永禄七年、次の戦に向けて
永禄七年(一五六四年)弥生(旧暦三月)、三河では松平家康(※永禄六年に名を家康に改める)が三河一向一揆をようやく鎮圧し、三河統一へと動き始めていた。時を同じくして、甲斐の武田信玄も駿河統一に乗り出す。今川家は東西での二正面作戦を取らざるを得なくなり、進退窮まった状態となった。
越後上杉家では、本庄繁長が抵抗を見せていた。新田からの援軍は望めないとしても、春日山城からは遠い南庄内一帯を切り取り、独立国人として力を蓄えようとしていた。もっとも、逃げ出す領民もそれなりに多いため、土地を得ても石高自体はそれ程増えてはいない。上杉としてはすぐにでも本庄繁長討伐に動きたいところであったが、佐渡島には五〇〇〇の新田軍が常駐しており、春日山城を守る兵も残さなければならない。南庄内を失うことを覚悟で、暫くは様子を見るしかなかった。
その間隙を突いて、北条家が武蔵国奪還に動き出している。里見家と幾度かの戦を行い、徐々に武蔵を切り取り始めていた。この分でいけば、半年後には武蔵の大部分は北条家が領すると目された。無論、佐竹や里見が簡単にそれを許すはずが無く、上杉領である上野国からは、長野新五郎業盛がたびたび援軍に出ている。関東、甲信越、そして東海において、史実とは異なる形で戦が始まっていた。
一方、新田家では桜姫に続いて深雪姫の出産が間近に迫っていた。又二郎としては戦国時代に転生してから二度目の出産ということもあり、桜姫の時よりは落ち着いている。だが旧蠣崎家家臣たちの期待は大きかった。蠣崎家は嫡男である政広が継ぐことは確定しているが、蠣崎家の血が新田家の一門に加わるということは、旧臣たちの将来を左右しかねない。又二郎自身は、血縁ではなく能力と実績で評価をすると常々言ってきたが、それでも血の繋がりというものを重んじるのがこの時代の人間である。
「殿、おめでとうございます。姫が御生まれになりましたぞ!」
「娘か。美しい名を考えなければな」
深雪姫が生んだのは女子であった。決して口にはしないが、又二郎は内心で少し安堵した。同じ年に男子が二人生まれたとなれば、後の御家騒動に繋がりかねない。
「母子ともに血色も良く、健康でございます。ですが暫くは安静に。体に良い物を御取りくだされ」
ホッとした表情を浮かべている深雪の頬を撫でる。自分は齢一八となった。二人も同い年。現代でいえば高校三年生である。母となった二人だが、まだまだ若い。それぞれ、あと二、三人は大丈夫だろう。
「御前様、この子に名を……」
「うん。瑠璃というのはどうだ?」
前世でも長女に付けた名前であった。深雪はとても良い名だと嬉しそうに笑った。
永禄七年の春から夏にかけて、新田又二郎は大きな軍事行動を起こすつもりはなかった。得たばかりの佐渡をはじめとする領内の統治に力を入れたかったこともあるが、息子と娘が同時に生まれたため、家族の時間を持ちたかったからである。山賊が裸足で逃げ出すような獰猛な笑みは影を潜め、まだ二〇にもならない若者らしい笑顔で夫婦の時を過ごしていた。
それでも、内政を怠るようなことはない。停滞気味だった治水工事や産業振興を加速させ、釜石で作られた鉄の農具を領内で普及させた。農作業の生産性はさらに上がり、西廻りでは越前、東廻りでは相模に物産が輸出される。当然、その豊かさを求めて人が集まって来る。永禄七年水無月(旧暦六月)時点で、新田軍はついに七万に達した。
「佐渡の守りは万全、本庄繁長はしばらく放置しておいて問題ない。となればいよいよ最上、そして伊達との戦になるでしょう。最上は既に天童を服属させており、伊達も蘆名と共に相馬を攻めています。この数年で、奥州の弱き国人たちは悉く、いずれかの勢力に帰属しました」
「問題は攻め口ですな。先年と同様、最上川を上っていくも良し。阿武隈川を越え、伊達を攻めるも良し。無論、この二ヶ所を同時に攻めることも、御当家の力なら可能でしょう」
