戦人の夢
そこかしこで悲鳴が上がる。荒ぶる男たちが家々を襲い、僅かな蓄えを根こそぎ奪っていく。
「女子供とて容赦するな! 徹底的に奪い尽くせ! 三無とは、生かさず、逃がさず、残さずだぞ!」
黒地の布に金糸で「三無」の二文字がはためく。背中を槍で指された男は死の間際に、その旗の恨めしそうに睨んだ。
(なんでだ…… 新田様は、民に優しいと聞いていたのに……)
火が放たれた。生まれたばかりの赤子まで残さず焼き殺された。北武蔵から一つの集落が姿を消した。
「おのれ、新田め! なにが飢えず、震えず、怯えずだ! 野盗山賊より非道卑劣ではないか!」
成田家をはじめとする武蔵中北部の国人衆は挙って憤り、反新田の色を鮮明にした。この影響はすぐに北条家にまで及んだ。北条方の領地まで襲われたからである。
「殿ッ! これは一体、どういうことでござるか! 新田は、我らの味方ではなかったのですか!」
憤った武蔵のある国人は、顔を赤黒くして北条新九郎氏政がいる川越城にまで詰めかけてきた。反新田の者たちが襲われたのならば、まだ理解はできる。だが北条方である自分たちまで、略奪にあったのだ。刈田などという生易しいものではない。根こそぎ殺し尽くすような襲われ方であった。新田に対する怨嗟が広がるのも当然であった。
「待て。真に新田の仕業なのか? 三無の旗だけでは判断できまい」
「何を仰せられる! あの旗印は間違いなく新田のもの! 新田は関東への野心を剥き出しにしたのです! 斯くなる上は武田、上杉に呼応して新田を南から攻めましょうぞ! 御当家が動けば、小田も動くはず。新田を一気に奥州まで押し返しましょう!」
この時代の武士は、現代人と比べて極めて感情的である。味方だと思っていた者から突然襲われたのである。元々、北条家の中にも「坂東武者」という気概を持つ者が多いのだ。奥州から来た田舎者に襲われたとなれば感情が先立ち、疑うという冷静さを失うのも仕方のない事であった。
「落ち着け。まずは調べるのだ。決して、軽挙するではないぞ」
氏政はそう宥め、すぐに江戸城に向かった。新田であるはずがないと、氏政は確信していた。新田又二郎の気性性格以前に、北武蔵で略奪したところで得るモノは少なく、失うモノが大きすぎるからだ。だが証拠がない。諜報を専門とする風魔衆を引き継いでいなかったことを後悔した。
「新田であろうはずがあるまい。風魔からも報せを受けている。襲った者たちは上州へと退いたそうだ」
江戸城の一室で、氏康は新田から届いた牛蒡茶を飲みながら、呆れた表情を浮かべていた。北武蔵の国人衆に対してである。ほんの少しでも考えれば、童でも解るはずなのに、なぜ勘定で動くのか。
「関東の国人は、もともと独立志向が強い。鎌倉以前から続く家柄という誇りを持ち、たとえ小領といえども、一所を守る武士だという気概がある。奥州からやってきた者たちに好き勝手をされれば、怒り狂うのも当然か。関東人の感情を突いた策だ。これで、新田が関東に入るのは絶望的になった。民が付いてこないからな」
「一体、誰が…… まさか、武田が?」
「義信殿の策ではない。こんな策を考えるのは、信玄以外にはおるまい。だが実行した者は別よ。この勝手知るかのような鮮やかな動き。上杉の仕業に違いない」
「おのれ…… 北条を巻き込む気か」
なまじ中立的な姿勢を見せていたのが拙かったのか。こんなことになるならば、新田への旗色を鮮明にし、積極的に軍を北に向けておけばよかった。
「さて、新九郎よ。どう動く?」
難しい問題である。風魔の報告から考えれば、武田や上杉の仕業であることは明白であった。だがそれを知らない者たちには、新田が関東への野心を剥き出しにしたように見えるだろう。反新田の国人衆を切り捨てれば、譜代の家臣たちにも動揺が走る。
かといって、武田、上杉に呼応すれば新田とは決定的に断絶する。何より、先々に展望が無い。仮に新田の関東進出を食い止めたとする。その先にあるのは関東の更なる混乱であろう。武蔵から下総にかけて荒れに荒れ、そこに上州の国人たちも加わり、収拾のつかない状態になる。
当主としての決断が求められる状況であった。だからこそ、氏康はあえて自分の考えを言わず、現当主の息子に意思を確認したのである。一回り成長することを期待してのことであった。
