本光寺会談
「何故、戦を止められるのです! 蘆名と上杉を南に封じ、越後は空き家も同然。いま攻めれば、必ず勝てますぞ!」
「藤六殿の申し上げる通りです。上杉輝虎を封じるのに三万も必要ありませぬ。この地に二万を置き、一万で越後に進み石川殿と合流、一気に春日山城を落とすのです。さすれば庄内の揚北衆とて降るでしょう。我らはほぼ無傷で、越後一国を切り取れるのです」
長門藤六広益と柏山明吉が詰め寄る。新田家では主君の決定に反対意見を述べることを是としている。前世の記憶があるとはいえ、又二郎は全能ではない。この軍議においても、意見があれば主張せよと周知していた。
「うん、藤六の言うとおりだ。関白の話を無視して攻めれば、越後はおろか上野まで獲れるだろう。だが失うものもある。源五郎、それが何か解るか?」
又二郎に指名された最上源五郎義光は、少し考えて口を開いた。
「公家を敵に回す、ということでしょうか?」
「そうだ。天下を取るということは、ただ他領を切り取って土地を接収し続ければ良いというものではない。日ノ本の民を一つに束ねるには、この国の歴史を無視するわけにはいかぬ。この国の歴史の象徴、それが大和朝廷であり公家衆だ」
近衛家をはじめとする公家には、たしかに武という力はない。だが平安から続く公家の影響力は、日ノ本の隅々にまで根を下ろしている。血縁関係のみならず、歴史的な経緯という目に見えないネットワークをそれぞれの公家が持っているのだ。これを敵に回した場合、天下を治めるには朝廷そのものを滅ぼす「易姓革命」を起こすしかない。そしてそれは、日本国そのものの断絶を意味する。
「俺は日ノ本を生まれ変わらせたいのだ。決して滅ぼしたいのではない。中臣鎌足公からおよそ九〇〇年、藤原家は日ノ本の文化、歴史を担ってきた。これを敵に回すわけにはいかぬ」
これは政治的な判断であり、軍事的な判断ではない。それゆえ、武人である長門広益や柏山明吉には、納得し難い点があるのも仕方がないだろう。南条越中守広継が、又二郎の言葉を補うように続けた。
「殿のご判断、正しいかと存じます。ここで上杉を助ければ、我らは別のものを得ます。それは朝廷からの信頼です。御当家は日ノ本の土地を遍く領し、朝廷にお返し申し上げる。されどその言葉をそのまま信じるほど、朝廷も公家衆も御人好しではありません。毎年の躍進に、むしろ不安に思うのが普通です。ここで関白殿下の顔を立てれば、御当家は大和朝廷を重んじ、公家衆との繋がりを大事にしているということを行動で証明できます。いずれ都まで届いた際に、このことは大きな意味を持つでしょう」
「いずれは朝廷との向き合い方、宮中政策も考えねばならなくなります。これは考えようによっては戦よりも難しゅうございます。公家の筆頭である近衛家を味方につければ、天下統一に向けて大きな前進となるでしょう」
武田甚三郎守信も賛意を示した。新田家の軍師が両方とも賛成している。ならばこれ以上の主張は無用であろう。長門広益も柏山明吉も、そう自分に納得させた。
「無論、上杉のほうから突っぱねるという可能性もある。それに落としどころも重要だ。最低限、蘆名は降す。向羽黒山城を残したまま退くわけにはいかぬ」
蘆名家の臣従と上杉家の従属、このあたりが落としどころだろうか。他にも細々とした条件は考えねばならないが、対上杉への姿勢だけブラさなければ良いだろう。又二郎は上杉説得に向かった近衛前久からの結果を待つことにした。
蘆名盛氏は上杉輝虎以上に、関白が下向したという報せに仰天した。そして希望を見出した。朝廷が執り成しての和睦もあり得ると期待し、向羽黒山城の客間を貸すことにした。
「良い城でおじゃるな。あの新田が攻めあぐねるのも解る」
「うむ」
