会津長原の戦い 前半
「第一列、撃てぇっ!」
氏家守棟の号令により、一〇〇〇丁の鉄砲が一斉に火を噴く。だが突撃してくる蘆名兵の足は止まらない。分厚く大きな竹盾(※竹束ともいう)を三人一組で持ち上げている。新田の鉄砲は貫通力が強く、通常の竹盾では防ぎきれないはずである。だが蘆名の足は止まらない。守棟は戸惑った。
「なんだ? 何故、止まらない? 第二列!」
再び鉄砲が斉射される。そこでようやく止まる兵たちが出始めた。だが想定より遥かに少ない。
「やはり大殿の予想通り、何か手を打ってきたか…… 殿に使役を出せ!」
氏家守棟は新田の直臣ではない。伊達(※中野宗時)と小野寺(※八柏道為)に踊らされていたことを知った守棟は、自らの不明を深く悔い、切腹しようとしていた。それを主君の最上義光に止められ、新田に降るまで蟄居していたのである。
最上家が新田に降った際、又二郎は守棟を軍師役に登用しようとしたが、自分にはその資格はなく、できれば義光の家臣のままでいたいと希望し、認められた。最上義光の懐刀として、二人三脚で最上家を新田の天下の中に残そうと奔走している。
「続けぇっ」
氏家守棟の鉄砲隊は後ろに下がり、最上義光が率いる騎馬隊と足軽隊が前に出る。鉄砲が通じない以上、これ以上の斉射は無意味と判断し、鉄砲を棄てたのだ。この切り替えの早さは、蘆名諸将の予想を上回った。新田は確かに、鉄砲や炮烙玉といった火器を重視している。だがそれに頼っているわけではない。弓、槍、騎馬という従来の戦においても十分に強いのだ。
「新田め、無理矢理にでも乱戦にもつれ込むつもりか! 出るぞ!」
蘆名四家老筆頭、松本氏興が率いる二五〇〇が前に出る。その横を平田舜範、富田滋実が二〇〇〇ずつの兵を率いて支える。目的はあくまでも助攻である。乱戦となれば鉄砲は使えない。事実、新田の鉄砲隊は潮の様に退いている。蘆名とは騎馬と足軽で戦うつもりなのだ。
「舐めおって…… だがこれで良い。本命は上杉よ!」
左手に「毘」の文字が動くのが見えた。松本氏興は口端を歪めた。
新田の鉄砲隊が最初の斉射を行ったのと同時に、蘆名軍から見て左翼に位置していた上杉軍の騎馬隊が動き始めた。柿崎景家が率いる精鋭である。新田の鉄砲隊を避けるように斜めから突撃する。さらにその後ろには甘粕景持、北条高広が続く。いわゆる、波状攻撃であった。
「儂に続けぇっ!」
三田重明、柏山明吉がそれぞれ四〇〇〇ずつを率いて突撃する。その中に、ひと際大きな体躯を持った男が、かなり大きな馬に乗って槍を振り回していた。
「矢島満安、参る!」
上杉軍六〇〇〇、新田軍八〇〇〇が激突した。その衝突は凄まじく、馬同士が激突して人が宙に舞ったほどであった。上杉軍は数こそ劣るが、波状攻撃の勢いにより新田八〇〇〇を押し込むほどの勢いを見せる。その一瞬の優位を見逃す上杉輝虎ではない。
「車懸かり!」
「御意! 弥太郎に向けて旗を振れ!」
直江景綱の指示により、龍が描かれた黄色い旗がゆっくりと横に振られる。小島弥太郎率いる二〇〇〇が新田の乱戦を迂回するように駆け始めた。そして……
「出るぞ!」
ついに上杉輝虎が立ち上がった。
「殿、そろそろ上杉本軍が動くでしょう。長門殿を出します」
「相手は恐らく、鬼小島だ。大不便者が決着をつけたがっていたからな。存分に暴れさせてやれ。それと判っていると思うが……」
「承知しております。某も動きましょう」
南条広継は頷いて動き始めた。床几に座ったまま、又二郎は腕を組んだ。上杉は車懸かりを使ってくる。一万の兵力差を士気だけで覆すのは難しい。最初は五分に戦えても、やがてその差は疲弊として出て来る。強烈な一撃を与え、取り返しのつかないほどの優勢を作るしかない。そのためには、上杉輝虎自らが軍を率いて相手を貫く「車懸かり」しかない。
