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最期の諫言

 永禄九年卯月(旧暦四月)中旬になっても、新田軍が動かない。正確には岩城への攻撃は始めているが、その動きが遅い。これまでは電光石火の速さで進撃し、瞬く間に城を攻め落としていたのに、まるで何かを待っているかのような遅さであった。


「新田の動きが妙です。父上、これもまた、新田の謀でしょうか?」


 江戸城に戻った北条新九郎氏政は、父親である北条左京太夫氏康の私室にて、安房攻めの報告と共に新田軍の動きについて、父親の見解を尋ねた。現在の関東は、親新田である北条と小田。反新田である上州と佐竹。そして様子見をしている北武蔵の国人衆(※成田家はまだ動いていない)に分かれている。


「其方は当主だ。まずは其方の考えを述べてみよ」


 尋ねられた氏康は、逆に氏政に見解を求めた。氏政も、それを予想していたのかすぐに回答した。


「現在の関東の状況は、新田によって作られたものです。恐らく新田は、様子見をしている関東の国人衆に、旗色を決めさせるつもりでしょう。上州には武田と上杉が味方しました。これで持ち堪えれば、関東の動きは一気に反新田に向かいます。旗色が決まったところで反転攻勢をかける。それが新田の策ではないかと。私が江戸城に戻ったのも、軽挙しかねない武蔵と下総を引き締めるためです」


「うむ、悪くはない。だが、その読みではまだ半分だな」


 父親の言葉に、氏政は首を傾げた。残り半分はなんだろうか?


「其方が知らぬのも、無理はない。風魔衆をまだ、引き継いでおらぬからな。関東が落ち着き次第、正式に其方に任せるつもりだ」


 そして氏康にしては珍しく、口端を上げた。


「いま、新田政盛は宇都宮にはおらぬ。宇曽利に戻っている」


「なっ…… それは真でございますか!」


 現在、関東の情勢は一触即発である。既に武田信玄、上杉謙信は上州箕輪城に入り、唐沢山城の支援に動き始めている。北武蔵でも各国人衆が戦支度を整え、いつでも出陣可能な状況だ。上州と北武蔵、併せて四万の軍が一気に動けば、宇都宮城を攻めることも可能である。その状況で、当主が不在など有り得るのか。


「宇曽利の怪物もまた、人の子ということよ」


 氏康は無表情のまま、呟いた。





 祖父である新田盛政が危篤の状態となった。それを聞いた又二郎は、少数の供回りを連れて宇曽利へと駆けた。上州の動きが気になるため、まずは岩城攻めだけ始めておく。それ以外は、宇都宮城から日光街道を下り、かつて「承平天慶の乱」があった下野国の原野(※現在の栃木市)まで進出し、そこに砦を築かせた。


「俺が戻るまで、決して上州に仕掛けてはならんぞ。また武田や上杉から使者が来た場合は、直ちに幽閉せよ。多少粗略に扱っても構わん」


 そう残して、替え馬をしながら一気に北を目指す。宇都宮から宇曽利まで、直線距離でも一四〇里(※五六〇キロ)ある。それを不眠不休で駆ける。太腿がすれ、皮膚から血が流れたが、それを気にしている余裕などない。

又二郎は途中で馬を替えながら、六日で駆け抜けた。北信愛が主要街道の整備に力を入れていなかったら、その倍は掛かったかもしれない。


「又二郎殿、良くぞ来てくれました」


「母上、御爺は?」


 田名部館に入った又二郎は、休む間もなく祖父がいる部屋へと入った。そして息を呑んだ。矍鑠たるものだった祖父の身体は痩せ細り、顔は土色となっている。


「御爺……」


 枕元に座ると、盛政が目を開けた。盛政は齢六〇半ばである。現代であれば、まだまだ中年と呼ばれる年齢だ。だが戦国時代では、平均寿命を越えている。食事に気をつけ、漢方薬で体調を整えていても限界があった。


「又二郎よ。儂はもう長くない。だから逝く前に、お前に伝えておきたいことがある」


 すると驚いたことに、盛政は起き上がった。慌てて、寝るように伝えたが首を振る。母親の春乃方に支えられて、盛政は又二郎に顔を向けた。


「又二郎。新田は日ノ本で最大の大名となった。その当主であるお前に諫言できる者など、数少ない。だから、これから儂が、お前にとって耳の痛いことを言う。遺言と思うて、覚悟して聞け」


 祖父の時間を無駄にしてはならない。又二郎は背筋を伸ばした。





「又二郎よ。新田には多くの家臣がいるな。吉右衛門は無論、蠣崎や浪岡、三戸や八戸の者たちなど。お前は、自分の描く天下を、彼らが理解してくれていると思うておるかもしれぬが、それは違うぞ」


 口が渇くのだろう。春乃方に水を求め、そして言葉を続けた。


「なぜ、新田に忠を尽くしてくれると思う? 家が豊かになったからか? かつての領民が笑って暮らせているからか? いいや、違う。己への言い訳のためじゃ。彼らは皆、墓の前で先祖に手を合わせながら、土地を守れずに済まない、済まないと涙を流しながら詫びておるのじゃ。そして、それでも領民は豊かになった。きっとこれからも豊かに暮らせる。だから許してくれと、先祖に、そして己に言い聞かせておるのじゃ。決して、新田への忠義ではない。まして天下のことなど考えておらぬ」


 又二郎は黙ったままであった。だが顔は強張り、両手を握りしめた。水を飲んだ盛政は、再び諫言を始めた。


「又二郎よ。かつて儂は、其方の征く先には、奥州武士の歴史が立ちはだかると言った。言い直そう。其方の行く先には、日ノ本の歴史そのものが立ちはだかる。武士のみならず、帝も、公家も、寺社も、そして民でさえも、其方の前を塞ぐ。このままでは、天下を獲ったところで長続きはせぬ。其方が死ねば、世は再び、戦国に戻るであろう」


