桜、深雪の懐妊
永禄六年文月(旧暦七月)、幸いなことに山背もなく、奥州は豊作となった。稲の華が一面に咲き、風に波打つ頃、新田家では史実には無かった目出度い話で盛り上がっていた。南部晴政の娘である桜が懐妊したのである。
「お腹の大きさからして、御誕生は年明け頃でございましょう。身体を冷やさず、お食事もたくさんお食べ下さい。お腹の子のためにも……」
明から連れてきた陳という医者がそう診断した。浪岡城の城下町で医学校を開校し、医師と薬剤師を育てている。金崎屋を通じて明から漢方薬を取り寄せ、さらに新田領内でも芍薬や葛根、甘草、当帰などの栽培が行われている。
(天下統一後には、欧州から錬金術師を連れてこよう。東洋医学と西洋医学を融合させた日本型の医療を確立させる。もっとも、その頃には俺も死んでいるだろうが……)
桜の腹を撫でながら、又二郎はそんなことを考えていた。するとチクリと太ももが抓られた。
「深雪さんに寂しい思いをさせてはいけません。早く子を御作りなさいませ」
「そうだな。というより、恐らくだが深雪も子が出来ているぞ。俺の予感だが……」
「まぁっ!」
戦国時代の医学では、妊娠の最初期は判断ができない。悪阻や腹部の張りなどは、早ければ妊娠三週間から表れるが、深雪にはまだその症状は出ていない。だが又二郎は何となく、そんな気がしていた。
「あと一月もすれば解るだろう。それまでは少し控えようか」
「ですが、それでは御前様が辛くありませんか?」
又二郎の肉体年齢は齢一七、現代の高校生である。性欲の塊のようなものだ。だが精神年齢九〇歳の又二郎は、そこまで猿ではない。
「大丈夫だ。それに我慢できなくなれば、城下の遊女とでも……」
ギュウと頬が抓られた。やれやれ、いつの時代も男女関係は面倒なものだ。
月が替わり、長月(旧暦九月)となる。予想通り、深雪にも子が出来ていることが判明した。桜は年明け、深雪はその翌月あたりの出産となる。これから数ヶ月間は、夜は一人で我慢をしなければならない。そんな時は別のことに夢中になったほうが良い。
そこで又二郎は、来年に予定していた佐渡攻めを早めた。三〇〇〇石船は既に六〇隻以上を建造している。積載能力は約五〇〇トン、ガレオン船並の大きさである。一隻で三〇〇人の兵士を運ぶことができる。又二郎は四〇隻を兵士輸送用に、二〇隻を武器や兵糧輸送用に割り当てた。
「佐渡攻めは段階を踏んでいく。まずは粟島を取る。色部氏の所領であるが、色部の本拠は平林城にあり、この島は殆ど開発されておらぬ。さらには当主の色部勝長は老齢。攻め落としたところで取り戻すことなどまずできぬ」
「酒田から粟島まで、船で一日の距離です。粟島を落とすのに一日、兵を休ませるのに一日、そしてそこから一日で、佐渡の両津湾に入れるでしょう。佐渡は長尾家の庇護のもと、本間氏が治めてきました。ですが本間氏は三つの家に分かれて互いに対立し、離島であるため上杉も中々、関与できない状態です」
南条広継は日本海の地図を示して説明した。この地図も、又二郎が記憶を頼りに描いたものだが、それを金崎屋の船員たちが修正し、今ではほぼ正確な地図となっている。
「つまり上杉は、佐渡を放置しているわけだ。阿呆よな。俺であれば積極的に開発し、海運の重要拠点とする。巨大な倉庫を佐渡に置き、蝦夷の干し昆布や鮭の塩漬けなどを貯蔵し、安定的に越前に流す。巨万の富が転がり込むであろう。さらに佐渡の北側にある山地は鉱物資源が豊富だ。この宝の山を新田のものにするぞ」
「本庄と椎名への仕込みは終わっておりまする。両家とも一〇日もせずに蜂起するでしょう。両家とも上杉の東西両端に存在するため、上杉輝虎はどちらを先に潰すか、決めねばなりません。そしてまず間違いなく、越中の椎名から攻めるでしょう」
八柏道為はいかにも策士らしく、暗い笑みを浮かべていた。大大名が掌の上で転がることが楽しくてしかたがないのである。それは他の謀臣、南条広継、沼田祐光も同様であった。
本庄も椎名も、上杉が敵対する新田、加賀一向一揆が隣にいる。だがどちらがより難敵か。当然ながら新田のほうが遥かに手強い。本庄を攻めた結果、新田の大軍が押し寄せてきたら戦いは長期になる。その結果、越中国自体を失うかもしれない。
