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暫しの平穏

 数年前まで「宇須岸(うすけし)」と呼ばれていた港に、大きな船が入っていく。宇須岸にある砦は、享徳三年に安東家の家臣であった河野通政が建てたもので、四角に近いその外観から「箱館」とも呼ばれていた。その後、蝦夷(アイヌ)の民との戦により砦を失ったが、蠣崎家が新田家に臣従したことにより、状況は一気に変わった。今や蝦夷地のほぼ全土が新田の勢力圏に入っている。

 無論、原住民である蝦夷の民たちに無体なことはしていない。むしろ彼らを受け入れ、大和(やまと)言葉とは違う言語や、日ノ本とは異なる文化、風俗、習慣を精緻に記録している。戦ではなく交易を通じて新田の経済圏に取り込み、徐々に貨幣経済を浸透させた。その結果、蝦夷の民同士の争いも消え、本領安堵の形で蝦夷地全体を新田が統治することに成功したのである。


「畿内では僅か一里の土地を争っているそうだが、この地を見ると馬鹿らしくなるのぉ」


 蠣崎弾正大弼末広は、五年前に徳山大舘から北に五〇里以上離れた「イシカラ(ッペ)」の下流に、拠点を移していた。二つの河川が合流し、平坦で肥沃な大地となっている。蝦夷の民は「サリポロッぺ」と呼んでいたが、解りやすく「札幌」と名付け、館を建てた。


「惜しむらくは、米が採れぬことだが、この広大な土地であれば、多くの家畜を育てることができよう。当家では多くの肉を必要としている。なにしろ、殿が自ら厨に立つほどだからのぉ」


「父上、北に向けて探索に出していた船が戻ってまいりました。兄上も無事のようです。」


 三男の新三郎慶広が報告に来る。蠣崎家は新田家の重鎮であり、天下統一後は日ノ本屈指の名門として残るだろう。それを継ぐのは、今は関東で活躍している嫡男の宮内政広である。そのため次男の元広は、新田ではなく自分に仕えてくれた明石季衡の養子に出した。明石家には嫡男が居なかったため、ちょうど良いと考えた。今では蠣崎家の家老として、蝦夷全土の調査を担っている。


(慶広も養子に出すか? 南条越中守へと考えていたが、すでに養子を持っておるし、旧蠣崎家中の家だけというのもな。殿に相談してみるか?)


「殿。明石小二郎、ただいま戻りました」


 考え事をしていると、日焼けした精悍な男が入ってくる。嫡男の宮内政広は温厚な秀才という気質だが、元広は陽性な武人という気質であった。子供のころから外を駆けまわるのを好み、三〇近くとなった今は、蝦夷地のみならず、さらに北方の未知の土地を求めて、船に乗っている。


「よくぞ無事に戻った。四ヶ月以上の探索であったのだ。しばらく休むが良い」


「いえ、叶うならばすぐにでも、大殿にお目通りを願いたく考えております。見つけましたぞ」


「なに? 蝦夷の民が言っていた、北にあるという神が作りし島を見つけたのか!」


「はい。そればかりか、島の周囲を一周しました。途方もない大きさでした。蝦夷の島にも匹敵するでしょう」


「よし。大殿、そして南条籾二郎殿にも書状を書こう。その地に、諏訪神社を建てるのだ」


「蝦夷の民はその島をカラ・プトと呼んでおります。そこで樺太島と名付けてはいかがでしょうか」


 季広は頷き、どうせなら三男も挨拶に出そうと思った。この世の広さを知れば、それだけで一回り成長する。蠣崎家が、日ノ本を広げる役目を担うのだ。蠣崎の通字(とおしじ)は「広」なのだから。





 本来ならば、春日山城に拠点を移したかった。広大な新田家を中央集権にするには、街道整備のほか海路を使っての情報伝達が必要となるからだ。来年から最前線になる越中国に隣接し、かつ蝦夷地からの船が寄港する直江津に近い春日山城は、今後の本拠として最適と思えた。

 だが嫁たちのことを考えると、すぐに移るわけにはいかない。懐妊している状況で女性を動かすわけにもいかず、かといって自分一人の「単身赴任」というのも寂しい。せっかく嫁が二人いて、さらには側室までいるのだ。子供たちにも構ってやりたい。


「というわけで越後に行くのは来年からとした。しばらくは宇都宮で内政に励む」


 清酒の肴として、井戸水で冷やした蒟蒻を薄切りにし、山葵醤油で食べる。健康のために、酒は一日おきに一合までと決めている。酌をしているのは、伊達晴宗の娘であり、史実では蘆名盛興の正室となった彦姫である。齢一五歳ということもあり、まだ手は出していない。


(正直に言えば、こと女においてはこの時代の年齢感覚には合わん。一五なんて、まだ中学生ではないか。二〇過ぎの成熟した女のほうが、俺の好みなのだが、この時代だと行き遅れと見做されるからな)


「新田の家には、もう馴れたか?」


 置物のように黙って座らせておくわけにもいかない。又二郎は彦姫に気を使って話しかけた。


「はい。皆さま、本当に良くしてくださいます。それに食べ物が、本当に美味しゅうございます。このような贅沢をしても良いのかと思ってしまいます」


「其方は人質ではない。俺の側室として来たが、まだ若い。今は家風に馴れることを優先させろ。入用な物があれば、何なりと言うがいい」


 だが彦姫はコテンと首を傾げた。本当に必要なものなど、思いつかないのだろう。読み書きの訓練のために、新田家には大量の蔵書があり、今も増え続けている。明からは絹製の織物も入ってきているが、職人も連れてきているので、遠からず日ノ本でも質の高い生糸が増産できるようになるだろう。