「まずは佐渡に、もう二〇〇〇を置きましょう。七〇〇〇の新田軍が目と鼻の先にあるとなれば、上杉はいよいよ動きにくくなります。その上で、阿武隈川を越えて伊達を攻めるべきでしょう。大軍を展開するには、それなりに広い土地が必要です。盾岡城に兵一万を置き、四万の軍勢で伊達領を切り取るのです。伊達や最上は、北に一万がいるとなれば動けぬはず。まずは伊達の力を削ぎ落し、追い詰めるのです」
春めいた陽気の中、浪岡城では謀臣四人が奥州の地図を囲んで駒を動かしていた。戦をすると決まった訳ではない。だが戦への備えを怠ることはできない。関東に出るためには、伊達と最上は滅ぼすか、あるいは臣従させなければならない。
「伊達家家老の中野宗時殿、牧野久仲殿が内応を約束しています。伊達家を米沢城に追いつめた段階で内部から崩せば、楽に落とせるでしょう」
伊達が降れば、最上も降る。四人の中では新たな戦の策が練り上がりつつあった。
夫婦の間に子が作れると判ったからであろうか。桜も深雪も二人目を求めるようになった。又二郎としてもそれは望むところである。喜んで褥を共にした。だがそうなると、必然的に睡眠時間が削られる。当主が昼過ぎまで寝ているなど有り得ない。井戸水を浴びて褌を締め直し、気合いを入れて政務に励むのが、ここのところの習慣となっていた。
「なるほど。尾張では美濃攻めが本格化しているのか」
「はい。尾張の織田信長様、うつけと評判でございましたが、中々に上手く治めているご様子。戦にも強いご様子で、三日で砦を建てたとか……」
この日、又二郎は越前から来たという商人の話を聞いていた。金崎屋善衛門は新田の御用商人だが、金崎屋一つだけではとても新田の物産を捌き切れない。人が多く豊かな土地に利を求めて商人が来るのは、今も昔も変わることはない。
「美濃の墨俣というところでございます。美濃は稲葉山城を挟んで、西と東に分かれております。墨俣は稲葉山城の西に位置し、斎藤家を支える家老衆たちの領地とも近うございます」
又二郎は話を聞きながら、自分の記憶を呼び覚ましていた。墨俣一夜城というのは後世の創作だが、木下藤吉郎が川辺衆や美濃国人である蜂須賀正勝の力を借りて、墨俣に城を建てたのは史実である。だがそれはもう少し先であったはずだ。
(俺の存在が、ついに尾張にまで影響を与えはじめている。織田信長の美濃攻略が早まれば、畿内の歴史も変わる。来年起きるはずの「永禄の変」でさえ、起きないかもしれない)
「織田殿の話、もう少し聞かせてくれ。商人の目から見て、織田殿はどう見える?」
「されば…… 大変に聡明な方かと存じます。先代の信秀殿は尾張の虎と呼ばれ、戦にも内政にも強い御方でございました。その血を色濃く受け継ぎ、戦をしながらも政事にも随分と力を入れておられますな」
「具体的には? どのような統治をしている?」
「御当家とよく似ておりまする。織田様は、奥州から来たという者を城に呼んでは、御当家のことを聞いているそうです。そして聞いたことを尾張の集落で試しているとか。田畑を整えたり、街道を真っ直ぐに整備したりなどなど…… ただ、織田様は国人が土地を持つことをお認めになり、評定に出席する国人衆も多いとか‥‥…」
話を聞き終えた又二郎は、自室で日本地図を眺めた。織田信長の動きが早まれば、永禄の変すら起きないかもしれない。そうなれば、足利義昭という足を引っ張る者がいなくなる。だが同時に、畿内進出のための口実、大義名分も失われる。もっとも、信長ならそれに関係なく強引に伊勢志摩や南近江の六角を攻めるかもしれない。
(史実では信長は、包囲網に苦しんだ。だがこの歴史では変わるかもしれん。武田信玄の関心は新田の方に向くだろう。畿内も史実以上に安定しているため、足利義晴も生き長らえるやもしれん。その中で、信長が台頭する。下手をしたら、史実以上の速さで畿内を統一し、中国や四国を攻め始めるかもな……)
知識としてはあった。だが又二郎が織田信長を気にし始めたのは、この時に聞いた商人の話が契機であった。