忍びの祖
神道は、現代まで続く日本民族固有の民族宗教であるが、日本人の多くが神道を信仰しているという意識がなく、そのため神道の知識は殆ど無いと言える。たとえば、神道の最高神と聞かれれば、現代日本人の多くは「天照大神」と考えるであろう。しかしながら、古事記や日本書紀のどこを探しても、天照大神を最高神とする記述は存在しない。
実は、天照大神が神道の最高神とされたのは、明治時代に入ってからである。天照大神が皇室の祖であるとしたのは、第四一代天皇である持統天皇であり、天皇自らが伊勢神宮を参拝している。だがそれ以降、明治天皇が参拝するまで、伊勢神宮には勅使を遣わすだけで、天皇が自ら参拝をしたという記録は存在しない。実に八〇代に渡って、天皇は伊勢神宮を参拝していなかったのである。
その理由については諸説があり、はっきりとはしていない。いずれにしても、皇室が先祖である天照大神を「避けていた」のは、歴史的な事実である。
話を戻して、神道における最高神とは、一体誰なのか? 実はこれは明確に判明している。古事記に描かれている日本神話には、様々な神が登場するが、最初に登場する神である。日本列島の遙か前、世界を生み出した「天地開闢の神」こそが、神道における最高神である。その名を「天御中主神」という。
宗教における創造神の位置を占めているのだから、本来ならば知られていて当然なはずである。例えるならキリスト教、ユダヤ教、イスラム教における「ヤハウェ」、インド神話における宇宙の根本原理「ブラフマン」、ギリシア神話における造物主「デミウルゴス」と同等の位置にある。にも関わらず、この三者と比較して天御中主神はまったくと言って良いほどに知られていない。なぜか?
信じ難いことに、天御中主神を祀る神社そのものが、殆ど存在していないからである。現在においては、水天宮や東京大神宮など幾つかの神社にその名は祀られているが、いずれも江戸時代末期から明治時代に「加えられた」ものである。(※妙見系神社は鎌倉時代に妙見菩薩と同一視することで祭神となる)神道における三大神宮(出雲大神宮、伊勢神宮、石上神宮)のいずれにおいても、天御中主神の名は見られない。創造神とは思えないほどの、酷い扱いである。
飛鳥朝以前から続く神社において、天御中主神を主祭神とする神社は、記録されている限り一ヶ所しか存在しない。出雲国風土記において、神門郷の筆頭社と位置づけられた「彌久賀神社」である。
九十九衆頭領である加藤段蔵は、音もなく境内に姿を現した。武蔵国日野にある、日野宮神社である。日奉宗頼という武蔵七党の一つ「西氏」の祖が建立した神社である。日奉宗頼は、古事記に描かれる造化三神の一柱「高御産巣日神」を祖とすると自称していた。そのためこの神社には、最高神である「天御中主神」が祀られている。
出所不明の男が、己を大きく見せるために、先祖を詐称することはよくあることだ。段蔵は少し懐かしく、境内の周囲を歩いた。まだ何者でも無かった自分が、これから会う男と出会ったのは、二〇年以上も前のことである。ちょうどこの境内で出会った。
「悪戯が過ぎますな。風間殿」
足を止めた加藤段蔵は、振り返ること無くそう言った。やがて境内に続く石段から、一人の男が姿を現した。風間小太郎こと風魔党の頭領、風魔小太郎である。
「富裕な新田に仕え、腑抜けておるのではと心配したが、さすがに気付くか」
そう言って小太郎は手にしていた苦無を懐に納めた。見えないところから襲撃しようとしていたのである。殺気を放つ前段階の「殺意」だけで、段蔵は小太郎を察した。生き死にの忍び働きを続けなければ、こうした察知能力はすぐに失ってしまう。かつての弟子が自分に伍する力を示し、小太郎は満足げに笑った。
「それで、何用ですか? 我らは今、信州から北陸にかけて動いております。関東は風魔にお任せすると決めていたはずですが?」
「そう無碍に言うな。お主が創った九十九衆は、大きくなった。数だけならば風魔を遥かに越えていよう。これから畿内へと進む上で頭領であるお前に、教えておかねばならぬことがある。」
