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イエズス会

「これは…… これまで見たのが(ヴィラ)とするなら、この町は都市(アーバン)ですね。日本(ジャポン)の北に、これほど進んだ都市があるとは……」


 ポルトガル出身の宣教師、ルイス・フロイスは宇都宮の城下町を見て驚愕した。そこかしこで建て替えが行われているが、大通りは砂利によって舗装され、馬車が行き来してもなお余裕があるほどに幅が取られている。道の両脇は排水溝が刻まれ、石によって蓋がされている。建物は木と煉瓦によって作られ、大きな建物は瓦葺となっている。

 米や野菜を売る店、酒を売る店、衣類を売る店、陶器や漆器を売る店など、商店も充実している。だがこの街は完成ではない。大通りから逸れたところでは、家屋建造の音が響いている。道路を整備する工夫と思わしき男たちが、忙しなく横を駆け抜けていった。そして皆の顔が明るい。明日はきっと今日より良くなる。そうした希望に満ちていた。


「ウヒヒッ、新田様の土地はいつ来ても、商いの匂いがしますなぁ」


 自分たちを先導する金崎屋という商人は、まるで悪人のような笑みを浮かべ、左手の親指と人差し指で輪を作った。フロイスは無言のまま、微かに顔を顰めた。本人はその気はないのだろうが、あの手振りは「自慰行為」を示すもので、品の良いものではない。もっとも、異国の土地には、その土地ごとの仕草があるため、母国の常識を持ち出す方が間違っているのだが。


「新田様は今年で二一になられたお若い殿様です。ですが、決して甘い方ではありませんぞ。甘い方が伊達、最上、蘆名など奥州の名だたる大名、名家を従えられるはずがありませぬからな」


「仏の教えについてはどうなのでしょう? 新田様は熱心に信仰されているのでしょうか?」


「はて…… 新田様から仏の話を聞いたことなど、殆どありませぬな。アッシの見立てですが、恐らく新田の殿様は、家臣や領民が仏の教えを信じることは認めても、御自身は微塵も信じておられぬでしょうなぁ。あの殿様が、御仏に向けて熱心に手を合わせている姿など、想像もできませぬ」


 フロイスは頷いた。それならば、自分たちが信じるカトリックが入る余地もあるかもしれない。フロイスから見ても、この国の聖職者は穢れていた。バチカンの全てが正しいと言うつもりはないが、少なくとも自分には、民を死地に追いやりながら、自分だけは安全に贅沢に暮らすなどという俗な気持ちはない。

 フロイスは不安と期待を胸に、宇都宮城の城門をくぐった。





「クククッ、金崎屋ぁ。明との密貿易では飽き足らず、今度は南蛮貿易にまで手を伸ばすつもりか? もういい歳だというのに、相変わらず強欲な奴よな」


「ウヘヘッ、欲があるからこそ若々しくいられるのですよ。殿様こそ益々の御活躍ぶり。都はおろか遠く平戸にまで、噂が届いていると聞きますぞ?」


 左右に家臣と思われる者たちがいるのに、極悪大名と悪徳商人の二人は互いに欲望の顔を隠すことなく、ニンマリと笑みを浮かべた。その顔を見たルイス・フロイスは、自分はとんでもないところに来てしまったのではないかと、不安になった。これまで見てきた日本のどの為政者とも違う、悪の化身のような顔。自分が信じる「神」の対極に位置する存在。「悪魔」なのではないかと思えたのだ。


(主よっ! 貴方様を信じる心の力をお与え下さいっ!)


 内心でそう叫びながら、フロイスはたどたどしい日本語で挨拶をした。


「オ初ニオメ、カカリマス。ワタシ、ルイス・フロイス、ゴゼマス」


「ほう。日ノ本の言葉を喋れるのか?」


「スコシ、学ビマシタ。ロレンソガ、訳シマス」


「手前は、ロレンソ了斎(りょうさい)と申します。一五年前に、洗礼…… 主の教えを信仰するようになり、司祭(パードレ)様よりロレンソの名をいただいたのです」


「フム。パードレというのは、彼らの職位のようなものか? 日ノ本で言うところの坊主や宮司といったところか?」


「左様でございます」


 ロレンソは目を閉じたまま頷いた。盲目なのである。


「了斎よ。其方の話を少し聞きたい。彼にもそう伝えよ。金崎屋よ。悪いが彼らと少し話がしたい。新たな特産品を別室に用意してある。算盤を弾いてくれ」


「は? ハハッ」


「ウヒヒッ! 承知仕りました。さぁ商売、商売」


 揉み手をしながら近習に連れられて、悪徳商人が出ていった。部屋に残されたのは又二郎の他に、新田の外政を担当する浪岡弾正大弼具運、寺社や修験者への対応を担当する沼田光兼、そして昨年に元服し、正式に近習に取り立てた大浦為信である。為信は又二郎の斜め後ろで、ジッと異人たちを観察している。万一の事態に備えてのことであった。


