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忍城のでくの坊

 上州三毳山の西側を南下し、利根川を越えた新田軍は、横塚山で一晩を過ごした。忍城まではまだ距離がある。猛暑の中で駆ければ、さすがの新田軍でもバテるだろう。そこで横塚山で早めに休息を入れ、夜半から移動を開始する。日が昇る頃には熊谷を越えて忍城に迫れるだろう。


「忍城の大半は藤岡城攻めで出張っている。若い農民たちも駆り出されているはずだ。城はほとんどカラであろう」


「調べたところ、忍城の南西に程良い小山がある。丸墓山というらしい。利根川に背を向ける訳にはいかぬからな。この山に陣を貼れば、忍城は一望できるし、利根川から戻ってくるであろう武蔵七党も迎え撃てる」


 圧倒的な優位に立っているとはいえ、南条広継、武田守信ら軍師たちに油断はない。宇都宮城を陥落させた頃から、九十九衆に関東一帯の地形や主立った武将たちを調べさせていたのだ。当然、成田家の若き将才、正木利英のことも調べてある。


「武辺者でありながら、兵を操るのも巧く、頭も回ると聞く。藤六殿を若くしたような男ですかな? 殿が欲しがりそうだ」


「いや、殿はどちらかというと年寄り好みであろう。成田泰季は成田の脇惣領と呼ばれる名将。ぜひ降したいものですな」


「皆様、ご油断なきよう。殿が気にされていたのは、正木利英でも成田泰季でもありません。おそらく今は忍城の城代となっているであろう成田長親こそ、殿が気にされていた人物です」


 南条広継の言葉に、皆が沈黙した。どう返すべきか迷ったからだ。成田長親の名はほとんど知られていない。だから最初は、どれほどの男かと思い徹底して調べた。そして思いのほか簡単に判明した。


曰く、成田家の恥

曰く、武士より百姓になるべき男

曰く、でくの坊


「ここだけの話にして頂きたいが、今回ばかりは殿の勘違いではありませんか? 百姓にまででくの坊と呼ばれ、それを笑っているような男と聞きます。大らかと言えばそれまでですが、これまで大器の片鱗を見せているわけでもなし。一万二〇〇〇で包囲し、少し脅しを掛ければ簡単に降るのではありますまいか?」


 武田守信の言葉に、皆が一様に頷く。これが小田氏治のような粘り強さやしつこさを持つ男であれば、少しは警戒もしただろう。だが成田長親という男にはそうした気配が見えない。僅かな武功も、調べてみれば正木利英が副将についたためであった。戦の才も統治の才も無い者は他にもいる。だが、百姓から舐められて、それで笑っていられる男など、もはや武士とは呼べないのではないか。


「いずれにせよ、これは戦です。皆々様方も御油断無きよう……」


 そう締めた南条広継も、実は武田守信と同じような見解であった。というより、成田長親という男が想像できなかった。これまでの如何なる武士の像とも違う。そこらを歩いている百姓を引っ張ってきて城代に据えたのだと言われても不思議には思わない。理解できない男についてアレコレと悩んでも時間の無駄と考え、そこで思考を止めたのだ。





 正木利英は自ら馬を飛ばして、忍城の南を回り込むように進む軍を見に行った。そしてその姿に、背筋を震わせた。かつて一度だけ見たことがある。軍神と呼ばれた上杉謙信公が自ら率いた越後の軍勢。無人の野を進むかのように、北条軍を蹴散らせた最強の化身に、正木利英は感動した。いつかあのような軍を相手に一戦してみたい。そして叶うなら、自分もあのような軍を率いたいと思った。

 いま眼前を過ぎゆく軍は、それに匹敵するほどの精強さを持っていた。素早く、それでいて静かに、整然と進んでいく。いざ戦となれば、地揺れのような迫力とともに、雷霆(らいてい)のように迅速に動くのだろう。


