源平合戦
出羽横手城の評定間では、小野寺家の重臣や従属する国人たちが集められていた。新田陸奥守の右腕とも呼ばれる重臣、南条越中守広継が重大な書状と共に訪れてきたからである。
「我が主君は、数に任せて徒に貴家を押しつぶすのは忍びないと仰せで、出来ることならば臣従してもらいたいとお考えです。されど皆々様方もそれぞれに、家があり思いがあられるはず。それらすべてを受け止める場として、こうした場を用意したいとのことです。もし貴家がお勝ちになられた場合は、不戦の約定を結び、二度と攻め込まぬことをお約束致します」
小野寺家当主、小野寺輝道は新田又二郎政盛からの書状を読んで、半分呆れながら首を振った。近習を通して八柏道為にも書状が渡され、それが重臣たちに回覧される。
「晴天の吉日を選び、目長田にてお待ちいたしまする。当家からは三名、貴家も三名。どちらが益荒男かを決める、正々堂々の一騎討ちでございます」
普通に考えれば罠としか思えない。一騎討ちなど源平合戦の物語でしかない。互いに名乗り、槍を使った馬上の戦い、それで決まらなければ無手の組合いとなる。鎌倉幕府成立当初は、こうした一騎討ちは戦の華であったが、やがて廃れ、集と集の戦へと移行した。
「無論、矢合わせも行います。鏑矢の合図と共に、両家から選りすぐりの武辺者を出し、決着が付くまで戦っていただきます。ただし……」
広継は身体を捻り、後方に向けて手を挙げた。若い男が朱色の槍を捧げるように運んでくる。広継はそれを片手で掴み、ヒュンと頭上で回して床に置いた。
「この、刃引きした槍を使います。我が主君はこの戦を、武士が武士として己の中にケジメをつけるための戦と解しておりまする。皆々様も、当家の力は十分に御承知のはず。しかし簡単には降れない。誇り、矜持、忠孝…… それぞれに思いがおありでしょう。ならばそれをこの槍に託しなされ」
「なぜそこまでされる? 攻めれば簡単に勝てるものを……」
「新田は天下を狙っておりまする。主君が目指すは、武士の有り様を変え、新たな日ノ本を創ること。旧き武士の時代を終わらせるため、皆々様の想いを堂々と受け止める覚悟でございます」
評定の間がシンとする。余りにも馬鹿げた提案であった。だが同時に、沸々と滾るものが確かにあった。両軍合わせて数万が見守る中、着飾った男二人が名乗りを上げ、堂々と戦う。そこに出た男の名は、史に刻まれるのは間違いない。将としてではなく一人の武士として、一人の男として、これほどの大舞台は生涯二度とないだろう。
「道為、これが謀ということは?」
「皆無とは申しませぬが、まず考えられませぬ。越中守殿の先ほどの言葉にもありましたが、新田はその気になれば、策など用いずとも攻め潰せるのです。もしこれが謀であれば、新田は末代までの汚名を残します。そのようなことをしてまで、小細工を弄するとは思えませぬ」
「うむ…… 貞綱はどう思うか?」
小野寺家家老、鮭延貞綱は興奮した様子で主君に身体を向けた。
「御屋形様。この話、御受けなさるが宜しかろうと。勝っても負けても、小野寺の名は日ノ本に永遠に刻まれましょう。つきましては某に一番槍を……」
「待たれよ。それは狡かろう。鮭延殿は齢五〇でござる。ここは某に……」
次々と声が上がり始める。小野寺輝道は主君の座から、呆れるように家臣たちを見ていた。皆の顔が一変している。今すぐにでも槍を手にして暴れ出しそうなほどに興奮しているのだ。そしてそれは、自分も同じだということに気づいた。いつの間にか力が入っていた右拳を開く。
(クククッ…… 新田陸奥守政盛。なんという男よ。武士を認めた上で、それを堂々と受け止め、飲み込む。そうか。だから南部晴政の時も柏山明吉の時も、自ら前に出たのか……)
