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打算と希望

 武田信玄の討ち死には、三日で甲斐国躑躅(つつじ)ヶ崎館に伝わった。武田典厩信繁の書状を持った使番からあらましを聞いた武田太郎義信は、複雑な感情を処理するのに時を要した。父を失ったことの悲しみ、父を殺した新田に対する怒り、そして父を止められなかった自分への後悔から、ニ刻ほど人を遠ざけ、奥に籠った。

 武田家最大の危機を前に、当主である自分が泣き喚く姿など見せるわけにはいかない。だが泣かねば感情が処理できない。妻や母親である三条乃方すら遠ざけ、声を殺して畳に伏した。


「申し上げます。新田からの使者として、宇曽利諏訪神社の宮司、南条籾二郎宗継と名乗る者が目通りをねがっておりまする」


 夕刻、ようやく気持ちが落ち着いた頃に、義信の私室に報せが来た。すぐに信玄が育てた次代の重臣らを集める。長坂源五郎昌国、三枝宗四郎昌貞、甘利左衛門尉信忠、武藤喜兵衛昌幸(※この時はまだ真田姓ではない)、金丸平八郎昌続(※土屋姓となるのは一五六九年)らが集まる。それぞれが、文武ともに優れた次代の家老たちであり、信玄が義信に残した最大の遺産であった。


「殿、我らだけで決めるのは避けるべきです。跡部又八郎(※跡部勝資)様、飯富源四郎(※山縣昌景)様、工藤源左衛門(※内藤昌秀)様をお呼びしたほうが良いかと」


 武藤昌幸が進言する。自分らは亡き武田信玄の奥近習として、義信と共に育った。それ故に距離が近すぎる。武田の存亡が懸る重大な事案については、譜代の家老たちと共に、話し合わなければならない。そうしなければ、武田が割れると主張した。


「喜兵衛の申し上げる通りです。それと、高遠から四郎様もお呼びすべきです」


 義信にとって弟である四郎勝頼は、諏訪家の家督を継いで諏訪四郎勝頼として高遠城に入っている。隣接する美濃を支配する織田家から遠山夫人(織江乃方)を正室として迎えている。今川義元を討った織田家から嫁を取るということで家中では混乱の兆しもあったが、義信が自ら動いて婚姻の儀を整えた。織田に遺恨はないということを示すとともに、南信濃を任せる諏訪家との繋がりを強めるためであるが、その効果は絶大で、四郎勝頼は実の兄として義信を敬い、心服していた。


「よし、今宵のうちに動く。それと叔父上にも使者を出せ。すべての責は、当主である太郎義信にある。これ以上の流血は不要故、すぐに新田に降られよ。あとは任せよとな」


 ニ刻もの時間、泣き続けたためか、義信の頭は冴えていた。冷静に、武田家の未来を考えることができるようになっていた。ここにきて更に頼もしくなった主君に、家臣たちは顔を見合わせて頷いた。





 武装解除した一五〇〇の兵たちは、新田から十分な手当てを受けている。贅沢な食事が出され、寝起きする小屋は一戸あたり畳二〇枚分の広さがあり、それが一〇人ごとに与えられる。驚くほどに寛容な扱いであった。自分らでさえ、見張りの者は付けられているが、行動の自由が保障されているのだ。逃げようと思えば逃げられるだろう。だがそれは、武士の矜持が許さない。そこまで見越して、自由が与えられているのだ。典厩信繁は新田家の凄まじさを思い知らされた。


「物量、豊かさの基準が違いすぎまするな。この地は狭野から、佐野と改められるそうです。街道を整備し、恒久的な街にするとか……」


 真田幸隆も呆れたように笑っていた。信玄が幸隆を残した理由は、これから始まるであろう新田との交渉のためである。武田家には文武に優れた者たちが多いが、謀臣と呼べる者は山本勘助と真田幸隆の二人だけであった。特に幸隆は、外交交渉の手腕に優れている。武田を残すための正念場には、この男の力が必要なのだ。

 やがて、新田陸奥守又二郎政盛が待つ春日岡山の惣宗寺(※現在の惣宗寺の場所は一六〇二年に移設されたもの)に向かう。すると境内で、薄着をだらしなく着た若い男が、住職らしき者と立ち話をしていた。


「うん? 厄除けはしないのか。佐野厄除け大師は有名だと思ったのだが?」


「どこでお聞きになられたのかは存じませぬが、そもそも厄という考え方は陰陽道のものにて、御仏の教えにはありませぬ。祈祷は宮司が行いますれば、拙僧らには縁なきことでございます」


「なるほど。そういうものか……」


 首を捻っている男は此方に気づいたのか、破顔して手を挙げた。


「おぉっ! 真田殿ではないか! お互い、首が残ったまま会えたな」


「ハッハッハッ! いやいや、これは陸奥守様。こうして再びお目にかかれたこと、この真田も嬉しく思いまする。また、美味い飯を食いたいですからな!」


 信繁は驚いた。この男が新田政盛、宇曽利の怪物なのか? 肩衣袴の姿ではない。褌一枚の上に薄地の小袖を羽織っているだけである。帯をだらしなく緩め、胸も大きく剝き出している。ほとんど「うつけ」ではないか。


