会津を挟んで
「一体、何がどうなったのだ?」
猪苗代弾正忠盛国は燃え上がる猪苗代城の大広間で呆然となっていた。猪苗代城は南北一五〇間(約二七〇メートル)、南北一二〇間(約二一〇メートル)の大きさを持つ平山城である。二ノ丸と空堀を備え、防御機能と政庁を兼ね備えた名城だと密かに自負していた。新田軍三万に囲まれても、蘆名や上杉の援軍が来るまで耐えられると考えていた。新田の勢いは止められないだろうが、劣勢の中での働きは、武士としての力量を見せつける絶好の機会でもある。いずれ降った時に、新田家中で重用されるためにも、この戦で己の力を見せつけねばならない。盛国の考えは、戦国時代の武将ならば当然の発想であった。
だがこの時ばかりは相手が悪かった。宇曽利の怪物には武士の常識などまるで通用しない。戦が始まって僅か二刻(※約四時間)で城門や城壁は破壊され、猪苗代城は炎に包まれた。新田軍に被害は殆どない。投石機を使って一尺ほどの球体が投げ込まれると、城内のそこかしこで轟音が響いた。慌てて降伏しようとしたが、相手は攻めてこない。猪苗代城を丸ごと破壊するつもりなのだ。
「これが…… これが戦と言えるか!」
なぜ負けたのか理解できぬまま、猪苗代盛国は炎に包まれた。
「御報告します。猪苗代盛国殿、城と命運を供にしたとのことです」
「そうか。降った兵たちに無体なことはするなよ。猪苗代はもう俺の土地だ。傷ついた者にはしっかり手当をしてやれ。それで、弾正忠(※盛国のこと)の親族は?」
「奥方は共に亡くなりましたが、乳母が赤子を連れておりました。今年生まれた男子とのことです」
南条広継の報告に、又二郎は片眉を上げた。猪苗代盛国の嫡男といえば、猪苗代盛胤であろう。実父に廃嫡されかけて居城を奪われ、蘆名を裏切った父親と袂を分かって蘆名義広に仕え続け、晩年は生まれ故郷である猪苗代の地で寂しく死んだ憐れな武将である。
「……そうか。赤子に罪はない。乳母共々、米沢の孤児院に入れるか」
「殿。御許しを頂けるなら、某が引き取りとうございます」
新田家の重臣、南条越中守広継が意外な申し出をしてきた。南条広継は蠣崎季広の長女である紅葉乃方と離縁し、今は独り身である。録こそ一万石を得ているが、馬を世話する小者と小さな屋敷を掃除する老女二人だけを雇い、新田家の重臣とは思えないほどの質素な暮らしをしていた。又二郎の股肱だが、謀臣である以上、華美な暮らしはしてはならないと考えているのだ。
「許す。新田家の軍師、南条越中の薫陶を受ければ、少なくとも愚将にはなるまい。必要なものは何でも言うがよい」
そう言って、又二郎は眼前の城に視線を向け、そして両手を合わせた。
永禄八年(一五六五年)、蘆名家の当主は蘆名盛氏から嫡男の盛興へと譲られていた。だが実際には盛氏が当主として差配していた。家督を譲ったのは、盛氏が四〇を過ぎていたことや、男子が盛興しかいなかったことなど幾つか理由があるが、そのうちの一つは「自覚を促すこと」にあった。盛興は元服と共に酒を飲み始め、酒乱癖があった。当主になれば少しは直るかと期待したが、むしろ悪化した。
蘆名家の全盛を築いた巨大な父親の後を継ぐことに、重圧を感じていたことは確かである。だが最大の理由は、自分と同い年の男が、奥州どころか関東でも知らぬ者はいないというほどに活躍していたからだ。
「歳は同じなのに、新田陸奥守と比べて若君は……」
誰もそんなことは言っていないのだが、他ならぬ盛興自身が自分をそう思っていたのである。自分だってやれるはずだと、根拠のない自信を持って無茶をするのであれば、父親の盛氏はむしろ頼もしく思っただろう。それが若さであり、男はそうやって己を知り、成長していくのである。
だが盛興は酒に逃げた。まだ見ぬ新田又二郎政盛に対して嫉妬と憎悪を抱きつつ、巨大な父親に頭を抑えられて、名ばかりの当主に据えられている。鬱屈した感情を晴らすかのように、酒に溺れていた。
「それで、新田の動きはどうか?」
黒川城の評定間では、隠居した蘆名盛氏が当主の席に座っていた。非常時である以上、盛氏が当主に戻るのも仕方のない事だろう。ならばせめて、嫡男はその傍で懸命に学ぶべきなのだ。だが酒に逃げた盛興が評定に出なくなって久しい。盛氏も半ば、諦めていた。
「猪苗代城は僅か二刻で落ちたとのこと。ですがその後は進まず、周辺の制圧に乗り出しております」
蘆名四宿老の筆頭、松本図書助氏興(※氏輔ともいう)が報告する。佐瀬大和守種常は首を傾げた。
「つまり止まったということか? なぜ止まった? 勝ちの勢いに任せるのが普通であろうに」
