表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

219/284

唐沢山城の叛乱

 織田信長は、岐阜城の私室に籠っていた。畿内の地図を睨みながら、一つずつ石を置く。


「義秋公(※足利義昭のこと)を大樹とするには、左馬頭(さまのかみ)の叙位を受けねばならぬ。これは目途もついておる。皐月(※旧暦五月)には出陣することになろう。伊勢と伊賀は問題あるまい。問題は六角、そして浅井よな」


 信長が気にしていたのは北近江の浅井と、さらにその北に位置する越前の朝倉であった。特に朝倉は、奥州を統一した新田と良好な関係にあり、織田家に匹敵する力を有している。当主の左衛門督(さえもんのかみ)(※朝倉義景のこと)が優柔不断の暗君であることが救いであった。自分が朝倉であったら、当に畿内に進出しているだろう。


「六角は昨年の騒動で力を落としている。弱ってはいるものの、それでも承禎(※六角義賢のこと)は義秋公に味方をしており、むしろ浅井の方が危険だ。朝倉と手を組み、北近江を飲み込んでしまったほうが良いか?」


 史実では、織田信長は美濃攻めに苦労していたため、美濃の西に位置する浅井の助力を得るべく、妹の市姫を嫁に出し、織田と浅井は盟を結ぶこととなった。

 だが、新田又二郎の存在が歴史に影響したため、永禄九年(一五六六年)時点で、信長は既に美濃を完全に手中にしている。今さら浅井と盟を結ぶ価値は無かった。その結果、市姫は未だに独身のまま、義姉である於濃乃方と遊んだりしている。


「義秋公は織田家のみならず、六角や河内の畠山、さらには武田や上杉にまで書状を出している。なんとも筆まめな男よな。だが、書状を受けているはずの朝倉は動かず、浅井は六角を攻めた。北近江を攻めるには十分な口実だ……」


 足利義秋(※この時点では義昭の文字は使っていない)を神輿として上洛する。だが担ぎ手は織田だけではなく、六角や畠山が加わるかもしれない。今は義秋に味方をしているこの両家も、三好の巻き返しで旗色を変える可能性もある。結局のところ、信用できるのは自分の力だけなのだ。


「やはり浅井からだな。北近江、そして北伊勢を攻め獲る。その時点で六角の動きが変わらなければ、盟を結ぶなりしても良かろう。だが裏切るようなことがあれば……」


 織田の力だけで畿内を統一してしまう。これが最も理想的だということは、信長も理解していた。だがそれを為すには、まだ力が足りない。使えるものは使うべきだろう。

 織田三郎信長、齢三三歳。天下の姿を描きながら、爛々と瞳を輝かせ、その口元には猛々しい笑みを浮かべていた。





 上野国は、現在の群馬県に相当する。その歴史は古く、仁徳天皇時代には新羅との戦いによって捕らえた捕虜を上野国に送ったという記録もあり、朝鮮半島との縁もある土地である。馬の生産も盛んで、平安時代には勅旨牧が置かれた。室町時代には、関東管領であった山内上杉家が守護となっていたが、天文二一年(一五五二年)に北条氏康に敗れたため、一時的に北条家が統治した。

 現在は、関東管領を継いだ上杉謙信(※隠居後、輝虎から改名)の統治下にあったが、上杉家の当主が元服もしていない卯松(※後の上杉景勝)になったこと。そして上杉家が新田に従属したことから、上野国の国人衆たちは大いに混乱していた。


「殿、このままでは、北越後と唐沢山城を新田に押さえられます。我らは孤立してしまいますぞ!」


 箕輪城城主の長野弾正忠業盛(なりもり)には、箕輪衆と呼ばれる家臣たちがいる。史実では、永禄九年(一五六六年)に武田信玄によって攻め滅ぼされる上野長野家であるが、歴史が大きく変わったため上野国は戦火に包まれることなく、これまで平穏であった。

 だが新田の南下により、上野国は巨大勢力に隣接することとなった。さらには主筋である上杉家が新田に従属し、北越後(※新潟近郊)までを新田に押さえられたため、越後と分断されることになった。

 こうした状況になれば、力ある国人のもとに弱き者たちが集まって団結するか、あるいは我先にと相手に降伏するかのどちらかである。だが新田相手に降伏はできない。降伏するということは、土地をすべて奪われるということを意味するからだ。その結果、上野国は自然と、長野家を中心にまとまりつつあった。


