常陸仕置
齢一九歳の若き当主、佐竹義重は兵をまとめて退却していた。白河小峰城の攻城戦では、新田軍の側面を突こうと動いたが、鎧袖一触にされてしまった。装備も兵の質もまるで違う。文月を過ぎれば刈り入れの時期に入る。農民兵が主体の佐竹軍は、これ以上は留まれなかった。
「殿、岩城と相馬が動いておりまする。新田に臣従する前に、我らを攻めるつもりでしょう」
和田掃部助昭為の言葉に、義重は顔を歪めた。もはや新田の流れを止めることは不可能である。このままでは家中からも離反者が出るだろう。実際、宇都宮家と小田家はさっさと離反してしまった。
「禅哲殿が動いておりまする。なんとか、新田との交渉を持ちましょう。たとえ土地を奪われるにしても、家門が絶えることはありませぬ」
「それしかない…… か……」
握りこんだ拳を開き、義重は肩を落とした。和田昭為も、主君の苦しみは痛いほど解っていた。時が足りなかったのだ。あと一〇年あれば、佐竹は若き当主の下で纏まっただろう。幾度かの戦と離散集合の中で揉まれ、主君も大きく成長したはずだ。
義重は弱冠一九歳。名君の素質はあれど、それを磨くための経験が不足している。危機に陥った佐竹家を束ねるには、貫目が足りなかった。太田城に戻った後は、各国人たちが次々と離散し、新田に雪崩るであろう。主君の首を手土産にと考える卑劣な輩まで、出るかもしれない。
「新田陸奥守が、そのような信義に薄い者たちを認めるとは思えんがな。それすら理解できぬ者も、確かに多いだろう。俺が陸奥守の立場であれば、佐竹を残すことはせぬ。大きすぎるからだ。少なくとも半分以上の国人たちを滅ぼす」
「御尤もです。ですが殿は、生きてくだされ。御家を残すことをお考え下され」
義重は黙って頷いたが、簡単に降るつもりはなかった。戦えても、あと一戦が限界だろう。だが戦える以上は、自分は残らねばならない。それが大名としての責任なのだ。一五で家督を継いだ自分には、室も子もいない。佐竹家は、一八代で絶えるだろう。義重はそこまで覚悟していた。
「岩城と相馬が慌てて佐竹攻めに加わると言ってきた。少しでも働いて禄を増やし、その後に臣従するつもりなのだろう。田村と比べると、少し遅すぎるとも思うがな……」
「家中を纏めるのに時を要したのでしょう。それに上杉が動いておりましたので、様子を見ていたという側面もあったかと存じます」
又二郎の横に立つ田村隆顕は、あえて相馬盛胤を庇わなかった。自分の子である清顕の正室は、盛胤の妹である。その縁を使い、相馬は早くから新田に接触はしていた。だが佐竹との争いや家中での派閥争いなどで、纏めるのに時間を要した。盛胤は決して愚鈍ではないが、それでも一四代も続いた相馬の土地を手放すとなると、簡単には決められなかったのである。だが理由はあれど、遅いのは事実である。庇えば家中に派閥を作るつもりかと、角が立つだろう。
「心配するな。事情は理解している。鎌倉から四〇〇年、その土地に生きてきたのだ。簡単に手放すことなど出来まい。相馬も岩城もちゃんと遇するつもりだ」
隆顕は黙って一礼した。そして内心で戦慄する。本来、人心に対するこうした機敏さは、人との間で揉まれながら徐々に培っていくものである。だが、目の前の主君はまだ二〇歳なのだ。二〇歳だった頃の自分と比べて、この主君の完成度はどうだ。改めて宇曽利の怪物と呼ばれる所以を理解できた。
「落ちましたな」
田村清顕が先鋒となって攻めている「搦目城」から火が上った。元々、搦目城が白河結城氏の本城であったが、五〇年以上前にあった「永正の変」という事件によって、白河結城氏の本城は小峰城へと移った。搦目城はあくまでも支城に過ぎなくなった。そしていま、その最後の城が落ちた。これで白河結城氏は滅亡した。
「盛者必衰…… 過去の栄光など未来の保証にはならぬ。今を懸命に生きる者にのみ、明日が来るのだ。新田家もよくよく、心せねばな」
その通りだと田村隆顕も思った。遠い昔、岩背と呼ばれたこの地には、鎌倉以降多くの武士たちが国人として土地を治めてきた。四〇〇年の中で栄枯盛衰はあれど、各国人たちは家門を保ってきた。だがいま、遥か宇曽利から新たな時代が始まろうとしている。その時代に適応できない家は、容赦なく滅びる。時代の転換点に、自分は立っている。そう思い、隆顕は腕に鳥肌を立てた。
