次の重臣たち
永禄五年(一五六二年)時点において、新田家は陸奥国の六割、出羽の七割を領していた。現代で表現するならば、青森県、秋田県、岩手県の全土。山形県、宮城県の北半分といったところである。その広大な領地には一〇〇万人を超える人々が暮らし、様々な物産が行われている。その領地を支えるのが、田名部吉右衛門政嘉を筆頭とする新田家文官衆であった。
「……このように、宇曾利や津軽と出羽とでは、暮らしぶりにやはり格差があります。田畑の整備や産業振興により、出羽も急速に発展を見せておりますが、道一つとっても違いがあります。このまま拡大を続ければ、いずれ不満から一揆が起きかねません」
新田領内では、新田家から長く統治を受けていた土地ほど発展している。旧大崎領や小野寺領は、新田家の内政と比べれば、開発されているとは言い難い。だが民衆というものは即物的である。新田家の統治を受ければすぐにでも豊かになれると考える。最低でも数年は掛かると知れば、ならば今すぐ豊かになれるところに行こうと津軽や田名部を目指そうとする。
「人の移動に制限を掛けようにも、限界があります。噂に尾ひれがつき、新田の領民になれば働かずとも食べていけると考えている者までいます」
「ふむ…… 判九郎殿はどう思われるか?」
元油川城城主であった奥瀬判九郎は、自分でも理解できぬうちに新田家の重臣となり、高位の内政官となっていた。生来の気の小ささが幸いしてか、どれほど高禄になろうとも驕ることが無く、書類も入念に細かく確認するため、判九郎が認めた書類は「奥瀬判」と呼ばれるほどであった。
「やはり、新領地の領民は最低三年、その地に留めるようにすべきでしょう。施餓鬼や古着の配布により、最低限の暮らしを保てるようにし、検地、街道整備、田畑の整地などで働き口を生み出すのです。新田領であろうとも、働かなければ食ってはいけないということを理解させましょう」
「だがどうやって留める? 一〇〇名も兵を置けば、それだけで戦力は分散されてしまうし、兵を食わせる必要もある」
「では人口を集約させましょう。山奥の集落などは取り潰し、街道沿いの集落などに移動させるのです。人が集まればそれだけ管理はしやすくなります」
「いや、そうすれば移動させられた民の不満は高まる。それに集落間の問題もあるであろう? 人と人との縁というものがある。それを切ろうとすれば、暴発する者も出るはずだ」
「集落ごと移動させればその心配はないと思うが? だが移動した先でどうやって食わせるかが問題になる。当家は豊かではあるが、米も無限にあるわけではない。施餓鬼にも限界がある」
様々な意見が百出する。それぞれが一角の内政官たちである。目の前の問題だけではなく、施策以降に発生する新たな問題を見据えて議論が行われる。先々を見通す力がなければ、新田の内政官にはなれない。
「如何であったか? これが当家でも大評定に次ぐ重要な会議の様子だ」
吉右衛門や判九郎たちの会議を見学していた永禄五年の新入家臣たちは、一様に瞳を輝かせていた。この会議に出る者は、最低でも五〇〇〇石を得ている。自分たちの中から、この会議に出席する者も出るかもしれない。そのためには知見を深め、より広い視野で物事を考えられなければならない。
「さて、次はいよいよ、殿から直接話を聞くぞ。あぁ、緊張せずともよい。殿は礼儀作法など気にする御方ではない。疑問があれば遠慮なく聞くがいい」
そう言われて緊張が解けるはずもない。三〇人の若き文官候補者たちは、ガチガチのまま評定の間に入った。
「作法や言葉遣いなど気にするな。俺もお前たちと同じくらいの歳だ」
又二郎は当主の座ではなく、皆と同じ板間にドカリと座った。正座などさせず、全員に胡坐させる。見た目は自分たちと同じくらいの歳だが、間もなく五〇〇万石に届くという大新田家の当主なのだ。宇曽利三〇〇〇石から一〇年少々でそこまで大きくなるなど、常人にはとても想像できない。
「さて、今日は俺が目指す天下の姿の話をしよう。なぜ新田が内政に力を入れるのか。戦のため? それもある。領民のため? それもある。だが戦をするのも領民を慰撫するのも、すべては手段だ。もっと言うならば、天下を獲ることも手段だ。俺はな。この日ノ本を世界に冠たる超大国に育て上げたいのだ。田子九郎……」
石川信直が大きな和紙を持ってきた。皆の前でそれを広げる。そこには「世界地図」が描かれていた。又二郎が自分の記憶を頼りに、メルカトル図法で描いたものであるため、正確性には欠ける。だが世界の大きさを知るには丁度よかった。
「これが世界だ。明や朝鮮、天竺、南蛮もある。日ノ本がどこか、解るか?」
全員が沈黙する。話の大きさに圧倒されているのだ。又二郎は笑って、小さな島を扇子で指した。
