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若狭から来た者

 小野寺輝道は、日々変わりゆくかつての自領を半ば呆れる気持ちで眺めていた。新田家のやり方はとにかく徹底している。小野寺の文官たちに一ヶ月をかけて徹底的に新田の統治の仕組みを教え、それを現場で実践し、自分のモノとして修得させる。五日ごとに振り返りをさせて成果と課題を整理して共有し、その報告がまとめられて上がってくる。誰が、何を、いつまでに、どの位まで実施するのか。その報告はどのような形式で誰に対して行われるのか。徹底した形式化を行いつつ、その形式すら随時見直していく。これまでの自分の統治が、まるで児戯のように感じた。


「いやはや…… 新田が短期間で富裕になった理由が良くわかります。一反の田畑の収穫量を記録するなど無意味と思っていましたが、こうして整理すると、集落単位での違いが一目瞭然です。それに、この戸籍と言う考え方は凄いですな。これならば他国からの間者が入ってもすぐにわかります」


 八柏道為は紙の束をペラペラと捲りながら頷いた。旧小野寺領の戸籍調査がほぼ終了し、正確な人口が出たのである。それと同時に刀狩りも大々的に行われた。没収した鎧や槍は、使えるモノは蔵に収納し、打ち直しが必要なモノは鍛師に、使えないモノはバラバラにして鉄だけを回収する。それらもすべて、記録されていく。


「殿は内政を戦と同じだと考えておられる。兵法とは勝つための理。それと同じように、内政にも理がある。これが、天下を獲るということか……」


 輝道とて、内政には力を入れてきたつもりでいた。だが新田のやり方は細部にまで及んでいる。紙の大きさを統一し、一〇〇枚で一冊として冊子化し、表紙を色分けすることによって何が書かれているかを明示する。使われる文字はすべて楷書体で、字も決められている。そのため文官武官関係なく、手習いを受けることとなった。齢三〇で手習いを受けることになるなど、輝道は思ってもいなかった。


「来年からは領内の各寺社で、領民たちに手習いと算術を学ばせるそうです。田名部では童でさえも、普通に読み書きし、算術を駆使すると聞きます。日ノ本すべての民がそうなれば……」


「変わるな。確実に…… 公家の世が終わり、武家の世が来た。だが殿は、それを終わらせようとしておられる。次は恐らく、民の世となるのであろう。日ノ本すべてで一つの国とする。そのための準備を今からしているのだ。恐ろしい。どのように育てば、こんなことを思いつくのだ?」


 齢一六の主君の姿を思い描き、輝道は腕に鳥肌を立てた。





 浪岡城では又二郎以下、重臣たちが集まって今後の戦略について話し合われていた。北条に関東を任せるといっても、関東八州を獲るまで待っているわけにはいかない。早急に奥州を片付けて、関東、信越へと進出しなければならない。


「関東は常陸までを取る。東回りの航路は依然として危険が大きい。この犬吠埼に灯台を設ければ、危険度は劇的に下がるはずだ。常陸と下野、上野の三ヶ国は新田が領する。北条には伊豆、相模、武蔵、下総、上総、安房の六ヶ国を任せよう」


 三千石船という大型船を建造した理由は、東回りの航海の危険性を考えてのことである。あまり頻繁に行き来できない以上、一度の輸送量を増やすしかない。


「内政を重視していたとはいえ、北条と御当家とでは物産量が違い過ぎます。そこで北条からは、新田領では得られない物を運ぶ予定です。具体的には柚、橙、枇杷、梅、テングサなどです。こちらからは蝦夷地の昆布、毛皮などが喜ばれるでしょうが、基本的には米だろうが酒だろうが売れるでしょう」


 一つ一つの生産性がまるで違うため、米一俵でも新田領内は他領よりも遥かに安い。今、新田がもっとも欲しているのは人である。金崎屋をはじめとする新田の商人たちも、他領から人を連れては来るが、まだまだ足りない。領民もそうだが、家臣もそうである。文官武官ともにまるで足りないのだ。


「殿、御来客です。若狭から来たという者たちなのですが、殿の書状を手にしておりました」


 休憩中に近習が持ってきた手紙を手にする。軽く目を通しただけで又二郎は、顔色を変えた。


「その者たちをすぐに連れてこい! くれぐれも丁重にな!」


 そしてパンッと手を叩いた。喜び、興奮している主君の様子に、重臣たちも怪訝な表情を浮かべた。


「喜べ! 新たな仲間が加わるぞ」


 やがて、些か汚れてはいるが立派な姿をした初老の男と、二〇代半ばと思われる若い男、そして家族たちが通された。南条広継や武田守信ら謀臣たちでさえ、彼らが何者なのか知らない。


「お初にお目にかかります。沼田光兼でございます。娘の麝香が、無事に細川家に嫁いだため、倅と共に罷り越しました。御誘いを頂いてから随分と時が経ってしまい、誠に申し訳ございませぬ」


「いやいや! よく来てくれた! 越中、甚三郎、紹介しよう。若狭武田氏、熊川の国人、沼田弥七郎光兼殿とその嫡男、祐光(すけみつ)殿だ。以前から書状でやり取り(※第八三話「永禄元年」参照)をしていたが、此処に来たということは、新田に仕えてくれるのだな?」


「ハッ! これより我が沼田家は、陸奥守様にお仕えいたしまする。存分にお使いくだされ」


「越中、甚三郎、会議はいったん中止だ。田子九郎は風呂を用意し、御家族を御持て成しせよ。光兼、祐光、ついて参れ。浪岡城内を案内しながら、俺が目指す天下について語ろう」


