのに使える。一方、東を征している新田家は、織田家にとってはいずれ必ず戦うことになる「敵」である。その敵に、なぜ妹を差し出すのか。


「気遣いは有り難いが、無用だ。俺は女子には困っておらん」


 実際のところは、独り寝をしているわけだが、その気になれば、歩き巫女の綺麗どころを揃えることだってできるのだ。「部下には手を出さない」という現代人的な倫理観から、控えているに過ぎない。

 だが藤吉郎は退かなかった。最初に断られることは解っていたのである。


「某、越後に来る前までは、京の都に居りました。実はいま、都では一つの噂が流れておりまする。新田様が東を、そして幕府をはじめとする当家が西をと…… 新田様を副将軍とし、東西で日ノ本を治めれば、これで戦国の世は終わるであろうとの声、チラホラと聞きました」


「阿呆な話よな。東西で分裂した状態をもって、なぜ日ノ本と言える。日ノ本とは天照大神の威光が届く範囲すべてを指す。俺は武をもって日ノ本を統一する。織田殿も、そう考えての天下布武であろう?」


「御意。しかしながら、応仁の乱より一〇〇年、民が疲弊しているのは事実でございます。主上もいたく心を痛めておられまする。そこで市姫様を、新たに関白になられる二条晴良様の御養女とし、正二位権大納言の位と共に、主上からの御祝いの歌をもって御当家に送り出しとう、考えておりまする」


「そうきたか……」


 又二郎が考える表情になる。ここぞとばかりに、藤吉郎はズズッと前に進み出た。


「さらに、東西安寧の祝いとして、幕府はこれまでを経緯(いきさつ)をすべて水に流し、新田家御討伐令を取り下げ、奥州探題、関東管領、鎌倉府将軍(鎌倉公方)、幕府副将軍の役職を御約束致します。主上をはじめとした朝廷、さらに幕府までが望んでおりまする。陸奥守様に於かれましては、思うところも有られましょうが、天下万民のためにも、どうか曲げて、曲げてお願い申し上げ奉る!」


 又二郎は内心で舌打ちした。織田家の持つ外交力を総動員して、こうした状況を作り上げたのだろう。ここで話すということは、すでに根回しができているということである。


(朝廷や幕府だけではない。おそらく西の諸大名にも書状を送っている。石山本願寺、越前朝倉家、三河徳川家も既に承知のことだろう。越中、能登、加賀までは攻められるだろうが、越前は無理か?)


 無視した場合の不利益も考える。又二郎からすれば、まったく譲歩になっていないのだが、朝廷や室町幕府、さらには京の都人や西国の諸大名からすれば、織田家は最大限の譲歩をしていると見えるだろう。新田家の中ですら、そう思う者が多いはずだ。何しろ東日本では、朝廷と幕府の権威は未だに重んじられている。

 戦国の世では、かつての権威など路傍の石ころ程度の価値もない。そう思っているのは、又二郎以外では、織田信長くらいであろう。


(断れば、新田家の評価は地に落ちるな。せっかく、戦国を終わらせる機会なのに、いたずらに乱を起こしている。新田家こそ日ノ本の敵、とされるだろう。朝敵とされる可能性すらある)


「……重臣たちと話し合いたい。それに側室となると、妻たちとも話す必要がある。今すぐの返答はできぬ。だが、主上がそこまで御心を痛められ、御期待されているのを無視はできぬ。前向きに検討させていただく、とだけ返答しておこう」


「無論でございまする。某、この役目に一命を賭しておりまする。御返事を頂くまで何ヶ月でも、御待ち申し上げまする!」


 藤吉郎は大声で返答し、床に額を擦り付けた。





「弾正大弼からの報せで、東西分割統治という噂が都で流れていることは、承知していた。だが、よもやそれを利用してここまで御膳立てをしてくるとはな」


「恐らく、織田家中の切れ者と噂される、明智十兵衛光秀の働きでしょう。幕府の重臣である細川家と親しく、公家衆にも知己が多いと聞きまする。六角六人衆の縁を使って、都で織田家が動いていることは承知していたのですが、その裏で、このような根回しをしていたとは……」


 浪岡弾正大弼具運(ともかず)は歯噛みした。父親の具統(ともむね)は、齢六〇になったため隠居し、浪岡城からも出て河原城で暮らしている。浪岡具永という偉大な父の重圧を受けていた具統は、息子にはそのような重圧を与えまいと隠居したのだが、それによって、都での影響力が低下したことは確かであった。