「上杉を待っているのだろう。新田は三万、一方の我らは上杉を合わせても二万。上杉ごとまとめて決戦するつもりなのだ」
「然り……」
富田美作守氏実が、面白くなさそうに言と、平田左京亮舜範も頷いた。舐められていると思ったのだ。
「御屋形様、上杉は数日もせずに到着します。武器、兵糧も十分にあります。上杉と共に一戦した後、籠城してはいかがでしょうか?」
「上杉勢は強い。たとえ三万を相手にしても十分に戦えよう。まずは新田に痛撃を与え、そして退く。黒崎城(※向羽黒山城の別称)は未完なれど、山全体が城となっており、新田の火薬攻めも効かぬ。落ちぬと判れば、新田は和睦の使者を出してこよう」
「うむ。結城の背後には宇都宮や佐竹がついている。新田とて南の動きを気にするはず。新田に勝つ必要はない。耐えれば良いのだ」
宿老たちは頷きあうが、当主の盛氏は沈黙したままであった。商人や間者を使って新田又二郎政盛について調べた盛氏は、そう簡単に和睦はしてこないと思っていた。
「若君?」
沈思していると、評定の間に嫡男の盛興が入ってきた。顔を赤くしている。酒が入っているのだろう。
「ち、父上! 新田との戦には、私も加えてください!」
「若、今は軍議の最中でございます。お控えなされ」
富田氏実が窘めるが、盛興はそれを無視してズカズカと入ってきた。
「新田は私と同い年、なれば負けませぬ! 新田と決着をつけまする!」
オコリのように震えている。酒の勢いで、破れかぶれに言っているのは、誰が見ても明らかであった。盛氏は立ち上がると嫡男の傍に寄り、鼻先まで顔を近づけた。盛興は戸惑い、そして父親から目を反らした。その瞬間、盛氏の右拳が盛興の鳩尾を貫いた。
「ぐえぇぇっ」
板間に蹲り、吐瀉する。盛氏は息子の髷を掴んで顔を引き上げた。
「戯け者が。お前如きが新田政盛と戦うだと? 寒さ厳しき宇曽利の地に生まれ、三歳で父親を追い出して当主となった。五歳にして初陣し、八歳で糠部の虎と恐れられた南部晴政を討ち取った。酒に逃げるお前などとはモノが違うわ!」
放り捨てるように髷から手を放すと、近習に命じて息子を叩き出した。戻って座り、左手を額に当てて盛大に溜息をつく。
「陸奥守の器量の、せめて半分でもあれば、儂も楽隠居できたものを……」
四宿老は何とも言えない表情となった。一先ず軍議は中断し、空気を入れ替える必要があった。筆頭の松本氏興が、厠へと断って立ち上がった。
越後平野から会津へと向かう上杉軍は、間もなく会津に着くというところまで迫っていた。
「街道沿いに伏嗅を配しております。万一にも越後に動きあれば、すぐにでも報せが来るでしょう」
「うむ」
上杉輝虎率いる一万の援軍には、当然ながら荷駄隊が従っていた。今回は蘆名への援軍であるため兵糧については蘆名を頼ることになるが、馬の飼葉、槍や弓矢など越後からの荷物もある。そして庄内方面の動きにも注意を払わねばならない。上杉家お抱えの忍び集団を越後から会津まで配置した。
「人質を取られている以上、本庄も滅多には裏切らぬでしょう。ですが揚北の他の国人が、新田を手引きしないとも限りません。後方の支援は私が担います。皆々衆は新田との戦に集中してください」
家老の直江信綱は、三方面同時の戦いにおいて膠着する二つの戦線、つまり田村、伊達の戦線と安東、蠣崎の戦線との違いに気づいていた。田村は結城、佐竹を迎え撃ち新田本軍の後方を守ることが役目だ。では安東と蠣崎がいる庄内方面はどうか。奇しくも新田本軍と上杉の援軍は、会津の東西で同じ構図となっている。万一にも安東、蠣崎が越後まで攻め寄せれば、退路を断たれることになるのだ。
(長門や柏山など名の通った武将は新田本軍に居る。庄内にいるのは若年の将ばかり。本庄殿であれば十分に抑えられるはず……)
会津黒川城まで一里というところで、上杉輝虎は陣を張った。新田の本軍はまだ来ていない。蘆名と合わせて二万、新田は三万。一万の違いだが戦いようはある。今回の目的は新田に蘆名攻めを諦めさせることだ。それならば戦いようもあった。何しろ、上杉軍を束ねるのは軍神なのだ。
「御実城様、蘆名からの使者が参りました」
「待たせておけ」
着陣した夜、蘆名からの使者が来た。だが上杉輝虎はその使者を待たせると、僅かな供回りを連れて陣を離れた。小高い丘を馬で駆け上がり、兜を脱ぐ。満天の空を眺めながら、間もなく来る好敵手のことを考える。
(できればもう一度、言葉を交わしたいものだが……)
能代での出会いから数年、ついに宇曾理の怪物と激突する。半神的なこの男の中にも、戦への高揚が確かにあった。それを鎮めるかのように、心地よい夜風が輝虎の髪を靡かせた。