次の敵を求めて
申し訳ありません。あまりに忙しくて、時間が中々、取れませんでした。
少し短いですが、アップいたします。
永禄五年弥生、出羽五〇万石の大名小野寺輝道が新田家に臣従した。所領のすべてを差し出し、新田に仕える一武将となったのである。この報せは瞬く間に奥州、そして関東信越にまで届いた。
「まさか小野寺が戦いもせずに降伏するとは……」
「いや、戦ったそうだが、通常の戦ではなかったらしい」
「……武将同士の一騎討ちだと?」
新田軍と小野寺軍の三番勝負は、九十九衆や歩き巫女を通じて、事実にさらに尾ひれがついて広がり続けている。戦国時代の最大の娯楽は噂話である。その話が、男なら誰もが胸を熱くするような内容であれば、皆が熱狂して語り合う。
「まったく。お前様は子供ですか? もう三十路だというのに……」
横手城に戻った小野寺輝道は手当てを受けながら、正室である照から説教されていた。大宝寺氏の娘である照は、顔や体に痣を作って帰ってきた夫を見て、顔つきが変わったことに気づいていた。
「でもお前様、今は良い顔をしておりますよ? なにか、憑き物が落ちたような……」
「あぁ、確かに落ちたな。新田に臣従することにした。一二で城を奪われ、大宝寺に世話になりながら雌伏し、皆の力でここまで大きくなった。だが、ここが儂の限界よ。儂にはこれ以上を描くことは出来ぬ。だが新田は違う。新田は天下統一を目指している。その中で生きれば、土地を失っても家は残る。お前には済まないとは思うが……」
「ホホホッ…… なにを今さら。お前様が行くところ、どこまでも一緒に行きますよ。新田領は珍しい食べ物やお酒が沢山あると聞きます。それに天下となれば、いずれは都にも行くのでしょう? 楽しみなことです」
輝道は、又二郎から殴られた頬を撫でた。齢一五と聞いていたが、意外なほどに喧嘩慣れをしていた。殴られても平然と殴り返し、まるで喧嘩を楽しんでいるかのように笑っていた。輝道も幼い頃には喧嘩などもしたことがあるが、大名となればそうもいかない。それが普通である。だが新田又二郎は、四〇〇万石の当主の立場など簡単に捨てて殴り合いをしそうな気がした。
「宇曽利の怪物とはよく言ったものよ。武士の常識や見栄など、弊履の如く捨てそうな男であったわ。それでいて、なにか熱くさせるものがある。生粋の武人たちが従っているのも解る」
「お前様も、その一人なのですね? まるで子供のように笑っておりますもの……」
妻に言われ、自分が笑っていることにようやく気付いた。
「子供ですわ。馬鹿ですわ」
「本当に…… お前様は四〇〇万石の大大名なのですよ? 童のようなことはお止めなさいな」
「いいんだよ。殴り合いで解ることだってあるんだ。イチチッ……」
又二郎もまた、ボロボロの状態で檜山城に戻った。顔面が腫れ上がった夫を見た妻たちは、最初は別人だと思ったらしく「殿は何処に?」と周りに尋ねた。夫が褌一枚で殴り合いをしたと聞くと、余りの馬鹿馬鹿しさに呆れかえった様子となった。
「しかし殿は、これで御家中のみならず小野寺の益荒男たちの心まで掴みました。いざとなれば、当主自らが殴り合いをやる。殿もまた益荒男だと、皆が褒めておりますぞ。それにしても、一体どこで喧嘩など……」
「ん? まぁな。俺は怪物だからな。それより、輝道や道為はいつ来る?」
南条広継の質問をはぐらかした又二郎は、小野寺の今後について広継に尋ねた。
又二郎が喧嘩慣れしているのは、前世の経験からである。六〇年代、七〇年代の土建屋など、ヤクザと紙一重であった。気性の荒い男たちが殴り合いをするなど、日常茶飯事だったのである。当然、その時代を生きた又二郎も幾度も殴り、そして殴られてきた。
「小野寺領は広く、すべてを押さえるのには時間が掛かります。まず旧大宝寺領である最上川下流、酒田に一軍を置き、本庄や上杉、最上を牽制します。また仙北には約束通り、戸沢を入れて刀狩と街道整備に取り掛かります。小野寺殿は……」
「一年は横手に置けばいい。新田の内政の仕方にも慣れる必要があるだろう。それより、今年はこれ以上の拡大は可能なのか? 吉右衛門が文句を言いそうな気がする」
「既に文句を言っております。小野寺殿は内政にも明るく、文官の数はそれなりに多いようですが、それでも小野寺領を調べるには半年は必要だと……」
「とすると、次の戦は刈入れ前になるか。攻めるとしたら天童、延沢だな」
「最上は伊達と縁戚となりました。ですが両家とも当主が変わったばかりで、今は家中を固めることに手一杯のはず。最上八盾を援ける余裕はありますまい。ただ気になるのは、上杉の動きです。まさか再び関東に出るとは……」
上杉軍が再び集結しているという情報は、九十九衆を通じて掴んでいた。越中か出羽に進むかと思っていたら、なんと関東に向かったという。
「唐沢山を攻めるつもりだろう。あそこは関東の中央に位置し、上杉と佐竹を繋ぐ要衝だ。新田の関東進出を阻むつもりであろう。さすがは上杉、見事な戦略眼だ」
顔や脇腹への手当てを終えた又二郎は、妻二人を下がらせて、広継と今後の展望について話し合った。天下を獲るためには立ち止まってはならない。常に戦い続けなければならない。奥州の障害はほぼ駆逐した。次の障害は上杉と武田になる。
「北条と誼を結んでは如何でしょうか?」
広継の提案に、又二郎は考える表情となった。
「怯むな! この大軍で攻め掛かれば、いかに関東一の山城であろうとも、落ちぬはずがない!」
永禄五年卯月、上杉輝虎率いる二万二〇〇〇の大軍が唐沢山城に襲い掛かった。先鋒は名将、長野業正の嫡男、長野業盛である。まだ齢一九ながら、亡き父親の薫陶篤いこの若武者は、一気呵成に攻め立てた。
「さすがは武田信玄を諦めさせた信濃守殿の息子だけある。無茶なように見えて、実に良いところを攻め立てる。我らも行くぞ!」
上杉家の猛将、柿崎弥次郎景家も攻め始めた。どれ程の堅城といえども、四方を取り囲まれ攻められ続ければいつかは落ちる。籠城とは基本的に、敵の兵糧が尽きて撤退するまで耐えるか、あるいは援軍が来ることを前提とした戦術である。だがこの時は、後者(※この場合は北条)は無論、前者でさえも絶望的であった。
「北条の援軍は届かぬ。そして我らにはまだまだ兵糧がある。武田との盟より、後顧の憂いもない。存分に攻め掛かるのだ!」
直江神五郎景綱が、主君に代わって指示を出す。上杉輝虎はただ黙って、陥落寸前の唐沢山城を眺めていた。自分が出るまでもない。この戦の勝ちは決まっている。そして思う。あの川中島でもし決戦していたら武田信玄と自分、どちらが勝っていたのかと。
「白けるわ」
ボソリと呟く。どうせ戦うのならば、人知を振り絞り、それでも死を覚悟するようなギリギリの戦をやりたいものだ。強く、逞しく、敬意を払えるような敵と思う存分に戦う。それこそが武士の本懐というものだろう。
「御実城様、間もなく落ちまする。出来ますれば、長野家の新たな当主に、お褒めの言葉を……」
「うむ」
やがて勝鬨が聞こえてきた。またつまらぬ戦をしてしまったと思った。