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慧日寺

 現代では「会津若松」と呼ぶことが多いが、戦国時代中期においては「会津」と呼ばれていた。会津の由来は古い。第一〇代天皇である崇神(すじん)天皇の時代、諸国平定のために北陸道に派遣された四道将軍大彦命と、同じく四道将軍として東海から関東に派遣された建沼河別命が、この地で合流したことに由来する。二人の将軍が相まみえたことから「相津」という名で古事記に記録されている。


 一方、若松の名は、それから遥か後世に付けられた。戦国時代末期、会津地方を領した蒲生氏郷は、故郷である日野城(※現在の滋賀県)にある自身の氏神を祀る神社にある「若松の杜」に由来し、それまでの黒川という城下町を若松に改めた。また黒川城の名も、蒲生家の家紋である「蒲生対い鶴」にちなんで「鶴ヶ城」と改めた。現在でも、会津の地元民は会津若松城のことを鶴ケ城と呼んでいる。





「申し上げます。新田の軍勢、およそ三万。磐梯山を通り、慧日(えにち)寺付近に本陣を置き、止まりましてございます」


 蘆名盛氏は黒川城において、新田の動きを逐次報告させていた。黒川城は、後に鶴ヶ城となった時に石垣や天守閣が増築され、現在の会津若松城となった。戦国時代においては土塁と空堀しかなく、どちらかといえば館、あるいは政庁に近い。


「一気に攻めてくると思っていたが、随分と悠長だな」


「だがこれで我らは上杉と合流できる。黒川城で籠城という手もあるが……」


「上杉の援軍がいる以上、籠城はないだろう。新田は三万、我らは二万。となればそれなりの戦場を選ばねばならぬ。新田もそのつもりで止まったのだろう。つまり……」


「決戦は、長原か」


 黒川城(※会津若松城)の北は、現在こそ開発が進んでいるが戦国時代では「長原」と呼ばれる平原であった。会津盆地は南北に楕円形をしており、現在の喜多方市と会津若松城のちょうど中間あたりが長原となる。名前の由来としては、米沢まで長い原っぱを進まなければならないからとも言われている。


「長原であれば城下を荒らされる恐れもない。それに上杉の騎馬隊も十分に力を発揮できるだろう。それで進軍を止めた後、肝心に新田政盛は何をしているのだ?」


「それが……どうやら慧日寺に向かったとのことです」


「なるほど。慧日寺にはそれなりの数の僧兵がいる。それを抑えるためか」


「新田は寺領も没収すると聞く。慧日寺は奥州最古の寺であり、会津修験の発祥の地。簡単には頷くまい。上手くいけば、新田と慧日寺との間の戦になるぞ。その隙をつけば……」


 黒川城内が慌ただしく動き始めた。





 又二郎の命を受けて慧日寺に来ていたのは、石川高信の嫡男である石川田子九郎信直であった。又二郎の側仕えとしてこれまで尽くしてきたが、そろそろ父親の後を継ぐ準備を始めなければならない。石川高信は戦上手なだけでなく内政や外政にも通じた名将である。その後を継ぐためには、生半可な経験では足りない。その第一歩として命じられたのが、慧日寺を降すことであった。


「見事な大伽藍ですな。さすがは平安の頃、最澄と論争したという高僧、徳一の手によって開かれた、会津仏教の総本山なだけある。平将門公も山門を寄進したと聞きます」


「よくご存じでございますな。横田河原の合戦の後、苦しいときもございましたが、会津守護様のお陰を持ちまして、今では門前町を持つほどになりました」


 やんわりと蘆名への感謝を言うことで、言外に新田への反駁を匂わせる。やはり簡単にはいかないと、信直は腹を括った。新田又二郎政盛は、仏の教えなど微塵も信じていない。仏罰など後から取ってつけただけに過ぎないと放言する。何より許さないのは、坊主が政事に口を挟むことであった。困らない程度の寄進はしてやるから、大人しく経を読んで仏の修行をしていろというのが、新田家の考え方である。


 金堂を抜けて講堂へと案内される。そこには慧日寺の主だった高僧たちが待ち受けていた。田子九郎は一礼して講堂に入ると、左右を僧侶たちに挟まれる形で座った。


「新田家家老石川左衛門尉高信が嫡男、石川田子九郎信直でございます。慧日寺貫主、覚丹殿にお会いできましたこと、感謝申し上げます」


 田子九郎と向かい合う形で座る、四〇を過ぎていると思われる細身の僧侶が一礼した。他の僧たちも華美とは無縁な出で立ちをしている。最澄によって開かれた比叡山は、今では腐敗しきっていると聞いているが、慧日寺は違うようであった。これなら話し合いが可能だと信直は内心で安堵した。