「これは勝てぬ…… あの軍を前にしては。武蔵七党など烏合の衆でしかあるまい」


 本音では戦いたい。戦ってみたいと思った。だが滅ぶと解っていて、自分の想いだけで主戦論を説くわけにはいかない。あの軍と戦い、そして討ち死にした上杉謙信を羨みながら、正木利英は忍城に戻った。


「正木殿、新田軍より書状が届いている。降伏の勧告であろう」


「それはいま、どこに?」


「長親殿が読んでいる。評定間だ」


 利英は急いで評定間に向かった。ダンダンと足音を立てて評定間に入ると、何人かの見知った留守居役たちと成田長親がいた。相変わらず眠そうな目で、書状を読んでいた。


「長親、何と書いてある!」


 周囲の表情を見るに、声にも出さずのんびりと読んでいたのだろう。利英は苛ついた表情で催促した。


「うん、所領と同額の禄で召し抱える故、降伏せよとある。明日、使者が来るらしい。降伏せぬならすぐに攻めてくるそうだ」


「禄? つまりは所領安堵は認めぬということか? 新田は武士が土地を持つことを認めぬと聞いていたが、誠であったか」


「奥州の田舎者が巫山戯おって…… 関東は代々、我ら板東武者の土地ぞ!」


 皆が怒りを見せる。だが、戦に決すべしとまでは言わない。皆、新田が怖いのだ。悪し様に罵倒できるときに、罵倒しておこうというのだろう。利英は長親の前に座ると、その存念を尋ねた。


「長親、どうする?」


「うん。土地を取り上げるというのは、百姓からも土地を取り上げるのかのぉ……」


 のんびりとそんな返事が返ってくる。この期に及んで、また百姓の話か。いや、此奴に聞いた俺が馬鹿だった。利英はそう思い直し、他の家臣たちに顔を向けた。


「いずれにせよ、明日には使者が来る。その口上を聞いてからでも遅くはあるまい。城の状況を知れば、北を攻めている本軍も戻ってくる。まずは、時を稼ぐことが肝要だ」


 忍城の状況が伝わり、武蔵七党一万の軍が戻ってくるのに五日は掛かるだろう。それに藤岡城から背中を攻められながらの撤退となる。七日を見積もっておくべきか。


「七日だ。七日間、耐えるのだ!」


 まずは話をはぐらかし、一日は時を稼ぎたい。正木利英はそう考えていた。





「書状はすでにお読みのことと存ずる。この場にて、返事を頂きたい」


 忍城の評定間には、当主の席に成田長親が座り、甲冑を着た男たちが左右に並んでいた。そしてその中央に、新田軍からの使者として武田甚三郎守信が、胸を張ってドカリと座った。武田守信は、相手が弱者だからといって傲り高ぶるような男ではない。だが無駄に下手にでるような男でもない。攻め手と守り手という対等の立場から、特に敬語なども使わずに、降伏を勧告した。


「あ、いやいや! 暫く、いま暫くお待ちくだされ! 別室にて食事や酒も用意してござる故、使者殿には緩りとお待ちを……」


「いや、今は戦時。酒など不要でござる。時を稼ごうとしても無駄だ。此方は既に攻めの姿勢を整えている。降らぬならば、城を枕に討ち死にされるが良かろう。では……」


 武田守信はそう吐き捨てて立ち上がった。そのとき、長親が声を掛けた。緊張感などまるでない、のんびりとした声であった。


「新田では、土地を取り上げると聞くが、百姓からも土地を取り上げるのかのぉ?」


「長っ…… いや、御城代……」

 

 この会談の前に、利英は長親に対して、何もしゃべらず黙って座っていろと、何度も言い聞かせていた。それなのに、いきなり口を開いたのである。しかも内容は、百姓から土地を取り上げるのかといったどうでも良い内容であった。


