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「やませ」への備え

 戦国時代、人口と石高はほぼ等しかった。つまり一万石の土地では一万人が暮らしていた。一石が、人一人が一年間消費する米の量とするならば、一万石の土地に二万人が住むことは不可能だったのである。

 また兵については、一万石で一〇〇名~四〇〇名が動員可能であった。この幅については、農業以外の他産業の状況や、徴税の実態などで変わった。関ヶ原の戦いでは、平均して二五〇名/万石である。


「常備軍は三〇〇名とする。広益にはその半分を束ねてもらいたい」


 蝦夷蠣崎家からの借用というかたちで田名部にきた長門広益は、いきなり兵を与えられたことに目を白黒させた。それに蠣崎家内の所領はそのまま、新田から禄を受ける形となった。米五〇〇石である。


「今はまだ五〇〇石という米での雇用だが、いずれは銭で渡すことになるだろう。我が新田家では田名部以外の集落の開発を急いでいる。俺はそちらに集中したい。よって軍事については御爺に一任している。広益は御爺の補佐というかたちで、新田軍の増強を頼む」


 そう告げると、吉松は川内へと向かってしまった。残された広益は、取り敢えずは田名部館近くに用意された屋敷に入った。肉、魚、野菜、酒が届いており、家人たちも驚いている。


「殿はいずれ、若狭守様すら臣下に加えられるおつもりですか?」


 川内に向かう途中、馬上で吉右衛門が問いかける。吉松は当然だとうなずいた。


「あの蝦夷地において、まがりなりにも一族を束ね、畿内に使者を送り、蝦夷の民と戦い続けた。並の統率力ではできぬ。耐えがたきを耐えながら、蠣崎家と臣下を守ってきたのだ。そうした人間にこそ、内政を任せたい」


 画期的な技術ならば自分が教えればいい。だが民政とは本来、泥に塗れながら粘り強く進めるものだ。たとえば教育の仕組みなどは整えられても、人が成長する速度までは変えられない。一〇〇年間、荒んだ社会の中で生きてきた人間の意識を変えるには、長い年月を必要とするだろう。蠣崎季広ならばそれに耐えられる、と吉松は見ていた。


「殿、間もなく川内です」


 登り窯の煙が見えはじめた。





「この川内では、焼物の他に鉱物資源の加工を行う。無論、農畜産業も行ってもらうが、もっとも重要なのは粗銅の精製、そして銭の鋳造だ」


 日本の粗銅には、銀が含有されている。この銀を取り除く方法は、戦国時代末ごろにならないと登場しない。粗銅に鉛を加えて溶かし、溶解度と比重の違いを利用して銀を含んだ鉛を分離させる。そして次に、灰吹法を使って鉛から銀を取り出す。これにより、純度の高い銅と銀を得ることができる。


「安全を第一にしろ。口覆いと手袋を付けて、慎重に行うのだ。鉛は体にとって毒だ。直接触れないばかりか、鉛を含んだ空気を吸わないよう、換気にも気を使うのだ」


 豊臣秀吉による天下統一まで、戦国時代でもっとも価値が高い銭は「宋銭」であり、次が「永楽銭」である。吉松は既に何枚かの宋銭を手に入れていたので、これを参考に純度の高い銅で銭を作ろうというのだ。


「銭衛門には、畿内から粗銅や鐚銭を集めろと言ってあるからな。無論、鐚銭などは粗銅扱いだ。通貨としての価値など認めん。それらを鋳つぶして、含まれている銀を回収する。商いをするほどに銀や金が増えていく。クックックッ」


 銀がどの程度含有されているかは個々の粗銅で違うが、高いときには一三%に達したという。吉松は集めた銀と金で、新田領内で通用する貨幣を作るつもりでいた。

 すでに安部城鉱山の場所も判明しており、いつでも鉱山開発が可能な状態である。各施設が整い次第、順次開始する。金、銀、鉄、銅の四つが安定して手に入るようになれば、新田家の経済力は決定的なものになるだろう。その時こそ、南部を飲み込むときになる。


「人は集められぬが、交易をしてはならぬという取り決めではないからな。野辺地、七戸、三戸あたりにも米や酒を流すか。あとは石川もだな」


 黒備衆が道の整備を続けている。停戦期間の五年があれば、下北半島はほぼ整備されるだろう。馬車を使った物流網を完成させ、ヒトとモノを動かす。五年後には米だけでも一〇万石。麦や稗、大豆などの他の穀物や野菜、家畜などすべてを合わせれば、二〇万石を超えるはずだ。つまり南部家をも超える。


