狭野の決戦(前編)
『上野 久路保嶺ろの 葛葉がた かなしけ児らにいや離り来も』
万葉集巻一四には東歌として、上州の名峰赤城山が「久路保嶺」と謡われている。上記の歌は現在でも、赤城神社の境内で万葉歌碑として見ることができる。上記の歌は「上野国の赤城山の葛の蔓が長く伸びるような、長い道のりを歩いてきて、愛する娘からますます遠く離れてきてしまった」という意味である。詠み人知らずではあるが、都から東国へと流れた防人の歌と考えられている。
古来、上州は四季の気温差がはっきりとしており、夏は暑く、冬は寒い土地であった。そのため上質な小麦の産地として知られていた。冬になれば氷点下が当たり前である一方、小氷河期であった戦国時代においても、水無月(旧暦六月)から長月(旧暦八月)にかけて、上野国では現在の気温で三〇度近い日もあったと考えられている。
(暑い……)
又二郎は兜から滴る汗を拭った。宇曽利の気候に慣れている自分にとって、数百キロ南下した関東は温暖に感じられた。冬は良いかもしれないが、夏はかなり暑く感じる。かといって、鎧を脱ぐわけにはいかない。これから未来を賭けた死闘が始まるのだ。
「各将に、給水を忘れぬよう伝達せよ。この暑さは我らに不利だ」
新田軍の多くが奥州人によって構成されている。現在でも、北海道出身者は関東の夏は暑いと感じる。エアコンの無い戦国時代では、それはさらに顕著であった。
当然、武田信玄も上杉謙信も、この「弱点」を看破していた。将の質では勝っても、兵の質では自分たちが劣る。ならば相手の兵の弱点を利用して戦うしかない。
「正午まで、新田は攻勢に出てくるであろう。まずは凌ぐ。暑くなった時に一気に反転攻勢に出るのだ」
永禄九年(一五六六年)水無月(旧暦六月)三〇日辰の刻(午前八時~九時)、上州狭野の平原において、新田軍二万八〇〇〇と、武田・上杉・上州連合軍(以下、連合軍)三万の死闘が始まった。新田軍は三毳山を南に置きながら、狭野の北東部に陣を構えた。一方、連合軍は狭野の中央部で新田軍を迎撃する形で陣を敷いている。
「はじめに中央の上州勢一万二〇〇〇が新田に当たる。当然、新田は鉄砲をもって左右を分断し、上州勢のみを孤立させようとするだろう」
鉄砲の音が響く。ガシャガシャと音を立てながら、武田信玄がいる陣幕に斥候が駆け込んできた。
「申し上げます。上州勢に敵方が鉄砲を射かけております。敵中央は南条広継、武田守信らの旗印が見えまする」
「予想通りか。儂の調べた限り、南条は新田軍の中でもっとも鉄砲を熟知した将だ。新田の狙いは、我らを各個撃破すること。そのためには中央を突出させ、左右からの助攻を止める必要がある」
武田方より旗が振られる。武田勢、上杉勢が動く。だがそこに鉄砲が射かけられ、中央を進む上州勢の助攻が思うようにいかない。少なくとも、新田軍からはそう見えた。
だがここで、武田信玄に誤算が生まれる。新田軍が使う鉄砲の射程と連射性能を見誤っていたのだ。間断なく響く鉄砲の音に、信玄の眉間が険しくなった。
「新田が特殊な鉄砲を使っているということは聞いていた。だがここまで連射できるものなのか?」
すでに一〇回以上の連射が行われていた。だがやがて音が止まる。新田軍と上州勢が激突したのだ。時折、鉄砲の音が響くが、その数からいっても、武田と上杉を近づけないための威嚇射撃だろう。
「思いの外に手ごわい。さすがは新田といったところか……」
上州勢は新田と激突する前に、二割近くを削られたと報せが入る。これで実質的には、中央は劣勢になるだろう。攻め込む前に目の前でバタバタと人が倒れれば、兵たちの心は萎えてしまう。自分たちが住む上州を守るのだという意気込みだけで、新田の陣まで辿り着いたのである。
「まずは混戦状態を作りだす。ぶつかった後はむしろ守りに入り、時を稼ぐ。予想より削られておろうが、そこは長野弾正(業盛のこと)の手並みに期待よな」
