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決着

 大将という存在は大きく二種類に分けられる。自分の死によって下の者たちが激高し、さらに士気を高める存在と、心が折れ、士気が消滅してしまう存在とである。そして上杉謙信という存在は、疑いようもなく前者であった。


「ぬぉぉぉっ!」


 上杉謙信討たれるとの一報を聞いた柿崎景家は、そこから先の記憶を失った。一人でも多くの敵を殺すべく、身体が傷つくのを厭わずに突撃する。景家だけではない。上杉の兵士たち皆が、朝からの連戦とは思えないほどの凄まじい勢いで攻め始めたのだ。


「これ以上、本陣への突撃を許すな! 横陣に展開しつつ、片倉との間に狩り場を作る!」


 長門藤六広益は斜陣から横陣へと陣形を変化させ、さらには横で戦う片倉景親との間に意図的に隙間を設けた。激高し、ただ前へと突き進むだけの猪たちを刈るための、狩り場ができあがる。我を忘れて突き進む男たちが、その狩り場へと誘われ、そして鉄砲の斉射で斃れていく。その死体を踏み台に、後ろからまた男たちが続く。長門広益も南条広継も、上杉謙信という男の恐ろしさを改めて思い知った。


「殿を御守りしろ!」


 新田軍本陣に攻め入った謙信直属の者たちは、全身に鉄砲の弾を受けながらも突撃し、前のめりで斃れた。又二郎は目を瞑ることなく、その姿を見続ける。その右拳は硬く握られていた。


(馬鹿野郎が! 主の為の仇討ち、主と伴に果てるだと? そんなことを謙信が望んでいるか! 降伏しろ。生き延びろ! 自分のために死なれる身にもなってみろ!)


 だが、これもまた戦国乱世の姿なのである。天下を統一するためには、こういう男たちと戦い続けなければならない。又二郎は奥歯を噛みしめながら、死にゆく益荒男たちを見つめ続けた。





「御屋形様、どうやら……」


 言葉を少なくした山本勘助の問いかけに、武田信玄は頷いた。上州軍から見て左翼(新田軍の右翼)の空気が変わっている。何かが起きたのは間違いない。それはなにか。上杉謙信が本陣に攻め入って新田又二郎を討ち取ったか、あるいは逆に討ち取られたかのどちらかであろう。


「四半刻もせぬうちに判る。馬場と室住(※諸角とも)を前に出せ。魚鱗の先端を包囲して削り取る。それと飯富を下がらせろ。無茶な戦いをしておるであろう」


 ↑の陣形からY形へと変わる。△形の魚鱗の先端を包囲して相手の崩壊を狙う。信玄は急いでいた。新田又二郎を討ち取ったのなら良い。だがもし謙信が討たれたのであれば、しばらくは膠着するだろうが、中央が崩壊する。鋒矢の陣形は横からの攻めに弱い。中央が膠着することが前提なのだ。その前提が崩れれば、中央から横を突かれる。その動揺に対応できるのは、歴戦の名将という重みが必要であった。


「「おぉぉぉっ!」」


 Y形と△形がぶつかり合う最前線において、二人の老将が激突していた。武田家宿老の飯富虎昌と、奥州屈指の猛将、三田重明の一騎打ちである。しばらくは五分であった。互いに傷つき、数ヶ所に槍傷も受けている。だがやがて天秤は、飯富虎昌に傾き始めた。


「なぜだ? なぜ斃れん……」


 重明の繰り出した槍のうち二ヶ所は、普通であれば致命であるはずであった。虎昌の右胸と横腹には、それなりに深く槍が刺さっている。だが一向に、虎昌の力が衰えない。やがて自分が押され始めた。


「強いのぉ! だが覚悟は、儂のほうが上であったな。儂はこの戦で死んでも良い…… いや、死ぬために此処に来たのだ!」


 虎昌はカカカと嗤い、そして槍を叩きつけた。辛うじて防いだのに、意識が飛びそうになる。横薙ぎも受け止める。だが体勢が崩れた。そこに頭めがけて豪槍が振り下ろされる。崩れる中、重明は本能で槍を横に構えて受け止めたが、そのまま落馬した。


「儂の勝ち、だな!」


 血まみれの虎昌は、落馬して意識を失った重明を満足げに見下ろした。武田の赤備えたちが一斉に喝采を挙げる。老将はフゥと息を吐き、空を眺める。青い空であった。視界が揺れ、白くなっていく。


(御屋形様、お先に……)


 飯富虎昌、齢六三。満足感の中、晴天を見上げたまま馬上にて果てた。





「静まれぇっ! 柏山の男がそう簡単に死ぬはずがないわっ!」


 三田主計頭重明討ち死にと聞いた柏山明吉は、動揺する兵たちに思わずそう怒鳴った。やがて、傷だらけで落馬したが生きているという報せと共に、上杉謙信討ち死に、武田家宿将の飯富虎昌討ち死にという吉報が同時に届く。柏山明吉は、今こそ攻勢に出るべきと決断した。


「すべての将兵に伝えよ! 上杉謙信討ち死にとな! それと重明を下がらせろ。義広、満安と共に、俺が前に出る!」


 魚鱗の陣形の利点は、陣の交代がしやすいことである。柏山明吉は、三田重明の嫡男である三田義広、そして目長田三番勝負の先鋒を務めた矢島満安と共に、全面攻勢に出た。

 当然、武田信玄もその変化から情勢を見抜いた。上杉謙信が死んだとなれば、残された兵たちは激高して新田に突撃する。それは鉄砲にとっては良い餌食になる。左翼は、一時的には押すだろうが、やがて崩壊する。

 そして中央である。寄せ集めの上州軍は、長野業盛によってなんとか束ねられているが、謙信の死で動揺し、総崩れになるかもしれない。少なくとも左翼のような激発は望めない。士気が下がり、新田が押し始め、いずれ横を突かれる。