「これが日ノ本だ。ここが朝鮮、ここが明…… いかに日ノ本が小さいか解るか? 明は日ノ本の二〇倍の大きさがある。三〇〇年前、当時は元と呼ばれていたが、この大陸国家から大軍が日本に攻め寄せた。文永、弘安の役だ。その数、実に五〇万」
「ご……五〇」
新田家でさえ途方もない広さだと思っている彼らには、想像もできない数であった。
「当時は大嵐によって元の船団が沈んだために難を逃れたが、嵐が無かったら今頃我々は、明の言葉を話していたであろうな。だがこれと同じことが再び起こらぬとは限らぬ」
そして又二郎は、地図の左側を指した。
「ここが南蛮諸国だ。日ノ本とは見た目も言葉もまったく違う異人が住んでいる。この南蛮から、いま大量に船が押し寄せようとしている」
扇子は喜望峰を通り、インド洋を抜け、東シナ海へと動く。全員が食い入るようにその動きを見つめた。
「彼らの船は、元の船とは比較にならん。各港で補給をしながら、二年を掛けて遥か世界の果てからやってきている。果てなどと馬鹿にするなよ? 彼らの国は知識も知恵も技術も、我らよりずっと進んでいるのだ。彼らの国は日ノ本のような戦国ではない。一つの国家としてまとまり、数多くの船を世界中に送り出し、土地を占領し続けている。このままいけば必ず日ノ本にも、数多の軍船が押し寄せるだろう。その時、今のような戦国の世であったらどうなる?」
又二郎は前のめりになっていた姿勢を正した。扇子をパチリと開け閉めし、笑顔になる。
「俺が天下統一を目指す理由はそれだ。このような小さな島でピシパシやっている間に、他はどんどん世界を広げている。日ノ本は一刻も早く纏まり、南蛮諸国に負けない独立国家とならねばならん。日ノ本を統一したら大船団を用意するぞ。まず南だ。琉球を獲る。北は蝦夷地を越え、さらに北方にある大きな島を獲ろう。日ノ本の東には巨大な海が広がっているが、所々に島がある。それらも押さえる。海に生きる国。海洋立国として南蛮諸国に認めさせるのだ」
「その…… 宜しいでしょうか?」
一人の若者がおずおずと質問した。又二郎は笑顔で頷く。見た目は最年少だが、この話を聞いて尚も質問をしてくるなど、胆力のある奴だと思った。
「構わんぞ。名は?」
「弥四郎と申します。その…… いずれは南蛮とも戦になるのでしょうか?」
「ふむ…… 良い視点だ。俺の見通しだが、恐らく戦になろうな」
そして再び扇子を南蛮諸国に向けた。
「南蛮人という奴らはな。基本的に自分ら以外をヒトと認めぬ。我ら日ノ本の民など、黄色い猿だと思うであろう。それが南蛮人という奴らだ。世界に出ているのは自分らだけ。他の土地の者は皆、海の外に出られず狭苦しい土地で、未発達な技術で野蛮な日暮ししているだけではないか。手先の器用な猿どもは奴隷として使おう。死んでも構わん。どうせ連中はヒトではない。家畜なのだとな……」
「それは…… むしろ彼らの方が野蛮なのではありませぬか?」
(ほう、この話を聞いて理解できたか)
又二郎は弥四郎の評価を一段上げた。見た目は童にも近いが、新田家家臣団には入れたということは、読み書き算盤以外にも頭の回転なども評価されているはずである。だが三〇人の中で当主に対して発言するなど中々の胆力である。若さゆえの怖いもの知らずかもしれないが、今から縮こまっているよりは余程良い。
「その通りだ。だがそうした連中が日ノ本のすぐそこにまで迫っているのは確かだ。九州には既に南蛮人が来ている。彼らの信じる宗教を広めはじめている。やがて土地を奪い、ヒトを奪い、そして国を奪うようになるだろう。そうなる前に、日ノ本を束ねなければならぬ。さて、俺がなぜ天下統一を目指しているか、朧気かもしれんが理解したな? 天下統一後は、お前たちが内政の中心を担うようになるだろう。その時のために、様々なことを経験し、良く学べ」
「「はいっ!」」
新入家臣たちが出て行った後、地図を片付ける田子九郎に又二郎は声を掛けた。
「あの弥四郎という者、どこ出身だ?」
「津軽でございます。武田殿の御嫡男でございます」
「なに? 甚三郎の? なぜこのような場にいる?」
新田家重臣の嫡男であれば、各家でしっかり教育もできるはずである。実際、石川田子九郎信直は新田家家老石川高信の嫡男として、又二郎の近習となっている。
石川家と大浦家は新田に仕える前から付き合いがある。その縁で、田子九郎も弥四郎を知っていた。
「武田殿は家門に関係なく、あえて民と一緒に学ばせたそうです。武田の名など関係なく、自力で殿に認められねばならぬ。認められなかった場合は、それが実力だと……」
「そうか」
武田守信がそう教育しようとしているのならば、又二郎としては邪魔するつもりはなかった。依怙贔屓などせず、三年間は様子を見よう。それで才覚を示すのであれば、自分の近習に引き上げる。
(今日の様子を見る限り、問題あるまい。なにしろあの「津軽為信」なのだからな……)
三年後が楽しみだと思いながら、次の仕事のために評定間を後にした。