向羽黒山城の一室で、近衛前久と上杉輝虎は並んで月を見上げ、酒を飲んでいた。盛氏の命により、他の者は部屋から遠ざかっている。前久は懐から書状を取り出した。
「其方からの書状を読んで、居ても立っても居られないなりここまで来た。麿への詫びなど、らしからぬことを……」
上杉輝虎は蘆名への援軍を出す際に、春日山城から都に使者を出していた。これから新田との決戦が始まる。ここで新田を食い止めねば、上杉家の上洛は果たせなくなる。だが勝てる見込みは少ない。嘗ての盟約を果たせないかもしれないという詫びの書状であった。
「新田は強い」
輝虎はそう呟いて、盃の水面に映った月を見つめ、それを煽った。
関東を鎮め、唐沢山城を得て新田の南進を防ぐ橋頭保を築き、さらには庄内地方にまで進んで揚北衆の力を強めた。南と東を万全にしたうえで、越中国から加賀、越前、近江へと進む。これが輝虎の上洛計画であった。だが又二郎の打った一手「佐渡島攻略」によって、その計画は瓦解した。現状では、上洛など夢のまた夢である。
「ただ我欲で戦をしているわけではない。それは其方も認めるであろう?」
「あぁ……」
新田又二郎は、天下統一後の明確な構想を持っている。土地ではなく銭を中心とした経済体制を構築し、様々な産業を振興して雇用を生み出し、教育を徹底することで民の力を高める。新田又二郎の登場によって、奥州は劇的に変わった。その影響は関東や北信越、さらには畿内にまで及んでいる。新田又二郎は、自分には無いものを持っている。輝虎はそう認めざるを得なかった。
「だが激しすぎる」
「確かにのぉ。一所懸命こそ武士の誉れ。その常識からすれば、新田のやっていることは武士の否定に繋がりかねぬ。抵抗する者、それを危ぶむ者も少なからずおろう。公家の中にも、新田を本当に信じられるのかと疑問を持つ者もおじゃる」
都には朝廷があり、足利幕府という統治機構がすでに存在しているのだ。ならばそれを援け、幕府の威信と力を取り戻し、日ノ本から戦をなくすことこそが、武士が採るべき道ではないか。幕府の治め方に問題があることは解る。だが、だからと言ってすべてを破壊する必要はない。変えるべきところを変え、残すべきところを残せば良いではないか。
「新田の歩みは速すぎる。残された武士はどうなる」
統治機構を変え、武士を過去の遺物として民の世を作る。そうなったら遺物となった武士はどうなる? その急進的な変革についていけなかった者たちは「時代に取り残された者」として死ねというのか。日ノ本全体からすれば少数かもしれない。だがそれでも、何十万あるいは何百万もの人間が路頭に迷うかもしれないのだ。
「麿にも解らぬ。これまで日ノ本には幾人かの権力者、天下人が生まれた。そのたびに日ノ本の形は変わった。じゃが新田又二郎は、これまで誰も見たことがない新たな世を作ろうとしておじゃる」
近衛前久も不安を口にした。新田又二郎には確かに、憂国の志がある。だが日ノ本の未来を託すには、あまりにも先を行き過ぎているように思えた。さすがに皇統にまでは手を出さないであろうが、必要とあれば公家の一つや二つなど簡単に潰すだろう。
しばらく沈黙が流れ、そして輝虎は口にした。
「新田に会う。時代に残される者として、問わねばならぬ」
何を問うのかは口にしない。だが前久には輝虎の決意のほどが痛いほど理解できた。
新田又二郎政盛と上杉平三輝虎との会談は、黒川城と向羽黒山城の中間にある「本光寺」にて行われることとなった。本光寺の歴史は古く、天平一二年(七四〇年)に建立され、天授五年(一三七九年)に七代目蘆名家当主蘆名直盛が会津に入封した際に、宿場として用いた寺でもある。会津蘆名家にとっても縁の深い寺であり、上杉と新田が勝手に決めるわけではないことを示す意味もあった。