「了斎よ。盲目という辛き中で生きてきたのだ。御仏の教えにも、幾度も触れたはずだ。にもかかわらず、なぜ異国の教えを信仰するようになったのだ?」


 了斎は又二郎の問いを通訳した後、自らの身の上を語り始めた。


「手前は、肥前の国に生まれました。二〇にもならぬうちに目を失い、琵琶を奏でて口に糊をしておりました。九州も戦に荒れております。手前のような者など、戦に役立つことなどできませぬ。戦は、人の心まで荒ませます。ならず者に殴られ、地べたを這っていた某に、誰も手を差し伸べてはくれませんでした。いいえ。ただ一人、手を差し伸べてくださったお方がいたのです。ザビエルという方でした。その時、手前は生まれて初めて、人の情に触れたのです」


 その時を思い出したのか、閉じた瞼から涙が溢れていた。又二郎は目を細め、神妙な顔になった。自分の領内にも、目や耳、手足を失った者がいる。新田領内では法によって、草鞋づくりや遊郭での伴奏、あるいは宿場での按摩業などを彼らに独占させている。弱者だから守るのではない。弱者でも立派に「世に役立てる」ようにするのが、為政者の仕事なのだ。

 ザビエルは、目の前の若者の変化をジッと見ていた。決して悪人ではない。むしろ極めて優しい人物だと思った。


「仏の教えを説く坊主では救えなかった日ノ本の民が、異国の教えを説く者によって救われた。この事実は厳然として受け止めねばならぬ」


「殿。それは、御仏の教えより彼らの教えのほうが、優れているということでしょうか?」


 沼田光兼は眼を鋭くした。中央は知らないが、奥州の僧侶たちは真面目に仏の道を修行し、子供たちに人の生きる道を説き、希望を失いかけた者たちを救っているのだ。そこに異国の教えが入ってきたらどうなるだろうか。宗教論争という口喧嘩以上の衝突が起きるかもしれない。


「いや、どちらが優れているというわけではない。恐らく彼らの国でも、救われていない者たちが無数にいよう。皆が救われた国など、逆に薄気味悪いわ。了斎よ。フロイス殿に聞いてみよ。フロイス殿が生まれた国は、皆が飢えることなく、寒さに震えることも、野盗に怯えることもなく、救われて幸福に生きているのかとな」


 ロレンソ了斎は戸惑いながらも、ルイス・フロイスに問いかけた。フロイスは一瞬、悲しそうな表情を浮かべて首を振り、そして話し始めた。それを聞きながら、了斎が通訳する。


「残念ながら、フロイス神父が生まれた国も、飢えに苦しむ者、人倫に外れた者がいるそうです。そうした者たちを救うために、神の教えを説く神父様が、殺されるということもあるそうです」


「だろうな。ある者にとって救いとなった教えが、別の者にとっては塵芥程度というのは、東西変わらぬらしい。胡麻化そうと思えば出来たはずなのに、よくぞ正直に話したな」


「アリガト、ゴゼマス」


 又二郎は沼田光兼に顔を向けた。


「俺が言いたいのは、坊主どもの姿勢よ。たとえ言葉が通じぬとも、たとえ異国の者であろうとも、赤き血が流れる同じ人間なのだ。救いの手を差し伸べたのが異国から来た坊主だったとは…… 本邦の坊主どもに、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ」


「御尤もでございまするな」


 光兼も、困ったものだとう表情をして首を振った。了斎の通訳を聞いたフロイスは、内心で安堵した。目の前の権力者は、見た目や出自では物事を判断しない人物のようである。保守的で排他的な権力者にとって、自分のような異人は存在そのものが害に見えるだろう。世界を旅する中で、そうした者には幾度も出会った。

日本最大の大名が、そうした人物では無かったことをフロイスは天に感謝した。だが、安心したのもつかの間、又二郎は背筋が冷たくなるような声で、問いかけてきた。


「それでだ。フロイスよ。そもそも其方は何の目的で、この日ノ本まで来たのだ? いや、言い方を変えよう。お前たちを送り出した者は、この日ノ本を征服し、日ノ本の民を奴隷とするつもりか?」


 フロイスは唾を飲み込んだ。目の前の若者の気配が一変していたからだ。僅かな虚言すら許さぬ。少しでも違和感を覚えれば、逡巡することなく殺す。その意思がハッキリと読み取れた。





「御殿様。フロイス神父はそのような方ではありません。主の教えを説くために、船で二年を掛け、この地まで来たのです。一人でも多くを救うためです。手前は、神父様たちが身を挺して人々を守るのを幾度も見てきました」


 慌てたそぶりで了斎がそう話す。だが又二郎はその言葉を斬って捨てた。


「それは了斎にとっての真実であろう。だが俺には別の真実が見える。先ほど、其方は自分が生まれた国でも、救われていない者たちがいると言ったな。ならば何故、その者たちを救うところから始めない? 足元で苦しんでいる者たちを救わずに、わざわざ遠い異国に行って、教えを説く理由はなんだ。そこには善意以外のものがあるに違いない。この地に来るまでに、相当な銭が掛かっているはずだ。其方たちを送り出した者は、それだけの銭を払ってでも見返りがあるから、送り出したのだ。違うか?」


