武田と上杉の措置
武田家当主である武田太郎義信は、長年寺の周辺に建てられた屋敷の一室で、その時を待っていた。やがて使いが来て、案内を受ける。自分の他、弟の勝頼、叔父の典厩信繁、そして謀臣真田弾正幸隆の四名が大広間に通される。すると中央に若い男が立っていた。その眼を観た瞬間、背筋が震えた。
「兄上?」
「……大丈夫だ。少し驚いただけだ」
普通であれば当主の場所に座って待っている。だが男は大広間のど真ん中に立っていた。此方を害するつもりはないだろう。帯刀すらしていないからだ。
「新田陸奥守又二郎政盛である。武田の方々、よく来られた。座って話し合おう」
そういうと板間にドカリと胡坐した。大振りの茶碗を持ってこさせ、それをグビリと飲む。すると真田弾正がハハハと笑いながら、向かい合うように座った。正座ではない。同じようにドカリと腰を落とす。
「陸奥守様は、細かな礼儀作法など気になさる方ではありませぬ。大切なことは表面的な作法ではなく、この場で何を話し合うか、そうお考えなのです。まぁ、新田式と申しますか、某も最初は戸惑いました」
新田家中では公的の場でも私的の場でも、正座は求められない。又二郎自身が正座を嫌っていた。足が痺れた状態で生産的な話し合いなどできないからである。もっとも、正座を否定することもしない。したい者はすればよいのだ。
義信、勝頼の兄弟は戸惑いながらも座った。義信は胡座し、勝頼は正座である。義信の中には、敗れたとはいえ大武田家の当主という自覚があり、勝頼は諏訪家当主として、主君である兄に遠慮してのことであった。義信は齢二九、勝頼は二一である。あと数年、信玄の薫陶を受けていたら、手強い相手になっていたかもしれない。
「……信玄殿は、俺の手で討った。鉄砲でな。最後まで、俺の首を狙って駆け続けた。甲斐の虎の異名に相応しい、雄々しい男であった」
「父は、新田殿にとって手強い相手だったのでしょうか」
「四郎、止せ」
言外に、生きたまま降すことはできなかったのかと責めた勝頼を義信が止める。だが又二郎は気にすることなく牛蒡茶を一口飲んで首を振った。
「もし、信玄殿が一〇年早く生まれていたら、新田は天下を諦めざるを得なかったやもしれぬ。合戦が強い部将は他にもいる。謀が得手な者もいる。だが内政、外政、謀、そして戦…… すべてにおいて抜きん出た大将は少ない。初陣してから一五年、戦場で槍を振る状況に追い込まれたのは、初めてだ。一歩間違えれば、俺の首が飛んでいただろうな」
絶賛の言葉を贈られ、勝頼は多少、溜飲が下がったような表情となった。だが義信は硬い表情のままである。恨みというより、己に何かを言い聞かせているような表情であった。
「義信殿、俺を恨むか?」
「戦で決したこと故、元より恨みなどありません。されど、込み上げる思いがあるのです。なぜ、父を止められなかったのか。そしてなぜ、父と共に武田全軍で戦に臨まなかったのか……」
「ふむ…… もし武田が全軍で出てくれば、新田は上州には進めなかったであろうな。先に常陸を片付け、越後を押さえた上で北信濃に侵攻、退路を断って兵糧攻めにしたであろう」
「はい。某でもそうするでしょう。父は、家督を某に譲ってからずっと、新田殿との戦を考え続けていました。生涯最後の大戦になる。かつて母に、そう言ったそうです。父はどこかで、己のすべてをぶつけられる強敵を望んでいたのだと思います」
そうかもしれない。史実の武田信玄を思い出しながら、又二郎はそう思った。武田信玄という男は、天下を狙っていたのか。答えは「否」である。当初は、甲斐から南信濃へと生存圏を拡張させる「生きるための戦」をしていたのだろう。
だが北信濃の村上義清を攻めたあたりから、様子が変わる。「戦のための戦」という状態になる。村上義清を攻めたことにより、結果として長尾景虎という敵を呼び寄せることになった。川中島の戦のためには、北信濃に隣接する西上野を安定させる必要があった。そこで箕輪城を攻めた。飛騨国、越中国にも介入した。
武田信玄の生涯は、戦に取り憑かれていたと言っても過言ではない。生涯を通じて、七三回の合戦の殆どに参戦していたのである。織田信長でさえ、柴田勝家や羽柴秀吉の合戦をすべて合わせて、八三回なのだ。七〇以上の合戦に参戦するということが、どれほどに異常かが解るであろう。正に「虎」の生き方であった。
「父を止められなかった自分への怒りはあります。ですが父は、新田殿との合戦を望んでいました。己のすべてをぶつけて、燃え尽きることを望んでいたのです。それが叶わず、たとえ一〇〇まで生きるよりも、父は、幸せであったと信じています」
