国人衆の蠢動
永禄五年(一五六二年)皐月(旧暦五月)、陸奥は短い夏を迎えようとしていた。まだ夏の暑さは無いが、昼は暖かく過ごしやすい。新田領では各所で稲が伸び始めている。特に津軽から出羽にかけて、稲作が大いに盛んとなっている。日本海側は「やませ」の影響が少ない。それに春から夏にかけて晴れの日が多い。それでいて、水不足にならない程度に適度に雨も降る。米作りに適した場所なのだ。
「津軽から出羽にかけて重点的な米どころとする。その分、陸奥や鹿角は畜産業や鉱工業を盛んにさせる。領内すべてが新田の土地だから、こうした分業ができる。野菜類や果実類については、それぞれ適した土地で栽培するのだ。試行錯誤が必要だが、いずれ必ず、それぞれの土地で名産として根付く」
新田が次に戦を起こすのは長月(旧暦九月)である。それまでは内政に力を入れる。刀狩と共に戸籍を調査し、街道を整備し、田畑や家々を一新する。出羽、陸奥の高水寺城以南は日ごとに変わり続けていた。
だが、今は内政に力を入れるという新田家の事情など関係なく、戦というものは徐々に迫ってくるものである。皐月中旬、二人の正室の「穢れの日」がたまたま重なったため一人で寝ていた又二郎は、微かな気配に跳ね起きた。加藤段蔵からの情報である。
「越後にて、不穏な動きがありまする。どうやら揚北衆を先鋒に、戦を仕掛けてくる様子。本庄弥次郎繁長殿が盛んに動いておりまする」
「弾正少弼(※上杉輝虎のこと)が出てくるか?」
「いえ。今回は揚北衆による自発的な行動のようです。ただ、上杉は黙認しております。ひと当てして、御当家の強さを測ろうというつもりでしょう」
出羽の開発が著しくなれば、それを見込んで近隣からも人が集まる。越後北部を治める揚北衆や、出羽の天童、延沢などは面白くないに違いない。
「今、上杉と本格的には当たりたくないな。かといって放っておけば舐められる。小野寺は今、内政で手一杯の状態だ。安東太郎に当たらせるか。それで揚北衆が動くということは延沢、天童、最上にも声を掛けているのであろう?」
「御明察です。ただ最上は慎重になっております。代替わりしたばかりということもあり、今は家中の掌握に力を入れておりまする。先の戦で、最上は力を落としました。取り戻すのに、あと半年から一年は掛かるでしょう」
「ふむ…… 天童や延沢程度ならどうということはないが、小野寺領はまだ完全に掌握しきれておらぬ。下手なことを考える莫迦が出ないとも限らん。出来るなら、策で抑えたいところだが……」
段蔵の眼がスッと細くなる。又二郎は口端を上げた。
天童氏の歴史は古い。平安時代末期、出羽成生庄に勢力を置いていた里見氏が始まりである。南北朝時代、里見義景に嫡男がいなかったことから、斯波家兼の子である義宗を養子とした。これにより、斯波最上家との縁ができた。その後、斯波頼直が天童の地に、天童里見家として封じられたことにより、天童氏が始まる。そのため、あくまでも天童氏は里見の氏族であり、斯波最上の庶流ではない。室町時代の「余目氏旧記」においても、天童氏は奥州探題大崎氏から、最上と同等に扱われていた。
そのため、天童氏と最上氏は、先祖において血の繋がりはあるだけの「別々の家」であり、実際に両家では幾度も争いが生まれている。天童氏は最上八盾の盟主として「国人一揆」を起こし、最上や伊達に対抗した。最上家からすれば天童氏は、歴史的にも位置的にも、正に「目の上のたん瘤」だったのである。
「兄上、本庄からはなんと?」
「一緒に新田を攻めようと言ってきている。新田の恐ろしさを知らぬのだろう。だがこのままでは我らは戦わずして新田の軍門に降ることになる。小野寺は一騎打ち三番勝負などという遊びで降ったが、あの男は元々土地なし城なしの者であった。そこまで拘りなどなかったのであろう」
天童家当主の天童頼長は吐き捨てるように小野寺輝道を罵った。実弟である天童頼貞もそれに同調する。天童の家柄は新田よりも格上である。新田など、所詮は南部の分家のまた分家。一方の天童は、源義俊を祖とする出羽里見家の家柄なのだ。同格の最上に従属するならまだ納得もできるが、新田に土地を差し出すなど断じて我慢できなかった。
「ですが、新田と正面から戦うことは避けるべきでしょう。延沢や盾岡、飯田に声を掛け、牽制の動きをしてはどうでしょうか。例えば共に調練を行うなど……」
