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追い詰められし者たち

 栃木県宇都宮市から栃木市を通って南西に行くと、佐野市がある。戦国時代、この佐野市を睥睨するように、標高二四七メートルの山頂に本丸を置き、山一帯を曲輪とした連郭式山城が存在していた。それが、関東七名城(※他に前橋城、宇都宮城、多気城、忍城、金山城、川越城)の一つに数えられる唐沢山城である。延長五年(九二七年)、藤原秀郷(ひでさと)によって建てられたと伝えられていたが、最新の研究では、一五世紀半ばに建造されたと考えられている。この地を治めていた佐野氏の先祖が藤原秀郷であるため、そのように伝えられのである。


 唐沢山城は、その地理的位置から北条、上杉ともに重要視していた。上杉にとっては佐竹をはじめとする親上杉派の関東国人衆との境界に位置し、北条にとっては上杉の関東進出における最重要拠点と見做されていた。史実では、唐沢山城を領していた佐野氏は、上杉から北条に鞍替えし、さらには豊臣秀吉に降り、そして関ヶ原の戦で東軍につくという勝ち馬に乗り続けることで江戸時代まで残ることになる。


 一六〇二年、唐沢山城は徳川幕府の命によって唐沢山城は取り壊され、平地に佐野城が築かれた。これは家康が「江戸城を見下ろすとは何事か」という半ば言い掛かりで命じたとも言われている。徳川家康から見ても、一日で江戸城まで駆け付けられる関東の要衝に城があることが気に入らなかったのだろう。佐野藩自体も長続きせず、一六一四年に改易となっている。幕府直轄領を経て、譜代大名筆頭の井伊家によって彦根藩が置かれ、明治維新まで続くことになる。





 玉縄城から江戸城に本拠を移した北条家は、関東平定の戦を続けていた。北条家を継いだ嫡男の新九郎氏政は、下総を平定した後上総へと攻め入り、ついには安房にまで里見を追い詰めている。あと一年もすれば関東は落ち着く見通しであった。

 一方、北条氏康は完全に隠居をしたわけではなく、江戸城から関東の内政を取り仕切っていた。上杉との戦によって荒れ果てた関東平野を回復させるには、少なくとも一〇年は要する。戦や外政については当主に任せ、自分は内政に集中する。そして新田が天下統一を果たしたとしても当面の間、関東は半独立の状態を維持する。それが氏康の描いた絵図面であった。


(関東は発展性がある。広大な武蔵野を開拓し、新田を模した統治を行えば、畿内にも負けぬほどに栄えるだろう。その上で、徐々に関東の国人衆に土地を手放させる。儂の代では無理だが、氏政や国王丸の代になれば、新田への臣従も叶うであろう)


 新田又二郎政盛が描いた「銭による天下」について、氏康はその本質を理解していた。だが同時に、今の関東ではその実現は困難であるとも考えていた。関東の国人衆は「武士の直系」という誇りがある。一所懸命を否定されれば、激発するのは明らかであった。たとえ数万の死者が出ようとも、国人衆を一掃するという荒治療を断行するか、時間を掛けて考え方を変えていくという体質改善しかない。


(新田の動きが早過ぎる。激発する国人が出ねば良いが……)


 新田と戦えば、関東を征する大北条家であっても敗れる。最低でも武田との連合、できれば上杉を加えた大連合でようやく止められるかどうかだろう。そして天下への野心がない氏康からすれば、そこまでして戦う理由が無かった。


(もし新田と戦をするならば、それは今のためではなく、明日のための戦でなければならぬ。強硬な国人衆を束ね、そして……)


 私室で考え事をしていた氏康は、気配を感じて思索を止めた。部屋の片隅にスッと姿を現したのは、北条家重臣の風間小太郎である。家臣としては評定の間で、あるいは近習を通じて接見を申し出る。こうして現れたのは、家臣としてではなく風魔党棟梁「風魔小太郎」としての貌で用件があるためであった。


「小太郎か。どうした?」


「唐沢山城が上杉家を離れ、独立しました。新田が攻めようとしております」


「なに? 北条(きたじょう)が離反したのか? 唐沢山だけではない。上州(※上野国のこと)そのものが上杉に見捨てられるぞ。あの粗忽者はそれを理解しておらぬのか?」


 唐沢山城を新田が獲る。それ自体は良い。だが獲り方が問題であった。上杉から恙なく譲渡されるのであれば良いが、上杉家から独立した勢力となり攻め落とされたとなれば、関東の国人衆を刺激することになる。さすがに新田に直接手は出さずとも、上野国に領地を広げる機会と考える者もでるかもしれない。


「それで、長野業盛はどう動いている? 上州の国人たちが箕輪に集まっているはずだ」


「長野殿個人の気持ちまでは解りませぬが、少なくとも箕輪衆は、新田と戦うことを決めたようです。上州八家をはじめとする主な国人衆が、新田を追い返すまでは相互不可侵とする起請文に血判し、それを突き付けられた長野殿も腹を括ったようです」


「なんと愚かな。これで上州は草刈り場と化した。早まった真似をする者が出ねば良いが……」


 北条家の本拠は伊豆と相模である。武蔵や下総の国人衆は、力の差があるため北条に従っているが、決して忠誠を誓っているわけではない。坂東武者としての気位が高く、情に篤く戦に強い。言い換えれば理性よりも感情を優先する武辺者たちである。