「……当家では武士も、公家も、寺も、百姓も、土地を持つことを認めてはおらぬ。当然、取り上げる。あのような見窄らしい田畑など、当家の手に掛かれば見違えるほどに豊かな実りとなるであろう。すべての土地を取り上げ、当家の手で開発する。それが我ら新田家の流儀である」


 無視しても良かったが、内心で馬鹿にしながらも、守信は生真面目に答えた。相手は、一応は成田家の城代なのだ。最低限の礼儀は払うべきだろう。話は終わったと、守信は立ち去ろうとしたが、その背に声が掛けられた。これまでとは違う声色であった。


「……見窄らしい田畑、そう申されたか?」


「何を……」


 振り返った守信は、思わず言葉に詰まった。でくの坊と聞いていた。実際に目にして、噂は本当であったと確信した。だが、でくの坊の気配が一変した。これは怒りの気配であった。守信は冷静に自分の言葉を振り返った。礼儀は払ったはずだ。何を怒っているのか。


「百姓から、土地を取り上げる。そう申されたか? 田畑が見窄らしい故、百姓には任せずに、新田の手で耕す。そう申されたか!」


「長親! 落ち着け!」


「……何を怒っておられるのかな?」


 守信は冷静にそう返した。だが内心は別であった。実際に目にしたこの城は、やっかいな城であった。周囲を水田に囲まれ、湿地が多い。城を攻めるには、田畑を繋ぐ隘路を進むしかない。さもなくば、並々と水を蓄えた水田を進むことになる。城から矢を射かけられれば、格好の的になるだろう。無理に攻めれば痛手を負う。そんな城であった。だからこそ、降伏させようとしたのである。


(俺は、何を間違えたのだ? 舐めていたのは認める。だが不用意な無礼は無かったはずだが……)


「城を枕に討ち死にせよと言われたな。大いに結構! いまこの時、我らは戦と決した!」


「待て、長親! 使者殿、武田殿! 暫く、今暫く、半刻で構わぬ故、ここでお待ちを!」


 正木利英は、半ば引き摺るように長親を評定間から連れ去った。その後ろを迷いながら、他の者たちが続いた。





「何を考えてるんだ、お前は!」


 別室で、利英は長親を突き飛ばした。当初の計画がすべて瓦解した。城代が戦に決したと言った以上、明日にも新田軍は攻めてくる。城下に残されているのは、齢四〇を過ぎた初老の男や女子供だけである。それでも二〇〇〇はいるだろうが、この状況で声を掛けても、協力するとは思えない。逃げるのがオチであろう。


「戦じゃぁ! 戦をするのじゃぁっ!」


 長親は狂ったようにそう叫んだ。利英はパンッと頬を張った。さすがに周囲が止める。だが長親の眼差しから、決意の光は消えなかった。幼い頃からともに育ったはずの利英でさえ、見たことのない光であった。


「長親、何を考えている? 思うところを言ってみろ」


 槍働きは苦手だが、事務仕事が得意な男が、長親と利英の間に割って入り、長親に話を促した。


「見窄らしい田畑じゃと? 百姓から土地を取り上げる? 何様なのだ、新田とは!」


 長親が咆哮した。恐らく、評定間まで聞こえているだろう。利英が周囲に目を走らせた。すると何人かの男たちが、口端を上げていた。よくぞ言ったと思ったのだ。


「武士も、百姓も、代々に渡って土地を守ってきたのじゃ! 日照りに苦悩し、水害に泣き、それでも知恵を絞って少しでも実りをと頑張ってきたのじゃぁっ! それを見窄らしいじゃと? 我らに耕せないから、新田が耕すじゃと? あの男は、田植えの腰の痛みを知っておるのか! あと少しで実りというときに、戦で畑を踏み荒らされた百姓の涙を知っておるのか!」


