余目の戦い 後半
大変申し訳ございません。
投稿する小説タイトルそのものを間違えました。
「御実城様、飛んでいた蠅を落としました。残念ながら叩き潰すことはできませんでしたが、もう飛ぶことはできませぬ。ですが依然として敵は固く、まだ崩れませぬ」
滝本重行、矢島満安の両名が率いていた遊撃隊が退いたことで、上杉軍は目の前の敵だけに集中できるようになった。だが直江景綱もまさか新田の兵が此処まで強いとは思わなかった。これで武将の数が同じであったら、此方の方が包囲殲滅されていたかもしれない。
「見事な戦ぶりよ。それに兵も良い」
「御意、あの戦い方は参考になりますな」
小部隊に分けて連携し、防戦しながら交代で水を飲み、呼吸を整える。兵の継戦能力を大幅に伸ばし、たとえ押されても押し戻す力を失わないでいる。犠牲者の数はほぼ五分だが、上杉軍も息切れを始めている。このまま夕暮れになれば、退却すら出来ないかもしれない。
判断の分かれどころであった。状況としては四分六分で上杉軍の方が優勢である。だが決定的な差は出ていない。ここで上杉輝虎自らが兵を率いて攻勢に出れば、あるいは一気に突き崩せるかもしれない。
だが突き崩せなかった場合は、退却に大きな犠牲を出すことになる。越後との国境まで逃げに逃げることになるだろう。そして決定的な報せが届いた。
「申し上げます。新田陸奥守率いる八〇〇〇、東禅寺城付近にまで迫っておりまする!」
「此処までか…… 鶴ヶ岡城まで退く」
「ハッ!」
太鼓と法螺貝の音が響いた。それまで攻勢に出ていた上杉軍が、潮のように退き始めた。普通であればその背中を追う。だが長門藤六広益は、まずは新田本軍との合流を優先した。
「攻める時も退く時も、見事なものよ…… だがなぜ退いた?」
「恐らく、檜山からの援軍が近づいているのでしょう。一気呵成に攻められたら、あるいは此方を崩せたやもしれませぬ。ですがそれが出来なかった場合、上杉は前後で挟まれることになり、大きな犠牲を出したことでしょう。傷が浅いうちに退いて、恐らくは鶴ケ岡城、尾浦城を攻め獲り、最前線とするつもりでしょう」
越後から亀ヶ崎城までの間には、幾つかの城や砦がある。上杉軍はそれらをすべて無視して一気に攻めてきた。新田軍としても、二〇〇や三〇〇程度の兵で追いかけたところで意味がないと判断し、籠城を指示している。鶴ヶ岡城から酒田まではおよそ一五里の距離がある。新田への最前線としては手ごろな場所に位置していた。
「これで、奥州は膠着するやもしれませぬな。上杉が出てきた以上、此方も簡単には動けませぬ」
出羽地方は膠着状態になる。最上や伊達はおろか、滅亡寸前であった天童や延沢も息を吹き返すだろう。天下統一が大幅に遅れるかもしれない。恐らく大評定が開かれるだろうと思った。
「盾岡城を最前線として、酒田から盾岡までの開発を最優先とする。東禅寺城は亀ヶ崎城と名を改め、引き続き政広に城代を任せる。それと下国家嫡男の重季に家禄加増の上、下国家を継ぐことを認める」
東禅寺城改め亀ヶ崎城において、又二郎は当面の人事を発表した。今回の戦は、完敗ではないが負けに等しかった。出羽国の一部を上杉に切り取られ、重臣である下国師季を失った。兵の犠牲も無視できない。籠城戦と野戦で四〇〇〇以上の兵を失っている。恐らく上杉方よりも犠牲は大きいだろう。
「出羽方面には最低でも二万は置かねばなるまい。となれば、陸奥でも大規模な戦は起こせぬ。失った兵を回復させるためにも、当面は内政に力を入れる。最低でも二年は掛かるであろう。だがこれは好機でもある。大きく飛躍するためには、一度屈まねばならぬ。師季の死を無駄にせぬためにも、文武官皆が力を合わせるのだ!」
又二郎自らが、本格的に内政に乗り出すと宣言した。確かに出羽の一部を失ったが、得たものもある。盾岡城は出羽の急所である。盾岡城がある限り、最上も伊達も、陸奥方面には兵を動かせない。そして月山に拠点をおく出羽三山の修験者たちを押さえた。この戦果は決して小さくはない。
こうして、奥州は一時的な膠着状態となった。又二郎はこの時間を最大限に活かそうと考えた。内政による国力増強、そして外政である。亀ヶ崎城での簡単な評定、論功行賞を終えた又二郎は、謀臣四人を呼んだ。
