永禄五年の始まり
永禄五年(一五六二年)も正月が過ぎると、新田領内の中でも宇曽利、津軽地方では「新入家臣」たちの初登城が始まる。新田領内では寺社を利用して領民への教育を施しているが、三戸以南ではようやく始まったばかりであり、読み書きや計算ができる子供はまだまだ少ない。また寺社側も、その中から有望な者を仏門に入れようと考えるため、一部の見込みのある者たちだけが、新田家の家臣として登用される。その数はおよそ三〇名。随分と少なく見えるが、全員が文官として三年間鍛えられ、さらに最低二年間は金崎屋をはじめとする商人のもとで働かされる。年齢にはバラつきがあるが、少しずつ若年化していた。
(最終的には義務教育として齢七歳から一三歳までの子供が全員教育を受けるようにし、その中で見込みのある者を文官武官候補として登用する。さらに五年から六年鍛え、二〇前で新田家の正式な家臣として禄を与えるようにする。全員が幹部候補生だ。子供の頃から新田のやり方を見て、新田のやり方で育った者たちならば、俺が死んだ後も日本を後退させるようなことはないだろう)
貨幣経済である以上、貧富の差は必ず発生する。差が小さければ良いというものではない。貧しさの基準が問題なのだ。「飢えず、震えず、怯えず」を最低限の水準とし、すべての子供に教育を施し、経済的に豊かになれる機会を提供する。
(上限の設定が難しい。年収一〇万石というのは、二一世紀の価値では一〇〇億円だ。だが年収一〇〇億なんて使いきれないし、統一国家として考えた場合、役人にそんな報酬など認めるわけにはいかない)
「やはり一万石だな。それが上限であろう」
「何が一万石なのですか?」
腕枕で眠っていたはずの深雪が声を掛けてきた。艶やかな髪を撫でながら、又二郎は天井を見ながら、妻に言って聞かせるように語る。
「家禄をどうするかでな。天下を統一した後は、秩序の世となる。その時、余りにも特権的な豊かさを持つ者がいたら、民から不満の声が出るだろう。人は自分と他人の米櫃を比較する生き物だ」
「それで、家禄の上限を一万石とするわけですわね?」
「一万石といっても、それで家臣や兵を養うわけではない。すべて自分の家のために使えるのだ。妻と子供三人、近習や小者、あと妾……」
チクリと太ももが抓られる。又二郎は苦笑した。現実問題として、ある程度の経済力がある者には重婚を認めても良いのではないかと思っていた。無論、法的な責任を明確にし、家庭内の秩序を保たれることが大前提だが、生産性が倍増している現状では、人口不足が深刻であった。
「側室を持つのは構いませんわ。ですがそれは、私か桜殿のどちらかに、嫡男が生まれた後にしてくださいまし」
「そうだな」
そう言いながら、又二郎は当分の間、側室など持つ気はなかった。ただでさえ二人は年頃の女性らしく、相応に妬くのである。ここに側室まで加われば面倒なことこの上ない。
深雪が擦り寄ってくる。又二郎は体の向きを変えた。
豪雪地帯の陸奥では、冬になると戦がなくなる。だが常備兵たちを遊ばせておくわけにはいかない。春になれば戦が始まるのである。冬場でも体力を維持しなければならない。そこで新田領内では冬になると兵たちが雪掻きに駆り出される。町人たちは面倒な雪掻きから解放されるし、街道から雪が消えれば物流も安定する。そして兵たちは身体を維持できる。一石三鳥であった。
「五万人が日々、領内で雪掻きをすれば、主要な街道を維持する程度はできます。そこで、当家の課題である街道舗装と治水工事を冬場も続けます。冬にも仕事があるとなれば、南からも人が押し寄せてくるでしょう。それを取り込みます」
「丁度良いことに、伊達が関所を廃してくれましたからな。九十九衆が流した噂を耳にして、この冬の移民が増えてきております。伊達もなんとか抑えようとしているようですが、数十名から一〇〇名程度が、毎日流れてきています」
「殿が課題として挙げられていた医師の手配ですが、明国の医術を書物としてまとめ、教える体制が整いました。しかしながらまだ数が少なく、すべての集落に医師を配するにはまだ時が掛かります」
