関東国人たちの動き
下野国(※現在の栃木県)は奥州から関東に入る入り口である。逆の見方をすれば、奥州と相対したときに備える防衛線ともいえる。そのため関東八屋形(宇都宮氏、小田氏、小山氏、佐竹氏、千葉氏、長沼氏、那須氏、結城氏)のうち、宇都宮氏、小山氏、長沼氏、那須氏という実に半分もの屋形が、下野国に配されていた。元々は鎌倉幕府設立時に、奥州藤原氏への備えとして置かれた名門の国人衆であったが、室町時代の後期になると、その四氏にも格差が出ていた。小山氏と長沼氏は下野国の小国人に没落し、那須氏は上那須と下那須に分裂した後、なんとかまとまったが力を落としている。その中で唯一、無視できない国人として力を持っていたのが「宇都宮氏」であった。
「宇都宮からは援軍として、多功房朝、芳賀高定が併せて二〇〇〇の兵を率いて加わっております。また佐竹からは、当主の佐竹義重自らが八〇〇〇の兵を率いており、そのほか下野から常陸、さらには北武蔵の小国人らまで駆けつけ、総勢一万八〇〇〇に達しておりまする」
新田軍の本陣では、田村清顕(※田村氏当主、田村隆顕の嫡男)が、戦況を報告していた。白川結城氏が護る小峰城の手前には、阿武隈川が流れている。その川を挟んですでに幾度かの小競り合いはあったが、決戦には至っていない。戦略的に見れば、新田の南進に伴い田村が結城を攻めているのだが、戦術的には田村はこれまで守りの戦をしていた。新田本軍を待つためである。
「我ら新田は奥州人だ。下野の状勢にはそこまで明るくない。月斎翁よ、俺としては宇都宮よりも佐竹が気になるのだが、留意しておくことはあるか?」
「確かに、宇都宮は二〇〇〇と少ない。じゃが多功と芳賀は侮れぬ。当主の宇都宮広綱は今年で齢二一になるが病弱でな。宇都宮家は成綱の代で再興したが、その後は当主に恵まれなんだ。没落し、家が滅びんとしていた。それを食い止め、盛り返したのが多功と芳賀の両名よ。多功は戦で、芳賀は政略と謀略で宇都宮を支えておる」
「なるほど。宇都宮を支える二本の大黒柱か。宇都宮家の家門安堵で、調略は可能か?」
「ふむ……」
田村月斎は白い顎鬚を撫でて沈思した。いま時点でも新田が負けることはない。ならばなぜわざわざ調略をしようというのか。
「なるほど、多功と芳賀が欲しいわけじゃな?」
「没落した主家を支え、さらには盛り返した。力量は十分に証明しているし、忠義にも篤い男たちなのだろう。新田はまだまだ人が足りぬ。宇都宮に一万石の家禄を与えて安堵する。そのかわり多功と芳賀は新田に仕えよ。これが条件だ」
「やってみる価値はあるかのう。じゃが、それを言うならもう一つ、押さえたほうが良い家がある。佐竹の要衝、小田城を守る小田氏治じゃ」
月斎は、常陸国にある内の海(※霞ヶ浦と呼ばれたのは江戸時代)の西を示した。常陸佐竹と下総結城の間にある城で、普通に考えれば佐竹に属する国人衆と思われた。
「この小田氏は、元々は関東八屋形の一つで家臣の結束は固く、上杉に従ったかと思いきや、次は里見に近づき、北条が盛り返してくると北条に靡いた。今は和睦をしておるが、佐竹も結城も小田のことはまるで信用しておらぬであろう」
「御待ちを、月斎殿。当家は背信者には厳しく当たりまする。特に関東は国人衆が入り乱れており、秩序を再構築するためには、ことさら厳しく当たる必要がありまする。お話を伺う限り、とても信を置ける者とは思えませぬが?」
南条広継の疑問は当然であった。裏切りが当たり前の戦国の世を終わらせ、信義を重んじる秩序の再構築を目指す新田は、当然ながら盟約破りや裏切り者には厳しい。当然、月斎もそのことは承知をしている。それでも月斎は小田を推した。
「嘗ての関東八屋形も今は没落し、小田家も小国人となった。普通に考えれば家臣たちも主君を見限り、離れていくであろう。じゃが不思議なことに、小田の家臣たちは氏治に従っておる。結城に、佐竹に、本城である小田城を幾度も奪われながら、家臣たちの働きでそれを取り返してきた」
「つまり優れた家臣たちが主家を支えていると?」
「うむ。菅谷左衛門太夫政貞を筆頭とする小田四天王、さらには軍師である天羽源鉄など、家臣は粒ぞろいじゃ。じゃが何よりも……」
「その家臣たちを縦横に活躍させる主君か……」
又二郎が、田村月斎の言葉の続きを呟いた。月斎も広継もそれに頷く。この時代、主君と家臣の関係というのは「御恩と奉公」というトレードオフの関係である。気に入らなければ他家に「転職」するのは当たり前のことであった。一つの家に長く仕えることを美徳とする価値観は、江戸時代以降のものである。