「宇都宮下野守には家禄一万石を認める。ただし、芳賀高定と多功房朝の両名を新田の直臣とすること。これが条件だ」
宇都宮城に入った新田又二郎は大広間において、臣従した宇都宮氏の扱いについて発表した。宇都宮下野守広綱は病弱で、とても役目には耐えられない。正室である南乃方に支えられて、ようやく歩けるほどであった。
「芳賀も多功も、某には勿体ない武将です。長年、宇都宮のために働いてくれたのに、某は何も報いてやれませんでした。我が家はどうなろうとも構いませぬ。どうか両名を御取立てくだされ」
それを聞いた。又二郎は表情を緩め、優しい眼差しとなった。病弱であっても、それでも当主として家臣たちを第一に考える。己の福祉のみを考える輩が多い中で、見上げたものだと感心したのである。
「無理をするな。新田には優れた医師が多い。あとで一人送る。養生し、宇都宮の家を残すことを第一とせよ。新田は天下を目指す。働く場はまだまだ多い。芳賀も多功も、新田の武将として大いに活躍し、そして史に名を刻むことだろう。その働きを見届けるまで、死ぬことは許さぬぞ」
宇都宮広綱は安心した表情を浮かべて意識を手放した。これ以上、無理をさせる必要はない。又二郎は大声で近習に指示し、広綱は退室した。
「さて、待たせたな。天羽源鉄殿」
一見すると女にも見えそうな美青年が微笑んだ。その瞳は深い紺色をしている。まるで海のようだと又二郎は思った。
「戦国最弱」と馬鹿にされ、それでいて愛される武将がいる。常陸小田城を領する国人、小田氏治である。だがその戦歴を見ると、一概に「最弱」とは言えない。記録されている戦の数は四〇回だが、勝負の内訳は一九勝二一敗である。つまり負けては勝ち、そしてまた負ける。これを繰り返していたのである。なぜ「戦国最弱」と呼ばれるのか。それは普通であれば、二一敗もする前に家が滅びるからだ。
小田氏治は、その生涯を戦い続けたが、本城である小田城を幾度も失っている。だがその度に、家臣たちが奮起して一年足らずで小田城を奪還している。そしてまた負けて小田城を失うのだ。無様に負け、鮮やかに逆転勝ちをする。これが後世において、小田氏治が愛される理由であろう。
「筑波山を取り囲むように、北は柿岡城、東は戸崎城(※土浦から東に六キロほどの場所)、西は下妻城までを認める。そして南だが、坂東太郎までを任せる」
天羽源鉄は表情こそ変えなかったが、内心では少し驚いていた。今の領地よりも遥かに広くなるのだ。新田は小田氏を本気で残そうとしている。これだけの領地があれば、北条を食い止めることも可能だろう。
「誠に寛大な御処置、畏れ入りまする。それで、当家を残すうえでの条件は?」
人質であれば、庶子だが長男の友治がいる。源鉄は密かに、北条家と盟を結び、佐竹に対抗する策を考えていた。その際の人質にと思っていたが、どうせなら新田に出すほうが良いだろう。
「ない。俺は誓紙も人質も取らぬ。しいて言うなら、質は小田氏治の誇りよ。裏切りたければ裏切るがよい。その時は、坂東武者は口先だけで信義も弁えぬ腐れ武士と、永遠に語り継がれることになるだろう。生き恥どころか、子々孫々まで恥辱に塗れたければ、好きなだけ裏切ればいい」
あまりの直截的な言い方に、源鉄はその美麗な顔を歪めた。主君の小田氏治は短気な人間ではないが、こと武士の沽券に関わることには敏感である。このような話を聞いたら激怒するに違いない。
「それと、もう一つ言っておく。新田、そして北条に挟まれるのだ。内政に力を入れよ。さもなくば、土地からどんどん、人が離れていくぞ。氏治殿は領民に愛されていると聞くが、人は愛だけでは生きてはいけぬ。着る物、食う物に明らかな差が出れば、やがて領主を憎むようになるだろう」
源鉄は頷いた。そのことは小田家中でも危機感として持っている。新田の統治の仕方を学び、小田の特産を産み出さなければならない。そうしなければ、小田家は戦わずに滅びるだろう。決して簡単なことではないが、内乃海(※霞ヶ浦)と坂東太郎(※利根川)に挟まれた肥沃な土地を得たのだ。工夫の仕様もあるだろう。
永禄八年文月末、新田又二郎政盛は奥州を完全に制圧し、宇都宮城を新たな拠点とした。そしてほぼ同時期に、長引いていた北越後での戦も片付いた。揚北衆の半分を降し、庄内から新潟までを切り取った若き武将たちが、投降した者たちを連れて報告に来たのは、それから間もなくのことであった。