狭野の決戦は、当初は中央軍同士の激突から始まった。戦国時代屈指の名将たちが揃う中、決戦の流れを読んでいたのはごく一握りであった。
「時を稼いでおるのぉ……」
新田軍本陣に即席で建てられた櫓から、田村月斎は戦況を眺めていた。即席の櫓といっても、前世で建築会社の社長だった又二郎が監修したものである。きちんとした階段が設えてあるし、数人の兵士が入れるだけの部屋も用意されている。月斎は櫓から太陽の位置を確認した。
「来るとしたら、午後からか…… この戦、儂と信玄との知恵比べよ」
戦とは結局、どちらがより深く流れを読み、主導権を握るかである。今回の合戦では、又二郎は田村月斎に指揮を任せていた。相手は戦国きっての名将、武田信玄である。それに勝てると考えるほど、又二郎は自分自身を評価していなかった。
「清顕に伝えよ。長野業盛とぶつかれとな」
数本の旗が振られる。それを見た田村清顕は、自軍二五〇〇を進めた。鉄砲隊の合間を通り、檜扇の旗印に激突する。戦巧者として北関東で知られた若き武将同士が、激しい戦いを始めた。
「硬い。長野弾正殿か。噂では聞いていたが、実際にぶつかってみると確かに強いな」
「巧いな。スルスルと静かに進み出てきて、ぶつかった途端にこの激しさか」
両者がそれぞれに相手を称賛する。局地で見れば田村清顕が長野業盛を攻め立てる形となったが、全体的には混戦状態である。これでは鉄砲は使えない。南条広継は中央を田村に任せ、鉄砲隊を左右に分けて少し後退させた。左右から上杉謙信、武田信玄が攻めてくるはずである。中央と連携させるわけにはいかない。鉄砲を使ってそれぞれに孤立状態にすることが南条広継の目的であった。
だが思った以上に、武田と上杉が動かない。結果として中央に位置する上州勢と田村勢のみが局地的な戦いをしており、新田が攻め立てる格好となっていた。上杉勢を迎え撃つはずの長門広益、武田勢を迎え撃つはずの柏山明吉は、今か今かと指示を待ちわびていた。
「申し上げます! 長門殿より、滝本重行を中央側面にぶつけたいとの要請が来ております!」
「ならぬ。月斎の指示がない以上、決して動くな。この戦、我慢比べよ」
本陣に座る又二郎には、左右両翼から動きたいとの要請が届いていた。だが又二郎はそれを認めなかった。月斎に任せた以上、自分が指揮系統を飛び越えて許可を出すわけにはいかない。
それに、動きたいと考えているのは敵も同じはずである。新田と比べて、土地というものに執着する国人の集合体なのだ。合戦で手柄を立てたいと考えるのは、もはや本能に近いはずである。
「両翼が動くとすれば、正午過ぎであろう。そこからが本番だ」
又二郎は腕組みをしたまま動かない。だが二の腕には指が食い込んでいた。
「親父ぃっ! なぜ動かねぇんだ!」
滝本重行は自ら馬を駆けさせて、右翼(※新田軍から見て)の将である長門藤六広益に猪突を要請した。上杉方は微妙な動き方を見せている。仕掛けてくるかと見せかけて退くのを繰り返していた。明らかにこちらの動きを誘っている。敵にやる気がないのなら、激突している中央に参戦すればいい。重行はそう考えていた。
「ならぬ。いま動けば、南条軍の射線を邪魔することになる。上杉がその隙を見逃すはずがない。一気に前に出てくるだろう」
「それなら前に出させればいい! 俺が動けば上杉が動く。そうなりゃこっちでも戦が始まる。いつまでも待ってらんねぇよ!」
「それは動いたのではなく、動かされたのだ。上杉を食い止めるには、お前の力が必要だ。今は耐えろ。力を蓄えろ。それを放つ時が必ず来る!」
重行は歯ぎしりして馬を翻した。普段はへそ曲がりで反骨心旺盛な重行であったが、軍令には逆らわない。新田軍において軍令は絶対である。たとえ結果的に勝っても、軍令に逆らえば首を刎ねられる。各将それぞれが「雇用」されているからこそできる徹底ぶりであった。それが辛うじて、重行ら若き将たちの暴発を防いでいた。
陽が高くなり、気温が上がっていく。本当の死闘が少しずつ、近づいていた。