冬場の評定は、主に内政の話題が中心となる。又二郎が特に気にしていたのは蝦夷地であった。津軽海峡によって分断されているため、どうしても開発が遅くなる。また兵士の数も少ないので、街道整備にも時間が掛かっていた。
「殿。お焦りになるのは解りますが、急いては事を仕損じるという言葉もあります。少しずつ、着実に成果は出ております。蝦夷に関しては長い目でお考えになられては如何でしょう?」
内政を統括する田名部吉右衛門政嘉はそう諫言するが、又二郎が急ぐのにも理由があった。歴史の動きが自分の知識から逸脱しているのである。原因は解っている。又二郎がもたらした戦国時代には無いはずの知識により米の生産量が激増し、物流も活発になった。そのため、新田との交易が盛んな越後、越前では米が比較的安価で、安定して手に入る。米本位制の経済において、米が安定供給されるということがなにを意味するか。
「越前では一揆衆を加賀に押し返したそうです。太郎左衛門尉殿(※朝倉宗滴)が亡くなり、一時は力を落とすと思われていましたが、今は落ち着いているようですな」
今も昔も、国の第一は経済の安定である。米本位制でありながら米が不足していた戦国時代は、完全にデフレ経済であった。だがこの歴史線では、転生者の登場により四〇〇万石を生み出す巨大な米どころが北方に出現した。その結果、米の供給が安定し経済が回り始めていた。
「皮肉なことだ……」
又二郎がボソリと呟いた。その呟きが何を意味しているのか、理解したのは吉右衛門だけであった。新田の米は、越前から京に流れている。その結果、幕府もそれを支える三好家も落ち着いている。天下統一を目指す新田家が、現在の天下人である足利義輝を支えることになってしまったのだ。
「そういえば、倅から文が届きました。無事、九州に着いたようです」
「そうか。九州の交易船が能代や十三湊まで来れば、新田の交易網は日ノ本の半分を包むことになる。だが焦る必要はない。よく見分し、一回り成長して帰って来いと彦左衛門に伝えよ」
戻って来る時には、博多の商人あるいは南蛮人を連れてくるかもしれない。そうなれば九州のみならず、他国の物産も手に入るようになる。楽しみなことだと、明るい気分になった。
永禄五年弥生(※旧暦三月)、陸奥においても雪解けが始まる。それと共に、新田軍の動員が開始された。浪岡城では、新田家が誇る武将たちが顔を揃えて、軍議が始まっていた。
「小野寺を屈服させ、その領地をすべて接収する。だが小野寺輝道も、謀臣の八柏道為も、新田に勝てないことは承知しているはず。一度だ。一度の会戦ですべてが決まる」
小野寺家の動員兵力は最大でも一万二〇〇〇。一方の新田は四万を動員した。圧倒的な兵力差である。兵の質、装備、兵站も差があり過ぎるため、万に一つも負けることはない。
「殿、ここは藤六殿(※長門広益のこと)にお任せになっては如何でしょう? この兵力差です。殿が御自ら戦に出られることもないと思いますが?」
「いや、今回の戦は趣向がちょっと違う。ハッキリ言えば、殺し合うのですら馬鹿馬鹿しいと思う。なぜなら小野寺も八柏も、最初から負けを認めているからだ。これは小野寺個人の意地に過ぎん。そんな意地に付き合って死人を出すなど、愚かしいわ」
「では、戦はせぬと?」
武田守信は首を傾げた。又二郎はニタリと笑った。まるで悪戯を思いついた子供のような表情である。
「いや、やるさ。源平合戦をな」
そして又二郎の策を聞いた重臣たちは、ある者は興奮し、ある者は呆れた。
「……間違いなく、史に残りますな。それは五〇〇年前の戦ですぞ?」
「だから良いのだ。死人は最少で済む。いや、おそらく誰も死なぬ。小野寺への書状は俺が書く。越中、使者として行ってくれぬか? 小野寺を焚きつけ、この遊びに引き出すのだ」
「お任せを。して、こちらからは誰を?」
長門広益をはじめとする名だたる武将たちが、瞳を輝かせる。それ程に又二郎の策は益荒男の心を刺激した。
「そうさなぁ……」
顎を撫でながら、子供のような笑みを浮かべた。