これが、小野寺家にとって最後の戦になる。領民を巻き込んだ血で血を洗う戦ではなく、こうした祭りで決着をつける。それも良いではないかと思えてきて、輝道は笑った。
「絵師を呼んでおけ。この戦ぶりを絵に残すのだ。それと飯は多めにな。酒もだ。決着がついたあとは、小野寺の兵たちにも振る舞ってやろう」
又二郎はワクワクしていた。普段のような血で血を洗う戦ではない。だが日本史の中に、一騎討ちの記録はそう多くはない。有名なのは平敦盛と熊谷直実の一騎討ちであろうが、あれは偶発的なものであり、ここまで堂々としたものはない。それ程に、武将同士の一騎討ちは珍しく、だからこそ「戦の華」と呼ばれる。
「それにしても殿、宜しいのですか? 重行の奴は大喜びをしておりましたが……」
武田守信は不安げというよりも、馬鹿馬鹿しくて呆れるといった表情であった。奥州探題伊達晴宗を討ち取った滝本重行は、論功の際に「自分の強さを誇示するようなものが欲しい」と又二郎に強請ったのだ。
「良いではないか。此度の合戦は、とにかく華々しく、派手にやるのだ。腕に覚えのある武辺者二人が堂々と戦う。賭け金は小野寺五〇万石だ。後世の者たちはさぞかし呆れるであろう。馬鹿馬鹿しいにも程があるとな」
「いえ、今の者たちでさえ呆れるでしょう。ですがまぁ、殿らしい思い付きではありますな」
殺し、殺されるのが当たり前の戦国の世にあって、五〇〇年前の廃れた風習を甦らせる。だが武士は、その五〇〇年前から生まれたのだ。自分にも小野寺にも、その精神は脈々と残っている。
「天下を統一した後は、年に一度程度、こうした武辺者を集めての、一騎討ちの場を作っても良いな。町人百姓たちも交えて、応援して盛り上げる。無論、賭けもやろう。出店も出そう……」
又二郎はブツブツと呟き、一人で勝手に盛り上がっていた。
四万人という数は、現代で例えるならば東京ドームが満席となっていると考えれば良い。それら全員が屈強な男で、鎧を着て太刀、槍、弓、火縄銃で武装している光景が、想像できるだろうか。
「八柏殿、本当に大丈夫なのであろうな?」
「ご安心を。新田には裏切る理由がありませぬ」
そう言いながらも、道為でさえ一抹の不安を抱くほどに、目の前の大軍は圧倒的であった。今回、小野寺家は八〇〇〇の兵を整えた。戦の内容からして、無理をして集める必要もないという判断からであったが、これで兵力差は五倍である。戦となれば間違いなく皆殺しにされるだろう。
新田軍の中から数騎が出てきた。先頭は南条広継である。本陣に通された広継は、書状と共にこれからの進め方を説明した。
「主君は、皆々様は新田をまだ信用できないに違いない。その不安で万一にも、槍が鈍るようなことがあれば不本意であろうと仰せです。そこで、私が人質として此方に留まります。万一のことあれば、私の首を御刎ね下され」
「なんと……」
これで一抹の不安は消えた。この状況で右腕ともいえる重臣を死なせるなど、有り得ないことである。小野寺輝道をはじめ全員が、新田がこの遊びに本気であることを理解した。
「全軍、五〇歩手前まで進めよ。ただし、万一のために弓の弦は外しておけ。これより先は、益荒男たちの宴よ。余計な邪魔は許さぬ」
両軍が、相手の顔が見えるほどに近づいた。新田軍から一騎、前に出てきた。銀色に輝く一枚胴の鎧の上に、青く染められた布のようなものを羽織っている。奇妙な姿であったが、陽の光の中で輝いて見えた。
「新田陸奥守政盛である! 小野寺の方々、よう来られた!」
「……なんと豪胆な」
鮭延貞綱が感嘆したように呟いた。輝道としても、まさか総大将自らが前に出てくるとは思っていなかった。ここで矢の一本でも放とうものなら、小野寺は卑怯者の烙印を押されてしまう。万一の事故を止める方法は一つ。小野寺輝道は馬を前に進めた。
(思っていたより若いな。確か三〇くらいだったか?)
