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永禄一一年夏、春日山城

 春日山城に新田の当主が入ったとなれば、当然ながら上杉家の遺臣たちが挨拶に来る。その中で最も重要な挨拶が、上杉家当主である上杉卯松の挨拶であった。


「上杉卯松にございます。殿に於かれましては、越後への御無事の御到着。祝着至極にございます」


 上州での葬儀で一応の挨拶はしているが、春日山城の評定間において、主人の場所に座る又二郎に対して、上杉家の当主が挨拶をする。名実ともに上杉家が新田家に臣従したことが、これで証明される。上杉家の遺臣たちは、内心では複雑であろうが表立った混乱はなかった。上杉謙信の懐刀であった直江景綱と、上杉家でも最大の力を持つ斎藤下野守朝信による根回しもあるが、そもそもが上杉家自体に求心力が無いことが大きい。遺臣たちの多くは、上杉謙信だから従っていたのだ。史実でも謙信の死去によって、跡目争いが起き、越後が混乱した。長尾諸家が何代にもわたり、権力闘争を繰り広げてきたためである。

 又二郎は鷹揚に頷くと、旧上杉家の者たちを睥睨した。


「皆に伝えておく。これまで越後は幾度も割れ、国人同士で争ってきた。このちっぽけな越後の、ほんの僅かな土地や一握りの米を巡ってだ。馬鹿馬鹿しい! 土地が争いの火種になるのならば、新田がすべてを取り上げる。越後の国人衆は一家残らず、すべての土地を召し上げる。嫌ならばさっさと出て行って、戦支度をするがよい」


 ビリッという緊張が走る。ここで出ていく者はさすがにいない。かといって、心から臣従をしているわけでもない。新田又二郎は少ない供回りで城下を巡ることもある。隙あらば、とまで考えている者もいた。


「ハハハッ…… いやいや、そのような不心得者は、この場にはおりませぬ。上杉家一同、臣従し、土地差し出すことを誓紙に(したた)めましてございます。後ほど、お納めくだされ」


「あぁ…… だが俺は、口先の約束など信じぬ。俺は結果しか認めぬ。故に、まずは其の方らに結果を示す。宇曽利三〇〇〇石であった新田が、なぜここまで大きくなったのか。この一年で見せつけてやろう」


 直江景綱の言葉を認めつつも、又二郎はこれからの統治とその結果によって、臣従し続けたほうが良いことを証明してみせると言い切った。そう言われたら、取り敢えず一年は、我慢するしかない。上杉旧臣たちは一斉に頭を下げた。

 挨拶が終わり、休息のために奥に戻った又二郎は、予め私室に呼び寄せていた加藤段蔵の前に座った。


「どうみた?」


「半数以上は面従腹背でございましょう。別室での話などはすべて聞き取っておりまする。特に気になる何人かには、(忍びを)送りました」


「よし。頃合いを見て、適当に罪をでっち上げるぞ。一向門徒と繋がっていると匂わせるのだ。五、六人も消せば十分であろう。この場においてすら、腹の内を隠せぬ愚者など、生きているだけで有害な存在よ。死んで俺の役に立ってもらおう」


 口端を上げ、獰猛な笑みを見せる。地獄の鬼すら逃げ出しそうな、極悪な顔であった。だが九十九衆頭領の段蔵も、それに負けない。忍びの本領発揮の役目を与えられ、目を細めて頷き、そして姿を消した。





 甲斐国では、これまでとはまるで違う農耕作業が始まろうとしていた。まず、水が引き入れられていない時期に、田圃整備が大々的に行われた。それと並行して、笛吹川と釜無川の治水工事が進められた。すでに先代の武田信玄が力を入れていたが、陸奥漆喰という乾燥すると驚くほど固くなる漆喰を用いて石垣を作り、堤防を補強するなど、新田の治水技術が使われている。なにより、作業者全員に徹底されていることがあった。


「全員必ず、革の足袋を踝まで履き、手袋もするのだ。そして水から上がったら、必ず手と足を洗え」


 田圃整備や治水工事の過程で、ザルを使って巻貝を探し、それを焼却破棄せよという。これは新田陸奥守自身が発した厳命であり、直筆の命令書が武田に届いていた。


「しかし、これが本当に水腫の原因なのでしょうか? 焼いて食べている童などもいますが」


「わからぬ。だが陸奥守の厳命とあっては逆らえぬ。それに本当に水腫が減らせるのなら、領民にとって正に救いであろう。新田家の内政の力は確かだ。遠き陸奥国のみならず、関東でも結果が出始めていると聞く。ならば信じるしかあるまい」


