新嘗祭
他国を攻め滅ぼし、その土地と領民、家臣団を接収する。この行為は現代で考えれば「企業間の敵対的買収」と言える。当然、買収された企業の従業員やその顧客たちは、簡単に納得できるものではない。そのため現代において、敵対的買収の成功率は極めて低い。仮に買収できたとしても、それまでの組織ルールや企業風土がまるで異なる者同士が、翌日から机を並べて共に働けるはずもない。
組織の長がもっとも腐心するのは、今も昔も「人事」である。特に新田家は、土地本位という旧態依然の組織統制の在り方を一変し、近代的な雇用形態に近い。どのように役職と仕事を与え、異動させ、評価を行うか。又二郎をはじめとする文官たちは日夜、頭を悩ませていた。
「磐梯から常陸に掛けて、国人衆の血縁関係は入り乱れており、それぞれに事情があります。時間をかけて融和させなければ、やがて騒乱の元となりましょう」
新田家の文官の中でも最高位にいる田名部吉右衛門政嘉をはじめとする家老たち、そして南条越中守広継ら軍師たちが宇都宮城に集まり、又二郎に意見具申をしていた。奥州統一というのは皆が想像できる具体的な目標であった。だからそこまでは国人たちもついてきた。だがここから、関東、東海、畿内、そして天下となると話は別である。「ここまで大きくなったんだから、良いじゃないか」という空気が生まれ、これまで抑えていた諸事情が浮かび上がりつつあるというのだ。
「殿が天下統一を急いでおられること、我らも重々、承知をしております。されどここは、あえて時を掛け、足元を固めるべきかと存じます」
「連歌に『武士の、やばせの舟は早くとも、急がばまわれ、瀬田の長橋』とありまする。御当家は殿の下で急速に拡大して参りました。されど如何なる人間も、息継ぎもせずに駆け続けることはできませぬ。一度、お止まりください」
普段ならば主戦派になりそうな軍師である南条広継と沼田祐光も、ここは地盤を固めるべきだと主張する。これまで上意下達型で新田家を引っ張ってきた又二郎とて、ここまで言われれば考えざるを得なかった。だがどうやって融和を図るか。
「我ら家老衆も乗り出し、各地で宴席を設けて融和を図ります。また御当家が仲人として、これまでの怨讐を棄てさせるための婚姻を取り持つのです」
「通常、こうした国人同士の婚姻に対しては、大名は警戒するものです。叛乱の芽となり得るからです。されど御当家では国人は土地を持たず、叛乱しようにも兵がおりませぬ。家と家との結びつきのみで終結するでしょう」
又二郎は沈思した。同僚同士が親戚になると、組織統制における問題が発生しないだろうか。たとえば不正の温床となったり、あるいは派閥を形成したりなどだ。だがこのままでは同じ職場で働くことすら困難で、下手をしたら足の引っ張り合いになるかもしれない。
「家臣同士の融和は良いとしても、それが結果として下らぬ派閥争いなどに繋がらぬようにせねばならぬ。天下を論じる上で意見の対立はあってよい。それぞれに得手不得手、気の合う合わないがある以上、眼に見えない繋がりが生まれるのも当然だろう。だがそれが私利私欲を肥やすものとなってはならぬ」
人間の欲望は無限である。新田に降った国人たちには俸禄の他に家禄があり、それでいて私兵を持つ必要が無くなった。つまり暮らしにゆとりができた。それでも貨幣制度が浸透すれば貧富の比較が容易になり、さらなる豊かさを求めるようになる。
無論、国造りにおいては、こうした欲望は原動力となる。仕事への動機のみならず、技術開発や新産業が興る土壌となる。一般人はそれでよい。だが家禄という「特権」を得た元国人たちは、いわば貴族のようなものだ。いずれ必ず、大衆の不満が向くようになる。皆を豊かにした結果、自分たちも豊かになった。国人たちには、こうした利他の精神を植え付けなければならないだろう。
「いずれにしても、もう文月も終わりだ。長期間の遠征で兵たちも故郷を懐かしんでいる。今年の戦はここまでとすべきだろう。上野之助、北越後の統治で気を付けるべき点はあるか?」
沼田上野之助祐光は、顎に手を当てて一瞬考えた。
「北越後を領していた揚北衆は、必ずしも一枚岩というわけではなく、それは各集落も同じでございます。国人のみならず、集落同志を融和させるための策も必要かと存じます」
「うん。吉右衛門、案はあるか?」
「それであれば、御領内全体で今年の収穫を祝う祭りを行っては如何でしょうか? 今から準備をすれば、霜月(旧暦十一月)に間に合いまする」
「なるほど…… 新嘗の大祭でございますな? 良きお考えかと存じます」
沼田祐光はズイと身を乗り出した。祐光は陰陽道を修めた教養人である。当然ながら新嘗の式典についても知識があった。
「某の知る限り、新嘗の大祭は宮中においても、一〇〇年は行われておりませぬ。御当家が率先して新嘗大祭を行い、朝廷にも例年以上に納めれば、帝も大いに喜ばれることでしょう」
