北条、武田連合
新田が蘆名と激突したころ、関東でも大戦が始まろうとしていた。新田はいずれ蘆名を降し、白河結城を鎧袖一触にして一気に関東まで出て来るだろう。新田は佐竹までを飲み込む。北条は下総結城、里見を降し、関東六ヶ国を領する。北条はこれを基本方針とし、伊豆、相模、武蔵に二万二〇〇〇もの大動員をかけた。
さらには武田家からは家督を譲られた武田大膳大夫義信、飯富三郎右兵衛尉昌景(※山県昌景だが、義信事件が起きていないため飯富のまま)、馬場美濃守信春など一万二〇〇〇が援軍として加わり、総兵力三万四〇〇〇にて一気に里見と決着をつけようとしていた。
「長親よ。此度の戦には其方も出陣せよ」
武蔵忍城にて、宿老の成田肥前守泰季は、厳しい表情を嫡男に向けていた。鎌倉以前から武蔵国に根を張る成田氏は、現在こそ北条氏に仕えているが一門としての力は北条の中でも上位に入る程に大きい。現在、成田氏の惣領は忍城城主の成田長泰であるが、実際には実弟の泰季が、成田一門を差配していた。成田泰季は文武両道の名将で、数多くの戦場で武功を立てつつ、軍学や礼法にも精通した教養人でもある。そのため泰季は成田一門の「脇惣領」とまで呼ばれていた。
「ですが父上、某には田んぼの面倒が……」
「たわけがっ! いつまで百姓の真似をしておるのだ! 二〇にもなって初陣すらしておらぬなど、其方には坂東武者としての気概は無いのか!」
嫡男の成田長親は、一喝されて首を竦めた。身体は大きい。父の泰季も歴戦の勇将として鍛え抜かれているが、それより一回り以上は大きかった。だがその貌はとても武士のものとは思えなかった。色白く眉は下がり、瞳に覇気は無く、何を考えているのか推し量ることのできない貌であった。
「その身体を鍛えれば、一廉の武人にもなれるであろうに、鍬を手にして畑仕事など…… それだから其方は百姓たちからでくの坊などと呼ばれるのだ」
「はぁ……」
反応が薄い。痴人なのではないかと不安になる程だ。だが不思議と、嫡男は百姓たちから好かれていた。何をしても不器用で、畑仕事をしても足を引っ張るだけなのに「しようのねぇ御仁だなぁ」と笑いながら受け入れられている。そればかりか同い年でいずれは家老になると期待されている正木利英も、なんやかやと嫡男の面倒を見ている。どこにそんな魅力があるというのだろうか。
「もう良い。其方の初陣には利英が付く。利英の言うことを聞いておれ」
「はぁ……」
本当に解っているのかと不安になったが、正木利英が付くなら安心だろうと無理に自分に言い聞かせ、泰季は嫡男を下がらせた。のそのそと出ていく嫡男の姿は、まるで大きな童のように見えた。
「同い年だというのに、少しは新田陸奥守を見習って欲しいものだ。子育てを誤ったかのう……」
苦悩する父親は、溜息をついて首を振った。
「長親! 初陣は決まったのか!」
忍城を出て歩いていた成田長親に声を掛けたのは、練兵を終えたばかりの正木利英であった。家中でも屈指の槍の名人であり、兵の扱いも上手い。小さな戦であったが、すでに二度も戦を経験していた。
その利英が色々と面倒を見ているのが、成田長親であった。同い年ということもあるが、なぜか利英は長親のことを放っておけなかった。コイツには俺が必要なのだという責任感のようなものさえ、感じていたのである。
「うん、決まった。里見との戦に加わることとなったわ」
「万と万がぶつかる大戦だ。ここで武功を立てれば、家中でのお前の評判も変わるだろう。気張れよ!」
「うーん…… 利英に任せる」
またこれか。利英は内心で溜息をついた。長親は自分から意思や意見を示すことなど滅多になく、殆どを他人任せにしてしまう。本人はただ、好きな畑仕事をして百姓たちと笑い合い、生まれた赤子に名前を付けたりして遊んでいるだけなのだが、結果として周りが世話をして、ある程度の成果が出してしまう。
もっとも、今回は初陣である。でくの坊に余計なことをされるよりも、全面的に任された方が、利英としても都合が良かった。まずは足軽の徴発からだなと思った。