優れた家臣というのは、それだけ癖が強く、自尊心も高い。新田家は、又二郎がそれ以上に癖が強く、強烈な統率力を発揮して家臣たちを束ねている。土地こそ持たないが、その分私兵も持たないため、家臣たちは極めて富裕な暮らしをしている。だから皆が又二郎に付き従う。
小田家はまるで逆であった。主君の小田氏治は、強烈な統率力などまるで発揮してない。だが、ナヨっちいわけではない。ナヨい男が、自家の数倍はある佐竹や結城を敵に回して戦い続けることなど、出来るはずがない。凄まじい生存本能だが、それ以外にも何かがある。
「誇りじゃ。小田氏治という男は、刀も槍も下手で内政も上手くない。政戦の殆どを家臣に丸投げしている。じゃが氏治は、それでも自分は坂東武者なのだという強烈な誇りを持っておる。どれ程負けても、どれほど追い詰められても決して屈さぬ。必ず挽回してやるという気骨を持った男じゃ。じゃから家臣たちも、主君が折れぬ限りは支えようと仕えている」
「……厄介だな」
又二郎の呟きに、月斎も広継も頷いた。有能ならば生かして使えばよい。だが小田氏治自身は、文官も武官も務まらないだろう。それでも、当主としては極めて有能と言わざるを得ない。家臣たちに最大限の権限を与え、自分は背中で「不屈」を示す。頼りなく、そして頼もしい主君の姿が想像できた。
潰すことは出来る。その時は、家臣たちも皆殺しにせねばならないが、新田に屈しない領地を残すよりはマシだろう。だが又二郎は惜しいとも思った。何度負けても立ち上がる。そうした気骨のある男は嫌いではない。
「小田の領地は常陸の南部であったな?」
地図に視線を落とす。現在の霞ヶ浦の西。土浦から筑波山までの一帯である。又二郎はその土地を扇子でパシパシと叩いて、頷いた。
「呉れてやるか」
「殿?」
「佐竹は降す。だが小田は本領安堵を認める。新田に従属させ、北条領と新田領の境とするのだ。此方は内の海(※霞ヶ浦)から香取乃海(※現在の銚子のこと)までを領し、坂東太郎(※利根川)の北を新田領、南を北条領とする」
「なるほど。小田は時勢によって付く相手を変えてきました。ですが北条と御当家であれば、御当家が圧倒的に上回ります。小田も迷うことはないでしょう。小田は北条方にも繋がりがあるはず。北条に万一の不穏があれば、すぐに察知するでしょうな」
「うむ、時を味方につけるというわけじゃな。小田氏治とて一〇〇まで生きるわけではあるまい。子の代になった時に、改めて降すというやり方もあるのう」
齢七〇を過ぎているのに未だに筋骨隆々の妖怪爺は、自分のことを棚に上げてそう言った。
小峰城の南、八竜神に陣を構えた佐竹当主佐竹義重は、新田との戦をすべきかで迷っていた。新田又二郎政盛は自分よりも一つ年上で、その統治の手腕は比類ないものである。もし佐竹家が大名ではなくただの一国人であったなら、自分は迷うことなく新田に降っただろう。だが佐竹は常陸の大半を領する大名であり、家臣たちも一致団結して新田に当たる姿勢となっている。戦うことなく降ることは不可能であった。
「殿、宇都宮や小田に不穏な動きがあるとのことです」
夜、重臣の和田掃部助昭為が目通りを願ってきた。新田との戦において宇都宮と小田の二つは調略の対象となり得る。これは義重も予想していた。一方で佐竹には、家臣たちを含めて調略の手は伸びていない。この戦で決するつもりなのだ。
「殿、御家のことを第一にお考え下され」
和田昭為は言外に、新田に使者を送ってはどうか。自分がその役を担うと伝えた。佐竹家中において、外政や内政を担ってきたのが昭為である。主君は名君の資質があるが、まだ若年であった。若さだけで家中から舐められるかもしれない。この数年、昭為は家老として家中を引き締めてきた。自分ならば、家臣たちの不満を抑えられるという自信があった。
「ならぬ」
だが義重は、昭為の進言を却下した。新田は佐竹を滅ぼすつもりでいる。佐竹は歴史もあり、家臣たちもそれぞれが、国人として一定の規模を持っている。もし新田に降れば、蠣崎や安東を越えるほどの存在になってしまうかもしれない。新田又二郎が、そんな存在を認めるはずがない。
「一戦せねばならぬ。そうせねば、家臣たちは納得せぬ。常陸に攻め込まれたわけでもないのだ。だが繋がりだけは持っておこう。掃部助よ。密かに接触せよ」
「無骨な田村の中で、月斎殿は機微の解る御仁です。密かに使者を送ってみまする」
「急げ。いつ戦になってもおかしくはない」
新田の南下は最早、止めようがなかった。何処で着地をつけるか。関東の諸大名、国人たちはそれぞれが悩み、そして動き始めていた。