東禅寺城攻防戦 後半
蠣崎宮内政広は自分の判断を後悔していた。並の敵ではないことは解っていたはずなのに、下国師季の意気を汲んで出陣を認めてしまった。師季は旧蠣崎家家老として、今までずっと自分を助けてくれていた。
「申し訳ございませぬ。不覚を取りました」
「師季ッ! 死んではならぬぞ!」
四ヶ所に槍傷を受け、血まみれで戻ってきた師季は、息も絶え絶えの状態で詫びた。そして遠のきそうな意識を必死に呼び起こしながら、自分の手を取り、必死に呼びかける政広に言葉を残す。
「若…… 上杉の兵は、並ではありませぬ。いざとなったらお逃げなされ」
「何を言う。お前を置いて逃げたりなどせぬわ! もう喋るな!」
だが下国師季の顔はどんどん白くなっていく。遠のく意識の中、うわ言のように呟いた。
「……見える。光が…… 天下……」
「師季ぇぇっ!」
永禄五年長月末、下国師季は東禅寺城で息を引き取った。蝦夷地の豪族として茂別館を護り、アイヌ民族との和睦後は新田の武将として奥州各地で戦歴を重ねた。攻めの長門、守りの下国と呼ばれるほど守勢に強く、新田陸奥守政盛も本陣の守りを任せたほどである。享年四三。
「おのれ上杉…… この仇は必ず討つぞ!」
「宮内殿、お気持ちは察して余りありますが、敵が迫っています。落ち着きなされ」
激情に震える政広に、沼田祐光は冷静に語り掛けた。野戦では激情が強さになることもある。だが籠城戦で求められるのは、冷静さと粘り強さである。ここは敢えて、冷や水を掛けなければならない。
下国師季の死は、祐光にとっても計算外であった。新田は常に拡大し続けてきた。守りよりも攻めの経験の方が遥かに多いのである。蠣崎家の重臣として、二〇年に渡りアイヌ民族から茂別館を守ってきた師季の経験は、この籠城戦では貴重であった。それを初戦で失ってしまった。
(撤退も視野に入れなければならぬ。檜山からも援軍が出ているはず。それと合流し、再び酒田を攻めることも可能なはずだ)
だがここで撤退すれば、天童を攻めている長門、小野寺軍三万は退路を断たれることになる。最上家もそろそろ上杉の動きを察知するだろう。自分たちが撤退すれば、長門たちは上杉と最上に挟み撃ちにされてしまう。
「五日です。五日間、耐えましょう。檜山からも援軍が出ているはずです」
蠣崎政広は二度、深呼吸をして頷いた。
時は少しだけ遡る。上杉が出羽方面に向けて出陣したという報せを受けた又二郎は、ただちに檜山、石川、浪岡の兵を動員した。新田軍は基本的には常備兵だが、危機となれば臨時の徴兵も可能である。刈入れ前ということもあり動員は最小限にしたが、それでも一万が集結した。
「檜山から酒田まで、およそ四〇里(※一六〇キロメートル)です。一日五里としても八日は掛かります
それまで、東禅寺城が保つかどうか……」
「一日六里なら七日、七里なら六日で着く。東禅寺城には下国師季がいる。それに軍師として祐光も入っている。宮内も武将として一人前だ。たとえ上杉でも簡単には落とせぬ」
「兵糧や武器はすべて船で運びましょう。酒田の手前、吹浦で荷揚げします。途中、秋田、由利で補給をしながら進めば、腰兵糧だけで進めるでしょう」
石川高信、南条広継、武田守信ら重臣たちを率いて、新田陸奥守政盛は檜山城を出陣した。常備兵ほどに鍛えてはいないため、どうしても移動には時間が掛かる。だが道が整備されているうえ、槍や鉄砲をすべて船で運ぶとなれば、一刻(※約二時間)で一里以上は進める。
「上杉軍は二万以上。全軍で攻められれば、東禅寺城は保って五日か六日でしょう。ですが長門殿たちのほうが早く到着するはず。上手くすれば、上杉の背後を突けるでしょう」
檜山城から能代に出て、一気に南下する。途中で九十九衆から戦況の報せを受ける。夜襲に失敗し、下国師季が死んだと聞いたとき、又二郎は持っていた扇子をブチ折った。
「下国殿が……」
「これは拙い。籠城戦では将の重さが肝要だ。宮内殿では若すぎる……」
二人の軍師も呆然とする。だが又二郎は、圧し折れた扇子を棄てて笑った。