北条家と武田家の連合軍三万四〇〇〇というのは、里見を震撼させるに十分であった。本来であれば、上杉や佐竹を連合して対抗するのだが、上杉は蘆名への援軍に出ているため期待できない。また佐竹は白河結城を支援している。里見は下総、上総、安房の三ヶ国から一万五〇〇〇を集め、国府台に陣を構えた。
「太郎殿。武田の援軍、誠に心強く、感謝申し上げます」
「新九郎殿には駿河攻めにて世話になりました。それに会って話し合っておきたいとも思っていましたから……」
何についてかは言わない。無論、新田にどう向き合うかである。武田も北条も、今のところは新田と事を構えることはしていない。だが両家の家中には、土地を接収する新田への不安、反感も大きい。もし新田に降ると決めれば、国人衆は瞬く間に離反し、関東から信州まで大混乱となるだろう。
「難しいものですな」
「誠に…… ですがまずは、目の前の戦から片付けましょう」
偉大な父親を持つ同い年の嫡男同志として、幾度か酒を酌み交わすうちに、二人の間には友情すら芽生えていた。里見との決着が着いた後は、武田の遠江攻めに、北条が援軍を出す。三河まで一気に攻め上がり、松平家康(※徳川と名乗るのは一五六六年)を降す。武田と北条はそれぞれ六ヶ国ずつ、併せて一二カ国を領する大大名同士となる。この力があれば、新田にも対抗できるだろう。
その上で、新田に本領安堵の交渉をする。自分たちの手で国を纏め、国人衆を整理し、新田のような中央集権体制を構築する。かつて酒を飲みながら、二人が描いた図面であった。
「そのためにも、まずは里見を降しましょう。この国府台での決戦で、一気に里見を追い詰めます。里見には鉄砲隊はありません。武田の騎馬の力が存分に発揮できるでしょう」
「飯富の赤備えの力、とくとご覧あれ」
若き当主二人が、拳をコツンとぶつけ合った。
新田又二郎が国府台決戦の決着を知ったのは、猪苗代湖を越えて田村の後詰に入った時であった。里見の抵抗も激しく、陸どころか海でも戦が行われたが、結果として北条は勝利し、下総一国を切り取ったという。里見には上総と安房が残されたが、此処まで追い詰めれば北条だけでも十分に里見を降せるだろう。援軍の役目を終えた武田は引き返したという。
「武田太郎義信と北条新九郎氏政か。いずれもまだ二〇代だったな」
「御意。両名ともこの数年で大きく成長したと、家中でも評判だったそうです」
又二郎は頷いて沈思した。武田信玄も北条氏康も未だ壮健である。武田は義信事件を回避し、嫡男の太郎義信がそのまま武田家を継いだ。偉大な父親の薫陶を受けながら、新田という危機を前に政戦両面で苦労することになる。人は経験によって成長するが、その経験からなにを掴むかを導く者がいれば、その成長度はさらに上がる。となれば史実以上の武将になる可能性がある。
「上杉と決着をつけたと思ったら、今度は武田と北条か……」
北条だけならば関東を任せても良い。だがそこに武田が加わるとなれば、話は別である。関東甲信さらには東海までとなると、余りにも大きすぎる。もし北条と武田併せて一二ヶ国が敵に回れば、総兵力は一〇万近くになるだろう。今の新田でさえ勝てないかもしれない。そんな存在を認めるわけにはいかない。
(とはいえ、武田と北条を相手にすれば一〇年以上は掛かるだろう。その間に、今度は織田が伸長する。北条はまだ良い。アレは天下への野心が無いからな。だが武田は別だ。少なくとも武田信玄が生きている限り、背中を見せるわけにはいかぬ)
北条と武田を分断し、武田だけを滅ぼすことが出来るのならば上々だが、それが難しい場合は両家に選択を迫らねばならないだろう。両家の盟を選んで新田と戦うか、それとも新田に服するか……
「関東に出てからだな。今年中に白河結城と宇都宮を滅ぼし、唐沢山城までの道を確保するか」
複数の鎧の音と共に、さっさと攻め込むのじゃぁという大声が聞こえてきた。やれやれ、妖怪爺がやって来たか。又二郎は苦笑して立ち上がった。