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武蔵国へ

 上州での決着は、翌日には武蔵国にも伝わった。蠣崎宮内政広が守る藤岡城は下野国の南端にあり、唐沢山城の支城として下野への入り口を守っている。この平城を攻めていたのが、武蔵の国人衆、いわゆる「武蔵七党」である。

 武蔵七党とは、横山党、猪俣等、村山等、西野党、野与党、児玉党、丹治党の七つの武士集団の総称であるが、平安時代後期の武士黎明期から続く坂東武者の象徴のような存在である。

 そのため武士としての気位が高く、例えば横山党の成田氏は、源義家にも下馬せずに挨拶をした家門であり、上杉謙信が鶴岡八幡宮で行った関東管領の就任式の際に、成田氏惣領の成田長泰は下馬をせず、謙信から扇で鳥帽子を打ち落とされてしまった。それに激怒した長泰は、居城である忍城に帰ってしまったという逸話がある。自分たちこそ武士の源流と胸を張る彼らは、鎌倉幕府から続く「権威」を何よりも重んじ、戦国時代に台頭した北条や上杉に対しては、面従腹背の姿勢であった。

 ある時は上杉方に、またある時は北条方にと手のひらを変える彼らには、上杉謙信も北条氏康も苦々しく思っていたであろうことは、容易に想像がつく。





「兄上よ。上州の戦が決し、新田が勝った。間もなくここに新田が攻めてくる。どうする?」


 利根川を越え、藤岡城を攻めていた武蔵七党のうち、最大の発言力を持っていたのが成田氏である。その惣領である成田長泰は、実弟の泰季から問われたが、即答することができなかった。自分らだけであれば即、退却を決断できるのだが、ここには武蔵を代表する国人衆が集まっている。成田家だけで決するわけにはいかない。


「待て。たとえ新田が勝ったとしても、上杉、武田と決戦したのだ。相応に傷を負っておろう。それに、上州の仕置きがそう簡単にできるはずもない。新田が来るまでもうしばらく時があろう。藤岡を攻め続けるか、それとも退くか。皆で話し合い、決めるくらいの時はある」


(甘くないか? 新田陸奥守は怪物と呼ばれているそうだが、そんな常識的な動きをするのなら、上杉や武田が負けるはずがない。一気に藤岡城を墜とすべしと諫言するか……)


 成田泰季は迷った。泰季は文武に明るく、成田氏の脇惣領と呼ばれる名将であった。武士としての誇りは持ちつつも、現実を冷静に受け止める戦略眼も兼ね備えている。その泰季からすれば、実兄の判断は温く感じた。退かぬのであれば、一気呵成に藤岡城を攻め、蠣崎政広を捕虜とすべきではないか。

 だが兄である長泰もまた、坂東武者としての気位が高く、成田氏惣領という地位を重んじている。表立っての諫言は控えるべきだろうと判断した。


「承知した。だが由良家には書状を送っておいたほうが良かろう。氏長殿にも、一筆認めて貰えぬか? この際、打てる布石は打っておいたほうが良いと思う」


 成田家は、嫡男の氏長の正室として、由良成繁の娘を迎えている。当初は武蔵岩付城城主の太田資正から娘を迎えるつもりであったが、伊豆にまで押し込まれた北条が新田と手を結び、一気に武蔵を取り戻す気配を見せたため、成田長泰は手のひらを返して北条に味方し、その結果、婚姻の話は破談となったのである。その後、同じ横山党の由良成繁から(※正確には由良成繁は下剋上をしたため横山党の系譜ではない)正室を迎えていた。


 その氏長もまた、この戦には参加している。父親である長泰は、一歳年下の泰親のほうを可愛がっていた。この戦は弟との手柄争いの場と考えていた氏長にとっては、撤退など論外であった。新田など何者ぞという思いから、由良成繁に送った書状には強気の口調が目立つことになった。


「家督は俺が継ぐのだ。泰親などに負けてたまるか!」


 史実では、永禄六年(西暦一五六三年)に上杉謙信が再び関東に侵攻し、その際に成田長泰は隠居を命じられるのだが、この世界ではそれが無かったため、長泰は今でも成田家惣領となっている。氏長の焦りは相当なものであった。その夜に行われた軍議においても、氏長は主戦論を唱えた。結果、少なくとも新田軍が姿を見せるまでは、利根川を越えての撤退はしないことが決まった。