「覚丹と申します。未だ仏法の何たるかも心得ぬ未熟者ですが、貫主という過分な役目を担わせていただいております。それで田子九郎様。本日の御用向きは?」


「既にご承知の通り、我ら新田家は天下統一を目指しておりまする。会津蘆名家を降さんと兵を進めていますが、蘆名は上杉に援軍を求め、二万以上が集まっています。いずれ野戦で決することになりましょう。その際、慧日寺の皆様には中立をお願いしたく、主君の遣いとして参った次第です」


 左右の僧侶たちが貫主に視線を向ける。覚丹は顔色を変えることなく、淡々と返答した。


「そもそも、我ら仏門の者は世俗のこととは関わらず、ただ仏の道を修めんとしております。しかしながら我らもまた人。信義に悖る行いはできませぬ。会津守護様は代々に渡り、当寺を支えて下さいました。その会津守護様から援けを求められれば、応じないわけにはいきませぬ」


「もし僧兵をお出しになられた場合は、我らとて動かずにはいられませぬ。我が主君は、御仏と寺を分けて考えておられます。御仏は尊ぶが、寺と坊主は御仏ではない。主君はそう申しております。曲げてお願い申しあげる。兵をお出しになられますな。七〇〇年続いた慧日寺を灰になさるおつもりか?」


 僧侶たちの表情が険しくなる。当時の慧日寺は、出羽三山に並ぶ奥州仏教界の重鎮である。それを焼き払うと言うのだ。覚丹はフゥと息を吐いた。貫主として、僧侶として、そして人として苦悩しているのだ。


『坊主は政事など考えず、ひたすら仏の道を修行すれば良いのだ。飢えず、震えず、怯えぬように新田が守ってやる。政事に口を挟み、あまつさえ弓や刀を手にする輩は坊主ではない。世を乱す賊徒である』


 新田陸奥守政盛の言葉は、奥州すべての寺社に広まっている。寺領については例外的に認められる場合もあるが、その場合は一切の支援はしない。結果、出羽三山などは寺領の維持が困難になりつつあるという。新田に庇護を求めるならば寺領を手放し、新田の法に従わなければならない。


「平泉(※中尊寺のこと)は寺領を手放したことで、これまでよりも栄えておりまする。当家は仏の教えも、それを民に説くことも禁じてはおりませぬ。義理を御感じになられる御坊の気持ちは、痛いほどに解りますが、どうか僧の本道を御進みになられませ」


 覚丹はその場では返答はしなかった。一晩皆と話し合い、明朝に返答するという。田子九郎は慧日寺の客殿に通され、その日は泊まることとなった。その夜、どこからか経が聞こえてきた。それを聞きながら田子九郎は目を閉じたが、経は明け方まで続いた。





「慧日寺を留めたか。よくやったぞ、田子九郎」


 又二郎は上機嫌であった。慧日寺を降したことは、いずれ京に攻め上り比叡山と相対したときに大きな影響を持つ。奥州仏教界はそれほど腐ってはいないが関東、東海、畿内と進むにつれて一向宗も出てくるため、寺社への姿勢は首尾一貫させなければならない。即ち、逆らうなら皆殺しである。


「有りがたき幸せ。されど、武装解除までは出来ませんでした。裏切りの可能性、皆無とは申せませぬ」


「構わん。裏切った場合は、皆殺しにしてすべてを焼き払うだけだ。幾千の寺を焼こうが、幾万の坊主を殺そうが、御仏は何も言わぬし何もせぬ。さて、薬師如来(※慧日寺本尊)は片付けた。次は毘沙門天だな。兵を長原まで進めるぞ。そこで米沢との補給路を確保する」


 地図に置かれた駒を動かす。南条広継は新田本軍から見て北西に置かれた駒を手にした。


「そろそろこの駒も動き始める頃でしょう。慧日寺の件は出羽三山にも伝わるはず。未だ迷っている彼らも、腹を括るでしょう」


 地図を見ながら田子九郎は首を傾げた。出羽三山は、実質的には新田の支配下にある。寺領と僧兵はまだ残っているが、彼らにはなんの力もないはずであった。それがなぜ重要なのか。


「後で教えてやる。慧日寺を降したことは、お前が思っている以上に大きな功績なのだ」


 又二郎は面白そうに笑った。


《後書きという名の「お願い」》

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挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] いつも更新楽しみにしております。 いよいよ毘沙門天との対決。 大体の戦国物では倒せぬ強敵として書かれていますが、この物語ではどうなるのか非常に楽しみです。
[一言] 正しい決断をしたね。
[良い点] 期待しています
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