表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

251/284

永禄一〇年、大評定

 永禄一〇年(西暦一五六七年)睦月(旧暦一月)、関東に進出し、上杉、武田、北条を事実上降した新田又二郎は、宇都宮城において盛大な新年会を開催した。宇都宮城下に二〇〇畳(約三二四平米)の大広間を持つ屋敷を建て、そこに新田家の家臣たちを集めたのである。これまでの建築工法とは違い「枠組壁工法(ツーバイフォー)」によって建築した。今後、多くの民が家を建てることになるため、今のうちから枠組壁工法を使える番匠(※大工のこと)を育てようと考えてのことである。


「多忙を極められているはずなのに、いつの間にこんな屋敷を……」


「聞くところによると、殿が自ら図面を引き、建て方まで指導されたそうです。番匠に指示しながら、常陸国人衆の様子について報告を受けていたとか……」


 会津黒川城から来た伊達総次郎輝宗と遠藤文七郎基信は、観たことがないほどの巨大な屋敷に唖然としていた。そしてさらに二人を驚かせたのは、屋敷に入る入り口に大大名新田家の現当主、新田陸奥守又二郎政盛が出迎えていたことである。ゾロゾロと並んでいる家臣たち一人ひとりに、挨拶をしているのだ。


「こ、これは殿が御自らお出迎えいただけるなど……」


「いちいち一人ずつ挨拶していたら、何日も掛かるからな。評定ではロクに皆の顔を見えん。全員と一度は言葉を交わしたいと思っていたのだ」


「本日は御日柄も良く……」


「おう、文七郎。そうだな! 次!」


 文七郎が挨拶しようとしたら、又二郎にポンと肩を叩かれ、そしてさっさと入れとばかりに促されてしまった。文官武官が三〇〇人以上、集められたのである。又二郎は一人三〇秒と決めて、一言ずつ挨拶して終わらせていた。形式など気にせず、どこまでも合理的な又二郎の行動に、いかにも宇曽利の怪物らしいと、二人は顔を見合わせて苦笑した。





「思ったよりも明るく、暖かいな。上から灯籠を吊り下げているのか」


 畳張りの大広間には、新田家の直臣たちが通される。二六〇名ほどであるが、それ以外にも元国人衆で今は集落の長となっている者や、商人たちまで呼ばれている。帯刀は禁じられており、脇差しまで取り上げられるが、屋敷の周辺を屈強な兵たちが守り、さらに天井には九十九衆まで配置されている。警護としては万全であった。


「総次郎殿、お久しゅうござる」


「吉右衛門殿、ご無沙汰をしております」


 小姓たちによって前の方に通された総次郎は、又二郎から見て左側の前方に座らされた。右側が武官および参謀たち、左側が文官たちである。又二郎に一番近い、左側中央よりの一番前に座るのが、筆頭家老の田名部吉右衛門政嘉であった。もう五〇を過ぎているはずだが、文官筆頭として八面六臂の活躍をしている。広大な新田領を飛び回りながら、各地の温泉に入り、感想を記録しているらしい。


「これが、大新田家か……」


 なぜ家臣たちが集められたのか、総次郎は周囲を見回して理解した。集められた家臣たちは、新田家の中でも比較的重い役目を持つ者たちである。現代風に言えば、幹部職であった。それでこれだけの人数が集まるのだ。企業に例えるならば数万人の社員を抱える大企業である。


 武官側の最前列に、見知らぬ者が座った。田名部吉右衛門と一間ほど離れて、左隣に座る。つまり武官筆頭ということになる。新田の部将と言えば、長門藤六広益や柏山伊勢守明吉などが知られているが、彼らは二段目に座り、その後ろに参謀たちが座っている。つまり、だの部将ではないということだ。


「ご息災のようですな、蠣崎殿。御次男の活躍は聞いております。日ノ本を広げるのは多いに結構ですが、人をどう派遣するかで悩みます。どうぞお手柔らかに……」


「いやいや、これは面目ない。倅から聞いたときは、某も大いに沸いたものですが、よくよく考えてみれば、蝦夷の地でさえ、やっと治まりつつあるというのに、それと同じ大きさの新たな土地となれば、どう治めたものか…… 田名部殿には苦労をお掛けし、申し訳なく思いまする」


 総次郎を含め、そのやりとりを聞いた者たちが、目を瞠って最前列に座る男に視線を向けた。事実上、新田家に最初に降った大名であり、蝦夷地という広大な土地を任されている重臣、蠣崎弾正大弼季広である。その隣には、佐渡島を治める石川左衛門尉高信が座った。両名とも、新田家における事実上の「国主」であり、その気になれば謀反すら起こせるだろう。もっとも、だからこそ両家に連なる娘を正室として迎えているのだ。


(母上が、彦を側室にと送ったが、少し早まった判断であったか? いや、今を逃してはますます新田家と縁を結ぶのが難しくなる。天下はあと二、三〇年で決まるであろう。今しかないのだ)


 当主入室の先触れを受け、皆が一斉に一礼する。ドカリという音と共に、面を上げるよう、声が響いた。


「皆、息災なようで何よりだ。明けまして、おめでとう」


「「「おめでとうございますっ!」」」


 全員が声を揃えた。新田家年始の大評定が始まった。





 齢二一になる若き武将、佐竹次郎義重は、渡された紙面を見ながら、手が震えるのをなんとか堪えていた。南陸奥から関東の元大名や国人衆たちも同様である。紙には、新田家の総石高や人口、産業などの概略がまとめられていた。


(総石高一二〇〇万石…… 正月も関係なく街道の整備も続いている。二、三年で主要な街道が整うとは。それに、もう利根川の治水が始まっているのか。なんなのだ。この速さは……)