「だが足掛かりを作っておきたいな。来年あたりか?」


 吉松の脳裏には、次の戦の構想が出来上がっていた。





「殿、お聞きしても宜しいでしょうか?」


 田名部館では、長門広益を歓迎するささやかな酒宴が開かれていた。吉松は酒が飲めないため、牛蒡茶を盃に入れて飲んでいるが、盛政や広益は鶏の塩焼きを稗酒で堪能していた。ただの塩ではない。昆布から濃い目の出汁をとり、それに塩を入れて煮詰めてできる「旨味塩」を使っている。田名部の新たな特産品にならないかと考えたのだが、費用が掛かるため田名部館の中だけで使っている塩だ。


「御領地は繁栄し、今年は米だけでも二万石を超えましょう。ですが、その石高に比して兵が少なく思います。なぜ、敢えて兵を少なくしておられるのでしょうか?」


 広益は吉松のことを「殿」と呼んだ。これは広益の中にあるケジメである。自分の忠誠は蠣崎家に向けられている。だがこの田名部にいる以上は、新田吉松が主君なのだ。新田が蠣崎を守る限り、自分は新田吉松を主君として働く。広益はそう決めていた。


「この数年、田名部では稲作が上手くいっていた。これは幸運なことだ。だがどのような知恵を使おうとも、防げぬものがある。この地は数年に一度、寒い夏がやってくる」


 吉松が恐れているのは、いわゆる「やませ」である。北日本の太平洋側には、オホーツク海から寒流の親潮が流れている。その上を通ってくる風は当然、冷たい。そのため数年に一度、標高一五〇〇メートル以上の空気より、以下の空気のほうが冷たくなることがある。そうなれば冷たい空気は暖かい空気を超えられず、奥羽山脈などに阻まれて留まってしまう。古来より、下北半島から三陸海岸にかけて、この冷害に悩まされてきた。現代において日本海側に米どころが集中しているのは、このやませが無いためである。


「ひょっとしたら、来年そうなるかもしれない。寒い夏となれば米は全滅だろう。稗や麦すら危うい。田名部で多様な作物を育てている理由は、冷害に備えてのものだ。だから常備兵については、豊作を前提とした兵数ではなく、冷害を前提とした兵数を揃えようと考えている。もっとも……」


 吉松は口角を上げて言葉をつづけた。


「出羽、檜山を落とせば少しはマシになろうがな……」


 広益の腕に鳥肌が立った。





 稲の実りが良い。幸いなことに、天文一九年も豊作を迎えられそうであった。やませの予測は不可能だ。現代科学においても、メカニズムこそ解明できたが、予測には至っていない。よって、冷夏が起きることを前提とした仕組みを整えておく必要がある。


「大間や大畑ではソバを栽培させよう。ソバは寒さに強い。それに今年は醤油や味醂が完成する。普通にざる蕎麦を食べたいしな」


 陸奥(みちのく)ではカツオこそ獲れないが、かわりにサバが手に入る。鯖節でも旨味は取れるし、荒節までなら比較的簡単に作れる。麺としてのソバの使い途を教えれば、栽培にも力が入る。


「あとはジャガイモか…… こればかりは南蛮商人がいないと手に入らないからな。山芋を栽培しよう。麦、大豆、葱、ニンニクを輪作に組み込めば大丈夫だろう」


 新田領内の農業について一通りの報告書を読み、方針を伝えた後は、次の合戦について考える。下北半島を南下することは不可能だ。南は南部家によってガッチリ固められている。つまり飛び地しかない。


「なんということでしょう。いまの新田家にとって最も必要とする土地が、ほとんど無傷で手に入るではありませんか! 据え膳食わぬは男の恥ってね」


 吉松は手製の地図に石を置いた。津軽半島北西部である。


(´・∀・`):なんと日間、週間ランキング歴史部門で一位を取っていました! 皆さま、応援いただきありがとうございます。

(=゜ω゜=):ありがとうございます。

(´・∀・`):いやー、普段はランキングって見ないから、気づくのに時間が掛かってしまいました。筆者が気にしてるのって「ブックマーク数」だけなんですよ。

(=゜ω゜=):どうしてブックマーク数だけなの?

(´・∀・`):本業に求められるスキル「言語表現力」は、どれくらいの人が作品を気に入ってくれたのかで測れると考えているからさ!

(=゜ω゜=):というわけで、次話を読みたいと思われるか方は、ぜひポチッとしていってください。


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挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 順風満帆に来たのでかえって不意の凶作のことが気になっていましたが、凶作前提の備えをしているのは流石ですね。実際にやませが来たとき他領とどう差が出るのか見てみたくなります。
[一言] 津軽半島北西部って、海を超えて攻めるの? 凄いのう。
[良い点] 文章がしっかりしてて読みやすいし更新も早くて素晴らしい。 肝心の内容も面白いです。続き楽しみにしています。
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