歴史を動かす者、動かされる者
昨日は投稿できず、申し訳ありませんでした。
本日から年末年始休暇のため、時間を取ることが出来ます。
そこで本日は、二話更新の予定です。
時は少しだけ遡る。永禄五年(一五六二年)神無月(旧暦一〇月)、出羽庄内南部は上杉家の勢力下となった。鶴ヶ岡城の城下(※現在の山形県鶴岡市)にある集落では、この城を与えられた本庄繁長の家臣たちが、領民たちに本庄領になったことを説明していた。この時代、文字が読めない者のほうが圧倒的に多い。こうやって集落に出向いて、上杉の統治の仕方や兵役などの話をしなければならないのだ。
「上杉は野盗の跳梁を決して許さぬ。我が民となった以上、怯えることなく暮らせることを約束する」
「あの…… それよりも、米を恵んで下せぇ。戦で徴発されて、冬を越せるかどうか……」
正確には上杉兵の略奪なのだが、権力者に下手に逆らわない方が良いという程度には、百姓たちも知恵が回る。徴発されたということにして、まずは目先の食べ物を得ようというのだ。
「間もなく施餓鬼も行われるだろう。有難く受け取るがいい」
領民の慰撫は領主の役目である。本庄繁長は完全な猛将型の武将で、本庄家自体も内政は殆ど行わない。だがそれでも、領民たちが一揆を起こしたり逃げ出したりすれば、戦に連れていく兵そのものが無くなってしまうという程度は理解している。
だがこの場合は、比較対象が余りにも悪すぎた。僅かな期間ではあったが、彼らは新田の統治を受けていたのだ。それと比べて、新しい領主はどうであろうか。本庄家の家臣がいなくなったあと、集落の主だった者たちが集まった。
「新田様の頃は、三日に一回は施しを行ってくださり、米も炭も着る物も与えてくれた。戦になろうとも兵として徴発はせぬ。皆は安心して田畑を耕し、豊かになれと言って下された」
「そうだ! せっかく新田様が下さった着物を上杉の奴らが奪ったんだ。それなのに有難く受け取れだと? ふざけるな!」
「この冬が不安じゃ。炭の蓄えも僅かしかない。このままでは凍えしんでしまう……」
「いま酒田では、新田様肝いりで盛大に城づくりが行われている。あそこに行けば働き口もあるし、飯も鱈腹食える。俺は母ちゃん連れて逃げる。新田様なら、きっとあったかく迎えてくれる!」
この夜、多くの領民が姿を消した。我も我もと北を目指す。こうなることを予期していた蠣崎宮内政広は、最上川の北側に新たな集落を設け、冬を越せるだけの物資を渡し、さらに街道整備と築城の仕事まで用意していた。新田領なら未来は明るい。飢えず、震えず、怯えることなく明日を夢見て暮らせる。そうした噂が庄内から北越後まで流れ始めた。
「なんだと! 集落ごと領民が消えた?」
本庄繁長は知らせを聞いて唖然とした。新田が内政を得意としているというのは知っていた。だからこそ、新田に隣接するこの地を得た時、施餓鬼を行い、領民を慰撫し、まずは安心させようと考えた。また同時に、新田の内政について秘密を探ろうと思っていた。だがまさか、これほど早く領民が離反するとは思わなかった。しかも数が尋常ではない。一人二人ではない。数百以上も新田領に逃げているのだ。
「このままでは、戦すらできませぬ。如何致しましょう?」
「新田との国境を厳しく見張れ! 逃げようとする民は斬っても構わん!」
さすがに新田に文句を言うわけにはいかない。逃げられる方が恥なのだ。当初は石高も上がり、対新田の最前線という重要地を与えられたことに奮起していた本庄繁長であったが、内政の競い合いというこれまでとはまったく違う戦いに、徐々に不安を感じていた。
「歩き巫女のみならず、出羽三山の修験者も協力してくれています。遠からず本庄は領民を失い、動くに動けぬ状況となるでしょう」
「クックック…… 人というものは、一度豊かさを覚えたら、そこから貧しくなることに我慢できない生き物だ。新田の民の生活水準は、日ノ本の平均を遥かに超える。まずは思い知らせてやらんとなぁ。新田の民を治めるには、新田以上の内政をするしかないとな」
「ですが、本庄とて黙って見過ごすとは思えませぬ。止められぬと解れば、戦を仕掛けてくるのでは?」