「殿の予想通り、陸奥から関東に掛けての人口は、およそ三〇〇万人でございます。三無(※飢えず、震えず、怯えず)の普及は進んでおりまするが、人倫に(もと)る者も多く、豊かさに比して教育が行き届いておりません。また、越後では一向宗の蠢動が見られ、民が脅かされておりまする。法治を広げるためにも、ここは思い切った綱紀粛正が必要かと考えます」


 家老筆頭にして内政の最高責任者である田名部吉右衛門政嘉が、新田家全体の内政状況や課題を提示した。これほど多くの紙を使った評定など、佐竹家では行っていなかった。また紙には国ごとの様子が判りやすくまとめられており、楷書のため非常に読みやすい。


「他者を騙してはならない。不当に奪ってはならない。傷つけてはならない…… 子供でも知る当たり前のことだが、それを忘れた者たちが多いようだ。初めて悪に踏み込むとき、大抵の者は躊躇する。それを罪悪感という。人は、己が悪だという意識に耐えられぬものだ。だが人の心は弱い。最初の一度や二度は、罪悪感を憶えるが、繰り返されるうちに、罪悪感が麻痺してくる。それを堕落という。宗教は、この罪悪感を消すものだ。御仏の教えだから許されるとな。人を堕落させる教えなど、俺は認めぬ」


 次の敵は一向宗、つまり加賀攻めであることを全員が理解した。だが問題は、いつから始めるかである。


「まずは越後だ。寺領をすべて取り上げ、寺社は新田が庇護する。坊主どもは政事に関わらず、僧としての本堂を歩めば良い。信徒たちは、新田の法を守る限りは、一向宗を信仰するのは構わぬ。法に逆らう者は容赦なく捕縛し、佐渡に送れ」


「殿、その佐渡のことでございまするが……」


 石川左衛門尉高信が佐渡島の状況について報告を始めた。佐渡島は現在、北部、中部、南部と三つに分けられていた。北部は金山開発が行われており、罪人らが働いている。一方、中部から南部は、農業振興の他に港湾開発が進められ、日本海交易における要所となりつつあった。

 そして史実との最大の違いは、この佐渡島にルイス・フロイスがいるということである。


「佐渡島では、特に罪人たちを中心に、南蛮の教えが広がりつつあります。宗教によって堕落した者は、他の宗教によって救われるのではないでしょうか。フロイス殿からは、叶うならば他の地でも布教をしたいとの要望が来ておりまするが……」


「ならぬ。当面の間は、新田領内での布教は佐渡島のみだ。そもそも、あの地この地へと飛び回る必要などあるまい。次から次へと、救いを必要とする者たちが来るのだからな」


 又二郎が佐渡島での布教を認めた理由は、管理しやすいからである。佐渡島の湊では、入出港時に臨検が行われる。キリスト教徒は佐渡島のみで生きれば良い。此方の法に従っている限り、禁教にはしない。それが又二郎の考えであった。





 内政の報告が一通り終わると、次は戦の話となる。だが今年の評定では、日ノ本での戦の前に大きな報告があった。蠣崎弾正大弼季広が、樺太島の発見と共に、その島の西に広大な大地が存在することを報告した。又二郎はこの大評定の間において、季広の次男である明石元広を別室から呼び寄せた。

 父親のさらに前に出た元広は、腰が抜けそうな己を叱咤しながら、なんとか座ることができた。


「す、数ヶ所で上陸を行いましたが、大半が山岳で人少なく、田畑も確認できませんでした」


「蝦夷の民の言葉が通じるのか?」


「いえ、類似はしておりまするが、違う言葉でした。蝦夷北部の民の中に、樺太島の民の言葉を操る者がいるため、今後はその者を連れて意志の疎通を図るつもりです」


 目の前の男は、元広にとっては雲の上の存在である。自分よりも七歳も若いはずなのに、発している存在感が桁違いであった。少し噛みながらも、なんとか報告をすることができ、己を褒めたい心境であった。


「蝦夷の民と同様、決して無体な真似をしてはならぬ。時を掛けて話し合い、大和の民を少しずつ送り込むのだ。また諏訪大社からの分社も手配しよう。二〇年もすれば、樺太島も日ノ本の一部となるであろう。元広、良くやった。其方の名は、永久(とこしえ)に日ノ本の史に刻まれよう」


「で、できますれば、もう一度あの島に行き、島の奥まで探索しとうございます。どうか……」


「構わぬ。俺の名で許す。世界は広い。途方もなく広い。未知を切り拓く喜びに目覚めたのなら、思う存分に世界を見て回れ。正直、羨ましいな。俺も、何もかも棄てて、大海原に船出したくなることがあるぞ」


 こうして、日ノ本初の「冒険家」、明石元広が誕生するのであるが、それはまた別の話である。


《後書きという名の「お願い」》

※ブックマークやご評価、レビューをいただけると、モチベーションに繋がります。


※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] そっか。今まで前線での活躍とか無かったから、あんまり新田家内部で格の高い印象が蠣崎季広に無かったけど、よくよく考えれば当主の正室の父親だし、長門や南条等の新田家の重臣の旧主だし、格が低い訳な…
[一言] もし、200畳の大広間を効率よく建てたいのでなるならば、 2×4や2×6などの枠組壁工法ではなく、修正材と専用金物(仕口や継手を専用の金物で作成)で組み立てる修正材工法が理想と考えられます。…
[一言] 乱世の世を生きるより厳しいかもしれないが、前人未到の地を切り開いていく喜びはただ生きるだけでは決して味わえないモノがあるだろうな。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