岩城家の切所
岩城からの使者を別室に待たせたまま、又二郎は評定の間に入った。新田の外政全般を担当する浪岡弾正大弼具運、南陸奥の集落を回り、元国人衆の取りなしなどをしている遠藤文七郎基信、佐竹攻めの先鋒を担う田村隆顕、柏山明吉、新田家の筆頭軍師である南条越中守広継、田村家の伝説的大軍師である田村月斉が並んでいる。文官二名、武官二名、参謀二名の六名が、又二郎の入室と共に一斉に床に手をついた。
当主の座にドカリと座った又二郎は、皆の顔を上げさせるとヤレヤレと笑った。
「正直、未だに慣れんな。新田は大きくなった。それだけ人も増えた。近習の取り次ぎが必要というのも解るし、評定の間でのこうした儀礼も理解する。だが、宇曽利にいた頃が懐かしく思える時もある。越中はどうだ?」
「確かに、懐かしゅうございますな。殿が自ら、猪鍋を作られていた頃は、皆で一つの鍋を囲んで笑いあっていたものです。御家が大きくなると、そうしたことも中々、できませぬ」
南条広継もそう返して笑う。一種の緊張にあった場の空気が緩んだ。これで皆も発言しやすくなる。緊張している理由は一つ。又二郎がわざわざ使者を待たせた理由を皆が察しているからだ。
「さて、岩城から使者が来ている。佐竹に寝返った龍子山城を攻める故、後詰めを頼むとな。これについて、皆の存念を聞きたい」
「それにつきましては、一つ確認したいことがありまする。遠藤殿、相馬と岩城は臣従を約束し、誓書まで出したと聞いておりまする。これに間違いはありませんか?」
南条広継が確認すると。遠藤基信はしっかりと頷いた。
「それに相違ございませぬ。伊達総次郎殿が直々にやり取り致しました。御当家への臣従を誓約すること。また家中が纏まり次第、当主自らが宇都宮城まで挨拶に来ることを約束しました」
「となると、妙な話でございまするな。昨年であれば、まだ家中がまとまらなかったというのも、理解します。ですが、年が明けてから早三月が経とうとしておりまする。にも関わらず、宇都宮に来ぬばかりか、戦を始める故、後詰めを願うなど、虫が良すぎるというものでございましょう」
柏山明吉の発言に、田村隆顕も頷いた。田村隆顕は相馬とは親戚関係にあるが、岩城とは直接の関係は無い。むしろ岩城と関係があるのは伊達総次郎輝宗のほうである。
「岩城親隆は、総次郎の実兄であったな。文七郎よ。総次郎は何か言っていなかったか?」
「はい。早く挨拶に来い。年始の挨拶であれば、家中への言い訳も立つだろうと、幾度も書状を出しておられました。ですがどうも、反応が良くないようです」
遠藤基信は、額に汗を浮かべながら、必死に言葉を並べた。伊達輝宗は自分を宿老に取り立ててくれた恩人である。そして現在でも、南陸奥の内政において、自分の上司となっているのだ。庇えるものならば、庇いたかった。
「なるほど…… 隆顕よ。相馬については以前にも聞いた。家中が割れているそうだな」
「は…… 倅の室は、孫次郎(※相馬盛胤)殿の実妹でございます。そのツテで探りましたところ、孫次郎殿や重臣の佐藤殿は臣従を求めておりますが、伊具や亘理などの常陸に隣接する国人衆が反発しており、このままでは佐竹に寝返りかねないとのことです」
「ふむ。この度の龍子山の寝返りも、そうした流れの一環というところか。それで、岩城の話に戻るが、それぞれの存念を申せ」
さすがにこの状況で、後詰を出すべしなどと言う者はいない。新田が良いように使われているのではないかと誰もが思っていたからだ。だが田村と相馬、伊達と岩城、そして相馬と岩城はそれぞれに縁戚の関係にあり、複雑に絡まっている。簡単に解けるものではない。
「月斎爺。先ほどから黙っておるが、存念は無いのか?」
七〇を過ぎてなお、毎食二合近くを喰らう妖怪軍師は、又二郎に促されてフンと鼻で息を吹いた。
「先ほどから聞いておったが、皆してなにを温いことを……」
そしてその巨躯からメラメラと闘志を昇らせながら、凄みのある笑みを浮かべる。
「強きが弱きを喰らうのが、乱世の鉄則よ! 鬼に会えば鬼を斬り、仏に会えば仏を斬る。縁戚関係などどうでも良いっ! 直ちに出陣し、相馬も岩城も佐竹も、まとめて喰らい尽くせば良いのぢゃぁぁっ!」
複雑な関係の紐を解くのではなく、一刀両断してしまう。難しいことは、ぶった切った後で考えれば良い。およそ軍師とは思えぬ月斎の暴論に、皆が目を点にする中、又二郎は爆笑した。