「暑いな! 早く中に入ろう! その方らもそんな暑苦しい服、脱いで構わんぞ。お互い楽な格好で、水出しした牛蒡茶を飲みながら、ゆるりと話そうではないか」


 笑いながら自ら本堂に案内していく。想像とはまったく違う姿に、信繁は呆然としていた。その後ろから、真田幸隆が声をかけた。口元は笑っているが、眼は笑っていない。


「故に、怪物と呼ばれているのです。さぁ、参りましょう」


 そうだ。ここからが武田の正念場なのだ。信繁は顔を引き締めて頷いた。





「で、まさか簡単に臣従できるとは思うておるまい? どうするつもりだ?」


 日ノ本最大の大大名から問われ、信繁は答えに窮した。目の前の若者は、竹の扇子でハタハタと自分を扇ぎながら、脇息にだらしなく頬杖をついて、膝を立てている。後ろには元服したばかりと思われる若者が、太刀を立てて控えている。白と藍の肩衣袴姿は、涼やかさすらある。

 一方、その主人はとても大名とは思えないような出で立ちであった。大振りの茶碗に薄褐色の茶を注いでがぶ飲みしている姿は、傍目から見れば、うつけの若殿様そのものだろう。

 だが、問い掛けの内容はうつけのものではない。甲斐や信濃には、この戦で死んだ武田の宿将たちの演者が多く残っている。当主の義信が新田に降ると言ったところで、そう簡単に従うはずがない。


(本来ならば、私が躑躅ヶ崎館に戻って皆を説得するのが良いのだろうが……)


 さすがに「解放してくれ」と言ったところで、叶うはずもないだろう。寛容な姿を見せているのは、逆らえないことや逃げたところで先がないことを見越しているからだ。警戒する必要すらない。それが信繁たちの現実であった。


「謙信殿、信玄殿…… いずれも史に名を遺す武将であり、傑物であった。このまま、この炎天の下で遺骸を腐らせて良い方々ではないだろう。そこでだ。宮司と坊主を呼んで、葬儀をやろうと思う。大々的にな」


 又二郎から提案が出る。この狭野の地で、亡くなった者たちの葬儀を行うというのだ、その意図を信繁も幸隆も察した。真田幸隆はパシンと自分の膝を叩いた。


「ハハァ、なるほど! それは良き策でございまするな。宮司と坊主ということは、諏訪神社から人を呼ぶのですな? となると、諏訪氏惣領である四郎勝頼様となりますな。そして坊主は……」


「上杉の菩提寺、越後の林泉寺から呼ぶ。葬儀となれば、当主である太郎義信殿、長尾顕景殿(上杉景勝の初名。一五六六年頃の名前)以下、親戚縁者たちも出ざるを得まい? ついでに北条からも嫡男の氏政殿を出してもらうつもりよ。もし病だのなんだのと言って、仮病を使う輩がいたとしたら、そいつは放っておく。この葬儀の後に、越後、越中、甲斐、信濃、駿河の仕置きが決まるのだ。それに参加しない奴など、どうでも良い」


 幸隆はウンウンと頷いているが、信繁は生真面目に、目の前の怪物が何を考えているのか、推察しようとしていた。態度や発言からも、武田に対して負の感情はそれほど(いだ)いていないようである。

 だが、今すぐに直轄領とできるのは、せいぜいがこの上州と越後だけであろう。越中国には上杉の名将である斎藤朝信がいる。甲斐、信濃、駿河に至っては全くの無傷なのだ。土地を取り上げると言って、ハイ解りましたと従うわけがない。だが、国人たちを集めてどうするというのか。下手をしたら、そこで皆殺しにするのではないか?

 信繁の懸念を察したかのように、又二郎が言葉を続けた。


「一つ明かしてやろう。新田はな。今、余裕がない。俺がガンガン攻めまくったせいで、領内の統治が追い付かぬ。内政を行う人手が足りぬのだ。北武蔵と常陸を平らげたら、数年は止まらざるを得ないだろう。俺は北畠顕家公を他山の石とする。京への道を進む上で、後ろに不安を抱えるわけにはいかぬ」


 かつて、陸奥国から一気に京まで攻め上り、天下に指をかけた男がいた。それが北畠顕家である。だが顕家は局地での戦術には強かったが、戦略という視点に欠けていた。結果、補給線が長くなりすぎ、継戦能力を失い、足利尊氏に敗れたのである。同じ轍を踏むわけにはいかない。


「なるほど……」


 信繁は頷いた。つまり、甲斐や信濃まで獲るつもりは、今のところは無いということだ。無論、牙を抜くための仕置きはするであろうが、臣従に近い形での従属として、武田が生き残れる可能性もある。新田の打算と武田の希望が一致しているのだ。


「では、甥たちの説得は某が請け負いまする。何卒、良しなに……」


 武田信繁は両手をついて、縋る思いで頭を下げた。



《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 伝説2体は残念だったけど、良い感じかなと思います。 あとは、ノッブと島津と一緒にオーストラリアを取りに行ってもらえると捗ります。
[良い点] 今後の展開が非常に楽しみ!!是非完結まで頑張ってください。 [気になる点] 続きが気になりすぎる・・・・。 [一言] 只々続きを早く読みたい。
[一言] 主人公のだらしない姿って絶対信長がうつけって蔑まれていた頃の二番煎じだよねぇ・・・(笑)
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