 イエズス会は、その設立において聖地巡礼と非キリスト教地域の教化を目指していた。短期間で欧州内に影響力を持ったイエズス会に着眼したのが、ポルトガル王ジョアン三世である。当時の世界は、ポルトガルとイスパニアの二強であり、この二ヶ国で世界を分けようという話し合いが本気で行われていたのである。

 西暦一四九二年のトルデシリャス条約により、西経四六度三七分より西側の新領地はイスパニアに、東側の新領地はポルトガルにと定められた。このため現在でも、その線より東側にあったブラジルでは、ポルトガル語が使われている。

ジョアン三世は植民地拡大のために、インドから東アジアを目指していた。その口実として、世界宣教を掲げるイエズス会を利用しようと考えた。ポルトガルが援助し、イエズス会の宣教師を非キリスト教圏に派遣する。そこを教化し、次に軍を送ってポルトガル領とする。これが、ポルトガル王国の絵であった。

実際には、清貧の精神を掲げるイエズス会と、植民地で略奪や奴隷狩りを行う政府高官との間で関係が悪化し、イエズス会はやがて弾圧されてしまうのだが、一六世紀半ばにおいては、イエズス会は植民地拡大のための先遣隊という性質を持っていたのは事実である。


「どうした? ルイス・フロイスとやら。答えよ」


 だが、フロイスは簡単には答えられなかった。イエズス会の宣教師として、布教に命を捧げる覚悟は出来ている。カトリック教会の教えに忠実に生き、人々を救いたいという気持ちも本物である。だが、布教活動には巨額の資金が必要となる。人々の喜捨だけでは、とても賄いきれない。ポルトガル王の援助は、イエズス会の活動にとって必要不可欠なのだ。


「恐らく、南蛮の国王から命じられているのだろう。まずは布教し、民をこちら側に引きつけよ。そして布教活動の傍らで、その土地について調べよ。軍備はどうか。政治体制はどうか。そして戦となったときに勝てそうか…… お前たちは南蛮の坊主であると同時に、日ノ本侵略を目的とする南蛮の先遣隊である。俺はそう、踏んでいる」


 フロイスの額にジワリと汗が滲んだ。その様子から、浪岡具永も沼田光兼も、主君の言葉が正鵠を射ていたことを察し、険しい表情へと一変した。大浦為信などは、主命があればすぐにでも斬り掛かれるように、腰を浮かしている。


「……クククッ、ハハハハッ!」


 数瞬の沈黙後、又二郎は大笑いした。


「いやいや、済まぬ。少し、弄りが過ぎたようだ。どうか許してくれ」


 唖然としていた了斎に目配せをすると、慌てて通訳を始めた。フロイスはガクリとその場で崩れそうになった自分を、なんとか奮い立たせた。


「殿。先ほどの御言葉は冗談ということですか?」


「違うぞ、光兼。恐らくは当たっている。だがそれは、フロイスの人柄や高潔さとは別の話よ。ルイス・フロイスよ。察するに其方は、そのようなことが本当や嫌なのだろう? 政事などに関わらず、ただ一人の神父(パードレ)として、人々に向き合いたいのであろう?」


「オ、オソレ入リマシテ……ゴゼマス」


 宣教師としての本分と、国王(スポンサー)の要望という狭間の中で、フロイスは苦しんでいた。それを目の前の若者にピタリと当てられてしまった。救いを求めていたのは、他ならぬ自分自身だったのである。


「フロイスよ。新田領内での布教を許そう。ただし、新田の法に従う限りにおいてだ。俺は坊主に説法を禁じてはいない。南無阿弥陀仏と唱えれば極楽に行けると信じておるのなら、信じればよい。だが、極楽に行けるぞと人々を誑かし、扇動し、武器を持たせて反乱を起こさせるような輩は、断じて許さぬ。新田領内では、宗教と政事は完全に切り分けている。決して政事に口を出すな。政事で動こうとするな。国を救うのは宗教ではない。法に基づいた統治によってのみ、国は救われるのだ。すべてのしがらみを棄て、ただ一人の神父として日ノ本で生きよ。その上で……」


 又二郎は前のめりになり、ニヤリと笑った。口調もまるで違う。厳しさがなくなり、むしろ楽しそうな表情になる。それはまるで、悪戯を思いついた童のようであった。


「のう、フロイスよ。今は何かと物入りであろう? どうだ。この新田を相手に、商いをせぬか?」


 そして親指と人差し指で、輪を作って見せる。最初は下品に見えていたその仕草が、何か価値のあるものに見え始めていた。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 盲目のロレンソに対し、目配せで通訳を促すという点 [一言] いつも楽しく読ませて頂いてます。重箱の隅をつつく様な指摘で申し訳ないのですが、読んでいて、そこに違和感を感じたので。
[一言] 君素晴らしい知識と経験があるみたいだねぇ、うちこない? 出自を問わない為政者の鑑。
[良い点] 早い更新嬉しいです。
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