「最優先は亀ヶ崎城の増築です。最上川を堀として曲輪を構え、鉄壁の城にしましょう。また上杉の動きをいち早く察知するため、各所に狼煙台を設けます」
「上杉の力を削ぐためにも、主要な交易を止めてしまいましょう。具体的には、青苧の購入を止めます。御当家には、蝦夷地の物産のみならず、陸奥酒や紅飴などの物産が豊富です。それらを売り、米を巻き上げます。そしてその米を……」
道為は扇子の先端で地図を示した。加賀国であった。
「御実城様、此度の戦は満足とまではいかずとも、それなりの成果はありました。酒田は獲れませんでしたが鶴ヶ岡を得たことで、新田に圧を掛けることもできます。これにより、新田の南進は遅れるでしょう。来年はいよいよ、越中へ……」
「うむ」
切り取った出羽の土地は、揚北衆を中心に与えられた。独立志向が強かった彼らも、新田から土地を切り取った上杉家の強さを目の当たりにし、大人しくなっている。上杉家はこの戦により、越後と上野の二国、そして出羽庄内の南を得たことになる。何よりの成果は、新田の南進に強烈な楔を打ち込んだことであった。これで奥州は膠着状態になる。その間に越中国、そして加賀を攻め、一向門徒たちを駆逐し、越後から越前までの道を作り上げる。その時は兵力も五万を超え、武田と力を合わせれば十分に新田を止められるだろう。
こうして、新田家にとって永禄五年最後の合戦「余目の戦い」は終わった。又二郎にとっては事実上の負け戦であったが、重臣であった下国師季の死によって、それまで家中にあった緩みの空気は一掃された。それこそが、又二郎にとってもっとも大きな成果だったのかもしれない。
永禄五年の秋に動いていたのは、上杉だけではない。武田家もまた一万五〇〇〇の兵を動員していた。目指すのは甲斐国の南、駿河である。
「太郎様。瀬名、朝比奈、葛山からの返事はありませぬ。やはり、調略は難しゅうございます」
「三河半国を失ったとはいえ、氏真殿はいまだ健在。それに三河の松平は一揆に手を焼いていると聞く。今川は総力を挙げて反抗してくるであろう。決戦になるとすれば、どこになると思うか?」
「兵は神速を貴ぶと申します。甲府から一気に南下すれば、六日で大宮城付近に届きます。ですが大宮城は堅城、ここで手間取るわけにはいきませぬ。御屋形様は野戦で一気に決着をつけることをお望みでしょう。となれば……」
「薩埵峠か……」
甲斐から今川の本城である駿府城を攻めるには、攻め口は一つしかない。現在の富士宮市まで出て海沿いに走る東海道を西に向かう。その際の要衝となるのが薩埵峠であった。
「恐らく今川は、薩埵峠で待ち構えるはず。ここを抜ければ、駿府は目と鼻の先でございます。駿府城を取り囲み、早川殿を北条に返すことを条件に、遠江へ退くことを認めるのです」
武田太郎義信は、傅役である飯富昌虎の言葉に頷いた。こと戦において、昌虎は武田家中でも指折りの名将である。父である信玄も、絶大な信頼をしている。だが太郎は背後になる大宮城が気になっていた。
「爺、この大宮城は放置して良いのか? 大宮城を得ておけば、薩埵峠を越えられずとも我らは今川の喉元に刃を突き付けられる。今川とて二ヶ国半を領する大大名だ。野戦では、此方の犠牲も大きかろう」
「されど大宮城は一朝一夕で落とせる城ではありませぬ。力攻めをすれば犠牲大きく、かつての砥石城の二の舞になるやもしれませぬ」
武田信玄にとって痛恨の出来事が「砥石城攻め」であった。武田家譜代の名将である横田高松をはじめ、一〇〇〇名以上を失う大敗であった。それと同じ過ちを犯してはならないと諫言する。
「うん。そこで、北条の手を借りられないかと思う。別に今川を攻めてもらう必要はない。ただ国境近くで練兵をやってもらうのだ。そして北条が大宮の気を引きつけている間に、一気に攻める」
「なるほど…… やってみる価値はありますな!」
「氏政殿とは、共に酒を飲んだ仲だ。あるいは断られるやもしれぬが、一つ頼んでみよう」
史実を大きく逸脱した形で、武田と今川の合戦が始まろうとしていた。