「ハッハッハッ! 確かにその通りよな。俺の重臣たちは皆が切れ者故、アレコレと難しく考えすぎる。何よりも優先すべきは、乱世を終わらせること。天下統一への歩みを止めぬことよ」
そして表情を引き締める。家臣たちは居住まいを正した。
「後詰はせぬ。だが今は、吉右衛門以下文官たちが忙しすぎる。内政が落ち着くまでもうしばらくは掛かるであろう。岩城と相馬がどう動くか、高みの見物をしようではないか。無論、戦を見据えて準備はしておくがな」
岩城親隆の家臣、竹貫重光は、評定間の空気を察し、背中に一筋の汗を流した。岩城家の当主は、奥州探題にして新田家の重臣でもある伊達総次郎輝宗の実兄である。その縁を使えば、厚遇で新田に臣従することも難しくは無いのだ。
だが残念ながら、主君は実弟を頼ることを潔しとしなかった。伊達家と岩城家がそれぞれ独立していれば、まだ対等の同盟関係として受け入れられただろう。だが伊達は領地を手放し、新田の臣下となった。独立国人である岩城家は、いわば伊達家より家格が上になったのである。「伊達家の長男」でありながら、嫡男にはなれずに岩城家の養子に出された親隆にとっては、弟を頼るということにどこか抵抗があったのである。
だがそれは岩城家の、もっと言えば岩城親隆個人の感情に過ぎない。新田にとっては、そんなことなど関係ないのだ。臣従と口にしながら土地を手放さず、あまつさえ領地を広げようとしている。口先だけでは無いかと疑うのも当然であった。
「岩城殿に伝えよ。後詰めは出さぬ。佐竹を攻めるというのであれば、単独で攻められよ」
又二郎は冷然とそう告げた。言外に、岩城への不信があることを竹貫重光は察した。
「ご迷惑をお掛けし、面目次第もありませぬ。急ぎ戻り、主君を説きまする」
「急がれよ。新田は内政が整い次第、動き出す。新田の行政官は優秀だ。思っている以上に早いぞ?」
主君を説き伏せ、臣従のために宇都宮城に挨拶に行かせると言外に伝えた重光に対し、又二郎は時が無いぞと告げる。それは、新田が動く前までに来なければ、岩城から滅ぼすという意味であった。重光が慌てて主君の元へと戻ったことは言うまでもない。
「さて。吉右衛門からは、初夏あたりには内政整備の目処も付くという報告が来ている。上杉にも人を送り、新田の法や税制、さらには楷書まで教えているそうだ。常陸まで押さえれば、小田にも同様に人を送る。ある程度の自治は認めるが、少なくともいまの石高から三倍にはしてもらわねばな」
田村隆顕は、それを聞いて苦笑した。田村荘は、いまは新田から派遣された代官が統治している。その結果、わずか一年で石高が倍になり、さらに増え続けているという。稲の植え方や道具を変えただけでこの成果である。これから道を整備し、田畑を整え、麦や蕎麦、野菜類なども育てさせる。兵役が無くなった分、百姓たちにも余裕ができ、子供たちは読み書き算術を学び始めている。腹一杯に飯を食べて元気に駆け回る子供たちの姿を見たときに、臣従して良かったと心から思った。
(相馬殿も、反対する家臣たちに新田領を見せれば良いのだ。アレを見て、それでもなお土地に拘る者など、一所懸命をはき違えているだけであろうて……)
「殿。小田は良いとして、北条に対してはどう向き合いましょうか? いまの北条は関東最大の大名。臣従はおろか従属すらも受け入れないでしょう」
南条越中守広継の意見に、田村隆顕は我に返った。佐竹を飲み込むことは既定なのだ。だがその先には、二〇〇万石を持つ大北条家がある。両家は良好な関係ではあるが、天下統一を目指す新田にとっては、いずれは北条も臣従させなければならない。その為の布石は今から打っておくべきだろう。
「北条氏康をはじめ、北条家は天下を望んではいない。領民の笑顔が、北条の喜びなのだ。無論、甘やかしてはいないだろうが、内政の姿勢は新田に通じるものがある。北条とは不戦の盟を結び、関東の統治を任せるつもりだ。だがその前に、一度会ってみたいな。北条氏康、氏政の親子に」
「では、今のうちから手はずを整えておきます。新九郎(北条氏政のこと)殿には知己を得ておりますれば、某のほうで、根回しをしておきまする」
浪岡弾正大弼具運が身を乗り出す。数年前だが、上杉領から武田領を通り、北条まで挨拶に行ったのが具運である。氏康や氏政とも面識がある。具運であれば安心して任せられると、又二郎も許可した。
「よし、話は以上だ。あぁ、越中と月斎爺は残ってくれ。相談したいことがある」
戦はせずとも策は巡らせる。それが戦国というものである。二人は又二郎の考えを一瞬で察し、謀臣らしい薄暗い笑みを浮かべた。