永禄の変
せっかく降伏を決めたのに、父親を殺して上杉に見限られ、さらに重鎮たる四家老まで幽閉して、それで兵たちが付いてくるはずもない。いかに堅城といえど内部が崩壊すれば簡単に落ちる。上杉が撤退してから二日後には、蘆名盛興は家臣たちに捕らえられてしまった。
「それで、蘆名は降るのか?」
「御意、されど先代の盛氏様の子は、盛興様しかおられませぬ。御当家が背信した者に対して御容赦がないことは重々承知をしておりますが、そこは我らの命と引き換えに、何卒、何卒、曲げてお願い申し上げまする」
蘆名四家老の筆頭である松本図書助氏輔、内政政策を担当していた佐瀬源兵衛種常の二人が又二郎の前で土下座している。長門広益や柏山明吉など新田の家臣たちは、一様に表情を険しくしていたが、内心では別であった。たとえ愚者といえど主君の血を引く最後の一人。たとえ罵声を浴びせられ、足蹴にされても、それでもなんとか主君の血を残したいと願っている。忠義の鑑のように思えたのだ。そしてそれは、又二郎もまったくの同感であった。
「さすがは蘆名四天と呼ばれる者たちよ。修理大夫殿(※蘆名盛氏のこと)は良い家臣を持たれたものだ。其方らにそのように乞われては、俺としても受け入れざるを得ん。新田は急速に拡大した。今は一人でも多くの、忠義ある家臣を欲している。蘆名四天全員が新田に仕えること。それが条件だ。盛興は慧日寺に入れる。それで、あの寺も蘆名への義理を果たすことになるだろう。よいな。先代の後追いなど許さんぞ。生きて、天下のために働け!」
こうして会津全域を新田領とした又二郎は、新田軍三万を二手に分けた。最上義光、氏家守棟らは一万を率いて越後の石川左衛門尉高信の旗下に入る。北越後では未だ揚北衆が抵抗している。安東愛季、蠣崎政広、九戸政実ら新田の次代を担う武将たちには、良い経験となっている。そしてそこに、最上義光も加わることになる。後見は新田の家老、石川高信だ。
「これで、揚北衆は完全に包囲されました。南北からの挟み撃ちにより、一月もあれば決するでしょう。殿が率いる二万は、再び猪苗代を越えて、田村の後詰に入ります。現在、白河結城、宇都宮、佐竹が連合し、田村と睨み合っています。ですがそろそろ、月斎殿のしびれも切れる頃でしょう。田村は一万五千、結城の連合軍は二万近くと聞いています。我ら二万が加われば、一気に関東への道が開けます」
南条越中守広継が戦況を説明する。新田の武将たちはギラついた眼差しとなった。遥か宇曽利から戦いに戦い、南に進み続けること一〇年。新田はついに奥州を統一した。そしていよいよ、関東への進出である。朧気ながら、天下の姿が見えてきたような気がした。
「クックックッ…… 妖怪爺に怒鳴られるのは嫌だからな。さっさと埒を開けに行こうではないか。我らはこれから、関東を目指す。最終的には、佐竹を滅ぼすまで攻める!」
「「「おぉっ!」」」
進軍中に、又二郎は豊島休心重村への追手について確認した。安東太郎愛季との戦に負けた豊島重村は(※第一二九部「新田討伐令」)、南へと逃げた。最上に仕えようとしたが新田の動きが早いため、さらに南に逃げて蘆名家に拾われたらしい。戦働きばかりでなく、小知恵も効くため、蘆名盛興の側仕えとなっていたようだ。その豊島重村が風魔に見せかけて父親を殺し、新田と北条の間を分断しようと企んだらしい。
「如何致しましょう? 九十九衆を動かして消しますか?」
南条広継が目を細めた。豊島休心重村など、新田にとっては小者である。だが策を弄して蘆名盛氏を殺しているという事実は無視できない。今のうちに消してしまうべきというのだ。
「そうだな。策を弄するということは、暗殺などもやろうとするだろう。消しておこう。もっとも、風魔も既に動き始めているだろうがな」
自分たちを罠に嵌めようとしたのだ。風魔が許すはずがない。九十九衆と風魔衆を敵に回した以上、関東甲信越で生きることは不可能に近いだろう。もしそれでも生き残ったのなら、それはそれで傑物だなと思った。
永禄八年水無月下旬、新田又二郎政盛は蘆名を降し、ついに奥州を統一した。だが歴史の動きはさらに加速する。又二郎が上杉、蘆名を南会津に追い詰め、近衛前久が新田陣に到着したころ、都では激震が発生していた。
永禄八年五月二〇日、木下藤吉郎秀吉は慌ただしい様子で岐阜城に登城していた。猿顔の小男がバタバタと駆ける光景は、控えめに言っても滑稽である。だが藤吉郎は気にしない。それどころではないからだ。
「殿ぉぉっ! 一大事でございますぞぉっ!」
織田信長は岐阜城の私室で書状を書いていた。取次すら待たずに木下藤吉郎が駆け込んできたと、近習が不満げに告げてきたが、信長は気にすることなく立ち上がった。清洲城にいた頃と比べて、織田家は大きくなった。必然的に自分の身の回りには、近習や側仕えが増え、信長に用事がある家臣たちは、彼らに取次を願うようになった。仕方がないこととはいえ、少し家臣たちが遠くなったように感じていた。