微かに声を震わせる義信を見つめながら、又二郎は黙って頷いた。
武田家をどうするか。残すも潰すにも巨大すぎる。かといって、北条と同じ扱いにするのも難しい。北条家は氏政の後ろに氏康が健在である。また地理的に、新田の経済圏に取り込みやすい。
一方、武田家は甲斐、信濃、駿河を領しており、南北に長い。そして領内には、新田への怨恨がある。当主の太郎義信は、戦でのことと水に流しているだろうが、特に甲斐の領民たちは違う。新田の文官が入ったところで、新田の統治を受け入れるとは思えなかった。
「上杉は完全に吸収する。だが武田領まで手が回らぬ。従属同盟というかたちにするしかあるまい。武田には、織田と徳川に備えてもらいたい」
「言い難きことですが、父を討たれたことにより、家中には強硬な姿勢を持つ者が増えております。頭では理解していても、感情がついてこないのです。仮に従属したとしても、いずれは旗を翻すやもしれません。某自身、内心で忸怩たるものが燻っています」
深刻な表情でそう言う武田家当主に、又二郎は苦笑した。正直な男だと思った。一本気で義理を重んじる気質なのだろう。父を追い出し、盟を裏切り拡大した父親とは気質が違う。史実の義信事件の根には、この気質の違いがあったのかもしれない。
「クックック…… もし盟を裏切れば、そのときは新田一〇万が武田を潰す。従属の条件は、駿河を新田領として渡すこと。新田軍の領内の通行を認めること。新田の税制と法を受け入れること。最後に、特産品の開発など領地運営について、新田の方針に従うこと…… 以上だ」
「国人たちの土地は、取り上げる必要は無いと?」
「取り上げようとすれば、荒れるであろう? 事実を見せつけてやればいい。新田が開発した方が、遙かに豊かになるのだという事実をな。例えば甲斐だ。甲斐には金山があるが、それ以上に宝が眠っているのだ。新田がそれを掘り起こす」
「そ、それは?」
思わず身を乗り出した義信に対し、又二郎はただ笑っただけであった。
武田領についての方針が一通り固まり、最後に残ったのが上杉家で最大の力を持つ「斉藤下野守朝信」である。越中国半国と能登の一部を領している。戦に強いだけではなく、内政においても活躍し、正に文武両道の名将である。
畠山家、加賀一向宗と敵対している状況で、わざわざここまで来たというのも良い。万一の時は、領地を棄てる覚悟で、上杉謙信に対する忠義を選んだのだ。又二郎としては、なんとしても家臣に加えたい男であったが、すでに大名と言ってもよい力を持っている。簡単に降すことはできないし、朝信としても、簡単に降れる立場ではない。
「某の首と共に、領地すべてを差し出しまする。どうか上杉の家を残し、卯松様(※上杉景勝のこと)を御守りくださいませ」
朝信の中にあったのは、亡き上杉謙信に対する忠義だけであった。上杉家の跡継ぎである卯松を守れるならば、自分は死んでも構わないと本気で想っていた。だからこそ、又二郎は対応に苦慮した。別に、自分に忠義を尽くせとは言わないが、ここまで上杉第一の男を新田家に仕えさせられるだろうか。
「俺は別に、上杉を潰したいなどとは考えておらぬ。嫡男殿についてもだ。いずれ元服した暁には、上杉の名跡を継がせてもよい。だが上杉謙信は結果として、新田を裏切った。今のままでは嫡男殿に上杉を名乗らせるのは難しいだろう」
従属の盟を破ったばかりか、新田との仲を取りなした関白の顔に泥を塗ったのである。元服前の子供である卯松自身には罪はないが、上杉家そのものが、不名誉な存在となってしまっているのだ。これを回復させるのは容易ではない。
「まずは我ら新田に加賀方面の前線を任せろ。そして下野守は春日山城に戻り、卯松殿の傅役となれ。文武を鍛え、上杉家の不名誉を拭わせるほどの男に育てよ。卯松殿が元服したら、手柄を立てる機会を与える。褒美に、上杉の家を継がせよう」
涙を零しながら何度も礼を言って、朝信は退室した。こうして、上杉と武田についての仕置は、一応は片付いた。このまま何もないというわけにはいかないだろうが、新田式の統治を取り入れていけば、必然的に米本位制の旧態依然とした国人は、経済的に追い込まれていく。土地を手放させるのは、その時だろう。
「ようやく片付いたか。あとは吉右衛門を中心に、特に甲斐と諏訪方面の産業開発を急がせよう。甲斐には山桑が多く自制しているからな。生糸産業を振興し、駿河と相模から輸出する……」
自分で右肩を揉みながら、又二郎は今後の構想について、独り言を呟いていた。
「申し上げます。加藤段蔵殿がお見えです。火急の用途のことです」
「通せ!」
早速、何事かが起こった。溜息をつきたいのをなんとか堪えた。