「家臣のことを考えれば、新田に対して何らかの行動を取るべきでしょう。まずは詰問の使者を送ります。ただし、事情を良く理解している者…… 大叔父上しか務まりますまい」
「うむ。駿河守であれば、すでに状況を察しておろう。新田への使者として不足はあるまい。それで?」
「今一度、武蔵の国人衆を集めまする。そして、誰であろうと領地を荒そうとする者は容赦せぬ。それがたとえ新田であろうとも変わらぬという姿勢を見せ、一旦は落ち着かせるのです」
「必要ならば、小競り合い程度の戦もする必要があるやもしれぬな」
荒れた関東を再生するには、戦などにかまけている暇はないのだ。新田に味方をするわけではない。だから放っておいてくれ。武田も上杉も佐竹も、北条とは関係のないところで戦をしろ。それが本音であった。だが状況が、中立という立場を許さなかった。北条は強引に、戦に引きずり込まれたのであった。
上州に引き上げる一万の軍勢の中に、白い頭巾の男がいた。チラリと「三無」の旗印を見る。かつては「毘」という文字を掲げていたが、今回の戦ではその旗印は持ってきていない。
「それにしても信玄坊主め。汚い謀を考えさせたら、天下一やもしれぬな」
家臣の一人が、吐き捨てるようにそう言う。その謀に乗って、実際に動いている自分たちも同じだろうとは、誰も言わなかった。これまでも幾度か、関東に進出して略奪を行ってきた。酷い事だと思う。残忍非道だとも思う。だが今回の様に、他家に偽装したことなど一度としてない。どれほど憎悪を買おうとも、長尾、上杉の名でそれを行ってきたのだ。
この戦の前に、武田信玄はこう言った。
(すべては勝ためよ。この戦に勝つためには、北条を巻き込まねばならぬ。左京太夫らは謀に気付くであろうが、武蔵を維持するためには、新田に対して具体的な動きをせざるを得ぬ)
武田武士と上杉武士の気質の違いであろうか。上杉の武士たちは、どこかに「戦人の夢」を持っている。新田と小野寺で行われた三本勝負を聞いた家臣たちは、興奮して目を輝かせたものだ。
だが武田は違う。勝利という明確な目的のためならば、手段は選ばない。むしろ、謀略や裏切りを善しとする考え方をしている。卑怯者と罵ることは簡単だが、結果として武田は日ノ本有数の大大名となったのだ。戦に臨む覚悟という点では、上杉以上かもしれない。
「戦人の夢、か……」
上杉謙信は、当初はこの戦に加わるつもりは無かった。会津において新田との決戦に敗れ、上杉は新田に従属した。隠居を決めた自分は、僧門に入ってこの乱世の末を見届けるつもりでいた。だが、そう思っていた矢先に入ってきたのが「二条御所の変(永禄の変)」の報せであった。十数年に渡ってやり取りをしてきた大樹、足利義輝公が殺害された。
足利幕府の弱点は、軍事力が弱いことであった。だから自分が上洛し、三好らを蹴散らし、畿内を幕府直轄領とする。一〇万の兵力を持てば、幕府を軽んじる者などいなくなる。その上で、統治の仕組みなどを見直していけばよい。
そう語り合った日から一〇年、将軍の殺害という事件が起き、謙信は世を儚んだ。世捨て人として放浪しようかと本気で考えたほどであった。だが踏み出せなかった。何かが、まだ何かが自分の中にあったからである。
(確かに、会津では負け戦であったのだろう。だが貴殿が、上杉が敗れたわけではあるまい。まだ負けたわけではないと、従属に納得していない者たちも多いのではないか? 他ならぬ貴殿自身が、そう思っておるのだから……)
北信濃を懸けて争ったかつての敵からそう問われたとき、謙信は否定することができなかった。上杉家を残すためには、従属あるいは臣従もやむを得ないのだろう。だが齢三七の自分の中には、未だに燻るものがあった。もう一度、もう一度だけ正面からの戦を…… 自分の中から、そう叫ぶ声が聞こえてきた。
(舞台は、儂が整える。宇曾利の怪物を相手に、上州の原野で思う存分に駆けられよ)
武田信玄が戦略を巡らせて場を整え、上杉謙信が決戦の場で戦術を駆使する。勝てる、勝てないではない。持てる知恵と力をすべて振り絞り、燃え尽きたいのだ。この一点が、二人の中で共通していた。だから越後からは、自分と共に燃え尽きたいという者だけを連れてきた。
「新田も、動かざるを得まいな……」
このままでは、関東に新田の悪評が広まってしまう。自分たちの仕業ではないことを証明するには、上州に出て決戦をするしかない。場が整われつつあった。生涯最期の戦が近いことを上杉謙信は感じていた。