浪岡具運、越後へ
※事情により、明日の投稿は18時となります。
越後上杉家。現代人では輝虎という名ではなく「謙信」という名の方が有名であろう。大河ドラマなどの影響により、近年では上杉謙信のファンだという女性も増えた。戦国という野蛮な時代において義を重んじた人物。毘沙門天を信仰し、生涯不犯を貫き、道徳を重んじた人物。武田信玄と幾度も争いながらも、今川の塩止めを卑怯と批判し、敵に塩を送った人物。それでいて戦においては正に軍神のような強さを見せる。様々な逸話を残した半神的な存在として、思い描く人もいるだろう。
だが、そんな上杉謙信が居城とした「春日山城」が何処にあるかと問われ、すぐに答えられる人は多くない。越後は今の新潟だから、新潟市にあると考える人もいるだろうが、それは間違いである。新潟という地名が日本史に登場するのは永正一七年(一五二〇年)である。阿賀野川と信濃川の河口に三つの「津(※船着場、あるいは湊のこと)」があり、それぞれ蒲原、沼垂、そして新潟と呼ばれていた。それら三つの津を合わせて三か津と呼んでいたが、いずれにしても信濃川、阿賀野川はしばしば氾濫を起こしたため、現在のような米どころとはまったく違う景色であった。
戦国時代の越後は、越前および信濃との交易のために新潟よりさらに西が栄えていた。春日山城があったのは、現在の上越市にあたる。そして春日山城から僅か一里のところにあるのが、戦国時代において越後最大の湊であった「直江津」である。
「ここが直江津か。なるほど良う発展している」
浪岡北畠氏当主、浪岡式部大輔具運は、初夏の直江津とキラキラと輝く日本海の水面に目を細めた。千石船三隻分の荷物が次々と下ろされる。半分は上杉、半分は武田のための品々であった。
「お初にお目に掛かる。某、斎藤下野守と申す。主君の命により、式部大輔殿をお迎えに参りました」
「これは…… 鍾馗と噂される斎藤殿が自ら出迎えてくださるとは。恐縮の極みですな」
「いえ。大新田家の重臣として、内政で活躍されている浪岡式部大輔殿となれば、客人として礼を尽くすのは当然のこと。主からも丁重におもてなしせよと命じられておりまする」
斎藤下野守朝信は、上杉輝虎の股肱の臣である。齢三六でありながら、卓越した戦術眼により数多くの武功を挙げ、輝虎が関東管領に就任するときには太刀持ちを務めている。それでいて内政にも明るく、正に文武両道の名将であった。
(なるほど。藤六殿と越中殿を足したような存在か。確かに、ただの武人とは思えぬ涼やかさがある。殿がいたら一万石で仕えろと言ったかもしれんな……)
斎藤朝信の案内で、春日山城に入る。上杉輝虎は、既に大広間に座っていた。他にも直江神五郎景綱、甘粕景持、小島弥太郎貞興といった重臣が揃っていた。だが具運とて新田家の重臣として、猛将たちと共に評定に出ているのである。この程度で怯むことはない。
「新田家家臣、浪岡式部大輔具運でございます。関東管領上杉輝虎様に御目通り頂きましたこと、恐悦至極に存じます」
「うむ」
「つきましては我が主、新田政盛より書状を預かっております。御目通しのほど、お願い致します」
近習が手紙を受け取り、輝虎に渡す。輝虎は表情を変えることなく一読し、重臣の直江景綱に渡した。相変わらず無口な主君に代り、手紙を一読した景綱が他の重臣たちにも理解できるように話す。
「当家のみならず武田、そして北条にまで行かれると? 我が上杉と北条は関東にて長年、争っている。それを御存じないのか?」
「無論、承知しておりまする。しかしそれは、貴家と北条家の話。当家が北条に参る目的は、東海を使って陸奥と伊豆の間で交易が出来ないかと考えたためです。我らは日ノ本の北辺に住むため、南の産物は中々手に入りませぬ。一方、北条家もそれは同じ。昆布や鮭といった北の産物は高く売れましょう」
「ならばなぜ、北条に直接向かわぬのか? わざわざ越後から信濃、甲斐を通って行くなど、遠回りではないか」
「はい。それは二つの理由があります。一つは、北条との交易となれば、関東管領様も神経を尖らせるはず。まずは仁義を通してからと、殿は仰せでした」
「なるほど」