 蠣崎政広が藤岡城で守りの姿勢をみせていたためもあるが、彼らは新田軍の凄まじさを知らなかった。そしてそれにより、高いツケを払わされることになるのであった。

 この軍議の顛末は、立ちどころに九十九衆を通じて新田にも伝わった。


「……以上でございます」


「なるほど。自ら戦の主導を渡してくれるというわけですか。何とも愚かしい」


 九十九衆からの報告を受けた南条越中守広継は、思わず笑ってしまった。此方は武田を討った翌日には、兵を選別し、移動できる体制となっている。新田軍の足ならば、半日で狭野から藤岡城近くまで移動できるだろう。


「越中殿。となればこのまま藤岡に進むのは、些か芸が無いのでは?」


「甚三郎殿もそう思われますか。彼らの考えに付き合う必要もないでしょう。藤六殿、ここは三毳山を西側に沿って南下し、一気に武蔵に入りましょう。そして、敵の急所を突くのです」


 机上の地図に、パシンと駒を置く。成田家の主城、忍城であった。





「長親! 城代を任されているというのに、お前はまた百姓遊びをしているのか!」


 百姓たちと一緒に、泥まみれで水田の手入れをしている覇気のない男は、背後から怒鳴られて首を竦めた。垂れ下がった目じりを向け、あぁと呆けたような声を出す。


「上州の戦の様子が伝わってきたそうだ。乗れ! 城に戻るぞ!」


 ヨタヨタと水田から出た成田長親は、幼馴染の正木利英が乗る馬の後ろに乗った。馬が汚れるため、本当は乗せたくないのだが、長親は馬術が苦手である。利英は一瞬、顔を顰めてから馬を駆けさせた。

 忍城の広間には、留守役を任された者たちが待ち構えていた。長親が入ると一様に困ったものだという表情を浮かべる。成田長親は悪い男ではない。父親の泰季とは違い、いつも呆けた、いかにも間の抜けた表情をしているが、性格は善良なのだ。平時であれば「愛嬌」で済まされたかもしれない。

 だが、いまは戦時である。皆を束ね、引っ張っていく強い指導力が必要な時だ。長親にはそれが決定的に欠けていた。


「それで、状況は?」


 唯一の救いは、その長親を支える男、正木利英の存在であろう。槍働きだけではなく、兵も巧みに操る。今回の戦で留守役となったのは、城代を任された長親があまりに頼りないからである。事実上、正木利英が城代のようなものだ。


「狭野の戦が決したそうだ。結果は、新田の大勝。上杉謙信、武田信玄は討ち取られたそうだ」


 皆が沈黙する広間に、ヒュッと息を飲む音が聞こえた。奥州を統一した日ノ本最大の大名がついに来る。その総兵力は一〇万を越えるとも言われている。成田家は、そして武蔵はどうなるのだろうか。


「皆、落ち着け! 狭野の戦は激戦だったという。となれば、新田とて傷を負っていよう。それに、まずは藤岡城への援軍に向かうはずだ。北条の支援も期待できる。すぐに戦となることはあるまい」


 正木利英の一喝によって、皆が息を吐いて頷く。そうだ。武蔵七党が力を合わせ、一万を越える軍が藤岡城を取り巻いているのだ。北条からは、援軍こそないが兵糧などの支援はあった。北条とて、苦心して取り戻した武蔵を失いたくはないはずだ。いざとなれば味方してくれるかもしれない。


「うん? そうなのか?」


 皆が自分に言い聞かせようとしているときに、余計なことを言う男がいた。利英は苦々しい表情となって幼馴染みを睨んだ。


「お前は黙っておれ!」


「いやな。藤岡城はいま、睨み合っておるのであろう? つまり戦はしておらぬ。なんでわざわざ、そこに火をつけようとするのかと思うてな。戦をしておらぬのなら、そのままで良いではないか」


 間の抜けた声でのんびりと話す。誰も反応しない。長親の話を真剣に考えているわけではない。聞く価値なしと判断したからだ。だが一人、生真面目にこのでくの坊の話を聞いてしまった男がいた。その不運な男、正木利英は呆れたように返した。


「何を言って……」


 その時、注進が息を切らせて駆け込んできた。


「申し上げます! 北西より突如、大軍が現れました。その数、およそ一万二〇〇〇!」


 再び、ヒュッという音が聞こえた。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


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挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] よし、水攻めしようw
[一言] のぼうの城良いよね……。 こちらののぼう様も良いキャラしてるから、できれば生き延びてほしいもの。
[一言] のぼう様じゃーっ! さてこの世界では、のぼう様は今後どういう評価をされていくのか...。
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