一方、新田は内政に力を入れており、上杉領まで攻めてきたことはない。本庄繁長単独で、他の揚北衆を倒せるほどの力もない。優先順位としては、越中国の叛乱を先に鎮め、新田に備えると考えるのが普通である。
「上杉輝虎や直江景綱であれば、あるいは新田が仕掛けたと読むやもしれませぬ。東西同時の叛乱など偶然であろうはずがない。新田の調略ではないかと。ですが現実問題として叛乱が起きた以上、鎮めねばなりません。御当家は、春日山が東西どちらに向かうかを見極めたうえで、酒田から出航します」
酒田に一万二〇〇〇の軍を集結させるのもそのためである。東へ向かえば新田とぶつかるぞと思わせる効果があり、同時に佐渡にもっとも近い港から兵を出すこともできる。一石二鳥の策であった。
「それにしても、よく本庄繁長を説得できましたな。御当家に仕えれば土地を手放すことになります。強欲で知られる本庄が納得するとは思えませなんだ」
謀臣たちの中で唯一の良心的な存在である武田甚三郎守信が首を傾げる。他の三人は顔を見合わせた。誰が話す? と目で確認し合い、南条広継が咳払いをして説明する。
「新田家が隣にいては、領民は逃げてばかりであろう。このまま緩やかに朽ちるくらいならば、いっそ兵を挙げてはどうか? 揚北衆を束ね、一個の大名として自立するならば、新田家がその後押しをすると口説いたのです。御当家に仕えよ、あるいは援軍を送るなどとは、一言も口にしておりませぬ」
「それは……」
「嘘は申しておりませぬ。実際、武器や兵糧など二〇〇〇人分程度を送りました。その後は繁長殿の力量次第でしょう。あるいは繁長殿は、酒田の兵を後詰とお考えかもしれませぬが、それは繁長殿が勝手に考えたこと。こちらのあずかり知らぬところでございます」
酒田に集めた一万二〇〇〇の兵。上杉は当然、叛乱した本庄の後詰と考えるし、本庄自身も新田は本気で助けてくれると期待する。だが実際には、この兵は眠れる宝島、佐渡島を獲るための兵なのだ。それを知った時、本庄繁長はどんな顔をするであろうか。
「クックックッ…… まったく。俺の軍師たちは揃いも揃って、悪よのぉ」
「いえ、殿にはとても及びませぬ」
「「「「ハーハッハッハッ」」」」
齢一七の当主と謀臣三人が、極悪な貌で嗤う。守信は改めて自分に誓った。自分だけは、あのような顔をしないように生きようと。
揚北衆の本庄繁長と越中の国人椎名康胤の叛乱は、春日山城にも届いていた。さらに、酒田には新田軍一万が集結しており、本庄に武器や兵糧を流しているという話まで聞こえている。
「まるで呼吸を合わせたかのように東西で一斉に叛乱など、そんな偶然があろうはずがない。これは間違いなく、新田の調略であろう。武士らしく堂々と戦を仕掛けてくれば良いものを。小賢しい……」
「だが叛乱が起きた以上、鎮めねばならぬ。本庄繁長は戦上手で、しかも背後に新田が付いている。戦になれば、先の戦を遥かに超える厳しきものとなろう。ここはやはり、越中椎名から手を付けるべきではないか?」
斎藤朝信の言葉に、重臣たちも頷いた。新田の悪口を言ったところで叛乱が治まるわけではないのだ。
「御実城様。本庄に対しては色部や新発田など、他の揚北衆に当たらせましょう。椎名も、新田に唆された故の叛乱と思われますが、畠山や加賀一向衆との繋がりが無いとは言い切れませぬ。放置しておけば越中そのものを失いかねませぬ。ここはまず、西から……」
「うむ。各々、戦の用意を」
上杉輝虎としては、新田又二郎自身と決着を付けたかった。だが現実の問題として、椎名の叛乱は無視できない。本庄繁長を先頭に新田が攻めて来る可能性も無くはないが、それであれば一万ではなくもっと大軍を用意するだろう。本庄自身は揚北衆の統一を目指すかもしれないが、新田はあくまで後詰に過ぎないと判断した。
永禄六年長月の一〇日、春日山城から一万六〇〇〇の軍が西へと進み始めた。新田又二郎率いる三〇〇〇石船の大船団が酒田を出港したのは、それから三日後であった。