「それぞれ二〇〇〇ずつの兵を率いているが、本光寺に入るのは供廻り一〇名までだ。まずは上杉輝虎と会談し、その上で蘆名盛氏と会う。関白殿下がいるのだ。上杉も蘆名も、早まった真似は出来まい」
強襲や暗殺などの恐れは皆無ではないが、上杉輝虎は強烈な美意識を持った男である。蘆名が裏切ろうものなら、掌を返して新田を守り、蘆名を攻めるかもしれない。良くも悪くも、上杉輝虎とはそういう男であった。
本光寺の一室には、板間の上に畳が二枚、向かい合うように置かれ、さらに一枚が向かい合った二枚から等距離に置かれていた。又二郎は甲冑姿のまま、向かい合う畳の一枚にガチャリと座った。今は戦の最中である。一時の休戦をしているとはいえ、鎧を脱ぐなど考えられないことであった。瞑目して待っていると、やがて足音が聞こえてくる。青黒い甲冑を付け、薄っすらと口髭を生やした男が入ってきた。目の前に座り、互いに視線を交わす。又二郎が連れてきているのは南条広継、武田守信、最上義光の三人である。一方の輝虎は、直江景綱、柿崎景家、甘粕景持の三人である。上杉家でも指折りの重臣たちである。
「久しいな、虎太郎殿。長次郎殿も息災のようだ」
「……」
「いやいや、その節は……」
かつて能代の湊で邂逅した際に、輝虎が名乗っていた名前で呼んだ。輝虎は言葉が少なく、ともすると固い空気になる。それを少しでも和らげるためであったが、輝虎は無言であった。直江景綱が苦笑して返したので、多少は話し易くなったかもしれない。そして、関白である近衛前久が入って来る。新田と上杉の間を執り成すかのように、向かい合う両者と等距離のところに座った。
「ホホホッ…… こうして観ると壮観な眺めでおじゃるの。上杉家と新田家、この両家だけで日ノ本を束ねることもできようて」
「殿下、御戯れを」
輝虎は小さくそう返し、そして又二郎に向けていきなり問い掛けた。
「陸奥守殿。貴殿とは今一度、話をしたいと思っていた。五年前、能代では聞けなかったことを、この場で尋ねたい」
「いきなりだな。まぁ良い。何なりと尋ねられよ」
まだ茶すら出ていないのに、いきなり切り出してくる。静かで落ち着いた声なのに、その響きだけで最上義光は緊張した。輝虎という男が放つ雰囲気は、まるで抜き身の刀であった。美しく、頼もしく、そして近寄りがたく感じた。
「新田は天下の統一を目指しているという。仮に統一したとして、その次に為すのは何か?」
「決まっている。疲弊した日ノ本を立て直す。法整備を行い、荒れた農地を復活させ、街道を修復し、各地に産業を振興し、教育を普及させて民の力を高める。日本国として生まれ変わり、明や朝鮮、遥か南蛮の国々にまで独立国として認めさせ、交易をもってさらなる豊かさを求める」
「では聞くが、その道を進む中で背負いし業…… 幾万、幾十万のも屍の上に国を築き上げ、そこに生きざるを得ないすべての者たちの憎悪、怨讐を受け入れ、その責務の重みに胸潰れんとするとき、如何にして面を上げ、道を歩み続けるつもりか?」
沈黙が流れた。新たな国を作るという新田又二郎の野望のために幾万、幾十万もの血が流れ、残された数百万もの民たちの憎悪が新田に向けられる。それ程の憎悪を背負いながら、どのようにして天下を治めるというのか。近衛前久や上杉家三家臣、さらには南条広継をはじめとする新田の家臣たちまで、息を顰めて答えを待った。
「フッ…… フフフッ…… なにを聞かれるかと思えば、阿呆なことを……」
又二郎は低く笑い、表情が、纏っていた空気が一変する。極悪人のような悪相に猛獣のような笑みを浮かべ、ギラついた瞳で返答した。
「そのような些末な事、是非に及ばずよ」
その表情に、近衛前久は唾を吞みこんだ。