「どうやら関東管領は余程、滅びたいと見える。望み通りにしてやろう。急ぐぞ! この際、脱落者が出ても構わん!」
半数が着けば良いと開き直り、一気に行軍速度を上げた。
「あれが新田の鉄砲か……」
関東管領上杉輝虎は、懸命に抵抗する東禅寺城を眺めて呟いた。城を攻め始めてから三日、城門は未だに破られていない。城壁に貼りつく前に、大量の鉄砲と矢が降り注いでくる。
「御実城様、敵は中々に抵抗激しく、此方の犠牲も無視できなくなりつつあります。此処は開城を迫っては如何でしょう? 将兵の命を保証すれば、降ると思われますが?」
直江景綱の進言を受けて、一旦は兵を下げる。開城すれば命を保証するばかりか、新田領に戻るまでの兵糧を持ちだすことも認めると伝える。二万の軍に囲まれているのだ。普通であればここで降伏するはずであった。
「笑わせるな。降るわけがなかろう。ここで降れば、師季に会わせる顔が無いわ!」
蠣崎宮内政広はそう言うが、沼田祐光がそれを止めた。兵も疲れ切っており、これ以上の抵抗は難しい。此処は降るべきではないかと主張する。城代と軍師とが激しい口論になりそうであった。そしてついには、祐光が宮内を殴り飛ばした。宮内は歯が折れ、口端から血を滴らせながら立ち上がり、祐光に跳びかかろうとして周囲から止められる。祐光は使者に向けて頭を下げた。
「申し訳ござらぬ。なんとか城代を説き伏せる故、明日の朝までお待ちくだされ……」
戻った使者は、上杉陣にこの様子をそのまま伝えた。降伏が大多数で、若い城代だけが抵抗している。その抵抗の理由は蠣崎家の旧臣であった下国師季が討死したためという、個人的な感情からであった。ならば兵たちもついていかない。恐らく明日には開城するだろうと直江景綱は判断した。
翌朝、使者が到着した。あと三刻だけ待って欲しい。説得が失敗した場合は、城代を捕縛してしまうつもりだと告げる。それを信じて待ち、やがて真昼になる。
「……これは、どういうことだ?」
「おのれ…… 謀ったか!」
東禅寺城から炊煙が昇っていた。つまり戦支度をしているのである。
「クククッ…… これでほぼ一日、時を稼ぐことができました。今日一日の辛抱です。明日になれば、長門殿たちが戻って来るでしょう。さぁ、最後の籠城戦です!」
沼田祐光は、薄暗い笑みを浮かべて上杉軍を眺めていた。
籠城戦五日目、上杉軍は今日一日で落とそうと、力攻めを始める。だがほぼ一日休んだ東禅寺城の兵士たちは士気が回復していた。ありったけの鉄砲と矢で抵抗を続ける。二万の軍は、夜になっても間断なく攻め続けた。だがついに落とすことはできなかった。
「兵を退く。背後に備える」
その夜、上杉輝虎は軍を余目まで下げた。東禅寺城の兵は疲弊しており、この際は無視しても問題ない。むしろ北から来るであろう新田本軍に備え、最上川を越えてしまったほうが良いと判断した。そしてその夜、物見の兵が駆け戻ってきた。
「申し上げます。狩川にて新田軍の姿を確認いたしました。その数、およそ一万八〇〇〇。旗は乱れ藤でございます」
「もう戻ってきたか。乱れ藤ということは、長門藤六広益であろう。御実城様、如何されますか?」
「迎え撃つ」
「御意!」
狩川から余目までは三里弱(約一〇キロ)の距離である。明日の昼には接敵するだろう。
「城攻めで疲れておろうが、それは敵も同じこと。天童から余目まで駆けに駆けてきたはず。数はほぼ同じ、そして疲れも同じなれば、我らが負けるはずがない!」
「「おぉっ!」」
あと一歩で、出羽の要衝である酒田が手に入る。土地は肥沃で湊も栄えている。この地を領せば、上杉の力は大きく上がる。揚北衆をはじめ、上杉の将たちはギラついていた。だがその中で、当主である上杉輝虎の意識は北に向いていた。新田又二郎政盛は、果たしてどこまで来ているのか。
(明日一日で決着が着かなければ、退くしかあるまい……)
だがそれを口にすることはない。寡黙な総大将の心境を察しているのは、一部の将だけであった。