「過ぎてしまったことは仕方があるまい。弾正大弼よ、これを断った場合はどうなる?」


「幕府や織田家は無論、公家衆や寺社、さらには朝廷までも敵に回る可能性が高うございます。そして、都人をはじめとする畿内西国の民衆までもが……」


 又二郎は舌打ちした。織田信長の本音は、なりふり構わず、とにかく新田の西進を止めることなのだ。だがやっている行動は、日ノ本の安寧のために新田に妹を差し出す。自分は幕府の役職などいらない。尾張と美濃を領する一大名で構わないという姿勢を見せている。


「新田は大きくなった。日ノ本の東は、新田で纏まっている。纏まっていることを逆に利用されてしまった。畿内がまとまり、東が安定していれば、これ以上の争いは止めよと西国諸国に惣無事令も出せるだろう。逆らえば織田家が攻め、その土地を吸収する。新田に匹敵する力を付けるまで、時を稼ぐつもりだ」


 又二郎は左手で自分の眉間を押した。こうなった以上、最大限の利益を得るしかない。ひとまずは不戦の盟を結ぶ。ただし、新田領に攻めてきた場合は直ちに、この盟約は破棄されるものとする。百姓の治める国など認めないので、加賀までは新田が領する。貿易の自由や外交の自由も認めさせる。そして通貨政策だ。新田領内では鐚銭など一切認めない。新田が認めた銭のみを流通させる。そのための両替商を国境に置く。


「越中と大和はどう思う?」


 ずっと黙っている南条越中守広継と八柏大和守道為に、又二郎は意見を求めた。南条広継は少し考え、意外な意見を述べた。そしてそれに、八柏道為も賛同した。


「殿。これはむしろ、好機やもしれませぬ」


「その通りでございます。幕府の名の下に、織田に西を征させるのです。織田は国人衆を抱える、旧態の大名家です。織田家単体で西国すべてを領するわけではありませぬ。必ずや家臣たちを国主に任じ、大名とするでしょう。つまり家主が変わるだけで、何も変わらぬのです」


「かつての当家と安東家の違いを思い出してください。安東家は結局のところ、米を中心とした統治により、結果として米が安くなり、国人衆が離れました。その規模が大きくなったと考えれば良いのです」


 そこまで言われば、又二郎も同様の絵を描ける。


「つまり三〇〇〇石船を使って大量に米を売りに行き、米をダブつかせる。西国の産物は安くなった米で買い叩き、新田が量産している各種物産は高値で売る。西を徹底的に干上がらせるわけか」


 米がある以上、民が飢えるところまではいかない。だが武士は貧しくなる。西と東で、特権階級層に大きな経済格差が生まれるようになる。するとどうなるか?


「二、三年は大丈夫でしょうが、五年もすればその差は徐々に認知されるでしょう。特に国境となる朝倉と徳川は、民も離れるようになり、結局は戦をせざるを得なくなります。織田のほうから、盟約を破らざるを得なくなるでしょう」


「認知を加速させるためには、歩き巫女を使った噂話が宜しいですな。天下安寧となれば、九州までも行くことができましょう。西は貧しく、東は栄える…… これを聞いた武士たちは、どう思うでしょうか?」


 二人が悪い顔を浮かべる。それに釣られ、又二郎も口の両端が吊り上がった。脂ぎった目を輝かせ、野望に燃える怪物の素顔を曝け出す。


(織田信長、今回はお前の案に乗ってやる。だが俺を敵に回したことを必ず後悔させてやる!)


「よし。この話を受けるぞ。幕府の役職などいらぬ。その代わり、街道や港湾利用の権利など、商いに繋がる権益を徹底的に奪い取ってやる。銭儲けで俺に勝てる者など日ノ本にいるか?」


「殿は、天下一の悪人(商売上手)ですからな」


「んんっ、御三方、少々顔が……」


 クククッと嗤う三人を、浪岡具運はやんわりと窘めた。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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[気になる点] これでお市が男を出産したら終わりだな 西国を飲み込んだ織田家と南部家では家格が違い過ぎる どう考えても家が割れる案件だな 主人公が手を出さずに人質として扱うならいいけど、手を出したら…
[気になる点] 運試しが嫌いだから勝ちを確信してから戦に行き、それでも負けたらさっさと逃げるとまで言ってた又二郎が、死ぬ時は死ぬから仕方ないって言ってるのはちょっと違和感感じました。 [一言] これ…
[一言] 発想の転換されたら、織田は政治中枢だけ握って経済はまるっと新田に投げて来るのもありえるんじゃないかと 東と西に分けるんじゃなく政治と経済で分ける 又二郎が経済を牛耳ろうとするんなら、逆手にと…
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