新田と上杉は、現時点では敵対はしていない。北条と交易をするのは新田の自由である。だがこうして使者を送ってきたということは、上杉との繋がりを重んじている証拠であり、敵対意思がないことの表れであった。少なくとも、景綱や重臣たちはそう受け止めた。
「二つ目は、某の見聞を広めるためです。某の父、浪岡弾正大弼は齢五〇を超え、そろそろ隠居を考えております。そこで我が主は、この機に他国を見聞し、父を継いで新田の外政を担えるようになれと……」
「それは…… 陸奥守殿は随分と家臣想いなのだな」
上杉家も上洛の経験があるため、他国を見て回るということがどれ程見聞を深めるか、肌で理解できた。他にも理由があるかもしれないが、少なくとも上杉にとって損はない。それに武田を通るというのも良い。不戦の盟をこうした形で確認できれば、両家の中に燻る緊張感も少しは和らぐだろう。
「御実城様?」
受けても良いのではないかと景綱が思ったとき、当主である上杉輝虎が立ち上がった。無表情のままだが、いつの間にか刀を手にしている。
「我が前で、謀りを申すか?」
そして刀を抜いた。大広間の隅々にまで、ビリッという殺気が届く。具運は死を覚悟した。
「いまの話、嘘ではない。だが総てでもない。北条と誼を持つのは、いずれ関東に出るための布石であろう? 正直に申せ」
「御実城様、なりませぬぞ。式部大輔殿は新田家の重臣。斬ろうものなら、新田は数万の軍で当家に押し寄せましょう。なにより、義に反しまする」
直江景綱が前に出て止める。だがここで、具運が思わぬ行動に出た。パシンと膝を叩いて笑ったのである。自分の主が良くやる方法を思い出したのだ。それは半ば、開き直りでもあった。
「ハハハッ…… さすがは関東管領様、お見事でございます。その通り、我が主はいずれ関東への進出を狙っておりまする。その時に、北条家を味方にするための一手でございます」
少なくとも嘘よりは良いだろう。目の前の男には嘘は通じない。具運はそう判断した。そしてその判断は正しかった。輝虎が構えた刀を下ろしたのである。
「主君から聞いたわけではありませぬが、某の見立てでは数年後に、当家は関東に届きましょう。佐竹や里見と争うこととなりまする。北条は内政を重んじる家、主君もその姿勢には共感をしております。そこで北条家と手を組み、恙なく関東を得ようという考えでございます」
「……式部大輔殿。貴殿、死ぬおつもりか?」
斎藤朝信が心配そうに声を掛ける。甘粕景持、小島弥太郎は、輝虎から命があればすぐにでも脇差で斬れるように、半分腰を浮かせていた。
「気に入らぬなら、お斬りなされ。某の命一つで我が主は、関東はおろか越後にまで出られるのです。この命、御家のためならば喜んで散らせましょう」
数瞬、輝虎は具運を見下ろし、刀を鞘に納めた。ドカリと座ると、景持も弥太郎も腰を落ち着かせた。輝虎は無表情のまま、ボソリと呟いた。
「なぜそこまで?」
家を守るため、土地を守るために命を懸けるのならば解る。だが土地もなく、禄を与えられている立場なのに、なぜそこまで新田に尽くすのか。輝虎の疑問に、具運は胸を張った。
「我が浪岡家のため、そして日ノ本の為でございます。主君は必ず、天下をお獲りになられる。日ノ本を一つにし、民が豊かに笑って暮らせる世を御創りになられる。そのために死ぬならば、某の名は永遠に史に刻まれ、主君は我が浪岡家を永代に渡って守って下さるでしょう」
「なにを……」
この男は何を言っているのだ? 天下を獲る? 日ノ本の最果てにある陸奥から天下を獲るなど、出来るはずがない。この男は狂っているのではないか。上杉輝虎の右腕である謀臣、直江景綱でさえそう思った。
「であるか」
だが景綱の主君は、なにか納得したように頷いた。そして斎藤朝信に指示を出す。
「下野よ。式部大輔殿の持て成しは任せる。武田まで送るのだ。儂も信玄への書状を用意しよう」
すべてを理解したうえで、上杉輝虎は領内の通過を認めた。具運や他の者たちが退いた後、景綱はなぜ主君が認めたのかを尋ねた。普通ならば認めない。さっさと立ち去れと言うだろう。
だが輝虎は、その問いに明確には答えなかった。
「羨ましいことよ」
ただ一言、そう呟いただけであった。