「ハッ……」


 光兼は一瞬、戸惑いを見せたがすぐに切り替えた。衰退し続ける若狭武田家を何とか支えてきたが、同じ武田家の家臣である松宮玄蕃允が突然、熊川城を攻めてきた。それに対して本家である若狭武田家は咎めさえしていない。近江に逃げ、細川与一郎(※細川藤孝のこと)と面識を得た。娘の麝香を妻に欲しいと言われ、祈る思いで娘を託し、半ば逃げるように此処に来た。


(なぜ、儂のようなしがない国人に、五年も前から声を掛け続けてくれたのか……)


その答えはまだ解らない。だが書状のやり取りで、新田がどのような統治をしているかは知っている。だが実際のところは見なければ解らない。新田の作法に馴れなければと思った。





 沼田祐光とはどのような人物だったのか。津軽為信の軍師という以外には、殆ど判明していない。陰陽道、易学、天文学に精通していたことから、朝廷の陰陽寮に属していたのではないかとも言われている。陰陽道は、現代ではオカルティズムな色合いで見られがちだが、中世日本においては最先端の科学であり、最高峰の学問であった。沼田祐光が、当時の一大教養人であったことは間違いない。

 そんな祐光が、なぜ日本最北端の津軽の、しかも一国人であった津軽為信に仕えたのだろうか。妹は足利幕府の重鎮、細川藤孝の正室であり、嫡男の忠興を生んでいる。希望するなら細川家にも仕えることができたはずである。実際、親族である沼田幸兵衛清延は細川家に仕えて五〇〇〇石を与えられている。細川藤孝も教養人であったことから、祐光が仕えていれば、重く用いられたことは間違いないだろう。

だが実際には、沼田祐光は諸国を放浪し、最終的には津軽に流れ着く。一国人であった為信に拾われ、その教養と人脈を買われて軍師に据え置かれた。与えられた所領は、息子に五〇〇石、自分は一〇〇石であった。今風に言えば、考えられない程に安い給料である。


 沼田祐光が何を考えて放浪し、津軽為信に仕えたのか。どのような気持ちで為信を見ていたのか。史料が残されていないため憶測するしかない。筆者は、祐光は「世を儚んだ」のではないかと考える。若年の頃に城を失い、近江や京、堺などを流れ歩く中で、戦国の世、そして人の業に倦んだのではないだろうか。「諸行無常」という心境で津軽に流れ着き、為信に見いだされるが、その時も「人は皆、憐れ」という達観した心境で、為信の「業」を眺めていたのではないだろうか。


 沼田祐光は軍師でありながら、その功績は殆ど記録として残されていない。一〇〇石という僅かな扶持で口に糊りしながら、ある時は祈祷し、ある時は方位を占い、ある時は書を読み耽る。仙境の心情だったのだと思う。





 良く喋る男だというのが、最初の印象であった。だが喋る内容は尋常ではない。齢一六、自分より一〇歳も若いのに、初老の父親よりも年上に思えてしまう。父親は、新たな主君の話を懸命に聞いている。一方、祐光は涼しい眼差しを浮かべ、微笑みながら頷いているだけであった。そして脳裏では別のことを考える。


(新田は天下統一を目指している。日ノ本を一つの国として束ね、皆が豊かに暮らせる世を創るのだ)


 主君はそう熱く語るが、永遠の繁栄などあるはずがない。いつか必ず国は乱れ、民は怯え困窮するような世が来る。そして誰かが立ち上がり、新たな天下人が生まれる。いつの時代も人は変わることなく、愚かで憐れな生き物なのだ。


「統治の仕組みが問題なのだ。鎌倉や室町のやり方では、隣村との利水の争いすら解決できん。土地と米を中心とする世の在り方そのものを変えねばならん。単一の政体、単一の法によって、銭を中心とする世を創り上げる。そのためには教育が何よりも重要だ。俺は日ノ本すべての民が、一〇歳までに銭勘定ができるようにしたい。それだけではない。遥か古から続く日ノ本の歴史を教え、次の世を紡ぐのは自分なのだと自覚させる。公家の世が終わり、武士の世が来た。そして武士の世が終わり、民の世が来る。遠い遠い未来、きっとこの世のすべての民が、単一の政体で統治されるような世界が来るだろう」


 まるで預言者のような言葉を吐く。狂人なのかと思ったが、言っていることは理に叶っている。だが同時に思う。どれ程に努力をしようとも、たとえ天下を獲ろうとも、いずれは再び乱世が来るのだ。丹精こめて耕した田畑が一瞬で荒らされ、積み上げた歴史も瓦礫となる。虚しくはないのかと。


「たとえ天下を獲ったとしても、いつの日かまた、世は乱れるのではありませぬか?」


 思わず口にしてしまった。父親の光兼が慌てるが、一六の若者は破顔し、そして表情が変わる。ギラギラとした眼差しに、獰猛な笑みを浮かべていた。


「そうだな。この世から争いは消えぬ。人はそういう生き物だ。だがその争いによって、人は確実に歩を進めてきた。これからも人は、幾度も同じ過ちを繰り返し、多くの惨劇を生み出していくだろう。だがな。それでも明日は来る。陽は昇る。川の流れのように過ぎゆく中で、その時々を懸命に生きているのだ。俺は決して人間を諦めん!」


 熱のようなものが、自分の中に入った気がした。ゾクリと背中が震えた。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] 最後のセリフ好きです。
[一言] 資料形式の統一、冊子化、文書保存までしているなら、形式書類なんかは瓦版みたいに木版で大量印刷しているんですかねぇ。もう少し人手に余裕が出てくれば、書籍流通まで行けそう。そうすれば統一規格の教…
[気になる点] そう言えばアラビア数字って概念浸透させてたっけ? 今後西欧とやり合うなら必須になるだろうし教育の黎明期なら抵抗なんてないだろうから早い方がいいのではと思います。
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