向羽黒山の変
新田軍が精強な理由の一つとして、食事が挙げられる。戦国時代の足軽の食事など、干飯や焼味噌、芋茎程度であった。だが新田軍の荷宰領(※戦国時代の荷物運搬人)は強い権限を持っている。それだけに責任も重い。もし冷えた飯など出そうものなら兵たちから罵声が飛び、最悪首を刎ねられかねない。
「ホホホッ、まさか陣中でこのような豪勢な食事ができるとは。新田の強さの秘密でおじゃるな」
水無月に入ると奥州でも暑い日になる。上杉との戦に一応の決着が着いた以上、兵たちの疲弊は出来るだけ避けねばならない。そこでこの日は全軍に「素麺」が出た。タレは鯖節と昆布、干椎茸で採り、陸奥醤油と味醂も使われている。他にも、山菜を油で揚げた「天ぷら」や雉肉の味噌焼きなども出た。新田では当たり前の食事だが、他領では年賀の宴席でも出せないほどの馳走である。近衛前久は目を細めながら、塩を振った天ぷらを頬張った。
(なんでおじゃる丸がここにいるんだ? 上杉の件は終わったんだから、都に帰れよ)
まさか面と向かってそう言うわけにもいかず、又二郎は山の清水で締めた麺をタレにつけて啜った。ワサビも良いが、この季節は爽やかな青山椒もよく合う。
「菜種油はまだ生産量が少ない。アブラナは宇曽利や蝦夷地でも栽培可能だ。津軽の治水が終わり次第、アブラナの栽培を始めよう。いずれ十三湊から日ノ本全土に輸送されるようになるだろう」
又二郎の言葉を近習が書き留める。これらを纏めて内政政策として文官たちに伝わり、吟味されて領内の新たな施策へと繋がっていく。なぜ新田がここまで豊かになったのか、近衛前久は納得したように頷いた。
「いずれは津軽、そして宇曽利の地に行ってみたいでおじゃるの」
「できれば蝦夷地もご覧ください。あの地には諏訪神社を建てました。もう蝦夷地は日ノ本の一部でございます。その北にはカラプトと呼ばれる大きな島もあり、いずれは彼の地にも神社を建てたいと考えております」
「日ノ本の範囲とは大日孁(※天照大神)の光が届く範囲のこと。陸奥守はそれを広げようとしておるのじゃな? 他の大名は僅かな土地を巡って争っているというのに、新田では日ノ本そのものを拡大させようとしておじゃる。あまりに違い過ぎる」
溜息をついて首を振る。家臣たちは皆、誇らしい顔を浮かべた。戦国である以上、戦わねばならない。敵を殺さねばならない。手柄を挙げ、出世し、もっと豊かになりたいという気持ちは誰にでもある。だが新田家の家臣たちは、それ以外の動機を持っている。この国のため、この国に生きる民のために戦っているのだ。主君ならもっと豊かにしてくれる。もっと暮らしやすくしてくれる。皆がそう信じていた。上杉とはまた違うやり方で、又二郎は家臣たちを掌握していた。
「それにしても、明日で三日目になるが、蘆名にはまだ動きがないのか?」
そう問われた南条広継は頷くしかなかった。蘆名の動きがおかしい。蘆名盛氏は一代で会津を豊かにした内政家であり、戦略眼も確かだ。軽挙妄動をするような人物とは思えなかったが、万一ということもある。既に九十九衆が情報収集に動き始めていた。そして翌日、ついに動きがあった。
「申し上げます! 向羽黒山城より複数の炊煙が上っているのを確認、戦支度をしている様子です」
「……妙だな」
又二郎の呟きに、皆が頷いた。蘆名盛氏は堂々たる人物だった。又二郎もこれなら安心して会津方面の代官を任せられると思っていた。簡単に裏切る男には思えなかった。すると九十九衆の頭領、加藤段蔵が入ってきた。
「段蔵、何があった」
「申し訳ございませぬ。裏を調べるのに手間取りました。蘆名盛氏殿、嫡男の盛興の手によって、討たれましてございます。すでに向羽黒山城は盛興が手勢で占拠され、従わなかった四家老も捕らえられているとのこと」
「盛興? たしか、酒に溺れていた愚物と聞いているが、手際が良いな。裏に誰がいる?」
「それが、どうも風魔が動いている様子なのですが……」
「風魔? 北条が動いたと? あり得んな。北条には関東を任せると伝えている。会津の決着が早まれば、それだけ関東への新田の圧力が強まり、北条は里見を攻め易くなるのだ。北条が動く理由がない。調べろ。誰が盛興に謀反を囁き、徒に乱を起こしたのか。徹底的に調べるのだ」
「御意」
風のように段蔵が消えると、又二郎は腕を組んで沈思した。近衛前久が不安そうな表情を浮かべているので、南条広継が気を利かせた。
「蘆名に混乱が起きたのは確かです。ですがそれは上杉には関係のないこと。我らが城攻めを始めたところで、上杉が動くとも思えません。ここは分けて考えるべきでしょう」
「そうだな。城に矢文を放て。戦を選ぶのであれば是非もない。新田軍三万で攻め落とすとな。それと上杉には使者を。向羽黒山城内で混乱があり、どうやら蘆名は新田と戦うようだが、上杉が希望するなら越後までの道は保証すると伝えろ」
蘆名の御家騒動に乗じて上杉が動く可能性など皆無に等しいだろうが、念のための処置であった。一通りの指示が終わると、又二郎は近衛前久に声を掛けた。
「殿下、戦となりそうです。ここは危のうございます。上杉と共に越後にお退きください」
「そうでおじゃるな。陸奥守よ。上杉の件、感謝するぞ。この恩、麿は生涯忘れぬ」
(貴人、恩を知らずという言葉もある。話半分と思っておくか。まぁ上杉にはせいぜい、一向一揆相手に頑張ってもらおう。新田はその間に、信濃と関東から東海を抜ける!)