そんな時に、元百姓で小者であった男が、桶狭間の頃と変わらぬ様子で駆けこんできたのだ。真面目に仕えている近習たちの手前、それを笑うわけにはいかないが、内心では嬉しかった。
「騒々しいぞ、猿。一大事など滅多に起きるものではないわ。何が起きた」
表に出た時に、息を切らして小男が駆け込んできて、慌てて自分の前に平伏する。織田が大きくなっても、この男は変わらぬなと思いながら、信長はドカリと座った。
「き、京で…… 公方様が討たれましてございます!」
藤吉郎が大声で結論を報告する。だが信長は黙ったままであった。脳の処理が追いつかなかったと言って良い。数瞬して「詳しく話せ」と口にするのが精一杯であった。
いわゆる「永禄の変」は、室町幕府将軍足利義輝が、当時畿内の最大勢力であった三好家から離れ、独自で政治を行おうとしたために、三好家が危機感を持ったことから始まる。三好長慶の弟二人、さらに嫡男までも立て続けに死去し、ついには当主であった長慶までも失った三好家は、その力を大きく衰退させていた。
足利義輝はこれを機に、幕府の権力を回復させようと政治活動を活発にする。だがそれが、三好家に残された三好三人衆、三好長逸・三好政康(※当時は宗渭であったが政康の方が有名のため)・岩成友通の逆鱗に触れる。永禄八年五月一九日、三好三人衆は三好義継(※長慶亡き後の三好家当主)と共に二条御所を襲撃、将軍足利義輝を殺害し、御所そのものも焼き払ってしまった。
「なんたることを……」
信長は呆然として、ただそう口にした。それでいて脳裏は目まぐるしく回転している。これは好機である。畿内の諸大名のみならず、日ノ本中の大名たちが、このような暴挙を認めるはずがない。さらには朝廷も、三好を許さないだろう。衰えたとはいえ、朝廷が認めた足利幕府の権威と権力を真っ向から否定したのだ。三好はほとんど、朝敵となった。
「急ぎ、評定を開くぞ。今後の方針を決める! 猿、ようやった」
一言だけ褒め、信長は立ち上がった。
将軍殺害という三好家の暴挙は、次第に日ノ本全体に広がった。上杉輝虎は会津から新潟へと進む山道でその報せを聞き、今風に言えばブチ切れた。新田と和睦した今、上杉全軍で上洛する。三好を畿内から追い払い、幕府を立て直す。新田もさすがにこの暴挙には怒るだろう。事後承諾でも是とするに違いない。
「御実城様、お気持ちは痛いほどに解りますが、どうか堪えてくだされ。今ここで勝手をすれば、上杉は約束を守らぬ者、不義の輩と後ろ指を指されますぞ」
輝虎の怒りを家臣たちが宥める中、近衛前久は公家衆の動きを危惧した。三好家と繋がる九条家は、当然このことを知っていたに違いない。恐らく三好家にとって都合の良い傀儡の将軍を認めるよう、朝廷に働きかけるだろう。それに対抗するにはどうすればよいか。
「大和の興福寺には、実弟の覚慶がおじゃる。松永の動き次第でおじゃるが、あれは慎重にして狡猾な男。此度のような軽挙妄動など致しまい。覚慶を助け出し、次の将軍として擁立しうる大名は……」
新田がもう少し近くにあれば、近衛前久は迷うことなく新田を選んだだろう。だが都から奥州は余りに遠すぎた。より近くの大大名といえば二つしかない。
「朝倉と織田。この二つでおじゃるな」
たとえ兵は無くとも、関白としてこの国の未来のために動かなければならない。近衛前久は越後に着き次第、朝倉と織田に働きかけようと決意した。
上杉輝虎とほぼ時を同じくして、新田にも将軍討死の報せは届いた。又二郎はただ一言「あっそ」と言っただけであった。畿内の守旧勢力同士の権力闘争など、又二郎には何の関心もなかった。いずれ自分が上洛し、すべてを破壊するのである。新田は三好の四倍か、それ以上の力を持っているのだ。もはや新田を止められる勢力など日ノ本には存在しない。
「この奥州からは何もできん。だが都の様子については随時知っておく必要がある。人を割いて、畿内の様子を知れるよう整えよ。特に押さえておきたいのは、足利義輝の実弟である覚慶の動きだ。朝倉か織田か、いずれかの力を借りて将軍職に就こうと動くはずだ。その動きを見逃すな」
史実では、永禄の変の時はまだ織田信長は美濃を統一していなかったため、足利義昭は朝倉を頼っている。だがこの世界では織田家は既に美濃を手に入れている。朝倉家も史実以上の力があるが、当主の朝倉義景は文化人で、天下を目指す器ではない。加賀の一向門徒という背後の敵もいる。自分が義昭の立場なら、織田を頼るだろう。
「これを機に織田が躍進するかもしれん。此方も急がねばな」
いよいよ天下の姿が見えてきた。又二郎はブルリと武者震いした。