 そして何よりも食である。家畜化した猪を中心に、牛や鶏も増産体制に入っており、庶民でも肉が食えるようになってきている。米、麦などの穀物類から野菜類まで、領内で完全に食料を自給できるばかりか、他国にまで大量に輸出できるほどだ。


「その…… しいて申し上げるなら、お情けを……」


 顔を赤らめてそう言われると、又二郎としても放っておくわけにもいかない。とりあえず、一緒に寝るくらいはしてやるかと思い、冷えた酒を呷った。





「誠に、申し訳ございませぬ!」


 武田太郎義信と諏訪四郎勝頼が戻ったことで、南信濃は落ち着きを取り戻し、国人たちの何人かが隠居するだけで済んだ。そして今、譜代家老衆の一人である秋山善右衛門尉信友が、躑躅ヶ崎館の広間で、床に額をたたきつけて詫びていた。

 秋山は決して、武田を裏切ろうとしたわけではない。だが先代である武田信玄と激戦を繰り広げ、勝者となった新田が、武田の家を残すとは思えない。このままでは諏訪家と諏訪大社まで、責任の連座で潰される。信濃を諏訪の家でまとめてはどうか。室町幕府将軍足利義昭公が、後ろ盾になろう。そう唆されたのである。


「兄上。秋山は決して、邪な野心から動いたのではありませぬ。すべては諏訪のため、そして武田のためを思っての行動なのです。此度の軽挙妄動つきましては、某から厳しく叱っておきますれば、何卒、御寛恕の程、お願い申し上げます」


 諏訪四郎勝頼も、横に並んで秋山を庇う。無論、義信としてもこれ以上、責めるつもりはなかった。今は武田と諏訪が手を取り合い、一つにまとまるべき時である。私心で裏切ったのならともかく、ただ織田に踊らされただけなのだ。木曽谷が離れたのは腹立たしいが、無視して良いくらいの小さな影響である。


「四郎も善右衛門も、頭を上げよ。我らは何も失っておらぬ。亡き父上は、人こそが武田の城と仰せであった。父が遺したお前たちこそが、武田の財産よ。善右衛門、もう自分を責めるな。いずれ織田に復讐戦を挑み、失地回復をすればよいではないか。皆も今回の件は、これで水に流せ」


「「御意」」


 偉大な当主であった先代を失い、悲嘆にくれるよりも、織田という目の前の敵に対して、怒りに燃えたほうが良い。少なくとも当面は、家も土地も残るのだ。いずれは取り上げられるかもしれないが、その頃には世も大きく変わっているだろう。土地を持つよりも、土地を手放したほうがより栄えると知れ渡れば、守旧的な国人衆も進んで領地を手放すかもしれない。


「御屋形様、それで当面でございますが……」


 話を変えるように、家老の一人である工藤源左衛門(※後に内藤昌豊に改名)が、新田との交渉結果を確認した。噂は広がっているが、当主からしっかり説明が必要であった。


「武田は新田に従属した。当面は美濃の東側を牽制しつつ、甲斐と信濃を安定させる。内政については、新田から詳しい者たちが派遣されてくる。土地を調べ、名産品を発掘し、田畑の整備や道具などの技術を教えてくれるそうだ。新田殿は、まずは食わせる。すべては食わせてからだと仰せであった」


「兵を出すことは求められぬと?」


「兵役はない。むしろ出すなと言われた。そんな人手があるなら、田畑の開墾、信濃川の治水に使えとな。それと、街道整備を急げと言われている。新田のやり方があるそうだ。上州でも、そこかしこで街道整備が行われていた。陸奥もまた、甲斐や信濃と同じように山深き土地だそうだ。それでも街道の整備ができているらしい」


 広く、整った道があるだけで、治安の効果まで期待できる。治安が安定し、食料が増産され、百姓が飢えずに暮らしていけるようになれば、百姓たちは命がけの戦に出たいとは思わなくなる。半士半農は遠からず消える。そうなれば、国人領主の存在意義そのものが問われるようになるだろう。


(武田の家は残る。だが甲斐国主としての武田家は、俺の代で終わる。彦太郎(※史実では守隨(しゅずい)信義として江戸時代まで存命する)の育て方も考えねばな)


 武田家が直面していた最大の危機は去った。これからは国造りと人造りに力を入れなければならない。武士の生き方が大きく変わることを感じ、武田義信は新たな決意を胸にした。


《後書きという名の「お願い」》

※ブックマークやご評価、レビューをいただけると、モチベーションに繋がります。


※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] 今後蝦夷地を北海道と改称するなら、朝廷に頼んで令制国を設置する必要がありますね。その場合樺太も北海道扱いになるのか不明ですが。
[一言] 【すみません、信玄の生死を見落としてるのではと誤解を生みそうなので自己満足ですがちょっと書き直し】戦国武田家ファンとしては、信玄が戦死してその上に新田傘下とはいえ甲斐信濃の軍が中山道を進軍し…
[良い点] 初回から楽しませてもらっています。経済中心に 国作りをする着眼点が気に入っています。今後苦しい展開になりますが、どう切り抜けるかが楽しみです。
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