 男たちの顔が更に変わっていく。利英はいつの間にか、長親の話に聞き入っていた。


「無能者と呼ばれるのも、でくの坊と呼ばれるのも構わぬ。実際、そうじゃからな。だが、我らが代々守ってきた土地を、百姓たちを馬鹿にされるのだけは我慢ならぬ! 強き者が、一方的に善悪を判断し、一方的に物事を決める。貧しき者たちの苦悩も、努力も認めずに、餌を与えてやるから大人しく飼われろと言う。これが当たり前なのか? 従うことが当然なのか? 嫌じゃ! 俺だけは嫌じゃ!」


 利英は目を瞑った。そうだった。長親はこういう男だった。自分はどれだけ馬鹿にされても構わない。だが、愛する者たちが傷つくことは我慢ならない。長親にとって愛する者とは、この城を囲む田畑であり、それを共に耕す百姓たちなのだ。そして、それこそが一所懸命なのではないか。武士のあるべき姿なのではないかと思った。


「やりましょう! 御城代!」


「新田に思い知らせてやりましょうぞ!」


 皆の顔が一変している。目は脂ぎり、ギラギラと輝いている。利英は思わず、仰け反りそうになった。数えるほどだが、戦においてこうした目をした男を見たことがある。命を捨てることすら厭わない「死人」の眼差しだ。こうした目をした者は、人とは思えぬ凄まじい働きをする場合がある。もっとも敵にしたくない眼差しであった。

 止めるべきか。正木利英は僅かな間、考えを巡らせた。だが、途中で止まった。いつの間にか、自分もそうした目になっていることに気づいたからだ。そうだ、俺は戦いたいのだ。此奴と、此奴らと共に、あの軍を相手に戦をしたいのだ。


「やるか……」


 言葉にした途端、何かが吹っ切れたように戦意が全身に漲った。これが最後の戦になるかもしれない。だが、幼馴染みの此奴と共に死ぬのも悪くない。他ならぬ此奴が、死ぬだけの理由をくれたからだ。


 そこからの展開は早かった。成田長親、正木利英以一二名の男たちが評定間に入る。武田守信は、自分が決定的な過ちをしたことに気づいた。なんとなく、声は漏れ聞こえていた。要するに、自分の伝え方が悪かったのだ。だがこの期に及んで謝罪することはできない。言い方は悪くても、内容そのものに間違いは無い。新田が土地を開発することで、より多くの民が幸福になる。これを大義として、ここまで戦を続けてきたのだ。そしてこの大義が正しいことを結果で証明し続けてきた。それを自分が否定するわけにはいかない。


「……それで、決まられましたかな?」


 丁寧語になっていることに気づく余裕が、守信には無かった。男たちからありありと戦意が見て取れたからだ。


「使者殿。降伏の勧告、誠に忝し。されど我ら、戦に決し申した」


「……見たところ、城には二〇〇もいない様子。それで一万二〇〇〇を相手に戦すると?」


「左様、我らは城を枕に討ち死にするまで、とことん最後まで戦う所存。早急に戻り、そう伝えられよ」


 正木利英は堂々と、合戦の意思を伝えた。その姿には取り付く島も無い。先ほどとは完全に、立場が逆転していた。


「板東武者の槍の味、とくと味わわれよ」


 不敵な笑みを浮かべた「でくの坊」が、大新田家の重臣に宣戦を布告した。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


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挿絵(By みてみん)

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[良い点] 作者さんは盛り上げかたがわかってるな やっぱ戦力差で御すのではなく有名処とは戦しとかなきゃね 続きが楽しみです
[一言] 映画の感じにしたいのかもしれないけど長親の年齢や経験が違いすぎる 農民たちも城に駆けつけるかわからないですし、駆けつけるだけの時間もない。 信長の美濃攻略のときもそうだけど無理矢理ご都合主義…
[気になる点] 成田長親が新田の情報を少しでも入手していれば、こういう展開にならないと思うけどな〜。映画の長親にくらべても沸点低すぎ。
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