信越盟約の影響
武田と上杉が不戦の盟を結んだという報せが陸奥に届いたのは、永禄四年も神無月(旧暦一〇月)に入って間もない頃であった。それを聞いた又二郎は、誰も部屋に入れるなと命じて自室に籠った。壁に貼り付けた日本地図の前に立ち、指で信越地方をなぞる。
「武田と上杉の盟……間違いなく現時点で日本最強の盟だろう。だが不戦の盟約ということは、和睦に近いようなものか。いずれにしても、これで歴史が大きく変わる」
第四次川中島の合戦がなくなったということは、武田家にとっては信玄の右腕であり家中のまとめ役でもあった武田典厩信繁が生きながらえることになる。さらに軍師の山本勘助や侍大将の諸角虎定なども討死を回避した。そして武田軍は四〇〇〇名の死者を出すことなく、全軍を南へと向けることができるようになった。
「上杉もだ。この戦で三〇〇〇を失い、さらには後に本庄繁長の乱の遠因となる、長尾新四郎藤景との対立も回避しただろう。この盟約によって、両軍は力を落とすことなく、むしろ高めたと言っていい」
だからと言って、武田も上杉も簡単に勢力を伸ばせるというわけではない。史実では、武田信玄と徳川家康に同時に攻められたため、今川家は滅びた。だが現時点では、松平元康(※家康となるのは永禄六年)は織田と同盟を結び、三河で今川と戦い始めたばかりである。上杉ほどではないにしろ、武田単体で簡単に攻め滅ぼせるような勢力ではない。
「本来なら、上杉はこの後、関東に度々出陣するはずだが、先の戦で北条が大きく力を落とした。さらに武田との盟約によって、武田の箕輪城攻めもない。つまり上野国が安泰になった。北条がどこまで巻き返すかによるが、史実ほどには関東出兵はないだろう。問題はどちらを目指すかだ。越中か、それとも出羽か……」
上杉が出羽に侵攻してくるというのなら、迎え討つだけである。今の新田の力は、上杉、武田、北条、今川を足してもなお上回る。面倒な相手ではあるが、負けるとは思っていない。
「それにしても、なんでこんなに変わったのかな。確かに越後との交易には力を入れていたから、上杉も史実以上に豊かになっていただろう。だがここまで歴史が変わるか?」
又二郎は、自分が発した嫌味の一言が、上杉政虎を翻意させたなど、ましてその言葉が山本勘助を通じて武田にまで伝わり、信玄を警戒させることになるなど、この時は夢にも思っていなかった。
「おのれ武田め! まるで掌を返すかのように盟を破棄し、あろうことか上杉と結ぶなど!」
「武田者は信用できぬ! 相模、武蔵を取り返し次第、一気に甲斐を攻めようぞ!」
北条家の中は武田憎しで固まっていた。それも当然である。甲相駿の三国同盟によって、武田は信濃に勢力を伸ばした。その三国の中で相(北条)と駿(今川)の力が衰えた。すると途端に同盟を破棄し、あろうことか北条に煮え湯を飲ませた上杉と盟を結んだのである。
「心配するな、於梅。お前は俺が守る」
「御前様…… 私はいつまでも、御側にいとうございます」
北条新九郎氏政とその正室である於梅乃方(※黄梅院のこと)の夫婦仲は大変に良かった。氏政は家庭的な人物で、弟たちを可愛がり、子煩悩で愛妻家であった。史実においても、氏政は側室を持たず、北条家の嫡男である氏直は於梅乃方が生んでいる。
「たとえ父上の命であろうとも、於梅とは決して離縁など致しませぬ。武田を憎み、悪口を言う暇があるのならば、一刻も早く相模を取り返すべきです」
普段は自分の言いなりで、どちらかというと凡庸にさえ見えていた息子が、頑として抵抗を示す。北条左京太夫氏康は、逆にこの姿に頼もしさを覚えた。自分とは違うが、氏政にもまた譲れない一線がある。そしてそれは、決して悪いことではない。ならば下手に離縁させるよりも、守る方に背を押してやった方が良いだろう。
「解った。されど家中の声は厳しい。これまで以上の働きをもって見返さぬ限り、儂も庇い切れぬぞ?」
「もとより承知の上。玉縄城攻め、私にお任せください」
