東禅寺城攻防戦 前半
改稿作業が終わりましたので、連載再開です。
出羽方面への出兵を求めるため、最上家が送った使者である世良田小次郎泰治は、春日山城に到着するや、異変に気付いた。最上の要請を受けるまでもなく、上杉輝虎は出羽酒田を目指して数日前に出陣したという。踊り出したいほどの歓喜を抑え、慇懃に一礼して山形城への帰途を急いだ。一刻も早く、この朗報を持ち帰らねばならない。上杉軍二万を相手にするとすれば、新田家も出羽の全軍を向かわせる必要がある。つまり最上に背中を向けることになる。最上家と伊達が軍を出せば、新田は進退窮まるだろう。
山形城に戻るには、三条、五泉を通って蘆名領を抜けなければならない。五泉城を抜けた世良田小次郎は、阿賀野川に沿って会津方面に向かうため、馬を急がせた。
それは一瞬のことであった。チクリと左胸に痛みを感じ、そして急に呼吸が苦しくなった。見ると左胸に、深々と矢が突き刺さっていた。急速に意識が遠のき、そして馬から落ちる。供廻りが慌てて馬を止め、小次郎に駆け寄る。だが彼らも次々と背中に矢を受けた。
「組頭、終わりました」
「よし。身体を調べた後、刀などはすべて回収、油を撒いて焼け」
最上領内に潜入していた九十九衆の忍びたちであった。上杉軍が動いたことを知った彼らは、その情報を持ち帰るであろう世良田小次郎を待ち伏せていたのである。新田が酒田を抑えている以上、山形城と越後を結ぶ道は、蘆名領である塩川(※現在の喜多方市)から阿賀野川を下って五泉に出るしかない。待ち伏せるのは容易であった。
「これで最悪の事態は回避できる。だがいずれ、最上や伊達にも伝わる。急ぎ長門様、そして御頭に報せねばならぬ。駆けるぞ」
迅速な手際で死体を処理した忍びたちは、その場から姿を消した。
「御実城様、敵は蠣崎政広、下国師季とのことでございます。およそ七〇〇〇が、東禅寺城(※現在の亀ヶ崎城)に籠城しておりまする。如何致しましょう?」
「東を渡り、誘う」
「ハッ、砂越に陣を構え油断していると見せかけ、夜襲を誘うわけですな? ですが天童を攻めている長門の軍が気になりまする。三〇〇〇ほどは余目に置くべきかと……」
「うむ」
直江景綱の指示のもと、上杉軍二万一〇〇〇は最上川を挟む形で、余目から砂越にかけて陣を張った。東禅寺城のすぐ南は最上川が流れているため、一旦は東に回り込み最上川を渡って攻める作戦である。既に近隣集落では略奪が始まっている。本来であれば禁じたいところだが、この戦は川中島に出陣しながら活躍できなかった、揚北衆を慰撫する意味もある。ある程度は仕方がないと諦めていた。
上杉輝虎は、いつからこの策を考えていたのか。酒田攻めの策は、能代湊を見た帰りの船上で輝虎が口にしたところから始まる。能代の繁栄を見た輝虎は、新田の統治について詳しく調べさせた。その結果、新田が武士の世を終わらせようとしていると確信した。新田には、次の世に向けての明確な像があり、文国法から土地の開発、民の教育に至るまで、その像に向けて徹底して行われている。室町幕府という既に定められた秩序を破壊し、自分が望む世を創り上げる。輝虎はそれを「強欲ではないが大欲ではある」と判断した。
(皆がそれぞれ、定められた秩序の中で生きれば世は乱れぬのに、北条といい新田といい、なぜ今に満足せぬ? なぜ徒に戦を起こす。新田は秩序を破壊し、世を乱す元凶である)
輝虎が新田に兵を向けた「表立っての理由」はそれであった。だが輝虎の心中深くには、別の衝動が確かに蠢いていた。「越後の龍」と畏れられるこの戦の天才は、齢一七にして奥州の大半を領する大国を築き上げた「宇曽利の怪物」と戦いたかったのである。だが戦うからには勝たねばならない。そこで表向きは友好的に見せながら、裏では着々と戦の準備を整え、機を伺っていた。そしてその機がやってきた。
「五日で落とす」
その呟きは低く静かであったが、不思議と周囲にも聞こえた。
「某は反対でございます。打って出れば、間違いなく負けまする」
軍師として東禅寺城に入っていた沼田祐光は、夜襲を仕掛けるべきという下国師季の言葉に首を振った。
「春日山からここまで、駆けに駆けてきたのだ。いかに精強な上杉軍とはいえ、疲弊しきっているはず。物見からも、くたびれ果て泥のように寝ているとの報せだ。いま仕掛けなければ、我らは十重二十重に包囲されてしまうのだぞ!」
