寛恕
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「申し上げます! 常陸を伺っていた小田軍が兵を退いたとのことでございます!」
その報せを聞いた又二郎は、バシンッと扇子を叩きつけた。現在、最上義光が一万の軍で岩城を攻めている。岩城だけなら十分だが、佐竹が動く可能性があった。そのため臣従、従属を誓った相馬と小田が牽制に動いていた。新田が命じたわけではない。彼らが自発的に動いていたのだ。新田の歓心を買い、関東の決着が着いたときに、より多くの利を得ようとしてのことであった。
「小田氏治は、坂東武者としての気位だけは高い男だ。武蔵での話を聞いて、新田に与できぬと考えたのだろう。信玄坊主にしてやられたわ!」
吐き捨てるようにそう呟き、自分の頬をパシンと叩いた。こうした姿はあまり見せないほうが良い。トップに立つ自分が不機嫌になれば、周囲は委縮してしまう。機嫌が悪いときこそ、それを表に出してはならない。それが当主というものなのだ。
「申し訳ございませぬ。まさか反新田であり、味方であるはずの北武蔵を襲うとは……」
南条越中守広継は、秀麗な顔を顰めて呟いた。軍師である以上、あらゆる可能性を考えなければならない。だが武田信玄は覚悟という点で、南条広継の想像を超えていた。これは戦なのだ。相手も必死なのである。如何なる悪名をも恐れず、とにかく勝つ。信義だの名誉などは勝ってから考えればよいのだ。
「いや、越中たちが悪いわけではない。相手は武田信玄だ。どんな卑怯な手を使っても、勝つことを最優先にする。他家の旗印を偽造、悪評を広げることくらいはするだろう。俺が甘かった」
自分の中に油断があった。南部晴政という巨人を相手に知恵を絞っていた宇曽利の頃を忘れ、気づかぬうちに、新田は「甘い戦」をしていたのではないか。これは余裕ではない。油断であり隙である。そこを武田信玄は突いてきた。
「信玄は恐らく、月斎殿と同じことを考えたのでしょう。上州全体が兵糧攻めにされたら、武田や上杉は進退窮まります。そこで、此方が短期決戦をせざるを得ないよう、一手を打ち込んできたのです。これ以上、北武蔵に新田の悪評が広まれば、北条まで敵に回りかねません。相手の望み通り、上州に出陣するしかありませぬ」
普段は余裕を浮かべている八柏道為でさえ、深刻な表情となっていた。長門広益をはじめとする武将たちは、信玄を卑怯と思いつつも、その知謀と覚悟に戦慄していた。これまで戦ってきた奥州の大名、国人とは明らかに違う。これが戦国乱世に鍛え抜かれた大大名というものか。
「相手は並ではない。奥州の覇者などという驕りは即捨てよ。乾坤一擲の大勝負よ。負ければ、我らが目指してきた新たな日ノ本は消えると覚悟せよ!」
厳しい表情で重臣たちに告げた後、又二郎は口端を上げた。白い歯が剥き出しになり、髪の毛が逆立つ。
「クックックッ…… このヒリつくような感覚は、外ヶ浜の決戦以来だ。愉しくなってきたじゃないか。上州ごと、武田、上杉を喰らってくれるわ!」
常に優位に立って戦ってきた新田が、久々に出会った五分の相手である。覚悟は必要だ。だが恐れる必要はない。大いに愉しもうではないか。野獣のような顔となった主君の姿に、家臣皆が頼もしさを覚えた。
現在、上州(上野国)には大きく三つの勢力がある。一つは長野業盛を中心とする上州の国人衆である。上州は山内上杉家が守護、関東管領として統治していたが、鎌倉時代以前は親王任国(※親王が遥任された、朝廷直轄領)であり、国人衆の力が強い。それぞれの家に歴史があり、纏まるのは容易ではないが、新田という外敵を退けるという一点で、彼らは纏まっていた。
二つ目は、関東管領上杉謙信が率いる上杉軍である。山内上杉家に従っていた彼らをまとめるには、旧主の地位を引き継いだ上杉謙信しかいない。
「兄上。誠に、上杉に任せて宜しいのでしょうか?」
実弟の武田信繁が不安げに尋ねる。上州において、武田軍の存在は異質であった。今は目的を一にしているとはいえ、かつては西上州を幾度も伺い、箕輪城を攻めた「敵国」だからである。