「唐沢山に近い国人で特に力がある家は……」


「忍城の成田家ですな。隠居したとはいえ、下総守殿(※成田長泰のこと)は健在。上野の混乱に指を咥えているような御仁ではないかと」


 氏康は顔を顰めて頷いた。成田氏泰は上杉の関東管領就任の際に下馬をせず、その結果上杉家と揉めて北条に鞍替えったような男である。藤原の血を引く成田家が、上杉家のために下馬する必要はないと考えてのことだ。それほどに家格に自信を持ち、激情家であった。


「北条は動かぬ。すべての家臣、国人に伝える。ここで動けば、新田を敵に回すぞ!」


 北条氏康は足早に自室を出た。





 唐沢山城が上杉から離反したことは、その隣にある佐竹氏においても、直ちに知るところとなった。その結果、良い反応と悪い反応があった。良い反応は常陸に隣接する国人衆がこぞって親佐竹に鞍替えしたことである。とりわけ、一時は新田に臣従を誓っていた東山道(※現在の福島県中通り)の岩城氏まで新田から離れたことは大きい。海道(※福島県浜通り)の相馬氏こそ新田から離れないが、南と西が離反したことで動くに動けない状態となっている。これにより新田の奥州統一は瓦解し、足元である岩城や南陸奥の国人衆に対応しなければならなくなった。唐沢山城をすぐに攻めることはなくなったのである。

 悪い反応は、これにより佐竹家の中で、新田への強硬派が勢いづいたことである。


「たとえ上州の国人衆と岩城が味方したとしても、せいぜい二万が限度ではないか。新田に抗するなど無理であろうに……」


 佐竹次郎義重はそう吐き捨てた。義重としては、なんとか新田との和睦を考えていたのである。従属でも良いし、必要なら新田と共に強硬派を討つことすら考えていた。だが唐沢山城の暴発により、佐竹のみならず関東一帯の国人衆が勢いづいてしまった。先の見える者ならは静観を決めるだろうが、情勢に流されるという者もいるだろう。周囲が反新田で固まっているのに、自分だけが中立というわけにはいかない。


「国人衆の多くが、この機に新田を攻めるべしとの声です。真壁殿までも戦を覚悟されたとか。このままでは太田城が囲まれかねませぬ」


 重臣の和田昭為が嘆息する。平安から続く佐竹氏には譜代の家臣たちも多い。曾祖父である佐竹右京太夫義舜以来、常陸統一が佐竹の悲願であり、家臣たちの悲願でもあった。より多くの土地を領し、皆でより豊かになる。それが「御恩と奉公」であり、坂東武者にとって当たり前の姿であった。

 だが新田の出現によって、これまでの武士の在り方が揺らいでいる。銭で雇用するというやり方は、武士の存在意義そのものを否定することに繋がりかねない。守るべき家と土地があってこその武士なのだ。新田のやり方に反駁するのは、武士としての本能のようなものである。


「……やむを得ぬ、か。北条や小田の動きは?」


「まだ報告は届いておりませぬが、恐らくは両家とも動かぬかと。ですが武蔵や下総の国人衆の中には、親新田の北条に対して苦々しく思っている者も多いはず。武蔵七党の者たちの中には、北条から離反する者も出るでしょう」


「親新田と反新田で関東が割れるか。いや、ひょっとしたら……」


 この状況そのものが、新田の謀略ではないのか。唐沢山城の離反により、上州そのものを上杉から切り離す。関東の国人の中には、唐沢山城の決断に喝采する者もいるだろう。そして我も我もと反新田の旗を掲げ、新田を関東に入れるなという流れが生まれる。そして、そうした旧態依然の坂東武者たちを根こそぎ滅ぼす。大半の国人が駆逐された後、新田に従属した北条が関東をまとめる。そんな考えが義重の脳裏を掠めた。


「殿の直感、某も正しいと考えまする。昨年の秋から、新田は動きませんでした。その気になれば、もっと早く常陸に攻め入ることもできたはず。政事に力を入れるためにしては、あまりにも動きが無さすぎまする。宇都宮から関東を伺いつつ、頃合いをみて激発を誘ったのでしょう」


 和田昭為も義重の直感に同意した。だが、策を喝破したとしても状況は変わらない。もはや止めようもないところまで来ているのだ。


「こと此処に至っては、戦に決するしかあるまい。それに負けると決まった訳ではない。新田の策には一つの前提がある。関東の国人以外、動かぬという前提がな……」


 味方が不利ならば、他から助勢を貰えばいい。北条、小田、相馬は動かない。上杉も、先代である謙信が生きている限り、新田との約束を反故にすることはないだろう。安房の里見は遠すぎる。となれば……

 そして義重は、一つの思い付きに至った。可能性は無ではない。ならばやってみるべきだろう。


「江岡重氏を呼べ。使者として、武田に行ってもらう」


 関東全土を巻き込んだ動乱が始まろうとしていた。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 小勢力が共通の敵に対して連合を組む(組ませる) こう言う展開好きです 別の作品だと外交がうますぎて信長の野望の中盤以降くらい盤石すぎて盛り上がりに欠けるものもありますから…… ただ新田の場…
[良い点] 現状を把握して最善を尽くそうとする小田原北条氏と常陸佐竹氏。軍神擁する上杉を降した新田に対して、生き残ろうとする為にどのような行動を取るか楽しみです。 [一言] 今更だけど、この作品の各勢…
[一言] 武田にとって現新田は飛び地になるから 共闘で勝ったところで 関東に新参者(武田)入れる事しかならんと思いますが・・
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