「それが罠なのです。輝虎は、こと戦においては宇曽利の怪物にも匹敵します。常識が通じる相手ではありませぬ。この城は堅城ではありませぬが、それでも南に最上川を堀として構えており、攻め口は限られます。弓と種子島で敵を寄せ付けずに戦うこともできましょう。一〇日もすれば、長門殿らが万の軍を率いて駆けつけて参ります。また殿も檜山を出られているはず。ここで耐え、逆に上杉を包囲するのです」
「その一〇日が問題なのだ! 確かに鉄砲はあるが、この城は鉄砲で守ることを想定しておらぬ。かつて石川高信殿が浪岡城を攻めた時も、籠城において鉄砲は役に立たなかった。まずは痛撃を与え、敵の出鼻を挫けば、勢いも鈍ろう」
二人の議論を蠣崎宮内政広は黙って聞いていた。どちらの意見にも一理があった。「越後の龍」とまで呼ばれた男が、夜襲に対してなんの備えもしていないとは思えない。だが一方で、東禅寺城が籠城に不向きな城であることも確かであった。もともとこの城は、大宝寺氏が砂越氏を攻めるための拠点として建てたものである。籠城そのものを想定していないのだ。
「……師季の策を是とする。夜襲を仕掛けてみよう」
「御城代」
祐光は尚も食い下がろうとしたが、政広はそれを無視して言葉を続けた。
「ただし、越後の龍とまで呼ばれた戦巧者が、なんの備えもしていないとは思えぬ。出すのは三〇〇〇。深入りせず、怪しいと思ったならすぐに退き返せ」
「三〇〇〇あれば十分でございます。では……」
下国師季は立ち上がり、夜襲へと向かった。一方、祐光にも指示を出す。万一の場合に備え、東から北に掛けて兵を集中させ、鉄砲を撃てる場所を確保せよと指示した。二人が動き出した後、政広は腕を組んで瞑目した。
上杉軍の陣はごく普通に見えた。所々に篝火が焚かれ、警戒する兵たちが行き来している。だが規模に比して数が少ない。強行軍であったため、到着した夜は休んでいるのだと考えた。確かに罠の可能性もある。だが罠であれば、もっと徹底して警戒を緩めるのではないか? たとえば篝火だけにして兵を置かず、此方を誘うのではないか? 中途半端に兵を置いていることこそが、罠ではない証拠だと思った。
「掛かれぇっ!」
三〇〇〇の軍が上杉陣へと突撃する。木柵を押し倒し、雪崩れ込んだ。普通であれば、敵は混乱しながら慌てて出てくるはずである。だが反応が殆どない。見張りのしていた兵が逃げただけである。師季は、これが罠であったことを確信した。
「しまった…… 退けぇっ!」
慌てて戻ろうとする。だがその退路を阻むように、一万を超える軍が押し寄せた。
「数は此方が圧倒している。包囲して殲滅せよ。ただし後方には気を付けよ。東禅寺城から援軍が出て来るやもしれぬ」
斎藤朝信が冷静に指揮を執る。上杉軍は、確かに疲弊していた。だが疲れ切ってからの一踏ん張りが、戦場では生死を分けるのである。強行軍の後に夜を徹して夜襲に備える程度、上杉の精兵なら出来て当然であった。
「不覚…… 切り拓くぞ!」
新田軍の方が体力は残っている。だが数が圧倒的に違った。血路を切り拓いたのは僅か一〇〇〇弱、師季自身も深手を負ってしまった。新田軍は初戦で、二〇〇〇を失ったのであった。
「藤六殿、此処は某が引き受けまする。急ぎお戻りになられよ」
「忝い。それにしても、まさか上杉が出て来るとは……」
東禅寺城での攻防が始まる前、天童氏と延沢氏を攻めていた長門広益、小野寺輝道の両名は、上杉が迫っていることを知ると直ちに兵を退いた。二人にとって幸運だったのは、天童と延沢に上杉軍の情報が届いていなかったことである。追撃を受けることなく、盾岡城(※現在の村山市)まで兵を退き、そこで合流した。
「某が考える上杉輝虎という男は、戦の天才ではあれど秩序と義を重んじる人物でした。ですが此度、輝虎はその枠を踏み越えました。一体、なにがあったのか……」
八柏道為は首を傾げた。火種が無いわけではなかった。だがたとえ酒田を一時的に占領しても、それを長期的に維持するのは難しい。新田が全面攻勢に出れば、上杉とて相当な傷を負うのだ。領土への野心に目覚めたとしても、楽に獲れる越中のほうに兵を進めるほうが理に叶っている。
「今は考えても詮無き事。それよりも、一刻も早く東禅寺城に戻らねばならぬ。小野寺殿、此処は頼みますぞ!」
長門、小野寺両軍合わせて三万のうち、一万二〇〇〇を盾岡城に残す。どれ程急いでも盾岡城からは五日、あるいは六日は掛かる。間に合うかどうか、道為でさえ判断できなかった。
「止まるな! ひたすらに駆けよ!」
長門藤六広益率いる一万八〇〇〇が、最上川を一気に下り始めた。