「噂では、関東管領は上野を見捨てたとのことです。唐沢山城と北越後を放棄したのがその証。越後半分と越中で満足せよと、新田に言われたとか……」


「それはただの噂であろう。上杉殿はそのような御仁ではない。軽々にそのような事を口にするな」


 長野新五郎業盛は、顔を顰めて家臣たちの発言を窘めた。この一ヶ月で上野国内では奇妙な噂が流れている。上野国は見捨てられたというものだ。実際のところは、越後から上野を通って関東までの物流は流れており、人も行き来している。上杉は従属において、上野、越後半国、越中を安堵された。新田が上野を攻めることはまずない。

 だが大勢力に圧迫を受ける当事者たちは、それでは安心できない。もともと上野国は山内上杉家のもとに各国人たちが集った国である。関東管領が長尾家に移ったために従ったが、内心では納得できていない部分も多いのだ。叶うならば、かつての山内上杉家のように関東管領の本拠として、関東を睥睨したい。これが上野国に生きる国人たちの共通した思いである。


(越後で生きる長尾家譜代の者たちと、上野の国人との間には元から溝があった。この噂は、それを見事に付いている。しかも腹立つことに、否定もできないのだ)


 だからといって、上杉家から離れて独立するわけにもいかない。独立すれば、新田、武田、北条が一気に攻めてくるだろう。動くに動けない中で、長野業盛は家臣や国人衆を宥め続けねばならなかった。


 永禄九年(一五六六年)弥生(旧暦三月)、揺れる上野国を刺激する話が飛び込んできた。前々から決定していた唐沢山城の接収である。唐沢山城は、厩橋城(まやばしじょう)(※現在の前橋城)城主であった北条(きたじょう)高広が入っている。「無双の勇士」と呼ばれる武勇に優れた男だが、粗忽な面もあり、政治的な判断が苦手であった。新田の圧力に耐えられる豪胆さを期待されての配置であったが、今となってはその配置が不安要素となってくる。そして案の定、それは起きた。


「申し上げます! 唐沢山城の北条丹後守様、新田軍に向けて矢を射掛けましてございます!」


「なんだとっ! あの粗忽者がっ!」


 長野業盛は立ち上がって歯ぎしりした。上野国動乱の始まりである。





「グフフフッ、謀の上で踊る愚者を見るのは、幾つになっても楽しいものよのぉ」


「月斎殿も、御人が悪い」


 田村月斎と南条広継は、唐沢山城の前を流れる秋山川から、戦に向けて動きはじめた北条高広たちがいる城を眺めていた。上野国は武田と隣接している。又二郎としては、できれば手に入れたい土地であった。だが本光寺での会談(※第二〇五話)時点では、宇都宮城を押さえていなかったため、上野国を得たとしても維持が難しかった。そこで又二郎は、奥州統一を果たした段階で、従属した上杉家から上野国を奪うための策を軍師たちに相談したのである。


「驕っていると不評の者たちばかりを選び、丹後守(※北条高広のこと)の激発を誘ったのは誰じゃったかのぉ? 御家の評判を下げるような輩をまとめて消しつつ、上野国を獲る口実まで得る。やり口が悪辣極まるわ。お主も中々の謀臣ぶりよの?」


「お褒め頂き、ありがとうございます」


「「グワーッハッハッハ!」」


 七〇過ぎの老人と四〇前後の壮年の男が、極悪な貌で嗤う。心得た者たちは、二人からそっと目を反らした。そして同様の笑みを浮かべている者が、宇都宮城にもいた。


「殿。唐沢山城が掛かりました。手筈通りに……」


「うむ。春日山に使者を出せ。これは上杉の意思か、それとも上野国の独断かとな。上杉としては否定せざるを得ぬ。結果、上野を見捨てることになる。撒いた噂が芽を吹き、上野は嫌でも独自に戦うことになるだろう。そして新田が動けば、北条、武田、佐竹も動く。いや、俺が動かすのだ。戦とは常に、主導権を握った者が勝つものよ。クックックッ」


 猛獣のような笑みを浮かべる若き主君に、家臣たちは一様に頼もしさを覚えた。永禄九年(一五六六年)三月、関東全体を巻き込んだ「上野国争乱」が始まる。


《後書きという名の「お願い」》

※ブックマークやご評価、レビューをいただけると、モチベーションに繋がります。


※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