腕が越えたわけではない。言外に小太郎はそう言ったが、段蔵は無視した。忍び働きを続ければ、いやでも腕は磨かれてくる。これから畿内の甲賀、伊賀、山陰の蜂屋などと戦わねばならない。一方の風魔は、北条が落ち着いたおかげで働き場所が少なくなった。数年以内に、腕すらも風魔を越えるだろう。
「はて? 忍びの腕は伝えられるものに非ず。ただ身に着くものでございましょう? 学ぶ技などないと存じまするが?」
「技ではない。口伝だ。日ノ本には幾つか、忍びの里がある。甲賀や伊賀、そして風魔などは知られておるが、不思議に思わぬか? 我らは元々、忍びし者たち。里があると知られているだけで、忍びし者にならぬではないか」
表情こそ変えなかったが、段蔵は小太郎が何を伝えたいのかを理解した。技ではない。情報である。
「甲賀や伊賀などは、表向きの存在よ。これからお主が戦うのは、日ノ本で最も古く、史の闇に潜み長き時を暗躍し続けてきた者たちだ。忍びという言葉すら、元々は彼らから生まれた」
段蔵は黙って頷いた。そうした存在があるかもしれないとは、考えてはいた。日ノ本は二〇〇〇年もの歴史を持っている。蝦夷との戦いや内部の権力闘争、藤原氏や武士の台頭、大陸からの侵攻、そして南北分裂など、文字にされているものだけでも膨大な歴史である。見えない部分で、その何倍もの闇があるだろう。情報収集や扇動、暗殺などを請け負う者がいなければ、とてもではないが権力は維持できなかったはずだ。
「史にも僅かに出てくる。用命天皇の頃、上宮之厩戸豊聡耳命(※聖徳太子として有名)は大陸から齎された仏の教えを用いて、朝廷の権威と権力を強めようとした。それに賛同した蘇我氏と、反対した物部氏との間で激しい権力闘争が起きた。そこで上宮之厩戸豊聡耳命は物部氏を失脚させた」
「どのように?」
「解らぬ。史には一言だけ書かれている。志能備居用とな」
段蔵は目を細めた。情報戦は忍び働きの基本中の基本であり、そしてもっとも重要な仕事でもある。一〇〇〇年も前から続く忍び集団となれば、どれほどの力を持つのか想像もできない。
「文字としては殆ど出てこぬ。だがこれは儂の推測だが、その志能備と呼ばれる者たちは、日ノ本開闢から存在していてもおかしくはない。となれば二〇〇〇年の歴史を持つ集団だ」
「とても信じられませんな。そう考える根拠は?」
加藤段蔵は内心で疑問視していた。確かに、そうした集団が存在しても不思議ではない。だが幾らなんでも二〇〇〇年というのは大げさである。仏教どころか漢字が入ってくる遥か前の話である。確認のしようがないではないか、段蔵の疑問視に小太郎は苦笑した。本来ならば自分で調べろと言いたいが、先に疑念という先入観が生まれている。読み落とす可能性もあると思い、教えてやることにした。
「記紀を読んでおらぬようだな。天孫降臨の折、瓊瓊杵尊と共に高千穂峰に降り立った天忍日命は、瓊瓊杵尊を守りつつ道案内をしたという。初めて降り立った土地をどうやって道案内したのだ?」
つまり斥候役である。主人に命じられ、周辺の土地や集落を調査し、危険の有無を判断する。情報収集という点においては、まさに忍び働きと言えるだろう。
「つまりその天忍日命が、我ら忍びの祖ということですか?」
学びにはなったが、どうでも良いことだと段蔵は思った。日ノ本の闇に潜む忍び集団の祖を知ったところで、これからの戦いには何の役にも立たない。それよりも、これから戦う相手の正体を知りたかった。
「それで、その志能備とやらは、なんと呼ばれているのです?」
「確たる呼び名があるかどうかは知らぬ。だが、我ら風魔党に伝わる名としては聯と呼ばれているらしい。我ら風魔党も、元々は鎌倉誕生を見越して、幕府内偵のために朝廷から送り込まれた者たちと伝わっている。時の流れの中で、その役目も消えてしまったがな」
小太郎はそう言って、少し寂し気に日野宮神社に視線を向けた。段蔵もそれに釣られて視線を向ける。そして少し想像した。日奉宗頼。「日を奉り、宗を頼る」つまり……
「まさか、日奉とは……」
だが言葉は続かなかった。視線を戻した時には、小太郎の姿は境内から消えていた。