「それはそれで構わぬ。本庄軍など二〇〇〇にも届かぬ。亀ヶ崎城には万を置いているのだ。それに鶴ヶ岡城と尾浦城の動きには、宮内も目を配っておろう。亀ヶ崎城と並行して、横山城も増築を始めた。本庄繁長一人が騒いだところで、どうにもできぬ」
「であれば、さらにここに一手を加えましょう。人は苦境に陥った時、誰かのせいにしたがるものです」
「なるほど…… 噂を撒くわけですな?」
八柏道為の言葉を即理解したのは、南条広継であった。二人してフフフと暗い笑みを浮かべる。武田守信も、なにをしようとしているのかは想像できるが、その策謀はかなり悪辣であった。本庄繁長を気の毒に思ったほどである。
「揚北衆はもともと独立志向の強い国人たち。土地を与えるという名目で、統治に苦労する元新田領を与えたのはなぜか? ひょっとしたら本庄家の力をわざと落とさせ、取り潰すつもりではないか……」
沼田祐光は涼しい顔をしてそう口にした。守信は主君に顔を向け、そして俯いた。そこには野獣のような猛々しい笑みを浮かべた悪人顔があったからだ。
無論、上杉政虎や直江景綱に、本庄繁長を追い詰めるような意図はなかった。庄内地方は平地が多く、土地は豊かで米も採れる。そして新田家に隣接する極めて重要な地帯である。だからこそ、戦上手な繁長を置き、新田の抑えとしたのである。
繁長が北からの動きを抑えている間に、上杉は西を目指し、越中国を獲る。越中、越後、上野の参加国を領して新田に対抗する。関東の要衝、唐沢山城はすでに上杉家のものとなっている。佐竹、里見、武田と連携すれば、新田の南下を食い止められる。それが、上杉輝虎が描いた戦略であった。
「揚北衆から、施餓鬼のための兵糧を送って欲しいと矢のような催促です。このままでは民は飢え、逃げられるか一揆が起きると……」
「ただでさえ、米の値が上がっておるというのに…… やむを得ぬ。米一〇〇俵を送ってやれ」
直江景綱は優れた謀臣であり内政も得手であったが、経済戦争という未知の戦については知識が無かった。先の戦において略奪を受けていたため、民たちが飢えているという程度の認識であった。これはある意味で仕方がないことである。経済的格差が大きすぎて、戦すらならない状況など、誰も経験したことがないのだ。
「武田も動いている。北条もだ。我らとて負けるわけにはいかぬ……」
謀臣として、関東管領の筆頭家老として、上杉家をさらに栄えさせなければならない。そのためには越中を手中にするしかない。幸い、新田は守りを固めて此方に仕掛けてくる様子はない。東は当面は安全だろう。今のうちに、西に出るのだ。
春日山城の主だった者たちは、西に意識を集中させていた。
転生者、新田又二郎政盛の登場は東日本の歴史を大きく変えた。北条は小田原城を失い、武田と上杉は盟を組み、そして一向一揆は史実ほどの力を持たなくなった。関東甲信越の歴史は大きく変わったが、その歪みがどこまで東海、畿内に影響を与えるか。これは又二郎自身も読めないでいた。
だが少なくとも、三河では、守護使不入の特権を認めようとしない松平元康と、三河三ヶ寺(本證寺、上宮寺、勝鬘寺)との間の対立は史実通りに発生しており、いつ一揆が起きても不思議ではない状況であった。一方、三河の隣国である尾張は、少しだけ史実とのズレが起きていた。織田信長の犬山城攻めである。
「フンッ…… 時代を見ぬ強欲者など不要だ。一気に攻め滅ぼせ!」
史実では、織田信長と従弟の信清は、旧岩倉城主であった織田信賢の領地分与を巡って諍いが発生し、信清が楽田城を攻めるというところから両者の抗争が始まる。だが遠く陸奥の話を聞いた信長は、一日も早い尾張統一を目指していた。分与すらしないという姿勢を見せ、信清が兵を興す前に一気に犬山城を攻めたのである。
「尾張を統一し、美濃を獲り、そして天下を目指す! 武田が動いているいま、尾張にこれ以上の時は割けぬ!」
永禄五年師走、織田信長は犬山城を攻め落とし、尾張を統一した。史実よりも二年近く早い尾張統一が、その後の歴史にどのように影響を与えるのか。信長自身も、この時点では身を焦がすような焦燥感しか持っていなかった。