「構わぬ。およそ戦場においては、謙信は天賦の才を持っておる。武将としての才覚は儂以上であろう。惜しむらくは、それを十全に活かせる軍師に恵まれなかったことよ」
上杉家の謀臣である直江景綱は、本質的には内政官であり、どちらかといえば内政や外政を得手としていた。戦場において謀を巡らせるような、生粋の謀臣ではない。上杉家は、上杉謙信という半神的な武将の存在が絶対であった。だがその強さは戦場に限定される。上杉家という家をどのように導くのか。この戦国乱世の中でどのような存在になるのか。それを描ける軍師が上杉家にいたら、歴史は大きく変わっていただろう。
「武田は遊軍として動く。一万の軍が別動体となれば、新田も其方を意識せざるを得ぬ。そこに必ず隙ができる。我らは動いて隙を作り、そこに上杉が斬り込む。宇曽利の小童の首は、謙信にくれてやるわ」
信繁は頷いた。その先については聞かない。聞かなくとも解るからだ。当主を失った新田家はバラバラになり、混乱するだろう。そしてそれは上州や関東、東日本全体に広がる。その中で武田が動く余地が生まれる。恐らく真っ先に、上州箕輪城を攻める。武将としてはともかく大名の器量としては、兄は謙信を遥かに超える。宇曽利の怪物すらも凌ぐ。信繁はそう確信していた。
「当家としては苦渋の決断ではございまするが、陸奥守様に於かれましては、何卒、ご寛恕のほどを」
又二郎は未だに、宇都宮城から出陣できないでいた。その理由は北条の動きにある。北武蔵の国人衆が新田憎しでまとまり、宇都宮城を伺う素振りを見せているからだ。成田家をはじめとして、北条二従属している国人たちも多い。本来ならば北条がそれを抑えるはずなのだが、動く様子がない。その言い訳のために、初老の男がやってきた。北条早雲の次男である北条長綱、現在は宗哲と名乗っている。(幻庵宗哲を名乗るのは一五六九年)
「要するに、新田とは戦いたくないが、反新田となった武蔵の国人たちを棄てることもできない。心ならずも新田と戦うことになったが、武田や上杉と連携するわけではない。小競り合い程度で収めるから許してくれ…… そういうことか?」
若き当主は、無表情のままであった。声からも特に感情は読み取れない。だが北条宗哲は、その老いた背中に汗が流れるのを感じた。齢六三、これまでに様々な人物を見てきた。父親である伊勢新九郎入道宗瑞はあまり記憶にないが、伊勢から北条姓を名乗るようになった、長兄の北条氏綱は正に傑物だった。五五で死去したが、もしあと一〇年生きていたら、関東は北条で統一されていただろう。
その嫡男である甥の氏康も、一代の内政家であり傑物と呼べる器量だが、残念ながら身中の獣までは、受け継いでいなかった。当主として、家臣や国人、あるいは息子たちに厳しい顔を見せているが、その本質は家庭人に近い。兄のように、身を焦がすほど野望など持っていない。
(なんたる眼光か。そして二〇過ぎにしてこの圧…… 宇曽利の怪物とはよく言ったものよ。天下を狙う者とは、こういう者なのであろうな)
「関東が荒れるのは忍びなく、苦渋の決断でございます。落ち着き次第、北条は御当家に従属を誓約致します。また、末子である竹王丸(※史実での上杉景虎)を人質としてお渡し致しまする。虫の良い話とお怒りになられるは、重々承知をしておりまするが、どうか曲げて、御受けくださりませ」
二〇〇万石を越える関東最大の大名家の重鎮が、平身低頭して懇願する。長門藤六広益をはじめとする武人たちはそれで溜飲を下げているが、南条広継以下謀臣たちは違った。頭など幾ら下げても減るものではないのだ。だが使者の前で言うわけにはいかない。対北条家への今後の姿勢にも関わるからだ。
「重臣たちの意見も聞かねばならぬ。田子九郎、丁重に御持て成しせよ」
石川田子九郎信直の案内で北条宗哲が下がると、南条広継は早速、反対意見を述べた。