又二郎は小野寺軍から出てきた男が、総大将の小野寺輝道であることを察した。その後に四人が出て来る。一人は南条広継であった。他の三人は知らない。
「小野寺孫四郎輝道である! 約定通り、当家が誇る益荒男を連れて参った! 我らがこの勝負に勝てば不戦の盟を結ぶこと、相違ないか!」
「ない! 約束は必ず守る! さぁ、始めようか!」
又二郎の後ろから三人が出てきた。滝本重行、三田重明、長門広益である。一方、小野寺家からは矢島満安、鮭延貞綱、そして……
「小野寺殿自らが? では……」
小野寺側の残る一人は誰か。すべてが終わった後に整えることが出来る者、八柏道為であろうと又二郎は察した。それにしても、まさか総大将が一騎討ちに出るとは思わなかった。自分の中で決着をつけるためであろうとは思うが、案外馬鹿だなとも思う。もっともそうした馬鹿は、又二郎も似たようなものであったが。
最初の一騎が進み出る。新田側からは滝本重行、小野寺側からは矢島満安が出た。両者ともまだ若い。だがそれ以上に、滝本重行の恰好が目立った。又二郎のように、甲冑の上に漆黒の布を羽織っている。
「清和源氏小笠原氏流、由利新荘館当主、矢島満安である!」
小野寺軍が、おぉっと叫ぶ。だが同時に、新田軍からも応援の叫びが出た。これには名乗った満安でさえ、戸惑った。なぜ敵が自分を応援するのか。
「敵も味方も関係ねぇよ。ここにいるのは、どちらが本物の漢か張り合おうっていう馬鹿二人。難しいことなんざ、考えねぇ。槍一本に命を託す。それが戦国の益荒男だろう?」
「……確かに」
矢島満安はまだ二〇にもならない若者であったが、その体躯は由利の中でも有名であった。八尺栗毛に乗り、剛槍を軽々と片手で操る。だがその武辺を発揮する前に、由利衆は小野寺家に屈した。身体の中にいる獣を宥めながら、いつか使うかもしれない槍を扱いていたのだ。
「んじゃ、俺も名乗るぜ。耳かっぽじって、よっく聞きやがれ!」
すると重行は馬を操り、満安に背中を向けた。漆黒の布の上に金糸で刺繍が施されている。
『大ふへん者』
「大武辺者……」
思わず呟いた満安に、重行は背中を見せながら笑った。そしてこれを与えられた時に教えてもらった「口上」を高らかに叫ぶ。
「違う! これは大不便者って読むんだ。天下無双の武辺者、滝本重行様の相手がいねぇから、不便で不便で仕方がねぇって意味よぉ!」
敵味方の雄叫びの中で、又二郎は爆笑していた。
「ま、まさか本当にあの口上をやるとは! 馬鹿もここまで突き抜けると清々しいな!」
「まったく…… 終わったら扱いてやらねばな」
調子に乗っている滝本重行を見ながら、長門広益は呆れたように首を振った。呆れているのは広益だけではなく、小野寺方にもいた。南条広継と八柏道為である。
「フフフッ…… 藤六殿は、さぞ呆れているだろうな」
「越中守殿、滝本重行といえば、あの奥州探題殿を討ち取ったという……」
「その滝本重行です。派手好きでへそ曲がりな男ですが、強いですぞ?」
伊達本陣に強襲し、奥州探題伊達晴宗を討ち取った戦は、奥州中に噂が広がっていた。当然、晴宗と一騎討ちを演じた重行の名も知られている。
「面白い! 相手にとって不足なし!」
矢島満安はブルリと武者震いした。この時代、名が知られるということはそれだけで名誉である。奥州探題を討ち取るという大手柄を立てた男が相手となれば、この一戦で自分の名も世に知られるだろう。
(必ず勝つ!)
(やってみろ!)
両者とも、猛々しい笑みを浮かべた。敵も味方も関係ない。大地にいるのは雄二匹。互いにぶつかり合い、強者を決める。ただ勝つことだけを考えればいい。
ピューッ
鏑矢が放たれた。咆哮を上げながら、二匹の獣が激突した。