ようやく、一皮剥けてきたのかもしれない。息子の成長を見ることができた氏康は、顔には出さずとも内心で喜んでいた。
夜。浪岡城内の又二郎の自室で二人の男が向かい合っていた。一人は部屋の主である新田又二郎政盛、もう一人は九十九衆頭領、加藤段蔵である。
「北条では、嫡男の氏政殿が家中を一喝したそうです。武田を悪く言うのなら、見限られた自分らも悪かろうと。その上で自ら玉縄城を攻め、犠牲を出しながらも落としたとのことです」
「ほぉ…… 北条新九郎氏政、思っていたよりやるようだな。これで北条は相模奪還に王手を掛けたわけか。それで、上杉の動きは?」
「関東の動きを注視はしているようですが、まだ動く気配がありませぬ。これ以上の北条の拡張はないと考えているのでしょう。相模を奪還したところで、北条嫌いの里見がすぐ傍におりますし、今川の様子も気が気ではないはず。北条家が武蔵を攻めるのは当分先になるかと」
「うん、武田はどうか?」
「上杉と誓紙を取り交わした後、一旦は兵を解きました。信濃も雪深きところなれば、今川攻めは来年になりましょう。ただ嫡男の太郎義信が、随分とゴネているという噂を耳に致しました。父親と喧嘩をしたとも、謀反の気配があるとも……」
「どう思う? 事実と思うか?」
「有り得なくはありませぬが、噂になるのが随分と早うございます。恐らく、北条の指示を受けて風魔が流したのではないかと。せめてもの嫌がらせでしょう」
史実においても、義信事件の真相はハッキリとはしていない。武田家の対外政策の転換により、今川義元の娘を娶っていた義信および義信派の重臣たちが、危機感を覚えたのは確かだろう。だが武田信玄と嫡男の義信が不仲であったという確たる証拠はない。
武田太郎義信は直情的で無能、諏訪四郎勝頼は戦に強く有能、というのは後世の小説や大河ドラマによって作られたイメージに過ぎない。史料では、第四次川中島の合戦において義信は八〇〇騎で上杉本陣を強襲し、旗本の半分を潰走させ、上杉政虎も自ら刀を振らざるを得ない程に追い詰めたとある。義信は初陣以来、参加した戦では必ずと言って良いほどに大きな働きをしていた。政事はともかく、軍事においては極めて有能な将であったことは間違いない。
(義信事件は恐らく、幾つかの不幸が重なってのことだろう。川中島で弟の信繁を失った。そうした大きな犠牲を出しながらも、上杉との決着が付かず、本人も四〇代の中頃となり焦りもあったはずだ。頑固な嫡男を粘り強く説得する余裕もなく、やむを得ず処断したといったところではないか?)
「それにしても、風魔小太郎とはずいぶんと親切な男なのだな。わざわざ他家の忍びに、このような重大なことを教えてくれるとは……」
「誠に、そうお考えですか?」
又二郎は苦笑した。そんなわけがない。風魔小太郎が情報を流したのは、北条家の意思が働いている。あるいは新田と、誼を結ぼうと考えているのかもしれない。
三国同盟破棄について、北条氏康は家臣たちの手前、激怒はして見せただろう。だが内心では止む無しという思いもあるはずだ。上杉に小田原城を破壊され、伊豆一国と相模半国にまで勢力を落とした。あるいは、自分が信玄の立場であったなら、同じことをしたと思ったのかもしれない。
「北条か…… 関東の中では例外的に、内政に強い家だ。新田が関東に出るまでに、どこまで力を取り戻しているかな?」
「御当家が関東に届けば、我らも風魔と戦うことになりまする。殿は二〇年と仰られましたが、かなり早まりそうですな」
「勝てそうか?」
又二郎の問いに、段蔵は返答しなかった。つまり勝てないということである。あるいは勝ったとしても、九十九衆が半壊するほどの痛手を受けるということだ。
「年が明けたら出羽を攻める。その後は伊達と最上、そして蘆名や相馬だ。関東に出るまでには、もうしばらく時間が掛かる。それまでに整えよ。風魔を越えるのだ」
「はっ……」
加藤段蔵は普段通り、無表情のまま頭を下げた。耳元だけが、若干赤くなっていた。