「車懸かりは確かに強烈だ。新田でも実施することは難しい。軍神として崇められる上杉輝虎だからこそ、万の軍が呼吸を揃えることが出来る。だが危険も大きい。輝虎自らが軍を率いるのだからな」
そう言って口端を歪めた。それはまるで猛獣のような表情であった。又二郎の側に仕えている石川信直は、ブルリと背を震わせた。
「うぉぉぉりゃぁぁぁっ!」
滝本重行は「大不便者」の外衣を羽織り、朱色の槍を突きたて続けていた。その一振りは凄まじく、当たれば簡単に人が吹き飛び、首が宙を舞った。天下無双を目指す若き武将は、二年前に巨大な壁に激突した。今日こそ、それを超える。槍を振り回しながら盛大に叫んだ。
「小島弥太郎ぉぉっ! 決着をつけてやるぜぇ!」
朱槍に派手な格好となれば、格好の的である。次々と足軽や騎馬に乗った侍が挑んでくるが、それらをすべて跳ね除ける。やがて漆黒の馬に乗った男が現れた。大不便者は血塗れの顔を歪ませ、歯を見せた。
「あの時は見逃したが、今度はそうはいかんぞ」
「二年前とは違うぜぇ? 手前ぇの首、叩き落としてやる!」
黒と朱の槍が激突する。この二年間、雪辱のために力を付けるのは無論、その力を最大限に活かすための槍技を磨き続けてきた。今の自分であれば、鬼小島にも負けない。獣のような咆哮を上げながら、目にも止まらぬ速さで槍を繰り出す。
(小童が…… 二年前とは違うというわけか)
二年前、その膂力に驚きながらも自分と伍するには数年は掛かると思っていた若き侍が、今では自分と五分で戦っている。一体、何をしたら此処まで短期間に鍛えられるのか。
「まだまだ小僧に負けるわけにはいかぬ!」
痺れる右腕に力を籠める。自分は毘沙門天の加護を受けし上杉家の槍。新田の侍大将如きに負けるわけにはいかない。力を籠めた一振りで、重行を弾き飛ばす。肩で息をしながら、互いに相手を睨む。
「クソッタレが…… まだ届かねぇか」
両者とも限界に近かった。周囲の足軽たちは手を止め、二人の一騎打ちを見守り始めている。次の一撃で決まる。二人の呼吸が揃い、そしてその時が訪れる。
「「おぉぉぉぉっ!」」
同時に馬が駆けだす。同時に槍が突き出される。だがその瞬間、重行の右の鐙が切れた。ガクリと身体が傾く。それが幸いしたのか、左頬から耳を小島弥太郎の槍が斬り裂いた。そして心の臓をめがけて突き出した槍は、弥太郎の左肩から脇を抉った。
「おぁぁぁっ!」
落馬する瞬間、最期の力を振り絞って右腕を振り上げる。ドンという衝撃が小島弥太郎を襲った。見ると左腕が消えていた。
「この糞鐙がぁぁっ!」
立ち上がって重行が怒鳴る。鬼と称された男は、冷静な表情のまま左肩を眺めた。そして満足げに呟く。
「儂の負けか……」
「ふざけんな! こんな決着、俺ぁ認めねぇぞ! アンタの槍の方が先だったじゃねぇか! もうひと勝負だ!」
だが小島弥太郎は笑って首を振った。
「強き者は運をも味方に付ける。この勝負は貴様の勝ちだ。だが戦の勝負はここからよ」
左に顔を向ける。重行もつられて顔を向けると「毘」の旗が動いていた。上杉輝虎自らが、直属の兵を率いて進んでいる。決着が近い証拠であった。
「小僧!」
顔を戻すと、いつの間にか小島弥太郎が背を向けていた。
「この鬼小島に勝ったのだ。これからも多くの戦があろうが、負けは許さぬぞ!」
そして右腕で槍を振り回しながら、悠々と去っていった。それを見届けた重行は馬に飛び乗り、大きな傷を負った頬を引き攣らせて怒鳴った。
「鬼小島は破った! これから毘沙門天の首を獲りに行く! 俺についてこい!」
二〇〇ほどを引き連れて、毘の旗を追い始めた。