「殿。ここは一段、厳しい姿勢をお見せになるべきでしょう。此度のことで、北条も一枚岩ではないことが明らかになりました。ここで甘く出れば、左京太夫殿(※北条氏康)はともかく、武蔵の国人衆は調子に乗りましょう」
「越中殿の意見に賛成です。せめて、御当家への敵意を顕わにしている成田をはじめとする北武蔵までは、当家の手で滅ぼすべきでしょう。その上で、従属の証しとして河越城を差し出させ、さらには佐竹、そして中立となった小田に兵を出させるのです。この際、北条家中の反新田勢を根絶やしにすべきでしょう」
八柏道為も厳しい意見を述べた。北条に関東を任せるにしても、その家中に反新田の国人がいるようでは、後顧に憂いが残るというのである。
一方、外政を担当する浪岡弾正少弼具運は、寛容な姿勢を見せるべしと意見した。
「既に敵対している成田をはじめとした北武蔵は仕方がないとしても、それ以上に北条を追い詰めるべきではありませぬ。また小田も、佐竹との国境から兵を退いただけであり、当家と敵対しているわけではありませぬ。この先、武田や上杉への仕置きを考えるならば、ここは北条に対しては寛容な姿勢を見せる必要がありまする」
「弾正少弼殿。従う者には温かく、敵する者には容赦なく。それが当家の方針ではありませんか?」
「時と場合によります。いま北条に過酷な姿勢を見せれば、甲斐、信濃、越後、越中、さらには小田までもが、一斉に敵に回りましょう。武田からは一万、上杉からも五〇〇〇は兵が出てくるでしょう。そうなれば、北条すらどう動くか知れませぬ」
武田家、上杉家は共に、今回の戦は隠居した者が勝手にやったこととしている。明らかな嘘ではあるが、そうした姿勢を取っているのは、表立って新田とは戦いたくないと考えているからだ。北条すら許されないのなら、自分たちなど家ごと滅ぼされる。ならば潔く戦をしよう。そう考えても不思議ではない。
「さて、どうされますかな?」
田村月斎は目を笑わせながら、まるで試すかのように主君に決断を促した。その姿に、他の重臣たちは内心で舌を巻いた。感情的になって家臣を手打ちにするような、短慮な主君ではないが、内に激情を秘めた日ノ本最大の大大名なのである。畏れを抱かせるような主君に対してそうした姿勢を取れるのは、齢七〇を過ぎたこの老臣だけだろう。
「月斎爺、俺を試すか?」
又二郎は苦笑した。そして亡き祖父の遺言を思い出した。旧き武士たちに対して、ただ切り捨てるのではなく、己が変わる機会を与えてやるべきなのかもしれない。
「氏康、氏政に機会を与えてやるか。我らはこれから、唐沢山および上州を攻める。成田をはじめとする北武蔵の国人たちが動かぬよう、北条に抑えさせよう。もし無理ならば、北武蔵までも一気に切り取る。戦の支度に取り掛かれ!」
「御意!」
長門藤六広益をはじめとする武将たちが、一斉に立ち上がった。
「殿。小田はどうされますか?」
「源五郎(※最上義光)の岩城攻めに呼応して、佐竹を牽制せよと使者を出せ。牽制せぬなら、それは新田への敵対と見做すとな。天羽源鉄ならば、北武蔵を荒したのは上杉だと見抜いているだろう」
「では、早急に動きまする」
又二郎の決断で、家臣たちが一斉に動き始める。評定の間に残った田村月斎に対して、又二郎はフゥと息を吐いて尋ねた。
「月斎爺、甘いと思うか?」
「いいや、立派な御決断と感服致しましたぞい。時として、情を捨てねばならぬこともある。じゃが、非情な者が天下人になれば、その後は過酷な世となるじゃろう。そんな世は長続きせぬ。今日の決断が、いずれ大きな意味を持ってくる。儂はそう思いますぞ」
「フンッ…… 宗哲への話は、爺に任せる。爺同士、話が合うだろう」
「フォッ! それでは、長生きの秘訣について、語り合うとするかの」
永禄九年皐月(旧暦五月)、又二郎を総大将とする新田軍三万八〇〇〇が、上州へと出陣した。そのうち八〇〇〇は、北武蔵への備えとして途中で留まる予定である。
それに呼応する形で、上州にいる上杉・武田の連合も動き始める。日ノ本屈指の大大名同士の決戦が、始まろうとしていた。