 武田家当主の義信は、領内で指導している新田家の文官衆を複雑な気持ちで見ていた。確かに凄まじい。例えば紙を百枚ずつ束にして、異なる色の表紙を付けた帳面を大量に用意し、すべての集落の人口を調べ、一人残らず名前を記している。刀狩りこそ行っていないが、百姓たちは新田から届けられた大量の米に喜び、進んで治水工事や街道整備に取り組み始めている。

 持てる者の強みといえばそれまでだが、新田とて最初から持っていたわけではない。父の信玄も、祖父の信虎も、生きるために他国から奪うしかなかった。そのために戦をした。だが新田は違う。知恵と工夫で、まずは生きられる環境を整える。そうなれば人が集まる。集まった人々が土地を広げ、さらに豊かになる。これを循環させ、強大な国を作り上げた。


「これが新田の一所懸命か……」


 あまりにも自分たちとは違う。だが、日々変わっていく領地に、胸躍るのも事実であった。夏は暑く、冬は寒く、貧しい土地であったこの甲斐が、豊かな国に変わるのであれば、自分のこれまでを否定することなど何でもないことである。


「各国人衆に伝えよ。農民たちが望むのなら、戦に出ることなく畑仕事だけをさせよと。その際は、槍や刀、胴巻きなどを買い上げろとな」


 織田が隣国である以上、完全に農民兵を無くすわけにはいかない。だがこれから、武田家は大きく変わる。飢えを凌ぐための戦はなくなる。食えるのならば、誰も命懸けの戦になど出ようとは思わないだろう。少なくとも、武士ではない者はそう考えるはずだ。


「一万程度でよいか。天下が定まるまで、武田軍は一万程度の兵としよう。新九郎殿も同じように考えるはず。武田と北条で、三万も用意すれば十分なはずだ」


 父から譲られた武田家を残すには、家中の意識改革が必要であった。戦でなければ生きられない重臣もいる。そうしたものは新田が引き受けてくれる。文官の育成を急がねばと思った。





 永禄一一年(西暦一五六八年)水無月(旧暦六月)の下旬、直江津の街に行政府となる屋敷は、ようやく縄張りが終わり、着工が始まったばかりである。又二郎は仕方なく、春日山城にて広大な新田領を差配していた。とはいっても、なんでも又二郎が決めるわけではない。又二郎の仕事は、具体的で明確な方針を示すことである。内政、外政、軍政はすべて家老たちに権限移譲しているため、細かな指示までは出さない。


「と言っても、暇なわけではないんだがな」


 上がってくる報告に目を通し、そして意思決定をする。特に内政と外政においては、又二郎が関わることが多い分野であった。この日も、蝦夷から北関東までの収穫予想が届き、それに目を通していた。


「申し上げます。直江景綱様が目通りを願っております」


「景綱が? 越中で動きがあったか?」


 又二郎は立ち上がり、私室から出た。越中国の西部は、瑞泉寺を中心として一向門徒の勢力圏にある。当然ながら、加賀一向門徒とも結びついているが、上杉家と本格的な戦には至っていない。その理由は斎藤朝信が富山から氷見までを押さえる一方、それより西には進まなかったからだ。


「景綱、何用か?」


「ハッ…… 越中国勝興寺より、住職の顕栄が某を訪ねてまいりました。陸奥守様にぜひ、目通りを願いたいと」


「勝興寺というと、瑞泉寺と並ぶ越中一向門徒たちの中心ではないか。なぜその住職が、景綱を訪ねる?」


「実は、亡き先代と共に越中国を攻めた際に、砺波までは攻めぬ故、手出し無用とのやり取りを致しました。一向門徒の中には、上杉家攻めるべしとの声も大きかったそうですが、それを執成したのが顕栄住職なのです。無駄に乱を起こす必要はないと……」


「なるほど。一向門徒の中にも、そうした坊主もいるわけか。良かろう。会おう」


 景綱は安堵した表情となった。別に一向宗に味方しているわけではない。上杉卯松(※景勝)は今年で齢一三になる。来年あたりには初陣となるかもしれない。その相手が一向門徒というのは避けたかった。終わりのない、凄惨なものになりかねないからだ。できれば越中と加賀は交渉によって降し、越前攻め卯松の初陣としたかった。


(殿もまた、一向門徒を相手に果てない戦などお望みではないのだろう。そう考えれば、比較的穏健な顕栄住職が来てくれたのは、幸いであったわ)


 そして景綱は思い知るのであった。宇曽利の怪物、新田又二郎政盛の凄まじさを。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] 市姫を差し出されたとしても新田のメリットがあるとは思えない。まあ皇室の顔を立てておいたほうが良いと判断するのかなあ・・・。でも織田軍は戦術ではなく戦略で勝負するタイプ。武田兵一人で織田兵三人…
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