「名案かと存じます。御所様(※足利義輝のこと)を失った都はいま、混乱の状態でしょう。朝廷も大いに不安をお持ちのはず。いずれ上洛の際に、この一手は大きく効くはずです」
沼田祐光と南条広継の意見を聞き、又二郎は決断した。
「よし。新田はこれより毎年、新嘗の大祭を領内で行うこととする。可能であれば瓊瓊杵尊を祀る日向高千穂宮から人を呼びたいところだが、それは難しかろう。最初から完全でなくともよい。まずは収穫を祝う祭りから行い、徐々に規模を大きくする。天下統一後は、新嘗祭の日を日ノ本共通の祝日とし、すべての民で祝うようになるだろう」
永禄八年文月末、新田又二郎政盛は奥州統一を成し遂げた後、進軍を一旦は止めた。だがこれは一時的な事であり、半年もせずに動き出すであろうことは、関東甲信越すべての国人たちが予感していた。
奥州では戦が落ち着き、新田の統治が始まる。となれば当然、家臣たちの親族たちも動き始める。又二郎が宇都宮城を拠点としたため、重臣たちも屋敷を宇都宮城周辺に移し、家族を招いた。
「御前様、吉松の顔を忘れてしまったなどと言われますまいね?」
又二郎の第一正室、桜乃方が嫡男の吉松を連れてきたのは、文月が終わり葉月に入って間もなくであった。第二正室である深雪乃方も、長女である瑠璃を連れてきている。家臣たちからも、第二子、第三子を求める声がある。何しろ又二郎は戦の最前線に立ち続けているのだ。万一のことが起きても不思議ではない。
「ちーち?」
嫡男の吉松はさすがに自分とは違い、転生者ではないようであった。生まれたのは去年の睦月(旧暦一月)だから、一年と半年程度であろうか。既に立ち上がっているので、身体が弱いということはないだろうが、情操教育はしっかりとしなければならない。
「吉松が元服するまでには上洛したいものだが、この先の困難は奥州統一の比ではない。従属した上杉も完全には信用できぬ。力を蓄えねばな」
吉松と瑠璃は又二郎を避けているわけではないが、やはり母親の近くの方が安心できるのだろうか。近づいてこようとはしなかった。又二郎もそれで良いと考えていた。まだ数え二歳なのだ。自分とは違う「普通の赤子」に満足していた。宇曽利の怪物は一人でいいのだ。
「そういえば、浪岡の八幡宮にいる義兄上様から、書状を頂きました」
桜乃方が口にした一言に、又二郎はピクリと手が止まった。桜が言う義兄上というのは、浪岡八幡宮に入れた自分の実兄、久松のことで間違いない。九十九衆によって監視をさせていたが、この一〇年間、怪しい所は一切なかった。やがて又二郎も、忙しさの中で存在を忘れてしまっていた。
「……なんと言ってきた?」
「季節の挨拶や甥が生まれたことへの慶びの言葉といった、普通の内容でした。御前様、そろそろ義兄上様を御許しになられては如何ですか? 血を分けた御兄弟ではありませんか」
「別に許す許さぬではないのだがな。浪岡八幡宮は亡き弾正大弼殿(※浪岡具永のこと)が手厚く保護し、浪岡一帯の領民たちにとっても縁が深い。そんな場所を任せているのだから、むしろ寛容に扱っていると思うが?」
「ですが、御前様はこの一〇年、一度として義兄上様に会おうとされておられませぬ。たとえ家中に招かなくとも、一度くらいは御兄弟として対面されては如何ですか?」
「ふむ……」
別に会いたいとも思わないし、会ったところで利益があるとも思えない。嫁が気にしているのは奥、つまり新田家中のことである。不仲な親族がいては奥が乱れるというのだろう。
(面倒だな。いっそのこと、消してしまうか?)
一瞬、そう考えた。すると長女の瑠璃がグズリはじめた。深雪があやしながら、ジロリと視線を向けて来る。又二郎が一瞬でも殺意を持ったことを敏感に悟ったのだ。
「御前様……」
「わかった。ちょうど霜月に、新嘗の大祭を領内でやろうと考えている。浪岡城下でも盛大な祭りを行う。八幡宮にその役目を与えよう。その礼として会えば、不自然ではあるまい」
又二郎は苦笑して妻たちを宥め、グズる深雪を腕に抱えた。扇子を開け閉めすると深雪も泣き止み、珍しそうにパチパチと音がする扇子に手を伸ばす。
(丁度良い。人払いをして直接聞くか。転生者か否か、俺が見極めてやる)
別に転生者であっても構わない。あの時とは違い、もはや転生者一人でどうこう出来るような情勢ではない。奥州は自分の下で纏まっているのだ。むしろ自分には無い知識を持っていたら、それを利用することも吝かではない。家中には入れずとも市井の賢人として、外部利用をすればよい。
「今年の戦は終わりだ。佐竹を攻めるのは来年の前半になるだろう。それまではお前たちとゆっくりできる。今宵は皆で、食事をしよう」
こうして又二郎は束の間の、家族団欒の時間を過ごした。