「国境での調練となれば、新田も神経をとがらせるであろうな。小野寺は臣従して日が浅い。隙があればそのまま攻め込んでも良い。良かろう。委細は頼貞に任せる」
上杉家に従属している本庄ら揚北衆の動きに呼応して、最上八盾も蠢動を始めた。だがそれから間もなく、出羽に不穏な噂が流れた。最上八盾が新田の国境に兵を集めた隙に、最上義光が天童、延沢を攻めるという噂である。最上は密かに新田と手を組んでいる。先の戦において、伊達は当主を失ったのに、最上義守は生き延びたのが、その証拠だというのだ。
「クックックッ…… 火のない所に煙は立たぬ。だが付火をして廻る奴がいれば話は別よ。最上、伊達、八盾に不信を抱かせるだけで良い。これで暫くは、互いを気にして動けまい。少なくとも本庄の誘いには乗らぬ」
「フフフッ、段蔵殿は相変わらず見事な手際ですな。この策、揚北衆にも使えるのではありませぬか? あそこも八盾と同じ国人の集まり。中条、本庄、色部、鮎川、新発田などなど。それぞれ独立意識の高い国人でございます」
「悪い奴よの、越中。上杉との分断を図るか? せっかく川中島まで軍を出したのに、一戦もせずに撤退した。揚北の家は、ただ兵糧を消費しただけではないか。これは揚北の力を弱め、上杉家に取り込むための策謀に違いない。その証拠に、上杉は新田と交易を続けて豊かになり、さらに唐沢山まで獲ったのに、揚北衆は一片の土地すら得ておらぬ、といったところか」
又二郎は極悪な貌になる。同じく、南条越中守広継は整った顔立ちに陰を差しながら、ニタリと笑った。武田守信は咳払いをして、話を変えた。自分はまだ、この二人のような邪悪な顔にはなっていないはず。自分にそう言い聞かせながら、関東の話を始める。
「殿の御計画では、五年後に佐竹とぶつかります。その際に問題となるのが、やはり上杉です。唐沢山を押さえているため、佐竹への救援も迅速に送れるでしょう。古河公方も、上杉を立てておりますれば、関東は殆どが当家の敵となりましょう。越中殿の策は、その時まで残しておいた方が良いかと……」
「そうだな。関東は根こそぎ喰らい尽くす。降るのならば受け入れるが、殆どの国人衆は使えまい。広い平野の中でピシパシと場所取り遊びをしていた間に、北条によって追われた連中だ。いずれ北条は力を戻してくるだろう。関東で新田の敵になるのは、佐竹、北条、里見の三つくらいであろうな」
頬を揉みながら、関東の見通しを語る。この三家のうち、佐竹とは一戦交えており、向こうの方が戦う気満々なので、攻め潰すしかない。里見がいる房総半島は東回り航路の最重要地なので、なんとしても接収しなければならない。問題は北条であった。
「北条は代々、内政に明るい。今でこそ上杉によって力を削られてしまったが、阿呆な国人共に苦しめられている関東の民たちにとって、北条の統治は懐かしいものであろう。出来ることなら、新田に臣従させたいものだな」
「甚三郎殿、関東攻めにおいて最悪の展開があるとすれば、それは何だろうか?」
南条広継の問いに、武田甚三郎守信はしばし沈黙した。
「最悪…… まずあり得ませぬが、上杉を中心として武田、北条、里見、佐竹の大連合でしょう。武田と上杉が、それぞれ二万、北条は一万、里見と佐竹はそれぞれ八〇〇〇、その他関東の中小国人たちで八〇〇〇、といったところでしょう。七万以上の兵を動員できるはずです」
「有り得なくはない…… ですな。関東公方と関東管領がいるのです。大義名分としては十分。北条が加われば、後方の憂いもなくなります」
守信の意見に、広継も賛同した。又二郎は顎を撫でながら考えた。
「逆を言えば、北条の存在が後顧の憂いとなる。北条は長年、里見と争い続けてきた。それに上杉などは不俱戴天の敵と思っているだろう。簡単には連合はできまい。だが油断は出来んな。今のうちから誼を結んでおくべきであろう。だが陸路では危険すぎる。伊達、相馬、佐竹、里見を抜けねばならん」
「十三湊から越後に入り、上野から伊豆を目指すという道になりますな。して、誰を送りますか?」
「うん…… 北条は伊勢氏が出自と聞いている。伊勢といえば北畠氏。ここは式部大輔を送るか」
それから数日して、浪岡式部大輔具運を使者とする一行が上杉家、そして北条家を目指して出発した。