日本海側から上洛する場合の大大名は、上杉、朝倉、六角あたりであるが、特に朝倉は新田との交易の最大受益者であり、史実以上に力を付けている。北越から上洛を目指せば朝倉と戦うことになるし、その前に一向門徒が支配する加賀を抜けねばならない。一方の東海道は織田信長の伸張次第だが、三河から船で伊勢に渡り、南近江や大和から都を目指すことになる。
(まもなく公方が死ぬ。その後、足利義昭が史実通りに朝倉を頼るか、それとも史実よりも早く美濃を征した織田を頼るか。どちらかで歴史が大きく動く)
もし足利義昭が織田を頼った場合、朝倉家に仕えながら不遇の扱いを受けている明智光秀を引き抜くことも出来るかもしれない。かつては奥州の一大名に過ぎなかった新田も、今では日ノ本最大の大大名に躍進している。もっとも、光秀は義理堅いので簡単には靡かないだろう。本能寺の変から光秀=裏切り者というイメージがあるが、一〇年間、朝倉家で不遇を囲い、その後は一四年間、織田家で信長に扱き使われてきたのだ。主家を転々とした藤堂高虎などよりも遙かに義理堅いだろう。もっとも、義理を重んじる価値観そのものは江戸時代以降のもので、この時代では主君を転々とするのも当たり前なのだが。
「それにしても、新田に降ることに反対しての謀反ならば納得もするが、段蔵の話を聞いているとどうも違うようだな。要するに、俺のことが嫌いなのだろう?」
その場の者たちが苦笑いする中、石川信直は険しい表情を浮かべた。最初は父親の命で側仕えとなったが、今では自ら望んでこの場にいる。自分と同い年の主君であるが、視野、物言い、判断力まで常人とは比較にもならない。南部家の筆頭家老であった父よりも年上に感じる時があるくらいだ。それでいて決して仕えにくいことはない。指示は明瞭で的確だし、感情のまま怒鳴るようなこともない。皆で鍋を囲むような気安さもある。会ったことも無いのに主君を嫌うなど、側仕えとして面白い話ではなかった。
「田子九郎……」
主君がトントンと自分の眉間を叩く。石川田子九郎信直は両手で自分の頬を叩いて一礼した。
上杉軍が退いていく。向羽黒山城からそれを眺めながら、蘆名盛興は親指の爪を噛んでいた。上杉輝虎は新田と和睦した。驚いたことに関白である近衛前久が証人として立ち会っている。輝虎は隠居するというが養子はまだ幼く、越後一国の統治すら不可能だろう。新田を庇護者として幼い養子を盛り立てていくことになる。つまり事実上、上杉は新田に降った。
「俺は違う。宇曽利の山猿如きに、俺は決して降伏などせぬ」
まるで自分に言い聞かせるようにブツブツと呟く。上杉軍が消えれば、いよいよ新田が攻めてくるだろう。だがこの城は堅城で、新田軍三万でも落とせないと家老の誰かが言っていた。ならば大丈夫だ。ここで籠城すれば風向きも変わってくるだろう。新田とていつまでも三万もの軍を張り付けるわけにはいかないのだ。そのために、北条家に疑いが向くような仕掛けまで施した。
「父上は老いて弱腰になった。戦とは常に、相手より強気に出ねばならぬ!」
何の根拠もないが、それらしいことを口にすると、自分の中に勇気が湧いてくる気がした。身体の震えもいつの間にか止まっていた。盛興は、自分に服する者たちが待つ大広間へと向かった。
だが、そこで待っていたのは現実であった。
「……これしか居らぬのか? それに、休心はどこにいる?」
大広間には家臣たちが疎らにいるだけであった。なにより、自分に謀反を唆し、さらには新田と北条に亀裂を入れる策を出した男がいつの間にか消えていた。
「どういうことだ!」
盛興が怒鳴っていた頃、一人の男が退却する上杉軍に交じっていた。
(ヘヘヘッ…… 金も手に入ったし、越後で遊んでからまた流れるか)
かつて安東愛季と戦いながらも降ることを良しとせずに姿を消した、豊島休心重村であった。