「御爺、それは……」


「其方は、武士を…… いや、己以外のすべてを、何処かで下に見ておる。何処かで莫迦にしておる。それが耐えられぬ者は多かろう。いや、下手をせずとも天下を前に、謀反によって新田は割れるやもしれぬ」


 又二郎は唇を噛んだ。そんなことはない、と反駁することは簡単である。だが心当たりがないと言えば嘘になる。遥か未来の記憶を持つ自分は、この時代の人間たちを何処かで見下している。無意識に、見下してしまうのだ。


「其方は必ず天下を獲る。じゃがこのままでは、天下人にはなれぬ。受け入れるのじゃ。そうした旧きを重んじる者たちもまた、日ノ本の民なのじゃと、赦し、受け入れるのじゃ」


 又二郎はしばらく沈黙し、そしてしっかりと祖父を見つめた。


「俺は、俺の描く天下を実現する。この命をそのために燃やす。だが、御爺の諫言はもっともだ。よく言ってくれた。深く心に刻もう。天下を獲るだけではなく、天下を安んじるためには、調伏することが肝要だとな」


 盛政は安心したように頷き、そして再び横になり、眠り始めた。そして再び目を覚ますことはなかった。永禄九年四月、新田盛政は齢六七歳で、永い眠りに就いた。


「誰も付いてきてはならぬ。厳命だ」


 盛政が没した夜、又二郎は一人で海が見える丘に登った。松の木に手を掛けて、陸奥乃海を眺める。肩が微かに震え始め、そして大きくなる。又二郎は俯くことなく、海に顔を向けながら震え続けた。





 最大の理解者である盛政の死は、又二郎にとって大きな悲しみであった。だがそれでも、歴史の流れは止まることはない。関東が一触即発の状態では、喪に服すこともできない。又二郎は簡単な密葬をして、すぐに南へと駆け始めた。


「御爺。関東が落ち着いたら盛大な葬儀をやる。天下を獲ったら御爺の寺を建ててやる。だからしばらく、我慢していてくれ」


 馬上で詫びながら、又二郎は休むことなく、宇都宮城を目指した。一方、上州でも動きがあった。武田信玄と上杉謙信、そして上州箕輪城城主の長野業盛らが軍議を開いたいのである。


「武田殿、上杉殿。此度の助勢、誠に恐悦至極。心より感謝申し上げます」


 上座、下座は置かずに、板の間に関東の地図を広げて車座で話し合う。最初に長野業盛が口火を切ると、主だった国人衆が存念を話し始めた。


「越後と信濃から一万。さらに武蔵七党らが一万。上州国人衆一万。四万もの大軍が集まれば、新田を撃ち破り、宇都宮城を落とすことも可能でしょう」


「まずは唐沢山城の安全を確立すること。そのためには武蔵への入り口となる藤岡城を固めねばなりませぬ。唐沢山城と藤岡城を線で結び、そこから一気に宇都宮城を目指します。新田も恐らく、これを読んでいるはず。下野にて決戦となるでしょう」


 皆が話し合う中で、武田信玄と上杉謙信は黙ったままであった。だが誰も二人には話し掛けられない。上州の小さな国人と、隠居したとはいえ日ノ本屈指の大大名とでは、立場に違いがあり過ぎるからである。半ば畏怖に近い思いから、皆が遠慮していた。だが誰かが二人の意見を聞かなければならない。仕方なく、長野業盛がその役を買って出た。


「武田殿、上杉殿の御存念は如何か?」


 信玄はゆっくりと前のめりになった。パチリと扇子を閉じる。


「儂の存念を語る前に、皆に一つ、確認しておきたい。何処までやるつもりか?」


「は?」


 業盛をはじめ、上州の国人衆は揃って首を傾げた。信玄は、まるで童に言って聞かせるような口調で、言葉を続けた。


「仮に新田との決戦に勝ったとしよう。宇都宮城も落としたとしよう。で、その先はどうするつもりだ? 関東から奥州へと攻め入り、宇曽利までを領するつもりか? そんなことができると思うておるのか? 戦とは、まず目的から始まる。勝敗はともかく、新田と一戦して良しとするのか。それとも打ち勝った後に従属を申し出るのか。それとも奥州、宇曽利、蝦夷地まで攻め入るのか」


 全員が顔を見合わせた。そんなことは考えたこともない。この戦は防衛戦なのだ。まずは勝たなければ意味がない。先のことは勝った後で考えればよい。皆がそう思っていた。


「儂はこれまで、欲のために戦をしてきた。米が欲しい。金山が欲しい。海が欲しいとな。目的を定め、手段を練り、謀を施し、そして戦に臨んだ。だが此度は違う。儂は生涯で初めて、戦そのものを目的として戦をする。これは武田と新田との、宇曽利の小童との戦よ。故に、儂の邪魔をするな。其方は其方で、戦をされよ」


「同じく……」


 上杉謙信も一言呟き、そして二人は立ち上がった。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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[良い点] 対等な人間からの諫言は効くねぇ [一言] 確かに武士の一所懸命と寺社朝廷の権威は面倒くさいからなぁ でも民はまあ腹さえ膨れる制度ならついてきてくれるよ 結局はお偉いさんが統治をしくじって勝…
[一言] 許す(ただ許すとは言ってない)からギリギリまで搾ってやるしかないね
[良い点] お爺がいなくなるのは寂しい [気になる点] 遺言で武士と民を同一視しているけど、民はそれほど武士を必要と思ってないよ。だれが支配者でも同じ。誰にでも税を払わないといけない。爺こそ武士という…
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