そしてそれを食い止められる将が討ち死にした。それほどに、飯富虎昌の死は武田家宿将たちにとって衝撃となる。それを見越して、柏山明吉は攻めに転じたのだ。


「御屋形様、そろそろ……」


 Y形となった陣形の後方にいた武田信玄と山本勘助は、数百の手勢を率いて声を出すことなく動き始めた。撤退ではない。T字形になった陣形の最後尾から回り込み、△形から□形へと変わった敵の陣も迂回し、その後ろを狙うのである。


(儂は砥石攻めにて学んだ。優勢の時こそ、足下を掬われるのだ。新田又二郎にそれを教えてやる。代金は貴様の命よ! 飯富よ、待っておれ。其方一人にはさせぬ。すぐに新田又二郎を送ってやる!)


 上杉謙信の死という展開まで、武田信玄は想定していた。飯富虎昌の死は計算外であったが、大勢に影響はない。すべては新田又二郎を討ち取るためである。それがたとえ、自分の命と引き換えになろうとも……





 狭野の合戦において、武田信玄の読みは殆ど的中していた。味方を知り、敵を調べ、地形を読み、脳内で幾度となく想定を繰り返してきた。新田又二郎とて、まさか二度までも本陣を狙われるとは思わないだあろう。上杉謙信を退け、安堵したところを突く。これが武田信玄の最後の一手であった。

 だが一つだけ、信玄の想定にはなかったものがあった。これまで目立った活躍もなく、ただ新田又二郎の近習として存在していた男が、まさか侍大将として自分の前に立ちはだかるとは思わなかったのだ。


「放てぇっ!」


 新田本陣が見えてきた頃、横方向から鉄砲の斉射を受け、信玄率いる奇襲部隊は止まった。対い鶴紋を掲げる三〇〇の鉄砲隊が待ち構えていたのである。又二郎の近習を離れ、侍大将として取り立てられた若き将、石川田五九郎信直であった。


「鉄砲隊は斉射を続けよ。槍隊は本陣左翼を守るように展開!」


 又二郎の側に仕え、幾度も戦を見てきたのである。天才的な閃きはなくても、腰を落ち着けて粘り強く守ることはできる。


 武田の男たちが次々と討たれていく。やがて鉄砲の弾は信玄の近辺にまで届いた。


「御屋形様!」


「儂に構うな! 駆けるぞ!」


 武田信玄と山本勘助は、少なくなった兵たちを率いてそのまま突撃した。槍隊を巻き込めば、鉄砲は撃てないだろう。その読み通り、斉射は終わり槍隊との激突となる。此処を抜ければ、此処さえ抜けてしまえば本陣に届く。こんな備えをしている以上、本陣も油断はしていない。新田又二郎を討つのは無理だろう。だがそれでも、謙信が見たであろう光景を自分も見たかった。天下の姿を見たかった。


「抜けますぞ!」


 田五九郎信直の部隊はそれほど多くはなかった。槍隊を中央突破した信玄と勘助は、一〇〇名程度の兵を率いてそのまま駆ける。信玄は軍配を捨て、太刀を抜いた。本陣が見える。弓隊が待ち構えていた。しめた。これならば突っ込める、信玄は口端を歪めた。


「おおおぉぉっ!」


 山のように不動な重厚感を持つ男が、雄々しく叫ぶ。男たちがそれに続く。矢が降り注いでくるが、気にもとめない。この程度では止まらない。あと四〇歩で届く。

 弓隊の間から、鉄砲隊が出てきた。必殺の射程である。冷静じゃないかと信玄は嗤った。後方の石川隊を巻き込まないために、引き付けたのだ。だがこれを越えれば本陣に届く。あと三〇歩……


ダダーンッ!


 腕に一発受け、馬から落ちる。だが死んでいない。隣を駆けていた老軍師が、自分を庇うように前に出て、全身に浴びたのだ。


「勘助ッ!」


「お、お先に……」


 笑みを浮かべたまま山本勘助が斃れた。信玄は立ち上がり、太刀を構えた。後ろの気配がない。恐らく兵たちも討ち取られた。自分が最後の一人である。

 そのとき、一人の男が出てきた。若い男であった。鉄砲を構え、自分を狙っている。周りが慌てている。間違いない。あれが新田又二郎政盛だ。

 信玄は納得した。目が違う。父親のような獰猛さ、謙信のような涼やかさ、氏康のような慈愛や義元のような狡猾さとも違う。なるほど、あれが「怪物」か。

 そして思う。自分は今、どんな眼をしているだろうか。


「武田徳栄軒信玄、参る! 御旗楯無も御照覧あれ!」


 太刀を構えた信玄が真っ直ぐに駆ける。又二郎は目を細め、そして引き金を引いた。





 中央軍が退いていく。それを新田軍が追いかける。掃討戦は日が沈むまで続くであろう。櫓の上から残った戦場を見ながら、田村月斎は白い髭を撫でながら、感に堪えないという思いであった。


「見事なものじゃ。上杉も武田も、誰一人として背を向けて斃れておらぬ。真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに獲りに来たのじゃ。これこそ正に、益荒男よ。武士(もののふ)の姿よ……」


 そして両手を合わせて瞑目した。閉じられた両目から、熱い滴が落ちた。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] 命を助けたいなら最初から兵糧の攻めにしとけば敵味方の被害はなかった 裏切ってるしここで武士として終わらせてよかったかな
[一言] 甲斐のビチグソも逝ったか。 越後のと合わせて肥溜めで混ぜ混ぜしなきゃ…
[気になる点] 後始末が、たのしみです。 [一言] 直信くんの独白?も、あるとたのしみ。
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